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日々、布教
2012年10月10日(水)
旅立ちが近い患者さんの家を、何軒か毎日、回っている。
看取りの話を、必ず、ヘルパーさんやケアマネさんを入れてすることにしている。
最期の最期に、救急車を呼ぶのは彼女たちだからだ。
今日も看取りの説明をした。
救急車を呼ばないで携帯に電話して待っていてください、
まで説明したところで、ヘルパーが意義を唱えた。
「なぜ、救急車を呼んだらいけないのですか?」
「救急車を呼ぶという行為は、蘇生処置をお願いするという意味なのですよ」
ヘルパーさんは首をかしげている。
「今まで、そんなことは聞いたことがない」と。
聞くと、在宅看取りの経験はゼロだった。
次にヘルパーさんから、誤嚥の質問があった。
「人間は誤嚥しながら生きるもの。
最期まで食べていいですよ」
また、ヘルパーさんは首をかしげている。
「どうしてもっと点滴をしてくれないのですか?」
「点滴をしても苦しみが増すだけで寿命は伸びないことが分かっているのですよ」と説明。
認知症終末期への人口栄養の意味が無いことを時間をかけて説明した。
しかしヘルパーさんは、こう言った。
「ならば、胃ろうにすればいいじゃないですか!」
家族は胃ろうを希望していないことをヘルパーは知らない。
ヘルパーは善意で言っている。
おそらく平均的なヘルパーであろう。
こんな説明を1時間かけて、毎日のようにしている。
日々、布教、なのだ。
面倒くさいので、「お願いだから、平穏死の本を読んでください」と頼んでも
後ずさりされる。
怪しい医者だと思われていることが、ありありと分かる。
平穏死を阻害しているのは、ヘルパーやケアマネさんでもある。
彼女らは、「看取り=救急車を呼ぶこと」だと信じて疑わない。
布教しても、教義は思うように広がらない。
教本(=拙書)にも興味を示してもらえない。
そんな時に、認知症の配偶者が奥から登場した。
「おじいさんは今、苦痛もなく最高の状態や。
このまま逝けたらいいわ」
「お医者さんは、最期の書類だけ書いてくれたらいいの」
「このまま自然に逝かせてあげたい」と、呟かれた。
そのとうり!
思わず、認知症の配偶者をなでてしまった。
認知症どころか、看取りに関しては、一番よく理解している。
多くの看取りを経験しているからだ。
「家で看取ったことあるの?」
「ある、ある。いっぱい看取ったわ。昔はみんな家で死んだからね。
入院すると、嫌なことばかりされるしね」
やっぱり、このおばあちゃんが、一番分かっておられる。
分かっていないのは、ヘルパーさん。
今日は、もっとビックリしたことがあった。
認知症終末期の患者さんが徐々に歩行が不安定になった、と
ヘルパーさんがたいそう心配されたので、CTを撮った。
慢性硬膜下血腫は無かったので、「認知症終末期の自然経過ですよ」と
説明した。
するとその、施設ヘルパーさんは
「何ですの?そのシゼンケイカって?」と聞いてきた。
「認知症は最期はだんだん歩けなくなるのですよ
それは認知症の自然な経過なんですよ」と説明した。
ヘルパーさんは首をかしげている。
「そんなこと初めて聞いた」と、訝しげな表情。
そのグループホームは、元気な認知症しかいない。
だから寝たきりの認知症患者さんを診たことがない、ということらしい。
認知症施設の職員が、認知症のことを一番知らない。
認知症患者のほうが知っている。
皮肉なものだ。
やってもやっても、
講演しても講演しても、
本を書いても書いても
現場は、ちょっとやそっとでは、とても変わらない。
救急車を呼ばないで携帯に電話して待っていてください、
まで説明したところで、ヘルパーが意義を唱えた。
「なぜ、救急車を呼んだらいけないのですか?」
「救急車を呼ぶという行為は、蘇生処置をお願いするという意味なのですよ」
ヘルパーさんは首をかしげている。
「今まで、そんなことは聞いたことがない」と。
聞くと、在宅看取りの経験はゼロだった。
次にヘルパーさんから、誤嚥の質問があった。
「人間は誤嚥しながら生きるもの。
最期まで食べていいですよ」
また、ヘルパーさんは首をかしげている。
「どうしてもっと点滴をしてくれないのですか?」
「点滴をしても苦しみが増すだけで寿命は伸びないことが分かっているのですよ」と説明。
認知症終末期への人口栄養の意味が無いことを時間をかけて説明した。
しかしヘルパーさんは、こう言った。
「ならば、胃ろうにすればいいじゃないですか!」
家族は胃ろうを希望していないことをヘルパーは知らない。
ヘルパーは善意で言っている。
おそらく平均的なヘルパーであろう。
こんな説明を1時間かけて、毎日のようにしている。
日々、布教、なのだ。
面倒くさいので、「お願いだから、平穏死の本を読んでください」と頼んでも
後ずさりされる。
怪しい医者だと思われていることが、ありありと分かる。
平穏死を阻害しているのは、ヘルパーやケアマネさんでもある。
彼女らは、「看取り=救急車を呼ぶこと」だと信じて疑わない。
布教しても、教義は思うように広がらない。
教本(=拙書)にも興味を示してもらえない。
そんな時に、認知症の配偶者が奥から登場した。
「おじいさんは今、苦痛もなく最高の状態や。
このまま逝けたらいいわ」
「お医者さんは、最期の書類だけ書いてくれたらいいの」
「このまま自然に逝かせてあげたい」と、呟かれた。
そのとうり!
思わず、認知症の配偶者をなでてしまった。
認知症どころか、看取りに関しては、一番よく理解している。
多くの看取りを経験しているからだ。
「家で看取ったことあるの?」
「ある、ある。いっぱい看取ったわ。昔はみんな家で死んだからね。
入院すると、嫌なことばかりされるしね」
やっぱり、このおばあちゃんが、一番分かっておられる。
分かっていないのは、ヘルパーさん。
今日は、もっとビックリしたことがあった。
認知症終末期の患者さんが徐々に歩行が不安定になった、と
ヘルパーさんがたいそう心配されたので、CTを撮った。
慢性硬膜下血腫は無かったので、「認知症終末期の自然経過ですよ」と
説明した。
するとその、施設ヘルパーさんは
「何ですの?そのシゼンケイカって?」と聞いてきた。
「認知症は最期はだんだん歩けなくなるのですよ
それは認知症の自然な経過なんですよ」と説明した。
ヘルパーさんは首をかしげている。
「そんなこと初めて聞いた」と、訝しげな表情。
そのグループホームは、元気な認知症しかいない。
だから寝たきりの認知症患者さんを診たことがない、ということらしい。
認知症施設の職員が、認知症のことを一番知らない。
認知症患者のほうが知っている。
皮肉なものだ。
やってもやっても、
講演しても講演しても、
本を書いても書いても
現場は、ちょっとやそっとでは、とても変わらない。
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この記事へのコメント
そのヘルパーさん、よく質問して、元気ですね。「いろう」って知ってるんですね。施設で、胃瘻患者さんを、良く見ていたのでしょう。
私は長尾先生の宝塚市のソリオでの講演を聞くまで、良く知りませんでした。後から、そう言えば、救急病院の院長が介護認定調査委員会の会長なので、お話を聞いた時、「PEG」と、仰っていたのが、胃瘻だと気がつきました。
長尾先生もお疲れと存じますが、ヘルパーさんも、ケアマネも、一度自然死とか、平穏死を、最後まで、介護させて貰ったら、理解すると思いますので、懲りずにお教え下さい。
Posted by 大谷佳子 at 2012年10月11日 02:12 | 返信
在宅緩和ケアを ゆるやかに、たしかに、本人と家族を支えていくために、
>平穏死を阻害しているのは、ヘルパーやケアマネさんでもある。
>彼女らは、「看取り=救急車を呼ぶこと」だと信じて疑わない。
長尾先生ならではの、回り道しない単刀直入の物言いと理解してるつもりですが、
ここまで、言われて、介護福祉職や介護支援専門員は、悲しくないか、悔しくないのか、
残念だけど、それくらいに学ばない人たちが専門職として、介護保険サービスを担い、
高額の介護報酬をいただいている、ということでしょうか。
信じているという基の教育がどこにあるのか、わたしには見えてきません。
おそらく、信じる以前に、これまで、学び、接する機会も無かったでしょう。
また、介護保険サービスでは、それぞれが組織に所属しているので、
利潤を追求し、責任の追求や困難回避を望む管理者やオーナーがいれば、
リスクある仕事、サービスをわざわざ請け負うことを拒否するでしょう。
でも、地域の介護福祉職ばかりじゃありません。
病院の中の医療職やコメディカルも平穏死を理解していないことは同じです。
要は、一概にヘルパーが、ケアマネが、と長尾先生はおっしゃいますが、
医師だろうが、看護師であろうが、理解されていない人たちはどこにもいます。
そして、絶対が無いように、結果的な平穏死はやってみないとわからない!
情報を得て、考えて、決めて、動くのは本人とその家族、家族の価値観と歴史が大きいです。
それをさりげなく支えていくのが、医師やケアマネ等の専門職の連携です。
ただ、病院の中の日常は、緩やかでおだやかな平穏死には、そぐわない非日常の世界だということ。
Posted by ゆいゆい at 2012年10月12日 01:56 | 返信
医師の紹介で父の入院が決まりました。
それもホスピスではなく、呼吸器専門の病院です。
緩和医療専門病院は兄に直接交渉させたようで、説明不足で断られ改めて医師の知り合いの病院となりました。
痰の詰まりを考えると入院は仕方ないように思いましたが、せめて緩和医療専門病院にしてほしかったです。
平穏死を阻害する、ヘルパーやケアマネさん?
それ以上に平穏死を阻害する医師に囲まれ、これから平穏死にはそぐわない、非日常の世界が始まるのでしょうか・・。
Posted by 桜 at 2012年10月12日 12:46 | 返信
昨夜父が亡くなりました。
真っ黒な便が大量に出たと言うので先生に連絡した方がいいながら実家へ行ったところ、自分で水飲みで水を飲み、尿も自分から取ってほしいといい、その後よく眠っているので帰宅したその30分後に「息をしていない」と連絡があり、主治医に電話したが繋がらない、救急車を呼ぶと言うのでとにかく先生に連絡する方法を!と言い実家へ急ぎました。
どうしても連絡が取れなかったらしく、その医院で働いている知人に連絡を取りやっと医師に来てもらうことが出来たようですが、救急車を呼んだのでAEDの蘇生措置をされ医師が到着するまで家の前に消防車、救急車、家の中には救急士7人・・と言う状況で大変だったようです。
やはり呼吸が停止すると何かをしなければと言う本能的な思いが=救急車を呼ぶと言う行動に繋がると実感しました。
私が家に着いた時は父は眠るように横たわっていました。
明後日入院する予定でしたが自宅で看取られ、呼吸の苦しさと痰の苦しさはありましたがガンの痛みを経験せず、10日前には自分でスーパーに買い物へ行き、2日前に全く動けなくなるまで先生の平穏死・10の条件そのままの姿で最後を迎える事が出来ました。
今回の経験を通し、平穏死へ進められる医師はまれであり、長尾先生のような意志と心ある医師はまれだと言うことを知りました。
最後まで兄は「平穏死・10の条件」の本を拒みましたが、このブログと本のお陰で満足の行く死を迎ることが出来たと、心より感謝申し上げます。
Posted by 桜 at 2012年10月14日 07:54 | 返信
何かのお役にたてばと思い、父の看取りへの総括をさせていただきます。
最期の死亡診断をした医師は、父が40年間お世話になった医院の医師でした。
初めにガンを見つけたのもその医師で、近くに医大の附属病院があるのですがそこで診てもらった時は異常なしといわれ、改めて医院で検査をしてもらい初めてガンと分かったのですが、この時かかりつけの医師を持つことの大切さを思いました。
その医師から家族への説明の時に緩和医療をお願いすると往診も含め快く引き受けて下さいました。
その医師の父である前院長もいざというときの為に自宅の詳しい地図を聞いて下さり、父も心から安心して在宅医療を受けたのですが、家族への説明の時にガンが進行した時の痛みどめの麻薬の事を聞くと、「うちは麻薬を取り扱う申請をしていないので、前院長と相談して手続きをするようにしますけど、痛みどめの麻薬は最期は廃人になりますよ。
人間の尊厳を失わないようにする為にも麻薬は使わない方がいいと思います。」といわれ、ではいざとなった時の痛み止めはどうするのか、またその時に考えるしかないと思いました。
何しろ40年の重みが医師への信頼となり、この医院があって本当に良かったと家族も喜んでいました。
でも実際は歩けなくなった父を兄が背負って点滴に連れて行き、二度目に連れて行ったときに入院が決まり、最期の大量の血便を報告した時も電話口で「胃がガン細胞で崩れて出た物だから・・」と言っただけで診に来てはくれませんでした。
そしてその電話から数時間後に亡くなったわけですが、呼吸が止まっていることに気付き慌てて電話をしても応答がなく、真夜中でしたがその医院に勤める知人に電話をしてその方から連絡をしていただきやっと来てもらうことが出来たという状況でした。
結果的には望んだ通り平穏に亡くなることが出来ましたが、今回の経験を通し、在宅医療を簡単に考えていた事を後悔しています。
今日改めて在宅医療の事を調べてみました。
余計なこととは思いますが、私と同じ轍を踏まない為にも是非参考にして下さい。
多くの方から、「在宅医療を行う医師(以下「在宅医」と略します)を見つけることが困難」と聞きます。在宅医療を推進する私たちにとっては耳の痛い言葉です。
そこで、本稿では、「どのようにすれば在宅医を見つけることができるか」を書いてみたいと思います。
1.地域性
概して、東京都二十三区、大阪市、京都市、名古屋市、仙台市などの大都市では、在宅医が確実に見つかる傾向があります。都市近郊や地方都市では、在宅医を見つけることが困難なことが多い傾向があります。しかし、「若い開業医」は増えており、そういう先生は在宅医療をしてくれる方が比較的多いといえます。また、全国各地に、「在宅医療を主に行う診療所」も次第に増えています。諦めずに、ぜひ、探してみてください。
2.在宅医療の特性
在宅医療は、医療機関と患者様の自宅が近ければ近いほど医療水準が高いと考えて差し支えないと思います。大まかに、患者さんの自宅から自動車で30分以内で到着できる医療機関を探すのが理想です。自動車で1時間程度かかる医療機関でも、訪問医療は可能なことがありますが、具合が悪いときに、医師が簡単に自宅に訪問できないということがあります。
3.在宅医を探す
1) 患者さんが入院しているとき ① 病院の医療連携室・相談室(医療ソーシャルワーカー)に行く 多くの方は、脳梗塞やがんなどの重い病気で病院に入院し、その後、継続的な自宅療養を希望し、在宅医を探されることが多いと思います。そういう場合の相談窓口を記載してみます。退院してから、在宅医を探すのでは、やや遅いと思います。退院する前に、できる限り早く、相談を始めたいと思います。
病院には、たいてい、「医療連携室」「相談室」という部屋があります。まずは、そこを訪れることをお勧めします。
このような窓口には、通常、「医療ソーシャルワーカー」という専門職が、患者さん、ご家族の相談に応じています。「医療ソーシャルワーカー」は、医療の連携や、医療制度活用の専門家です。
在宅医療を行う医師を、みつけたり、紹介したりすることも、「医療ソーシャルワーカー」の大切な仕事です。ぜひ相談してみてください。 ② 地域で探す
退院前に、患者さんの自宅の近辺で、在宅医を探し始める方法もあります。
例えば、次のような相談窓口があります。
市役所の介護保険担当窓口
介護支援事業者(ケアマネジャー)
訪問看護ステーション
在宅介護支援センター
保健所
各地の医師会
これらの窓口を訪れ、自宅近隣に在宅医療を行う医師がいるかどうかを聞くことができます。介護支援事業者、訪問看護ステーション、在宅介護支援センターなどは、市町村で配布している「医療・福祉機関リスト」などに必ず掲載されています。
特に、訪問看護ステーションは、在宅医の指示のもとに、様々な患者さんを看護している事業所ですので、「あなたの病状にあった適切な在宅医」を紹介してくれる可能性が高いと思います。
③ インターネットなどで探す
上記のように、病院の窓口や、地域の窓口で探して、在宅医療の医師を見つける方法がもっとも有効な方法です。しかし、下記のようなホームページにアクセスして在宅医を探す方法もあります。
ホームページなどで探す場合、どうしても、その医療機関に対する真実の情報が分かりにくいということがあります。ホームページで探し当てた医療機関には、必ず事前に相談に訪れることをお勧めします。
(財)在宅医療助成 勇美記念財団
末期がんの方の在宅ケアデータベース
日本ホスピス・在宅ケア研究会
④ 書籍
次のような書籍も出ています。
「在宅ケアをしてくれるお医者さんが分かる本」 和田努 同文館
「ホスピスケアの選び方ガイドブック」 春秋社編集部編 春秋社
2) 開業医・病院に患者さんが通っているとき 患者さんが、今、開業医院や、病院に通院しているが、次第に障害が重くなり、通院が困難となったとき、在宅医療を求めるという方法があります。 ① 開業医院に通院しているとき 実は、一般の開業医の先生で、外来ばかりでなく、往診を行う医師はかなり多いことが分かっています。
まず、あなたの先生に相談することをお勧めします。その先生が、通院困難な患者さんに対して、定期的な往診を行ってくれることがあります。とりわけ、もし、あなたが、その先生に10年とか20年の長期にわたってかかっているなら、ぜひ、その先生に続けてかかりたいと思うでしょう。ぜひ、その先生が往診してくれるかどうかを訪ねるとよいと思います。 ② 病院に通院しているとき まずは主治医に相談することをお勧めします。主治医の先生と話しても、なかなか往診は困難かもしれません。その場合、次に、上に述べた、相談室や医療連携室の扉をたたくことをお勧めします。
4.在宅医に相談するときの方法
上記のような方法で、在宅医療を行ってくれそうな先生が見つかった場合では、どうするか、を書いてみたいと思います。
① 家族だけでも脚を運ぶ 私は、まず、その先生のところに足を運ぶのがよいと断言します。「行って相談」してみなければ、具体的な診療内容が分からない場合があります。 ② 紹介状はあるほうがよい 相談時に、「紹介状」を持っていくほうが圧倒的に有利です。「紹介状」というのは、現在の主治医が、今後の医師に書く手紙のことです。病院入院中や、通院中の場合、ぜひ、今診てもらっている先生に紹介状を書いてもらい、相談時にもって行きたいと思います。 ③ 退院前に相談に行くほうが有利 すでに述べてきたように、在宅医療を行ってくれそうな先生が見つかった場合、退院を待たずに相談に行くほうが有利です。ご家族だけが相談に行っても構いません。
もしかすると、患者さんの病気が特殊な病気の場合、その先生は在宅医療でその方を診療することが困難かもしれません。すると、別の先生を探さなくてはならないかもしれません。
仮に、その先生が在宅医療を引き受けてくれる場合でも、「退院までに準備するもの、準備すること」などを、その先生から事前に教えてもらえることも多いのです。その意味でも、ぜひ、可能な限り、退院前に相談に行かれることをお勧めします。
5.病院連携
① 現在の病院の通院を必ずしもやめる必要はない 「共同診療」という考え方があります。
現在通院中の病院があり、それとは別に在宅医を見つけたとき、病院の通院をやめる必要はありません。
例えば、三ヶ月あるいは半年に一回ずつ病院にかかりながら、それと並行して、月に2~4回の在宅医療を受けることもできます。また、在宅医にかかっていて、入院が必要なときには、もとかかっていた病院に入院することもできます。 ② くすりは在宅医に処方してもらうのがよい このように、在宅医療をうけながら病院への通院・専門医受診などを並行して行うとき、薬は、頻回に診ている在宅医に処方してもらうほうが有利です。病院から薬をもらい続ける方がいますが、在宅医に、一括して薬を出してもらうようにしたほうが有利なことが多いといえます。なぜならば、回数を多く診る医師のほうが、患者さんの状態の変化に柔軟に対応し、薬を調整できるからです。
Posted by 桜 at 2012年10月21日 11:22 | 返信
大変な時期なのに桜さんのお心こもった資料、有難うございました。
長文に、皆様に是非伝えたいという強いお気持を感じました。
そのお志に感じて少し蛇足を書かせて下さいね。
■連携医の探し方(すでに受診している病気がある場合)
書かれていたように、東京では医療の連携が勧められているようで、
病院内に「連携医を持とう」というポスターが貼られています。
病院は緊急や重篤者優先。クリニックにかかりながら、
検査やレスパイト入院・手術・緊急入院は病院でできるシステムです。
でも検査はともかく病室には限りがあるので、いつでも入院が可能かは不明ですが。
元その病院勤務の医師がパートナークリニックを開業している場合には、
オンラインでつながっていて、クリニックから検査予約を入れたり
検査結果もクリニックで見たり出来る場合があります。
私もそんなクリニックに定期通院していてとても好都合です。
入院・通院している病院がある場合は、パートナークリニックを探してみるのも
一つの方法かもしれません。
■随時往診可能かの確認(将来に備えて)
長尾先生が度々書いておられるように、終末期に必要なのは随時往診なので、
やっていただけることを確認しておく必要があります。
ケアマネ時代定期的な往診をお願いしている利用者様が何人かおられましたが、
病院の勤務医でいざという時には救急車を呼ぶように、という対応でした。
それではちょっと平穏死(看取り)は難しい。
ケアマネ同志の話題に上った作戦は、ちょっとした風邪でも一度は「24時間365日対応します」
と表明している在宅訪問診療クリニックにかかって受診券をつくっておき
良かったらかかりつけ医にしてふだんの不調時にも受診。
いざという時は連携医になってもらうのはどうかということ。
何故と言うと、多分長尾クリニックもそうでしょうが、
良い医療をしようと思ったら当然担当患者の数を制限するので
評判の良いクリニックほど早く在宅訪問診療は定員になり、
キャンセル待ちになってしまうからです。
かかりつけ医として繋がっていれば、患者の状態も把握しているし
いざのとき続いて診て貰えるのではと・・・。
これって患者エゴですか。クリニック側から見たらどうなんでしょうね。
Posted by 梨木 at 2012年10月22日 05:15 | 返信
東京はいいですね。
私は千葉県ですが在宅医療を行っている医院を探すだけでも大変で、24時間365日対応の医院など皆無です(私が調べた限りですが・・)
父の葬儀を終え、やっと日常の感覚が戻り始めました。
いつもおかしなことを言う娘婿が「お父さんが棺の横に立って、何でみんな集まっているんだ?と不思議そうな顔をして見ていた」と言いました。
本当に眠ったまま亡くなったので、「自分でも死んだと思っていないんじゃないのかな・・」と言っていましたがそうであっても不思議のない位穏やかな最期でした。
生命の世界は不可思議で、まして死後の生命は科学的に解明されていないのですから、娘婿が見えない物が見えると言うのも、亡くなった人が現れるという現象があってもそれはそれで認めてあげたいと思っています。
母が亡くなった時も、娘婿がそこにニコニコ笑って座っているよ・・と言った場所に、1歳になった姪の子供が「おばあちゃんに(祭壇に)ハイってあげてちょうだい」と言った物を祭壇ではなく娘婿が言った誰もいないところに一生懸命「ハイ」と言って渡しているのを見て一同呆然とした事がありました。
世の中、自分で理解出来ないものは否定に走るという事はどうすることも出来ませんね。
Posted by 桜 at 2012年10月23日 06:52 | 返信
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