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「介護現場での看取り」より実況中継
合言葉は「医療現場をぶっ飛ばせ!」
2010年07月10日(土)
こんな抱腹絶笑のシンポジウムは見たことない。
全国大会ならではの豪華な役者。
看取りにおける「医療は、今日、完全に否定された!
この素晴らしい役者たちを尼崎に呼びたい!そう感じた。
【鳥海房枝さん(清水坂あじさい荘)の話】
全国の特養は6300ケ所。
全国の年間退所者の3割が施設内看取り。
あじさい荘では、ご遺体を正面玄関から見送る。
それを見た入所者は安心する。
「ここは最期まで見てくれる。ここで死にたい」
これは入所者への「死の教育」
現代は、生まれるのも、死ぬのも、医療機関となった。
死後の処置もベルトコンベア式になった。
死が見えにくくなり、遠い存在になった。
死の教育が無くなり、死の商品化となった。
遺体は、ケアの通信簿であり、グリーフケアの第一歩。
特養 老健 療養型
平均在所期間 1429日 230日 360日
平均介護度 3.7 3.2 4.3
【阪井由佳子さん(富山県NPO法人にぎやか)の話】
有名な「富山型デイサービス」のパイオニア。
赤ん坊からお年寄りまで年齢や障害を越えた、「共生ケア」を目指す。
現在は、県内に80ケ所がこの形態となる。
10年間看取りはゼロだった。
しかし気がついた。
病院に入院したら2度と帰ってこない。
「医療で老衰を治せるのか!?」
「いいかげんさ」が売り。
「死ぬまであるがまま」
「死」とは、クライマックス。病院では敗北。
「死」の感覚は、「出産」と同じ。
看取りに医者はいらない。
言うことを聞く医者が、死亡診断書を書いてくれればいい。
絶対に救急車を呼ばない。
【柴田久美子さん(NPOなごみの里)の話】
死にゆくひとを抱きながら看取ってきた。
隠岐の知夫里島で活動してきたが、現在は島根県で活動。
介護で看取る<人間力ないし地域力で看取る
=民生委員さんが大切。
離島は火葬場がないのですべて土葬。
しかし穴を掘る人がいない。
【司会の竹本匠吾さんのコメント】
昔は、死に医療者はいなかたった。坊さんだった。
戦後に医者が看取るようになった。
昔は、死にそうな人がいると村の年寄りが集まって、
最長老が合図すると、布をかぶせて自然に安楽死させていた。
【鳥海さんのコメント】
選べるか?選べないか?
地域によってかなり違う
医療機関が
あるが故の不幸と(例 尼崎)
無いが故の幸せ(例 離島)
多職種連携とは、幻想か?
死はいつも孤独なもの。
「死」はだれのものなのか?
【私が感じた結論】
病院か在宅かの時代ではない。
もはや施設か在宅かの時代である。
施設の看取りが、これから3年間のテーマ。
施設の看取りも捨てたもんじゃない。
私見では、
在宅:施設:病院が、1:1:1になり、
やがて、1:2:0になるべきでは?
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この記事へのコメント
Re:死は誰のものなのか
長尾先生 コメントがまとまらず投稿できませんが、今日のブログが課題として心に残ったことに感謝したいです。とっても大事なことはすぐ明快な言葉で言うことができません。つたない言葉では、それだけのことになってしまうので…読者の心に種を蒔いて下さったことにMany thanks!
Posted by 梨木 at 2010年07月13日 09:55 | 返信
梨木さま、長尾です。
いつも元気の出るコメントに、こちらこそthank youです!
Posted by 長尾 at 2010年07月22日 01:53 | 返信
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