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大規模災害時の医療・介護
2011年08月14日(日)
大規模災害時の医療・介護を見事にレビューしておられる。
MRICから転載させていただく。長文になるが、内容も濃い。
大規模災害時の医療・介護 (その1/3)
本論文は『緊急提言集 東日本大震災 今後の日本社会の向かうべき道』(全労済協会2011年7月)に掲載されたものです。
医療法人鉄蕉会亀田総合病院
副院長 小松秀樹
2011年8月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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●リード
1.東日本大震災では、詳細な避難計画は役立たなかった。大震災の危機管理はどうあるべきか。入手可能な情報で状況を判断して、被害を最小化するための行動をとりあえず決める。それを実行しつつ結果を観察、あるいは想像する。不十分な検証に基づいて、次の対応を考えていく。
2.行政は民間に比べて適切な対応を迅速に実施できなかった。これは、行政の活動が過去に確定された法令に基づくことによる。
3.復興に当たって、行政の限界を理解した上で役割分担を考える必要がある。大きな視点で、民間や世界から知恵を集めること、その知恵に基づく施策をコントロールするチェック・アンド・バランスの体制を確立することが望まれる。
本稿執筆時点で、救援活動全体を俯瞰するような報告はなされていない。本稿では、筆者の個人的体験と個人的に得た情報を通して見えた救援活動について述べる。本格的な調査に基づく定量性のある記述ではないことをお断りしておく。
●規範的予期類型と認知的予期類型
東日本大震災は、広範な地域に未曽有の被害をもたらした。前例のない震災にどのような態度で対応するのか。論点の設定から始める。
ニクラス・ルーマンによると、人間に関するすべての事象の関連を整理して理解するのに、ホッブズの登場まで、規範を基準に概念が整理され、世界が理解されてきた。これは、論理的帰結ではなく、社会を運営するのに、機能的に不可欠だったからである(文献1)。
現代社会では、社会の理解と運営の双方で、規範の果たす役割が小さくなってきた。社会システムの分化が進み、医療を含めて、経済、学術、テクノロジーなどの専門分野は、社会システムとして、それぞれ世界的に発展して部分社会を形成し、その内部で独自の正しさを体系として提示し、それを日々更新している。例えば、医療の共通言語は統計学と英語である。頻繁に国際会議が開かれているが、これらは、医療における正しさや合理性を形成するためのものである。今日の世界社会は、このようなさまざまな部分社会の集合として成り立っている。
それぞれの部分社会はコミュニケーションで作動する。ルーマンはコミュニケーションを支える予期に注目し、社会システムを、規範的予期類型(法、政治、行政、メディアなど)と認知的予期類型(経済、学術、テクノロジー、医療など)に大別した(文献1)。規範的予期類型は、「道徳を掲げて徳目を定め、内的確信・制裁手段・合意によって支えられる」。違背に対し、あらかじめ持っている規範にあわせて相手を変えようとする。違背にあって自ら学習しない。これに対し、認知的予期類型では知識・技術が増大し続ける。ものごとがうまく運ばないときに、知識を増やし、自らを変えようとする。「学習するかしないか―これが違いなのだ」。
それぞれの部分社会は独自に進化発展する。学問における業績、高速鉄道の正確な運営の獲得や喪失、医療における患者の治癒は、それぞれのシステムの作動の中で決められていく。こうした部分社会間に矛盾が生じ、その衝突が社会に大きな影響を与えるようになってきた。短期的には合意の得やすい規範的予期が優位であるが、長期的には、規範的予期が後退するのに対して、適応的で学習の用意がある認知的予期が優位を占める。
●災害は現実と乖離した規範では対応できない
ルーマンは「規範的なことを普遍的に要求する可能性が大きく、その可能性が徹底的に利用されるときは、現実と乖離した社会構造がもたらされる」(文献1)と警告する。
例えば、2009年の新型インフルエンザで、厚労省は新しい病気に対し病気の科学的認識によってではなく、法令で対応しようとして大失敗した(文献2)。法令は過去に確定され、そのままの形で現在を支配する。
インフルエンザに特異な症状があるわけではない。感染しても無症状の潜伏期がある。当時、WHOは「過去の大流行では、国境から入ってこようとしている旅行者の検疫では、ウィルスの侵入を実質的に遅らせることはできなかった・・・・・・現代ではその効果ははるかに小さいだろう」との認識を示して、人の移動を制限すべきではないと繰り返しホームページでアナウンスした。一方、日本の厚労省は、法令に基づき水際作戦を大々的に展開した。意味のない停留措置で人権侵害を引き起こし、日本の国際的評価を下げ、国益を損ねた。
成田空港では、2009年4月28日から、6月18日までの52日間で、346万人を検疫して、10名の患者を発見した。専門家諮問委員会委員長の尾身茂氏は、2009年5月28日の参議院予算委員会で、検疫は侵入を防ぐことではなく、遅らせることが目的であり、国内の発症例が報告されるまでに時間を稼げたと証言したが、科学的根拠を提示しなかった。
国立感染症研究所の疫学調査によれば、兵庫県内での二次感染による新型インフルエンザの最初の発症は5月9日だった。成田の検疫で患者が発見されたのは5月8日夕方であり、検疫で発見されるより前に、新型インフルエンザが日本国内に入っていたはずである。大型コンピューターを使ったシミュレーションでは、空港で8例の陽性患者が発見される間に、感染者100名が通過していると推定された(文献3)。
原発事故では学者と行政の癒着が問題になった。学問の自律と学者の知的誠実性が、国民の安全に必須であることは、インフルエンザでも同じである。学問の自律とは、正しさを、行政の思惑ではなく、医師や研究者が学問の方法と論理を用いて決めることである。
過去に例のない大震災に対し、法令に従って対応しようとしても、不都合が生じる。大震災は法の想定に合わせて発生するわけではない。しかも、迅速性が決定的な意味をもつ。入手可能な情報で状況を判断し、被害を小さくし多くの被災者を救援するための最適な行動をとりあえず決める。それを実行しつつ結果を観察、あるいは想像する。不十分な検証に基づいて、次の対応を考えていく。
この過程は科学に似ている。ヨーロッパにおける科学の進歩は、宗教による規範化を脱して、「学問がその理論の仮説的性格と真理の暫定的な非誤謬性によって、安んじて研究に携われるように」(文献1)なったことによる。科学における正しさは研究の対象と方法に依存している。仮説的であり、とりあえずの真理である。ゆえに議論や研究が続く。新たな知見が加わり進歩がある。
●自衛隊
東日本大震災は、2011年3月11日14時46分18秒に発生した。福島県いわき市では揺れが190秒も続いた。いわき市での揺れが収まるのとほぼ同時の14時50分、防衛省ホームページによると、防衛省災害対策本部が設置され、同時に、東北方面総監部から連絡員が宮城県庁へ派遣された。このあたりは人間の判断を介さずに、機械的に進められたのであろう。しかし、本部設置の7分後の14時57分、11分後の15時01分には、情報収集のためにヘリコプターが離陸した。人間の判断が素早かったのも間違いない。15時15分までに10機の航空機が離陸した。
岩手県知事が、14時52分、最初に災害派遣要請をした。防衛大臣によって大規模震災災害派遣命令が18時00に、原子力災害派遣命令が19時30分に出された。
原子力災害派遣を除いた救援活動として、航空機による情報収集、被災者の救助、人員及び物資輸送、給食支援、給水支援、入浴支援、医療支援、道路啓開、瓦礫除去、ヘリコプター映像伝送による官邸及び報道機関等への情報提供、自衛隊施設(防衛大学校)における避難民受入れ、慰問演奏が記載されている。
2011年3月19日には、派遣規模は、人員約106,000名(陸:約69,000名、海:約16,000名、空:約21,000名)、回転翼機209機、固定翼機321機、艦船57隻と膨大になった。圧倒的な装備と人数である。自衛隊は、自力で住居、食糧、水を確保でき、道路が寸断されていても移動できるので、被災地などのインフラが破壊された地域でも活動できる。
大規模震災災害派遣命令は、最終的に、3月14日の「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に対する大規模震災災害派遣の実施に関する自衛隊行動命令」に統合された。この命令は指揮官や部隊についての記述が大半を占めるが、何をするのかについては極めて簡素で、以下の一文に集約されている。
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所要の救援(以下「救援活動」という。)を実施せよ。
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「所要の救援」という簡素な表現が、現場指揮官に裁量を与える。そもそも、自衛隊は、武力によって国民と国家を守ることを主たる任務とする。戦闘行為には敵がいる。明確なマニュアルで行動が細部まで規定されていれば、いずれ、敵の察知するところとなり、必ず戦闘に破れる。戦闘訓練では、未知の行動をとる敵に対し、臨機応変の対応が求められる。
東日本大震災では、自衛隊は軍(自衛隊は外国からは軍と認識されている)としてはきめ細やかな活動をした。
後述する安房医療ネットが、南相馬市の屋内退避勧告地域の要介護者170名を受け入れようと準備を進めていた。安房医療ネットからの下記メールで作戦が中止になった。
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本日、自衛隊の方々が、1軒1軒のお宅を廻り、退避希望を聞いて廻ったところ、結局、圏外に移動を希望した方々が、要介護者の18名とその家族の約50名となった。この人数であれば、県として準備をすすめていた栃木県の日光市に全員移動可能であり、ご家族もそれを希望されたとのこと。
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この話を伝えたところ友人から下記のような感想が送られてきた。
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自衛隊が一戸一戸まわって調べたのでしょうか、驚異的ですね。この国に合った形に進化してきたのでしょうね。ありがたいことです。アメリカのような破壊的な効率化は、日本ではできないし、しないほうがいいのですよね。
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東日本大震災で自衛隊は圧倒的な役割を果たした。被災後の4日間での救助者数が19,000名に達したことは特筆に値する。活躍の理由は、本来、軍が認知的予期類型に含まれる社会システムであること、今回の震災派遣では無理な規範を押しつけず、被害状況と被災者の心情を詳細に把握した上で救援活動を行ったことにある。旧日本軍は、インパール作戦に象徴されるように、無理な規範を現場に押し付けて大量の犠牲者を出した。自衛隊が、全く別な考え方の軍になったことを喜びたい。
●DMAT (Japan Disaster Medical Assistance Team 災害派遣医療チーム)
阪神・淡路大震災では、本来なら避けられたはずの災害死が500名ほど存在したとされる。この教訓から、災害の急性期(概ね48時間以内)に活動する機動的な救急医療チームが組織された。あらかじめトレーニングを受け、定められた活動要領に基づいて活動する。 DMATの目的は急性期の対応であり、現場で応急手当をして、必要に応じて、域内搬送、あるいは、域外搬送を実施する。
震災当日の夜、亀田総合病院DMATが、医師2名、看護師1名、薬剤師1名、事務1名、運転手1名の計6名で出発。3月12日早朝、仙台医療センターに集合した。以下はこのチームから得られた情報である。
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チームは、仙台医療センターより東北厚生年金病院に向かい活動した。地震による院内の破壊が著しく、水道、ガス、電気もなく、薬などが不足状態のため医療活動は困難な状態であった。12日は可能な限り外来診療していたが、13日には外来診療もできない状態になった。
十分な医療提供ができない中でトリアージが行われた。
黒タグ:既に死亡、あるいは、明らかに救命不可能と判断されたもの。
赤タグ:生命に関わる重篤な状態で一刻も早い処置をすべきもの。この範疇を助けるのがDMATの本来の目的。
黄タグ:赤ほどではないが、早期に処置をすべきもの。
緑タグ:今すぐの処置や搬送の必要のないもの。
被災地域で発見された被災者は、黒タグが大半だった。死ぬか健康上何もないか。数少ない赤タグは外傷ではなく低体温だった。
建物については、津波の来てない地域は全く破壊がなく、津波が来た地域はすべて破壊されていた。破壊の境界が明確だった。ただし、津波が来ていないところは、外からの被害は少なく見えるが、ライフラインは全滅だった。人的被害の少ない地域と被害の大きい地域が隣接していた。人的被害の少ない地域に残っている患者は、移動手段なし。ガソリンもなし。必要な医療にアクセスできなかった。
県庁は大混乱に陥っていた。避難所、食糧、水、ライフラインの手配が優先されていた。行政、医療機関、DMAT、避難所が孤立し、互いに連絡がとれなかった。全体を俯瞰するような情報が得られなかった。他の場所に出向いて直接のやりとりで情報を集めるしかなかった。通信手段と医療チームおよび患者搬送のための移動手段が欲しかった。
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今回の震災でDMATの寄与による重症者の救命は少なかったと聞く。これは、津波の特性によるもので、DMATを送り込んだことが無意味だったということではない。ただし、問題点はある。被災地からのメールが端的に表現している。
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今回の震災ではDMATはほとんど機能しなかったと思います。現場を見て何が必要なのかを判断して、それをフィードバックして、戦略を変更しないといけません。DMATのような単一の動きしかできない組織に頼りきるのは、止めた方がよいのではないでしょうか。DMATの視野には在宅の寝たきり老人は入りません。
DMATから権限をどこかに移譲する、もしくは権限はそのままでも慢性期医療に精通したものがその中に入り自由に活動できる権限が必要だと感じます。
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DMATは、行政の下部組織として設計されており、被災地の医療を統括する。行政主導のためか、活動要領で行動を縛りすぎた。加えて、不適切な訓練によって、臨機応変の対応を抑制したのではないか。救援活動で大活躍をしたNPOシビック・フォースの大西健丞代表が、筆者にDMATの医師は行政に従順すぎると語ったのが印象的だった。
文献:
1 ニクラス・ルーマン:「世界社会」 Soziologische Aufkl?rung 2, Opladen, 1975. 村上淳一訳・桐蔭横浜大学法科大学院平成16年度教材)
2小松秀樹:新型インフルエンザに厚労省がうまく対応できないわけ. Medical Research Center (MRIC) by 医療ガバナンス学会 メールマガジンvol. 129, 2009年6月5日
http://medg.jp/mt/2009/06/-vol-129.html
3 H. Sato, H. Nakada, R. Yamaguchi, S. Imoto, S. Miyano and M. Kami.: When should we intervene to control the 2009 influenza A(H1N1) pandemic?. Euro Surveillance, 15(1):pii=19455. 2010.
(その2/3)へ続く。
大規模災害時の医療・介護 (その2/3)
本論文は『緊急提言集 東日本大震災 今後の日本社会の向かうべき道』(全労済協会2011年7月)に掲載されたものです。
医療法人鉄蕉会亀田総合病院
副院長 小松秀樹
2011年8月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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(その1/3)より続き。
●民間ネットワーク
今回の震災では、ライフラインや物流が壊滅したため、二次的に、医療・介護・福祉サービスに支障がでた。透析患者、要介護者、知的障害者、人工呼吸器装着患者などが危機的状況に追い込まれた。インシュリン、抗凝固剤、ステロイド剤、抗てんかん薬など、中断すると生命を脅かしかねない薬剤が患者に届きにくくなった。
行政は、震災後、大量の情報が集中したため麻痺した。行政が対応できない部分を、インターネットを介して、個人や民間の集団がカバーした(文献4)。多くの眼で観察し、不特定多数に対して発信した。情報を受け取った多数の中から、援助する意思と能力のある個人や集団が行動した。計画経済が立ち行かないことの一般的な理由は、一国の経済の全てを管理する能力を人間が持てるはずがないということである。震災の範囲が広すぎたために、似た状況になった。多くの目で認識して、それぞれが自主的にできることを進めることで事態が好転した。
筆者が参加したメーリングリストの一つである地震医療ネットは、東大医科学研究所の上昌広教授を中心に、3月15日16時41分12名でスタートし、短期間で300名ほどに膨れ上がった。上教授が、MRICという5万人に配信しているメールマガジンの編集長だったこと、メーリングリストの参加者がボランティアとして活動しつつ、多くの文章をMRICで発信したことなどから、大きな影響力を持った。
このメーリングリストでは、被災地からの状況報告、放射線の累積線量、被災地へのミルクと水のセット提供、原発作業員の労働環境、原発作業員の末梢血幹細胞採取、避難所の間仕切り、相馬市の高校生支援、南相馬・相馬の医療、文具の支援、飯館村の住民検診をはじめ多種多様な問題が取り上げられた。情報のやり取りだけでなく、実際に多くの救援活動を遂行した。筆者の勤務する亀田総合病院は、透析患者の後方搬送と受入れ(文献4)、薬剤の被災地への供給、人工呼吸器装着患者の受入れ、老健疎開作戦(文献5,6,7,8,9)、知的障害者施設疎開作戦(文献10)に関与した。亀田総合病院の多くのスタッフが、ボランティアとして、石巻の医療・介護需要全戸調査(石巻ローラー作戦)(文献11)に参加した。
いわき市の透析患者7百数十名の後方搬送(文献4)では、3月15日、帝京大学の堀江重郎教授から相談を受け、筆者は、民間バスでの搬送を提案した。NPOシビック・フォースの小沢隆生氏や旅行会社クラブ・ツーリズムのスーパー女性添乗員がバス集めに奔走した。バス会社の担当者に断られてもひるまず、あらゆる伝手を使って社長に到達し、直談判したという。社長の立場では、社会的に要請を拒めないということを見越しての作戦だった。ところが、3月16日に福島県がバスを用意して搬送することになり、民間の活動は一旦中断。その後も二転三転、何らかの理由で、県主導の搬送が止められた。厚労省が止めたという情報が流れたが、真相は確認できなかった。結局、民間主導で、3月17日、7百数十名の透析患者を東京、新潟、千葉県鴨川に搬送した。亀田総合病院は45名の患者を受け入れた。当時、常磐道下りは緊急車両しか通れなかったが、警察庁から直接情報を得て、県や厚労省、官邸を通さず、所轄警察署で許可を得た。
筆者はこの作戦の全体像を知らない。関わった人たち全員とその活動を知っている指令塔はいなかったはずである。学会などの団体と、個人のネットワークの協働で大搬送が完遂された。多くは、互いに名前や顔を知っていたわけではない。
●行政との軋轢
未曽有の災害に対し、被災地の市町村、県、省庁、官邸に至るまで、行政機関が機能しなかった。情報の分析、意思決定、行動のいずれにおいても、あまりに遅く、柔軟性を欠いた。当初は情報量が多すぎたこと、人員が少なすぎたことが問題だった。多少、落ち着いた後でも、行政の動きの遅さと対応の悪さは際立った。以下、被災地からのメールの一部を紹介する。
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リウマチの女性が手首を腫らし、痛みに耐えていました。彼女はその避難所から沖縄への移住を希望しました。沖縄は県をあげて受け入れをしていると、あるMLで知ったからです。沖縄の担当者に連絡をすると、「罹災証明申請書のコピーが必要です」「沖縄の受け入れは、災害救助法ではなく県の予算なので、5人まとまったらはじめて飛行機に乗れます。飛行場までは自分できていただく必要があります。そこでチケットをお渡しします。」「申込書はインターネット上から、書式をダウンロードしていただき、印刷して書きこんでください」と、担当官に告げられました。少なくともパソコンとプリンターを持った援助者と、飛行場までの足、罹災証明書の申請を行うために市役所に行くという手順をその足が腫れた女性が手配しなければ不可能なのです。
責任者の方とお話ししましたが、埒があきませんでした。
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避難所で罹災証明などの手続きがとれない。片道1時間程度を高齢者が歩いて市役所にいっている状態。せめて、応援職員に手続きの代行を避難所でさせることはできないのかと保護課の課長補佐に掛け合うも、取りつく島もなく、それは保護課の仕事ではないとのこと。いくつもある避難所全部ではできないとの回答で、結局、何もしないということであった。
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民間にあって能動的に活動すると、行政とぶつかることが多い。
千葉県の房総半島南部には、安房医療ネットという在宅医療を行っている医療・介護の勉強会グループがある。あふれるほどの善意と行動力を持っている。3月20日、このグループが、要介護者とその家族の受け入れ体制を整えた。迎えに行くバスまで用意した。3月22日、南房総市の石井裕市長は、「生命尊重が第一、特に要介護状態の被災者を積極的に受け入れる。国が(一泊三食付き5000円の支払いを)認めてくれない場合、南房総市が宿泊費を立て替えよう!」と英断を下した。
当時、災害救助法の弾力的運用で、被災者の滞在費が支給されることになった。別の自治体と交渉したメンバーから、下記連絡を受けた。
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今日、担当者とお話ししましたが、旅館組合に入っていれば災害救助法が適用されるが、それ以外はダメ、つまりペンションや、民宿はダメだと言われました。さらに災害救助法自体のお金の出処である被災県から何の話もないので、千葉県は手を挙げないことになっていると言われました。
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この自治体担当者の発言には解説が必要である。
厚労省は、震災後に災害救助法の弾力的運用についての文書、社援総発039第1号を発出した。県域を超えた避難について、被災した都道府県からの要請を受けて、受入県が費用を支弁し、受入県は被災した都道府県に求償する、最終的には国が被災県に対して、必要な財政措置を講ずるとした。
災害救助法は35条に「都道府県は、他の都道府県において行われた救助につきなした応援のため支弁した費用について、救助の行われた地の都道府県に対して、求償することができる。」と規定している。被災県からの要請が必要だとする記載はない。千葉県に問い合わせたところ、以下の解説が返ってきた。
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「できる規定」となっており、求償したとしても、被災県が支払わなければいけないことになっていない。被災県が断る場合が想定されるので、「被災した都道府県からの要請を受け」との文言が入ったのではないか
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当時、千葉県は、受入県からの要請がないので手を挙げないという非公式のアナウンスを、市町村に対して発していたと想像される。社援総発039第1号の文言だと、すべての県が被災者を受け入れない事態になっていたかもしれない。
さらに、観光庁は観観産第660号で被災者受入れの手順を示した。「全旅連」(全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会)が受け入れ可能な施設リストを作成の上、観光庁、受入県、被災県を通して、被災県の市町村に提供する。さらに、被災県は、県外の旅館・ホテル等への避難が必要と判断した被災者の情報(以下「避難者リスト」という)を集約の上、観光庁を通して全旅連に提供し、全旅連が被災者を割り振るとした。
施設リストは、都道府県旅館組合が作成するが、組合員以外の旅館・ホテル等であっても、当該施設が希望すれば、リストに掲載されるとの記載があった。しかし、前記自治体担当者は、旅館組合に入っていないと災害救助法は適用されないと信じていた。震災で観光客は激減した。この制度はホテルなどにとって救済になったはずであるが、旅館組合への加入の有無で割り当てに差別が生じた可能性がある。
加えて、被災県は混乱を極めていた。亀田総合病院に受け入れた患者のことで、福島県庁に連絡をしても、めったに電話がつながることはなかった。被災者リストを迅速に作成する能力があったとは思えない。リストを作成してから避難させるのだと、時間がかかり過ぎる。避難を実施しつつ、結果としてリストが積み上がるのが緊急時の合理的な動きではないか。
実際に県域を超える避難を決める場面は、被災地の病院、避難所、あるいは、本人が自力で避難した避難先で生じる。避難が必要だと判断するのは、被災者本人、あるいは、避難所の医師、看護師、社会福祉士などである。避難先では、被災者が必要としている医療・介護サービスが受けられないといけない。避難先は、被災者が支援者、受け入れ先のコーディネーター役と相談しながら決めることになる。旅館組合に割り振る能力はない。
筆者らは、被災者を受け入れつつ、批判を展開した。この件について、政権中枢、中央官庁、県に善処を求めた。行政を批判する筆者へのインタビューが、内憂外患というニュースサイトに掲載された。さらに、詳細な批判をメールマガジンに投稿した(文献12)。一連の批判の前後で、行政が対応を変えた印象があった。批判することで行政の対応が多少なりとも良くなるのなら、批判せざるを得ない。東日本大震災では、前例にないことを現場で実績として示すことで、それまでの行政の対応を変更させる場面が何度かあった。一部から、行政官への尊敬を欠くと非難されたが、問題は行政官個人の能力にあるのではなく、行政に内在する考え方にある。行政に任せると結果が悪すぎる。
文献:
4 小松秀樹:ネットワークによる救援活動 民による公の新しい形.MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.103, 2011年4月5日.
http://medg.jp/mt/2011/04/vol103.html#more
5 小松秀樹:後方搬送は負け戦の撤退作戦に似ている:混乱するのが当たり前.MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.89, 2011年3月26日.
http://medg.jp/mt/2011/03/vol89.html
6 小松俊平:老健疎開作戦(第1報)MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.76, 2011年3月21日.
http://medg.jp/mt/2011/03/vol76-1.html#more
7 小松俊平:老健疎開作戦(第2報)受け入れまでの動き. MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.96, 2011年3月31日.
http://medg.jp/mt/2011/03/vol96-2.html#more
8 山田祥恵, 佐野元子:老健疎開作戦(第3報)会計処理の基本方針. MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.97, 2011年3月31日.
http://medg.jp/mt/2011/03/vol97-3.html#more
9 鯨岡栄一郎:老健疎開作戦(第4報)被災から疎開までの経緯. MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.109, 2011年4月7日.
http://medg.jp/mt/2011/04/vol109-4.html#more
10 小松秀樹:知的障害者施設の鴨川への受入れと今後の課題.MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.124, 2011年4月14日.
http://medg.jp/mt/2011/04/vol124-1.html
11 小野沢滋:石巻ローラー作戦についての報告:主観的な評価も交えて.MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.135, 2011年4月19日.
http://medg.jp/mt/2011/04/vol135.html#more
12 小松秀樹:災害救助法の運用は被災者救済でなく官僚の都合優先.MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.112, 2011年4月9日.
http://medg.jp/mt/2011/04/vol112.html
(その3/3)へ続く。
大規模災害時の医療・介護 (その3/3)
本論文は『緊急提言集 東日本大震災 今後の日本社会の向かうべき道』(全労済協会2011年7月)に掲載されたものです。
医療法人鉄蕉会亀田総合病院
副院長 小松秀樹
2011年8月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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(その2/3)より続き。
●無償ボランティア、行政、非営利会社
ボランティアにはメリットもデメリットもある。無償ボランティアは、報酬がないため、責任を強いる双方向の契約関係が成立しない。そもそも、善意は頼りになるものではない。嫌になればいつでもやめられるとすれば、最終目標点まで行動を継続する意欲が生じにくい。
無償ボランティアは通常業務が破壊された時の、一過性かつ臨時の営為である。無償ボランティアより、通常業務の方がはるかに活動の水準が高い。過剰な無償ボランティアは、通常業務復活を阻害する。通常業務で正当な報酬を発生させないと、経済が回らず、コミュニティは自立できない。
ボランティアと対比すると、行政は、過去から未来への一貫性と継続性を有する。知人から、「行政は記憶装置である」という説を教えてもらった。過去に確定された法令によって事を処理するので、担当者が変わっても同じ活動が継続される。継続性の中で、問題の最終的な決着がついたり、あいまいなままたなざらしになったりする。情報の集積点であり、膨大な記録が残されていく。記録方法も維持される。大量の記録が前例としてのしかかってきて、身動きができなくなる。危機的状況でも、しなやかな臨機応変の対応は取りにくい。
厚労省は、先に述べた災害救助法の弾力的運用についての文書で、災害救助法35条の「できる規定」をクリアするために、被災県からの要請という広域避難を阻害するような非現実的手続を加えた。「できる規定」という内部用語からすると、前例に従った対応だったかもしれない。費用の出処は被災県ではなく国庫なのだから、工夫すれば、この手続は省けたはずである。
観光庁は、ホテル・旅館等を所管するという法の建前ゆえに、救援の実情について認識しないまま、域外避難を阻害するような非現実的文書を発出した。
いずれも、多くの被災者を迅速に救済することより、法が優先された。法令の起草者は、現実ではなく、網羅性、平等性、整合性を念頭に置く。不当に利益を得る者が出ないような手続を考案するが、結果として救済できなくなることを想像しない。筆者の批判に対し、厚労省、観光庁は発出した文書を撤回したり、訂正したりしていない。議論することなく沈黙を守った。
先に述べたように、大災害への対応方法はとりあえずの選択であって、ベストだという前提に立たない。対応の結果を検証しつつ、修正していく。ところが、行政は実情より法を優先するので、制度上、不適切な対応があっても方向転換しづらい。後処理と記憶には優れているが、未来に向かっての対応には適さない。次の大震災に備えて、震災時の危機管理を誰がどのように担うのか検討する必要がある。
大震災後の復興についても、行政は公的資金の管理はできるかもしれないが、思考と行動の制約が大きすぎるので、復興を企画実行するのは難しい。
アメリカでは、日本のNPO (Non-Profit Organization)にあたる組織は、Not-for-Profit CorporationあるいはNon-Stock Corporationとよばれ、社会で大きな役割を果たしている。利益を目的としないが、普通の株式会社と同様に人を雇用し、大きな事業を推進している。アメリカ最大の雇用主でもある。営利目的で運営することが原理的に困難な事業、例えば、生活困窮者向けの住宅を含めた住宅地の計画・整備、維持・管理などを行っている。自治体から完全に独立しており、必要があれば、自治体に対し訴訟を起こすこともある(文献13)。
●復興
中国の四川大地震では、復興計画が国際公募された。中国の西側は雲南からモンゴルに至るまでチベット仏教圏に取り囲まれている。四川省の西部はチベット仏教の信者が多数居住しており、対立をはらんでいる。中国の政治には問題もあるだろうが、緊張感は凄みさえ感じさせる。都江堰市震災復興グランド・デザインが国際公募されたのは、なんと地震発生の17日後という早さだった。http://www.epd.t.u-tokyo.ac.jp/news/poster_080726.pdf#search='。
被災後3年目の2011年4月までに、約11兆円を費やして、41,130の国家復興事業のうち94%が完了した(MSN産経ニュース2011年5月10日)。住宅220万戸、学校3800校を建設した。欧州連合の賛助を受けた四川大地震被災地竹産業プロジェクトは、国連で新企画賞を受賞した(asahi.com 2011年5 月13日)。このプロジェクトで、被災地に2万以上の新規雇用が生まれるという。
経済が右肩上がりの中国に比べて日本の復興は簡単ではない。日本では、かつて人類が経験したことのない高齢化が進みつつある。同時に、急速に貧しくなりつつある。平成20年の国民健康保険(国保)被保険者(3,954万人)の一世帯当たりの平均所得は、前年から6%下がって、158万円だった。平成6年の230万8千円から、14年間で3分の1減少した。20歳代の若者の25%(356万人)が国保被保険者であり、その半数は所得ゼロ。一人あたりの平均年間所得は64万円だった。リーマンショックは平成20年9月に起きた。平成21年の所得(脱稿時点で未公表)はさらに減少していると予想する。消費を担う中間層と若者が疲弊している。
経済の停滞のため、従来の医療・介護・福祉の給付が困難になった。責任は政治ではなく、情緒的な言説にとらわれて事実から目をそらそうとする個々の日本人にある。後期高齢者医療制度否定の論理は老いの覚悟を欠き、対案を示さないことにおいて無責任だった。成り行き任せの結果、荒廃が表面化し始めた。これまで、若者は十分なサポートがないまま過大な負担を押し付けられてきた。高齢者は、自分が支払った負担以上の給付を当たり前のように求めてきた。「使って終わりの給付」より「将来のための給付」を優先しないと、貧困化に歯止めがかけられない。貧困のために教育を断念すれば、将来はさらに貧しくなる。
震災後3か月の段階で、日本の政治は迷走を続け、進む方向を失い、必要な決定を先延ばしにしている。異論もあるだろうが、筆者には、被災地の多くは、じっとうずくまって、ひたすら行政に頼ろうとしているように見える。行政は法令の整合性と前例にとらわれて、未来を創造する能力を持たない。社会全体の心理的落ち込み、生産減少で日本経済が再起不能になりかねない。ただし、地震で生じた大量の復興需要は、日本経済の立て直しのきっかけになりうる。現状は大量の紙幣を印刷すべき局面である。インフレに持ち込むべきである。日本経済が元気にならなければ、被災地の復興も、医療や高齢者福祉もままならない。最優先課題は雇用、産業、そして教育である。結果として総雇用量を大きくできるのなら、正規雇用労働者の権利を制限し、企業の税率を引き下げるべきである。社会の変化に合わせて、さまざまな職業訓練を提供する。働ける人には、可能な限り働いてもらう。
被災地は、都市部に比べて、高齢化が進んでいる。津波による破壊を、持続可能な高齢化社会のモデル創造の契機にすべきである。復興に当たって、役割分担を十分に考える必要がある。行政は、未来に向けた計画を立案するのは得意ではない。大きな視点で、民間や世界から知恵を集めること、その知恵に基づく施策をコントロールするチェック・アンド・バランスの体制を確立することが望まれる。
文献:
13 森 傑:民間非営利組織を中心とした住宅地の開発マネジメント手法に関する考察 米国ニューメキシコ州ティエラコンテンタ開発のケーススタディを通して.日本建築学会計画系論文集, 73, 1443-1440, 2008.
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