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看取りの法律と平穏死

2012年06月02日(土)

今朝の産経新聞朝刊・兵庫版に「看取りの法律」のことを書かせて頂いた。
看取りの法律の誤解が、平穏死を妨げているという自説を述べた。
朝から「死」について大きく書いて怒られやしないかちょっと気になっている。
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平穏死シリーズ第5回  看取りは警察と無関係

            法律の誤解が平穏死を妨げている

多死社会を迎え在宅や施設で最期を迎える方が増えています。しかしそれを怖がる医療スタッフ・介護スタッフが多いのも現実です。何が怖いのでしょうか?「在宅看取り=警察沙汰?」という間違ったイメージが沁みついているように感じます。末期がんや老衰で寝たきりとなり、在宅看取りを前提にして診ている方が亡くなられても、それは決して「事件」でもなんでもありません。今日は「看取りの法律」について少し解説いたします。
 実は、
「在宅看取り=警察沙汰?」という間違った刷り込みは、医師法20条という法律の誤解に起因しています。この法律には「24時間以内に診察していれば、医師は死亡に立ち会わなくても死亡診断書を発行できる」と謳われています。御家族から呼吸停止との連絡を受けたあと、患者さんの家に行かなくても死亡診断書を発行できるという内容です。なんと凄いことが謳われているのでしょう。昭和24年制定のこの法律は、当時の無医村や離島状況を勘案してできたのでしょう。この法律がおおらかな看取りを保証してくれています。しかしどこで間違ったのか「24時間以内に診察していなければ、死亡診断書を発行できない。つまり、警察に届けなければいけない」と誤解している医療者の多いこと!事件でもなんでもないのに警察に関わるのは誰も嫌です。この法律の誤解から多くの医療者や市民が在宅看取りを避ける傾向があります。ある特別養護老人ホームでは嘱託医が医師法20条を誤解しているので入所者が亡くなるたびに警察を呼ぶそうです。呼ばれた警察も困っているとか。繰り返しますが、不治かつ末期となったご在宅患者さんがその御病気で亡くなるのは事件でもなんでもありません。在宅主治医さえいれば在宅看取りに何の法的問題はありません。また24時間以内に主治医が診ていなくても、元々の病気での亡くなったことが明らかであれば、主治医が往診して死亡診断書を書くことができます。                                  
 最近は独居の高齢者が増えています。たとえ末期がんを患っておられても最期まで自宅で過ごすことを希望される方が大勢おられます。朝一番に入ったヘルパーさんが、呼吸停止を発見することも時々あります。しかし「ケア会議」で予めしっかりシミュレーションしてありますので、何の問題もなく「平穏死」を見届けることができます。主治医に電話をして診に来てもらえばいいのです。多少時間がかかっても問題ありません。死亡時刻は、推定で構いません。平穏死の条件5回目は、看取りの法律を知っておくことです。医師法20条という法律は、実は平穏死の最大の味方なのです。しかしこの法律の誤解が平穏死を妨げているという現実も、是非とも知っておいてください。

キーワード:医師法20

「医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。但し、診療中の患者が受診後24時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りでない」

 

 

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この記事へのコメント

医事法制では当然の解釈ですが、誤った理解が平穏死を乱している事例は、見聞きします。大変貴重な紹介だったと思います。一方、家族が最終段階で動揺し、救急車を呼んでしまうような例、あるいは一人ぐらしで往診を受けていて死亡後発見されるような例で、近所の住民や住宅管理会社が救急車を呼んでしまう場合に、当地では救急隊から警察に連絡がいく事例が一般化しています。主治医がいくら、経過を説明し、病死であるとしても、検視をしないと引き下がれないという警察には、手を焼いています。救急隊も、後で問題にならないよう、搬送後、死亡が確認された場合は何でも警察に連絡しているようです。多死時代に向けて、在宅死は医師がきちんと管理している場合は、犯罪でも何でもないことを社会的に理解いただく必要もあるように考えます。

Posted by G.クランツ at 2012年06月02日 11:32 | 返信

私も突然の手術になって、目覚めたとき、「眠らせて欲しい」と言ったのを覚えています。
何が辛かったのか(痛かったのか、倦怠感だったのか)は覚えていませんけれど、体が何か激しい苦痛を察知して、眠るのが一番楽にしてくれるととっさに判断して、私にそう言わせたような気がします。(自分で言ったというより、体に非常ベルを鳴らされて有無を言わさず言わされたような感じを覚えています。)
重症ではあっても「末期」ではなかったので、平穏死の際のセデーションという話とはちょっと違うでしょう。でも、「平穏死」を考える上でも、「平穏な生(末期といえども、まだ患者さんは毎日を生きているわけですから)」の生活の質を保つ(あるいは向上させる)目的でのセデーションというのはあるのではないかと思うのですが。

Posted by ノンノン at 2012年06月03日 01:07 | 返信

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