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永生会の医療活動
2011年06月15日(水)
民間病院が、こんなに頑張っている。
3ケ月経過した現在、あたてめて振り返ってみたい。素晴らしい!
平成23年東北地方太平洋沖地震 医療救援活動報告
3月14日(月)
17時過ぎ、いわき市医師会に到着し、地元医師会の木田会長と日本医師会の救急担当の長田先生から、状況報告を受ける。津波で、60名以上亡くなったいわき市では、避難所140箇所に、1万4000人以上の方が避難している。うち6000人は、いわき市の津波と地震被害の方であるが、残りの8000人は、福島原子力発電所近くの双葉町、および浪江町等からの避難者であり、放射線による汚染の可能性もある。
現在の状況は、薬が不足していて、補給もされていないが、搬送手段もない状況である。ライフラインは、電気は可能だが、水道は使えない。29病院で、水が使えず困っているが、補給もできていない。透析も、小規模施設ほど、困っている状況である。
我々の活動は、放射線の測定、除染、避難者のメンタルヘルスケアなどである。また、避難所には認知症の患者様も多数いて、そのフォローなどである。今後は、安定ヨウ素剤の配布も担当する。ちなみに我々も安定ヨウ素剤を飲んだ。外傷のある方は比較的少ない。また、薬に関しては、継続的に服用できるように、聞き取り調査を実施して、処方箋の作成も実施していた。地域の先生方も活動されつつあるが、もっと多くの回診が必要な状況である。
宿泊は、市の保健所に泊まった。夜間、第一発電所で働いていた28歳の男性が、通常のルートではなく、いわき市へ駆け込んだとのことで、保健所のスクリーニングで、ガイガーカウンター相当量高かったために、自衛隊による、除染を行った。我々も防御服に着替える。
3月15日
避難所で回診する予定であったが、本日の原発事故もあり、予定を変更し、全日病、医法協、日慢協等の会員病院へ、状況調査に伺った。どこの病院も、水不足、ガソリン不足である。そのため職員も通常勤務につけない。慢性期の病院では、物流がうまくいっていないため、オムツが不足している。ある病院の理事長は、「この地域はすでに危険だから、早く、東京へ戻ったほうがいい。」とのことを言われた。医師会館や保健所も、危険領域になったため、退去指示が出て、午後は、予定を変更して、気仙沼へ向かっている途中である。
お願いしたいことは、とにかく水である。また、慢性期病院では、プラス、紙おむつが必要である。可能であれば、ガソリンの補充である。
3月16日(水)
宮城県気仙沼市
気仙沼においては、やはり津波の影響で海岸あるいは防波堤近くの町はほぼ壊滅状態。医療に関してはK病院を中心として、行政あるいは外部からの救援部隊が連絡を取りあい情報を集め、指示命令系統をつくっている。医師会はほぼ自身のところの医療が手一杯で、その活動には関係していない模様。
救護隊の主な活動内容は、病院での診療、各救護所でのフォローである。しかし、まだまだ多くを回り切れず、手付かずの救護所がある模様。(都立病院や帝京大学附属病院を中心としたDMAT、全日本病院協会、東京都医師会、日本医療法人協会、日本慢性期医療協会のチームもここで活動)
大きな懸案事項は、検死の医師になるべく多く来て欲しいとのことであった。
我々が訪れた気仙沼の病院、H(精神科の病院)は少し高台にあった為にこの建物は残ったが、周りはほぼ壊滅状態、さらに火災が発生し、焼土と化した。250名の患者のうち200名を付近の中学校に避難させたが、受け入れ態勢が整ってきたために、順次病院に戻している状況。その病院に我々は薬品を搬送した。
また、M病院(精神科の病院)は海岸からかなり離れており、建物、ハード面は無傷であるが、精神科と内科の医師の応援が欲しいとのことであった。他の医療機関が機能不全になっているために、初診の患者さんが押し寄せている。どんな薬を飲んでいるのかなどの調査から始まり、処方を出さねばならないということも、とても時間がかかり大変なことの一つである。
K病院でも、重傷者は後方輸送として東北大病院にヘリコプターで輸送している。ここにおいては、病院入口でトリアージタッグを利用してトリアージしている。
老健Rは火災で現在使えない状況とのこと。一方、老健R2では特に困っていません、とのことであった。老健H、ここは建物がしっかりしているのでハードの心配はない。地域住民100名ほどを受け入れている。外部から徳洲会のチームがフォローしているそうだ。昨晩は一人急変し、救急車を呼んだがすぐに到着せず、施設で看取った。ここも海から離れて高台にあり良かったが、周辺は壊滅状態。
K病院や他の施設で聞いた不足品、必要なものは、風邪薬や整腸剤や胃薬などの常備薬、湿布、抗てんかん薬、降圧剤、ガスターやタケプロン等、コンタクトレンズ洗浄剤、手指消毒用にアルコールティッシュのようなもの、小児のアレルギーミルク、紙おむつ、自動血圧計、マスク、歯ブラシ等の日常生活品、運動靴、ティッシュ、トイレットペーパーである。
宮城県石巻市
I病院に到着。1階、2階は津波の為に使えず、3階と4階に患者を収容。4階のリハビリ室と思われるところには、50名程の患者さんが密集していた。現在、職員約20名と未だ連絡が取れていない。物資に関しては、K会というグループの本部から運ばれており、比較的恵まれているとのことであった。患者の一部、比較的軽症の方々は近くの老健や特養に移送された。問題は、今後この病院が建物として安全に使用できるのかどうか、場合によってはどこかへ移転をせねばならないかもしれないという点である。
特に驚いたのは少し離れたO病院という療養病床の病院では、2名の看護師の生存は確認されているが、患者さんや医師、他の職員全員が死亡または行方不明。この2名は、たまたまサテライトの診療所に出向いていたため難を逃れた。このような悲惨な状況はまだ報道されていないと思われる。また、近くのI病院は津波被害の為に廃院を決定。患者さんをヘリコプターで東京に移送しているとのことである。
町全体がほぼ廃虚と化し、人々の姿はほとんどない。今日、町で見た光景は、放置されている車の中からご遺体を運ぶ姿。生存者の保護を優先していたために、瓦礫のご遺体に関しては手付かずの状況だそうだ。
気仙沼も石巻も携帯電話が使用できないことにより、住民同士、医療スタッフ同士の連絡が取れず困っている。(auは若干使える) 特に石巻は町、村全体が壊滅状態のため、他の地域へ患者さんの移送が必要。病院職員も瓦礫に邪魔をされたり、ガソリン不足で出勤ができず、マンパワー不足の問題あり。物流も滞り、薬品、医療材料の不足がある。町全体が壊滅状態であるために復興には相当な時間がかかるか、不可能とも思われる。よって、町全体の移転地が必要ではないだろうか。医療機関においては、移転先の自治体の公有地を廉価で借りられる等の公的支援が必要であろう。
【「東北地方太平洋沖地震」に対する永生会医療チーム派遣についての報告】
平成23年3月11日午後2時46分東北宮城沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生した。最大震度7を記録。更にはその直後に東北地方から関東地方の太平洋側沿岸を襲った巨大津波により青森から千葉に至る広い範囲で死者行方不明者27000人を超える(3/27日現在)甚大な被害をもたらす未曾有の大災害となった。
震災後、数時間後には東京DMATの先遣隊が現地へ向けて出発し、その後も続々と全国から医療チームが現地をめざした。
東京都医師会も早くから医療チーム派遣を行ない、永生会も永生病院、南多摩病院より混成医療チームを組織し災害地派遣を行なった。
第一陣として
永生病院より安藤理事長、看護師として串田、連絡調整員とし深尾の3名。南多摩病院より救急科部長 高橋、看護師井上の5名を選出。慶泉病院など複数の病院の総勢10名の混成医療チームとして救急車3台に分乗し、3月14日被災地に向かった。
11時30分に永生病院を出発。途中、他施設との合流を経て福島県いわき市に到着。理事長、深尾の2名と救急車1台を残し、18時過ぎに他の人員はベース基地となるホテル「ルートイン一関」のある岩手県一関市に向かった。
15日午前0時半に到着。早速14日に先着していた帝京大学チームリーダーの内田先生とミーテイングを行なった。
気仙沼の特に医療体制の現状報告などのブリーフィングを受けた。
仮眠後の5時30分にホテルを出発しおよそ50km離れた気仙沼・本吉広域防災センター内に設置された災害対策本部にて午前7時より全体ミーテイングに参加。菅原気仙沼市長を始め、医療の中核となっている気仙沼市立病院、消防、警察、自衛隊などの組織から代表者が出席しそれぞれの立場からの現状報告がされた。
全体ミーテイングが終了後、医療チームは気仙沼市立病院に移動し玄関前にて医療チーム全体にブリーフィングを帝京大学内田先生より行なった。この時点で気仙沼には帝京、女子医大のDMATチームを始め広尾、府中、墨東の都立病院チーム、徳州会チーム、国境なき医師団などが集まっていた。
我々も合流し永生会チームは2台の救急車の起動力を生かし、市内95ケ所にいるとされる19000名以上の一時避難者の情報収集ならびに、簡単な医療看護の提供を他の医療チームと分担して行なった。
永生会担当
気仙沼小学校 約450人
気仙沼中学校 約700人
市民センター 約550人
鹿折(ししおり)中学校 約400人
これとは別に市役所内の地域交流センターを訪れ情報収集を行なった。
発災後4日目であるが早くも慢性疾患の薬剤の要求が多数見られた。また発災当時に受傷し処置を受けた創部の汚染・感染が数名に見られたために救急車に乗せて市立病院に搬送した。
この頃、気仙沼市内は一部のライフラインを除き全て停止しており、携帯電話も通信不能な状態であった。またガソリン不足は既に始まっており傷病者が発生しても救急車も呼べず、自らで病院に向かうにもその手段がない状態であった。
午後4時頃に避難所回りを終了し市立病院へ戻りミーテイングを行ない解散した。同日夜間には、いわきに入っていた理事長達がいわきを強制的に避難させられ気仙沼で合流した。
16日は同様に救急車に分乗し、市内の避難所を巡った。
気仙沼小学校
気仙沼中学校
市民センター
東陵高校
気仙沼中学校では地元医師会のムラオカ医師が教室の一つを診療所として開設し乏しい医薬品や材料の中で奮闘しておられたために、持参した一部の医薬品を提供した。東陵高校は市の保健師や看護師がいない為に、被災者の一人の市職員が孤軍奮闘し事務業務を行なっていた。また学校敷地内の寮には高校生約70人も寮内で避難生活を送っていた。
これらを医療対策本部の内田先生に報告し15時過ぎに気仙沼を後に東京へ向かった。
【3月18日着任一日目の詳細】 地図添付 肥前小泉・本吉地区
K病院は、前日からの調布病院の大桃先生がコマンダーで、東京都医師会が中心となり、朝8時と夕方5時の全体会議で情報共有を行っています。日本医大、帝京大、横市大、藤田保健衛生大、埼玉医大、慶応大チーム、白髭橋、新東京、永生が主力でした。
各チームは4-8名規模、救急車で駆けつけ、各主要な避難所へさらに本日からは新たに離島などにも派遣され、一部は市立病院のスタッフの代替えとして診療も担当、徳州会、国境なき医師団なども別個に活動し、数日前とは比較にならないくらい充実してきています。
被災地は、一週間が経過し、私どもの地域でもほぼ医療がある程度行き渡っているようです。ライフラインは分断されたままで、避難が長期化しているため、感染症の予防や慢性期の患者の対応や現地医療スタッフの代替えなどが急務となっています。
永生チームの担当は気仙沼南部古泉地区で、南方から展開している徳洲会病院チームが主要な避難所には人員を配置しており、当方はこれまで医療班が入っていない避難所を巡回しましたが、各所比較的落ち着いており緊急搬送はありませんでした。
石巻など南方ではインフルエンザの報告もあり、雪が舞い散る極めて気温も低い状態で、各避難所では急性上気道炎が流行していましたが、インフルエンザやノロウイルスの感染症などはなく、持参の消毒液や今後の流行を防ぐ衛生指導を行いました。
慢性疾患の患者さんの薬剤調達にもかなりの労力を割かれて、処方箋や薬手帳などもすべて紛失している方も多く、服用状況の把握や基礎疾患の把握に時間を要するため、本田美和子先生が公開されている「自分のカルテ」の活用を提案します。
別添の「自分のカルテ」各避難所で印刷・配布して、事前に記載して頂ければ、診療時間も短縮でき、次にも引き継げるために、帰任後ツイッターで紹介したところ、さっそく慈恵医大のグループなどが現地で活用して頂いています。
また、栃木市の薬剤師の有志で作成された「治療薬確認票」も有用と思われ、持参した最小薬剤で対応するためには別添の「大震災時の薬物療法の注意点」も有用です。ただし、高血圧に関しては「災害時血圧管理」の信頼性が高いと思いますのでご活用ください。
また、当方で準備した緊急薬剤と現地で希望される薬剤、とくにめまいの薬や便秘の薬については、認識の差が大きく、命を失う薬ではなくても、日常を支える最小限の薬剤については見直しが必要と思われました。湿布薬は予想していたよりも大量に必要で、ミルクや生理用品なども、医薬品と比較すると不足していました。
地元医師会の開院状況と地元調剤薬局の再開情報の掌握も重要で、本部からの情報もありますが現地の情報収集が必要で、場合によっては処方箋の発行ができればと思われた局面もありましたが、市立病院の処方箋は使えませんでした。
現在ではこの問題は解決しているかもしれませんが、永生会が事前に保健所に届けておけば処方箋を発行することができるとの情報もありますので、ご検討頂く価値はあるものと考えております。※医療法人で「巡回診療」届けを保健所に出せば大丈夫
【3月19日着任二日目の詳細】地図 鹿折・中才地区
本日から東京都医師会から日本医大救急部の横田教授がコマンダーとして就任され、新しく聖マリアンナ大、さらに都立墨東出身で現地出身のチーム菅原(基本医師1名看護師2名事務系1名)など診療に加わる部隊も増えました。
前日より詳細な気仙沼地区の診療を行いましたが、永生チームは横浜市立と共同で鹿折・中才地区を担当しました。この地区は津波に加えてかつてない火災にも見舞われ、ホノルルでも大火災の様子がCNNで流され続けていた地区です。
中学校に500名程度、高校に200程度、その他の公民館やお寺などに50名程度で6カ所、さらに高台の公営住宅の公民館にも50名程度、総じて1000名を超える地域で、首まで波に浸かってかろうじて生き延びた夫婦や1週間ぶりに家族と対面できた方など様々なドラマに出会いました。
老健が浸水し、ここの50名ほど住民が中学校に収容されているために、かなりの物的人的資源の投入が必要で、療養が長期に及んでいるために患者の消耗も激しく至急の対応が必要ですが、転送する施設もないために橫市チームは終日貼り付けとなりました。
私どもは、チームに地元出身の東北大学の先生も加わり、救急車で中学校以外の避難所をすべて巡回しました。多くの避難所は保健婦や市の職員により統制のとれた管理が行われており、初めて医療の手が入る地域も多かったのですが、今のところはフルやノロなどの流行など重篤な状態は避けられていました。
午前中には肺化膿症の既往がある老人で数日前から発熱があり、感染性ショックの可能性もあり、本部に連絡をとり市立病院へ緊急搬送しました。午後からは、在宅で気管切開管理を行っている方は停電のために自家用車のバッテリーを使ってしのいでいたがガソリンが入手できずバッテリーもきれると診療要請があり、経管栄養はPEGからされていたのですが、低体温によるショック状態で、これも本部と連携をとり市立病院に搬送しました。
昨日朝、K病院の20名の重症患者が仙台市内にへりで搬送となり、ベッドのスペースに余裕がでたために、市立病院への緊急搬送が可能となりましたが、ハワイでシミュレーショントレーニングを受けたAMLSを実習している思いでした。
【二日間の総括と提言】
#1. 震災発生から一週間過ぎ、救命救急から生活支援のフェーズに移行しています
各避難所は、ライフラインが未だ復旧していないにも関わらず、保健婦や市職員など地域のリーダーにより統率されて運営されていました。主たる任務は重篤な患者の発見と搬送、感染予防の啓蒙、慢性疾患の患者の支援の三点でした。
一日目の南部方面の本吉・小泉地区では、比較的軽症で重要拠点には徳州会のTMATが展開されており、私どもによる緊急搬送はありませんでした。二日目北部方面の鹿折・中才地区は津波に加えて火災の被害もあった地域で、避難所では肺炎の患者を発見、また在宅からの至急の対応を要請されて低体温の患者を、それぞれ市立病院に搬送できました。
永生が担当した50-200程度の比較的小規模の避難所では、今のところインフルエンザやノロウイルスなどの流行などはありませんでした。軽症の上気道感染症に持参した薬剤で対症治療を行うとともに、ウェルパス・うがい薬・マスクなどを配布し感染予防の教育にあたりました。
慢性疾患の持病のある方々の処方切れの対処にも対処が必要で、こちらは持参した薬剤では全く対応できず、本部に集まった開業医の診療状況や薬局のオープン状態を確認しながら、個別に対応しかなりの労力をそがれました。火曜日以降の診療につなげそうな場合には、持参の降圧剤や糖尿病薬を配布しましたが、めまいの薬や排便調節薬などは命には関わる薬ではないものの、生活維持には必要で次回からの薬剤に追加が必要と思われました。
#2. 機能しなくなった老健や在宅医療を受けていた人の救済支援が急務です
鹿折・中才地区では、機能が呈した老健から数十人収容されており一角を占めており、藤田保健大学チームなど複数チームが張り付けとなり対応していましたが、衛生面も不良で栄養状態も悪化しているため至急の対応が必要です。私どもの患者も、土曜日に重症患者がへりで仙台市内に緊急搬送されベッドが空いたために収容が可能でしたが、各地でも問題になっている老健や在宅の老人の対応が急務です。
特殊な例だと思いますが、いわき市の施設を亀田が全面的に受け入れた事例も報道されており、療養型施設また在宅の患者の救済が急務となっております。
#3. 老健や在宅以上に、精神科病棟の対応が急務です
私どもは直接関わっていませんが、三カ所ほどの精神科病院の病状は深刻のようです。機能しない病棟を改変して患者を移動することを余技なくされ、排泄の処理なども破綻しており、関係できる医師も限られているために、現地のスタッフの疲労は極限に達しているようです。こちらもライフラインの回復もめどがたたないために、代替え病棟などへの移送などを含めて至急の対応が必要で現地対策本部では全く対処できません。
#4. 今後は口腔ケアなどを含むリハビリ中心の生活支援が必要です
お電話で簡略お伝えさせて頂きましたように、リハビリ施設や訪問診療の機能が全く停止した状態なので、リハビリスタッフや在宅診療を支援できる医師を含めたスタッフの派遣が長期にわたって必要と思われます。この領域も、永生会が大きく貢献できる領域と思われますので、ぜひご活躍頂ければと願っております。
慢性期患者の対応としては、透析患者の配置転換については昨日報道されているのでご承知かと思いますが、膀胱瘻や人口肛門設置者などの慢性期の治療が必要な方で支援が必要な領域も多いものと思われます。
これからは、トリアージレベルから亜急性期生活支援期に向けての、よりきめ細かい管理が必要と思われます。なお当地では、現地医師会の先生方の努力である程度確保されつつあり、むしろ、消毒剤やマスク、フルやノロの簡易キットなどが必要です。
口腔ケアや長期療養の皆さまへのリハビリ提供ができるように次の派遣体制にご考慮ください。また、検死検案も重要事項で医師会から要請があるようです。精神科、小児科、産科などについては、引き続き、医療資源の投入が必要と思われました。
現地では、AUが一部つながったようでしたが、私どもが滞在している間はドコモ・ソフトバンクは全くつながりませんでした。任務を終了して出発する頃に、ドコモは回復したようですが、帰宅してようやく報告書の作成しながら、現場を思い起こしています。
長文となりまして大変恐縮ですが、皆さまのお役にたてれば幸いです。
【東北地方太平洋沖地震 第3次医療チーム派遣の報告】
3月23日より東京都医師会チームの一因として永生会医療チームを組織し
被災地に向かった。今回は医師:高橋(南多摩病院救急科)看護師:佐原(南多摩病院)北澤(永生病院)連絡調整員:小倉(永生病院)の4名で組織した。
午前9時に永生病院を大型のバス型救急車で出発。17時に一関のチサンイン岩手一関ホテルに到着した。21時より今回の東京都医師会チームのリーダーである清智会記念病院の横山理事長とミーテイングを行なった。
3月24日午前6時に一関を出発し7時45分より気仙沼市立病院の一室をお借りして、医療チーム全体のミーテイングを行なった。その結果24日の午前中に市立病院より39名の患者を仙台にある東北大学病院にヘリコプターにより搬送の必要性があるために、それらの患者の搬送を行なうこととなった。
11時に無事にミッションを終了し、その後は総合体育館(通称K−ウェーブ)において埼玉医科大学川越医療センターの高本先生の指揮下に入り、避難所の巡回診療を行なった。
総合体育館(K—ウエーブ)避難者 およそ1500〜1800人
避難場所 メインアリーナ サブアリーナ 武道場1および2 の計4ケ所
内科系診察室1ケ所 外科系診察室1ケ所 発熱外来 1ケ所 は医師が常駐しているが、心のケア診察室は非定期に開かれている。
またK−ウエーブは東京都薬剤師会より派遣された薬剤師が3名常駐し簡易処方箋に基づき薬剤の処方、手渡しなどを行なっている。
これらとは別に市より派遣された保健師をサポートする形で日本看護協会から派遣された看護師が数名在籍している。
また自衛隊の食事が1日2回提供されており、ボランテイアの高校生などもおり、気仙沼市内では比較的整備された避難所であると感じた。
その一方で仮設トイレが屋外に数十軒も放置されている。市職員により搬入されたものの、K−ウエーブの職員の手が足りずに使用出来る状態に整備されない。中のトイレは衛生状態も良好とは言えず、トイレなどからノロなどの感染症の広がりを危惧する。
診察室の受診者数は内科系の診察室が1日100名前後、外科系は10名前後 精神疾患の主訴も数名に見られている。
また同日、気仙沼市に在宅支援センターが設立された。
15時30分よりK−ウエーブ内でのミーテイングを終えて、本日より全体ミーテイング会場となった「健康管理センターすこやか」に移動した。
なお、K−ウエーブには夜間の当直医チームも介入し24時間体制で医療の提供を行なっている。
3月25日も6時に一関のホテルを出発し7時半からの全体ミーテイングを経て9時よりK−ウエーブで巡回診療を終日行なった。
一部にインフルエンザの発生を見るものの陽性患者は1箇所に集めている為に
爆発的流行には繋がっていない。
また時期的に肺梗塞などの血栓症の広がりが危惧され、当院を始め幾つかの施設から提供されたパンフレットなどで被災者の四肢の運動を促す動きが見え始めた。
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この記事へのコメント
すごいお力です。
Posted by ゆうこ at 2011年06月15日 10:57 | 返信
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