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飯舘村で死にたい
2011年06月11日(土)
東大の上昌広先生らが中心になて、飯舘村・相馬市での健康相談が行われた。
「飯舘村で死にたい」という住民の声は、私も聞いたのでよく理解できる。
相双地区の今後の医療は、日本全体の医療者が考えなくてはいけない。
「飯舘村で死にたい」という住民の声は、私も聞いたのでよく理解できる。
相双地区の今後の医療は、日本全体の医療者が考えなくてはいけない。
以下、キャリアブレインより、転載させて頂く。
飯舘村・相馬市で健康相談
住民の悩みは千差万別
東大医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム
社会連携研究部門・特任教授上 昌広
福島での活動を続けている。今回は飯舘村・相馬市での健康相談を通じた、私たちの経験をご紹介したい。
ボランティアが全国から集まる
私たちが浜通り地域の健康相談を請け負うきっかけは、立谷秀清・相馬市長からの依頼だ。5 月12 日、立谷市長と話をしている際、「地震、津波、原発事故により市民はさまざまな健康問題を抱えている。最低10分以上、じっくり時間をかけて相談にのってあげてほしい」と依頼された。市民との「対話」を重視するとは、医師である立谷市長らしい。もちろん、快諾した。
私が承諾すると、立谷市長は「まず飯舘村の菅野村長に連絡しよう。あそこは5 月末までに高線量地域の住民が避難するため、ばらばらになってしまうから、急がなければならない。その次が玉野地区(相馬市)だな」と、一気に話を進めた。
浜通り地区の医療を担っているのは、市町村と地元の医師会・病院だ。現場が動くと話は早い。すぐに、菅野典雄村長から電話がかかってきて、5 月21-22 日に健康相談をする運びとなった。
当日は村役場のスタッフに加え、多くのボランティアが協力してくれた。例えば、健診実務は香川県丸亀市の瀬戸健診クリニック、健診会場の設営・手配などは星槎グループ、医療スタッフは地元の南相馬市立総合病院の及川友好医師をはじめ、全国から駆け付けた10 人程度で行った。また、話を聞きつけた多くのボランティアたちも参加してくれた。
メディアも関心があったようで、地元紙・テレビはもちろん、全国紙・全国ネットテレビやオピニオン誌のスタッフが取材にやってきた。この件は、すでにメディアを通じてご存じの方も多いだろう。
住民の悩みは千差万別
二日間で約300 人の村民を診察したが、住民の悩みは、私の予想とは全く違っていた。「被ばくが怖くて、一刻も早く避難したがっている」という、ステレオタイプな悩みを訴える住民はいなかった。住民の悩みは千差万別で、ひとくくりには語れない。私が相談にのったいくつかの例をご紹介しよう。
80 歳代女性。夫と2 人暮らし。農家であり、原発事故までは早朝から夕暮れまで農作業をしていた。年金収入もあり、農作物は主に自分たちや近所で食べる分だけ作っていたようだ。彼女の願いは「とにかく、地元で死にたい」。かつて、同世代の人々は福島市や東京に出て行ったが、彼女は地元に残った。飯舘村を心から
愛している。
ところが、彼らの生活は原発事故で一変した。行政からは、放射線量が高いため、屋内で待機するように指導され、一日中テレビを見て過ごしている。やることがない。運動不足とストレスからか、血圧が上がっている。もともと高血圧で、降圧剤
を内服している。彼女の両親は脳卒中を患っており、本人も心配している。彼女にとって被ばくによる発がんなど、どうでもいい。
この女性には、「あなたは放射線など心配しなくていい。家の外に出て運動することが大切だ。畑仕事も構わない。よく洗えば、自分で食べる分には一向に差し支えない。大切なのは、かかりつけの医師とよく相談することだ」と助言した。現在、飯
舘村に残っている人の中には、このような高齢者が実に多い。
次に、60 歳代男性のケースをご紹介しよう。彼も農家だ。前述の女性と同じく、原発事故以来、家の中で閉じこもっている。ただ、その理由は違う。放射線被ばくによるがんを心配しているのだ。両親ともがんで、自分も大腸がんの既往があるとい
う。「がん家系」なのだろう。
この人物は、放射線被ばくがなかったとしてもがんを発症する可能性が高い。もし、そうなった場合、原発事故との関係を気に病むだろう。彼に対しては、「一番大切なことは、がん検診を受けること。胃がん、大腸がん、肺がんは検診により、かなり対応できる」と伝えた。
そして、「放射線については、60歳代といえどもできるだけ少ない方がいい」と言った。もし、飯舘村に住み続けたいのなら、できるだけ被ばくを避けるべきだ。飯舘村は地域によって、かなり放射線量が違う。住民の中には、村内の低線量地域の親戚を頼って移住している人も多い。周囲から具体的なノウハウを学べば良い。
また、自宅周辺の正確な放射線量を把握することも大切だ。菅野村長に依頼すれば、測定してくれるだろう。その結果を参考に除染などの対応を考えればいい。
放射線量は建造物によっても異なる。例えば、役場や学校などの中は、放射線量は外部の10%程度だ。被ばくはほとんど問題にならない。日本家屋や自動車の中は外部の半分くらいだ。同じ日本家屋といっても、部屋によって随分と違う。生活習慣を少し工夫するだけで、被ばく量を低減することができる。
相談者も農業を続けることが、現実的には極めて難しいことは分かっている。土壌の除染や補償を東電や政府に求めるしかない。その際、原発事故後の数日の間の屋外滞在時間が重要になる。そのデータは、村民、あるいは飯舘村が自己管理すべきだ。ちなみに、今回の調査では約半数が原発事故後も通常の生活を送っており、高度の被ばくの恐れがある。
相馬市長も健診に参加
飯舘村の健康相談は好評だったようで、28 日、29 日には相馬市玉野地区でも実施することとなった。今回は相馬市からも保健センター長の岡和田忠一氏をはじめ、多数のスタッフが参加した。
医師は、相馬市はもちろん、全国から集まった。私が把握しているだけで20 人を超える。立谷市長自らも白衣を着て参加した。また、飯舘村同様、瀬戸健診クリ
ニック、星槎グループや東大国際保健学専攻の渋谷チームも参加した。さらに、健診会場を提供してくれた相馬市立玉野中学校の江上君子校長は、最初から最後まで来場する住民の案内役を務めてくれた。住民の信頼を集める江上先生が先頭に立ってくれたことは、極めてありがたかった。
参加した住民は2 日間で307 人。健診受診率は80%程度だったらしく、都会では考えられない数字である。期待の反映だろう。
玉野地区の住民の訴えも、飯舘村と似たものが多かった。ただ、玉野
地区は屋内退避や避難地域になっていないため、ストレスの程度は若干、
軽かったように感じる。
同地区で印象に残ったのは、原発作業に従事していた住民や子どもたちの存在だ。前者については、若いにもかかわらず、白内障や甲状腺障害、造血障害などを合併していた。長年にわたる原発作業の後遺症であることは間違いない。浜通り地区には、このような住民が多数いるのだろう。多くの住民が、原発の恐ろし
さを肌感覚として知っている。
子どもの相談は難しい。世間では「20 ミリシーベルト問題」が話題だが、この話を真に受けている保護者はいない。誰もが、放射線はできるだけ少ない方が良いとは分かっている。問題は、保護者が玉野地区で生計を立てている場合、子どもたちをどうするかだ。子どもだけを「疎開」させることは現実的でない。
この難問に対し、医師の果たせる役割は小さい。一方、玉野地区の父
兄、住民、そして市は前向きに頑張っていると思う。校庭の土は入れ替えられ、また、相馬市関係者からは「このような家庭は(低線量地域の)相馬市の仮設住宅に優先的に入ってもらいたい」との声が聞こえてくる。相馬市中心部からなら、小中学生もバス通学が可能だ。関係者は、玉野コミュニティーを守るため最善の努
力を続けている。
住民が求めるのは調査ではなく医療
今回の活動は、地域からおおむね好意的に受け入れられている。ただ、福島県や一部の研究者には不満がたまっているようだ。立谷市長によれば、福島県から「勝手に玉野地区の健康診断を行うこと」について問い
合わせがあったらしい。
5 月11 日、放射線影響研究所(広島・長崎市)が中心となった「放射線影響研究機関協議会」が、15 万人の住民を30 年以上フォローする方針を明らにした。今回の原発事故を受けて、福島県立医大を新たにメンバーに加えたという。
さらに福島県は、「県民健康管理調査検討委員会」を設置し、27 日の初会合で、対象を全県民200 万人に拡大することを発表した。山下俊一座長(長崎大教授)によれば、全県民に問診票を配布し、事故発生後にどこで何をやっていたか健康状態を記入してもらうらしい。
翌28 日、地元紙はこのニュースを一面トップで報じた。全国紙も報道しており、ご存じの方も多いだろう。漏れ伝わるところでは、文科省は毎年100 億円を30 年間にわたり予算申請する予定と聞く。彼らから見れば、相馬市・飯舘村、さらに私た
ちの活動は秩序を乱す無法者だ。
しかしながら、よく考えてほしい。こんな「調査」をやって、果たして住民のためになるだろうか。山下座長は「住民の不安の原因は、『自分がどれだけ被ばくし、それが将来健康にどう影響するのか』ということ。それを調べてきちんと説明することが重要だ」と述べているが、数枚のアンケート用紙で分かるほど、住民の悩みは単純ではない。
被災地の住民が求めているのは「調査」ではなく、「医療」だ。しかしながら、相双の医療は崩壊の瀬戸際にある。
そもそも、相双地区は昔から医師不足だった。そこに地震・津波・原発事故が襲いかかった。多くの病院では、震災で入院機能が停止したため、収入が途絶している。このままでは倒産するのも時間の問題だ。もし、毎年100億円の税金を投入するなら、是非、地元の医療機関に投入してほしい。そして、このような医療
機関で住民の話をじっくりと聞けばいい。ディテールにこだわった地道な日常臨床の積み重ねが、やがて後世に残る「被ばく研究」に結実するはずだ。
福島県の浜通り地区は本当に困っている。是非、皆さんの力をお借りしたい。
上 昌広
(かみ・まさひろ)
1993 年 東大医学部医学科卒。東大医学部附属病院、東京都立駒込病院血液内科医員を経て1999 年、東大大学院医学系研究科修了。国家公務員共済組合虎の門病院、国立がんセンター中央病院の後、2005 年10 月より現職。
飯舘村・相馬市で健康相談
住民の悩みは千差万別
東大医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム
社会連携研究部門・特任教授上 昌広
福島での活動を続けている。今回は飯舘村・相馬市での健康相談を通じた、私たちの経験をご紹介したい。
ボランティアが全国から集まる
私たちが浜通り地域の健康相談を請け負うきっかけは、立谷秀清・相馬市長からの依頼だ。5 月12 日、立谷市長と話をしている際、「地震、津波、原発事故により市民はさまざまな健康問題を抱えている。最低10分以上、じっくり時間をかけて相談にのってあげてほしい」と依頼された。市民との「対話」を重視するとは、医師である立谷市長らしい。もちろん、快諾した。
私が承諾すると、立谷市長は「まず飯舘村の菅野村長に連絡しよう。あそこは5 月末までに高線量地域の住民が避難するため、ばらばらになってしまうから、急がなければならない。その次が玉野地区(相馬市)だな」と、一気に話を進めた。
浜通り地区の医療を担っているのは、市町村と地元の医師会・病院だ。現場が動くと話は早い。すぐに、菅野典雄村長から電話がかかってきて、5 月21-22 日に健康相談をする運びとなった。
当日は村役場のスタッフに加え、多くのボランティアが協力してくれた。例えば、健診実務は香川県丸亀市の瀬戸健診クリニック、健診会場の設営・手配などは星槎グループ、医療スタッフは地元の南相馬市立総合病院の及川友好医師をはじめ、全国から駆け付けた10 人程度で行った。また、話を聞きつけた多くのボランティアたちも参加してくれた。
メディアも関心があったようで、地元紙・テレビはもちろん、全国紙・全国ネットテレビやオピニオン誌のスタッフが取材にやってきた。この件は、すでにメディアを通じてご存じの方も多いだろう。
住民の悩みは千差万別
二日間で約300 人の村民を診察したが、住民の悩みは、私の予想とは全く違っていた。「被ばくが怖くて、一刻も早く避難したがっている」という、ステレオタイプな悩みを訴える住民はいなかった。住民の悩みは千差万別で、ひとくくりには語れない。私が相談にのったいくつかの例をご紹介しよう。
80 歳代女性。夫と2 人暮らし。農家であり、原発事故までは早朝から夕暮れまで農作業をしていた。年金収入もあり、農作物は主に自分たちや近所で食べる分だけ作っていたようだ。彼女の願いは「とにかく、地元で死にたい」。かつて、同世代の人々は福島市や東京に出て行ったが、彼女は地元に残った。飯舘村を心から
愛している。
ところが、彼らの生活は原発事故で一変した。行政からは、放射線量が高いため、屋内で待機するように指導され、一日中テレビを見て過ごしている。やることがない。運動不足とストレスからか、血圧が上がっている。もともと高血圧で、降圧剤
を内服している。彼女の両親は脳卒中を患っており、本人も心配している。彼女にとって被ばくによる発がんなど、どうでもいい。
この女性には、「あなたは放射線など心配しなくていい。家の外に出て運動することが大切だ。畑仕事も構わない。よく洗えば、自分で食べる分には一向に差し支えない。大切なのは、かかりつけの医師とよく相談することだ」と助言した。現在、飯
舘村に残っている人の中には、このような高齢者が実に多い。
次に、60 歳代男性のケースをご紹介しよう。彼も農家だ。前述の女性と同じく、原発事故以来、家の中で閉じこもっている。ただ、その理由は違う。放射線被ばくによるがんを心配しているのだ。両親ともがんで、自分も大腸がんの既往があるとい
う。「がん家系」なのだろう。
この人物は、放射線被ばくがなかったとしてもがんを発症する可能性が高い。もし、そうなった場合、原発事故との関係を気に病むだろう。彼に対しては、「一番大切なことは、がん検診を受けること。胃がん、大腸がん、肺がんは検診により、かなり対応できる」と伝えた。
そして、「放射線については、60歳代といえどもできるだけ少ない方がいい」と言った。もし、飯舘村に住み続けたいのなら、できるだけ被ばくを避けるべきだ。飯舘村は地域によって、かなり放射線量が違う。住民の中には、村内の低線量地域の親戚を頼って移住している人も多い。周囲から具体的なノウハウを学べば良い。
また、自宅周辺の正確な放射線量を把握することも大切だ。菅野村長に依頼すれば、測定してくれるだろう。その結果を参考に除染などの対応を考えればいい。
放射線量は建造物によっても異なる。例えば、役場や学校などの中は、放射線量は外部の10%程度だ。被ばくはほとんど問題にならない。日本家屋や自動車の中は外部の半分くらいだ。同じ日本家屋といっても、部屋によって随分と違う。生活習慣を少し工夫するだけで、被ばく量を低減することができる。
相談者も農業を続けることが、現実的には極めて難しいことは分かっている。土壌の除染や補償を東電や政府に求めるしかない。その際、原発事故後の数日の間の屋外滞在時間が重要になる。そのデータは、村民、あるいは飯舘村が自己管理すべきだ。ちなみに、今回の調査では約半数が原発事故後も通常の生活を送っており、高度の被ばくの恐れがある。
相馬市長も健診に参加
飯舘村の健康相談は好評だったようで、28 日、29 日には相馬市玉野地区でも実施することとなった。今回は相馬市からも保健センター長の岡和田忠一氏をはじめ、多数のスタッフが参加した。
医師は、相馬市はもちろん、全国から集まった。私が把握しているだけで20 人を超える。立谷市長自らも白衣を着て参加した。また、飯舘村同様、瀬戸健診クリ
ニック、星槎グループや東大国際保健学専攻の渋谷チームも参加した。さらに、健診会場を提供してくれた相馬市立玉野中学校の江上君子校長は、最初から最後まで来場する住民の案内役を務めてくれた。住民の信頼を集める江上先生が先頭に立ってくれたことは、極めてありがたかった。
参加した住民は2 日間で307 人。健診受診率は80%程度だったらしく、都会では考えられない数字である。期待の反映だろう。
玉野地区の住民の訴えも、飯舘村と似たものが多かった。ただ、玉野
地区は屋内退避や避難地域になっていないため、ストレスの程度は若干、
軽かったように感じる。
同地区で印象に残ったのは、原発作業に従事していた住民や子どもたちの存在だ。前者については、若いにもかかわらず、白内障や甲状腺障害、造血障害などを合併していた。長年にわたる原発作業の後遺症であることは間違いない。浜通り地区には、このような住民が多数いるのだろう。多くの住民が、原発の恐ろし
さを肌感覚として知っている。
子どもの相談は難しい。世間では「20 ミリシーベルト問題」が話題だが、この話を真に受けている保護者はいない。誰もが、放射線はできるだけ少ない方が良いとは分かっている。問題は、保護者が玉野地区で生計を立てている場合、子どもたちをどうするかだ。子どもだけを「疎開」させることは現実的でない。
この難問に対し、医師の果たせる役割は小さい。一方、玉野地区の父
兄、住民、そして市は前向きに頑張っていると思う。校庭の土は入れ替えられ、また、相馬市関係者からは「このような家庭は(低線量地域の)相馬市の仮設住宅に優先的に入ってもらいたい」との声が聞こえてくる。相馬市中心部からなら、小中学生もバス通学が可能だ。関係者は、玉野コミュニティーを守るため最善の努
力を続けている。
住民が求めるのは調査ではなく医療
今回の活動は、地域からおおむね好意的に受け入れられている。ただ、福島県や一部の研究者には不満がたまっているようだ。立谷市長によれば、福島県から「勝手に玉野地区の健康診断を行うこと」について問い
合わせがあったらしい。
5 月11 日、放射線影響研究所(広島・長崎市)が中心となった「放射線影響研究機関協議会」が、15 万人の住民を30 年以上フォローする方針を明らにした。今回の原発事故を受けて、福島県立医大を新たにメンバーに加えたという。
さらに福島県は、「県民健康管理調査検討委員会」を設置し、27 日の初会合で、対象を全県民200 万人に拡大することを発表した。山下俊一座長(長崎大教授)によれば、全県民に問診票を配布し、事故発生後にどこで何をやっていたか健康状態を記入してもらうらしい。
翌28 日、地元紙はこのニュースを一面トップで報じた。全国紙も報道しており、ご存じの方も多いだろう。漏れ伝わるところでは、文科省は毎年100 億円を30 年間にわたり予算申請する予定と聞く。彼らから見れば、相馬市・飯舘村、さらに私た
ちの活動は秩序を乱す無法者だ。
しかしながら、よく考えてほしい。こんな「調査」をやって、果たして住民のためになるだろうか。山下座長は「住民の不安の原因は、『自分がどれだけ被ばくし、それが将来健康にどう影響するのか』ということ。それを調べてきちんと説明することが重要だ」と述べているが、数枚のアンケート用紙で分かるほど、住民の悩みは単純ではない。
被災地の住民が求めているのは「調査」ではなく、「医療」だ。しかしながら、相双の医療は崩壊の瀬戸際にある。
そもそも、相双地区は昔から医師不足だった。そこに地震・津波・原発事故が襲いかかった。多くの病院では、震災で入院機能が停止したため、収入が途絶している。このままでは倒産するのも時間の問題だ。もし、毎年100億円の税金を投入するなら、是非、地元の医療機関に投入してほしい。そして、このような医療
機関で住民の話をじっくりと聞けばいい。ディテールにこだわった地道な日常臨床の積み重ねが、やがて後世に残る「被ばく研究」に結実するはずだ。
福島県の浜通り地区は本当に困っている。是非、皆さんの力をお借りしたい。
上 昌広
(かみ・まさひろ)
1993 年 東大医学部医学科卒。東大医学部附属病院、東京都立駒込病院血液内科医員を経て1999 年、東大大学院医学系研究科修了。国家公務員共済組合虎の門病院、国立がんセンター中央病院の後、2005 年10 月より現職。
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この記事へのコメント
本当に胸に響く内容ですね。
とりあえず・・・無常素描のイベントをみて義援金を。
手元に届く確かなものを・・・そう思う
Posted by きみきみ at 2011年06月11日 11:37 | 返信
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