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20年余にわたる、ある在宅医療の終り
2010年08月29日(日)
20年以上にわたる、ある在宅医療が、この夏、終わりました。
享年、まだ20歳代の若さで旅立ったS君。
人工呼吸器で頑張ってきた御家族に、ご苦労さまとお礼を申し上げたい。
S君は、入退院を繰り返しながら、気が付けば20年以上が経過しました。
母は強し。
人工呼吸器をつけたまま車の助手席に乗せて、
病院受診や通院リハビリにも行かれていました。
3年前に、危篤状態に陥り、「どうせ亡くなるなら自宅で」と、
大晦日に自宅に帰ってこられました。
それが、S君と私の出会いでした。
そこから奇跡的に回復し、紆余曲折はあったものの、
何とか3年間の大部分をご自宅で過ごすことができました。
途中で何度か、病院にも入院もされました。
病院の主治医とも仲良くなりました。
病院の回診に同伴したこともありました。
医療連携を地で行った数年間でした。
体調を崩し病院に入院しましたが、危篤状態とのことで、
ご家族の希望で、自宅に戻ってこられました。
病院の主治医が付き添っての帰宅でした。
しかし今回は、わずか3時間の在宅でした。
長い長い闘いが、この夏、終わりました。
長すぎて、若すぎて、
言葉が見つかりません。
S君、お疲れ様でした。
そして御家族にも、お疲れ様を言いたいです。
未熟な私に本当にたくさんのことを教えて頂きました。
それを支えてくれたすべてのスタッフのみなさまにも
心の中で、お礼を申し上げたいです。
土曜日の往診を終えて、夕方、車を置きに、帰宅しました。
そのとき見えた、クリニック前からの西の方角の景色です。
S君を偲びながら・・・
母は強し。
人工呼吸器をつけたまま車の助手席に乗せて、
病院受診や通院リハビリにも行かれていました。
3年前に、危篤状態に陥り、「どうせ亡くなるなら自宅で」と、
大晦日に自宅に帰ってこられました。
それが、S君と私の出会いでした。
そこから奇跡的に回復し、紆余曲折はあったものの、
何とか3年間の大部分をご自宅で過ごすことができました。
途中で何度か、病院にも入院もされました。
病院の主治医とも仲良くなりました。
病院の回診に同伴したこともありました。
医療連携を地で行った数年間でした。
体調を崩し病院に入院しましたが、危篤状態とのことで、
ご家族の希望で、自宅に戻ってこられました。
病院の主治医が付き添っての帰宅でした。
しかし今回は、わずか3時間の在宅でした。
長い長い闘いが、この夏、終わりました。
長すぎて、若すぎて、
言葉が見つかりません。
S君、お疲れ様でした。
そして御家族にも、お疲れ様を言いたいです。
未熟な私に本当にたくさんのことを教えて頂きました。
それを支えてくれたすべてのスタッフのみなさまにも
心の中で、お礼を申し上げたいです。
土曜日の往診を終えて、夕方、車を置きに、帰宅しました。
そのとき見えた、クリニック前からの西の方角の景色です。
S君を偲びながら・・・
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この記事へのコメント
人間はいつか人生を終えなければなりません.
いろんな人生や終焉を医療現場でみさせてもらっています.
自分も人生とは病気とは何かと思わせられることが多々.
しかし若い人の死は悲しいです.
もっと人生をかっ歩してほしいのに,と思います.
あまり大きな病気もせず健康に人生を過ごせることは
素晴らしいことであることを皆さんに知ってほしいです
Posted by 稲本 望 at 2010年08月29日 09:04 | 返信
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