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朝から晩まで「尊厳死」

2012年11月17日(土)

この3日間、朝から晩まで、「尊厳死」の話ばかりしている自分がいる。
大きな時代の流れ、思想の流れ、空気の流れの真っただ中にいることを感じる。
自分のやっていること、言っていることは間違っていないと、自信を持っている。

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異様といえば、異様、と言われるかもしれない。
本当はこんなことより、遊んでいたい。
ゴルフやテニスや酒やカラオケに、行きたい。

しかし、今、やらねばいけない仕事がある。
どう考えても、日本の終末期医療はオカシイ。
みんなオカシイと感じていても、公には誰も発言しない。

「立場」があるので、本当のことを言えない。
現場を知らない学者は、言葉遊びに専念している。
結局、困っているかたの役に立てない。

新聞社のアンケートには、医者は答えている。
しかしこれはあくまで匿名のアンケート。
テレビカメラの前だと、全く別のことを言う。

もっとハッキリ言うなら、嘘をつく。
病院の倫理委員会は、必ず却下する。
トップが、死に関する問題に自信がないからだ。

しかしそんなトップを責めるのも、間違っている。
そんな世の中にしたのは、メデイアとそれを盲信してきた国民なのだ。
そんな事実を反省することなく、次の愚を撒き散らすメデイアは話半分で聞いたほうがいい。

変えることができるのは、市民だけ。
あるいは市民の代表である国会議員のみ。
残念ながら医療者は、変えることができない。


医学界~出る声明はありがたい。
しかしそれがどこまで認知されているのか。
医者はもちろん、国民全体に、だ。

正直言って、まだまだ。
ガイドラインの検証の前に、まだまだ周知が必要な段階。
やはり、ガイドラインと法制化は、セットで考えるべきである。

ガイドラインは、プロの意見。
法律は、国民の意見。
両者を両輪と考えるのは、自然なことだ。

裸の王様。
私はそれを指摘しただけ。
誰もしないので、しているだけ。

諸外国は、「裸の王様問題」を乗り越えてきた。
日本はまだまだ、その前段階。
今は理解できない人も、来年の今頃には私の言っていることが理解できるだろう。

私のもとには、毎日、日本中から悲痛な叫びが届く。
「平穏死・10の条件」の読者ハガキにも、偉い学者には言えない「現実」が綴られている。
そうした一般のかたがたの叫びが、私が毎日アホみたいなことをやる原動力になっている。


以下は、海外に住んでいる日本人から、今日届いたばかりのお便り。
ハワイの様子も伝えてくれる。
こうした「生の声」こそが、私を、つき動かしている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 私たちはアメリカでLiving Willがあって当たり前の中で過ごしていて、これがあるからある意味で安心、と思えておりますので、Living Willがないこと自体が想像出来ません。本人の意思(無駄な延命をしないで欲しい)、またこの意思を伝えられない状態になった時には代行する権威を預ける人を決めること(Power of Attorney)を書類として作成しておくことがLiving Willの、医療に関する部分の手続きでしょうか。本人の意思が明確であることが基本になっているのだと思います。

 
 アメリカでは本人が考えや意思を持つことが当たり前、自分の意思や考えを認めてもらうためには、相手の意思や考えも尊重するという姿勢が基本的にあるのではないでしょうか。日本ではその基本があいまいだと思います。長患いをしないでぽっくり逝きたい、誰でもが思っていることだと思いますが、それが認められないのは本人以外の人の感情が多分に左右するのかもしれませんんね。本人がそれを希望するのだからその意思を尊重しようという姿勢を持っている人が少ないのでしょうか。

 

 私たちは今から8年ほど前にハワイに越して来ました。NY、NJでは周りの日本人社会の中には高齢の方は全くおられませんでしたが、こちらハワイでは高齢者が多いのでびっくりしました。私の行っている教会でも、8年前で80歳前後だった方たちが何人もおられて、その内の何人かの方は、ここ数年の間に亡くなって行かれました。明らかにLiving Willに効果があったケースもいくつかありました。

 

1) Pさんはご主人を何年も前に亡くされ、子どもさんもおられず、こちらには身よりもない一人暮らしのご老人でした。自分はLiving Willを作っていること、医療に関するLiving Willには3日間意識が戻らなかったら、全てのチューブを抜いてくれるように書いてあることを教会の牧師に伝えておられました。Pさんはある日ご自分の家で転倒して頭を強打、意識不明の重態で病院に運ばれました。意識は3日経っても戻らなかったのでLiving Willを預けている弁護士を探し出して、Pさんの生前の意志通りに延命装置が取り外されました。Pさんの例は正しくLiving Willがワークした例でしょう。

 

2) Mさんのご主人は進行の早い悪性の脳腫瘍でした。一度は手術をされましたが、数ヵ月後に再発、この時には一切の治療を拒否され、最後はホスピスに移られて、食事も水も与えない状態で、1週間ほどで静かに息を引き取られました。(この時知ったことですが、ホスピスケアーを受けられると認められるのは(医療保険などの観点から)医師の余命6ヶ月という診断が必要だと言うことでした。余命6ヶ月と診断されても、必ずしも6ヶ月以内に皆が亡くなる訳ではないそうで、その後2年も3年も生きる方もあるそうです。でも医師の診断書があるのでホスピスケアーを受け続ける資格があるそうです。)この方の場合も勿論Living Willの書類を生前に整えておられました。


3) Hさんは高齢になられて自宅で息子さんの介護の元に生活をされていましたが、口から食事を取ることが出来ない状態になられました。それで病院のケアー病棟へ入られました。本当に痩せた細い方でしたが、20日後に、安らかに息を引き取られました。その間は全く医療行為も食事もなしで、苦しみもなかったそうです。予断ですがあんなに細い枯れた方で3週間近くも持ちこたえるのは珍しいそうです。でもその20日間の間に、安らかに、まるで神様に守られているかのようにベッドに横たわっておられるお母様の様子を見ていた息子さんが神様の存在を信じる決心をされ、その決心を待っていたかのように、お母様は翌日亡くなったそうです。

 

4) Tさんのお母様はやはり高齢になられて、自宅での介護が難しくなったので、病院のケアー病棟へ入られました。意識は余り鮮明ではなく、話しかけると反応する状態だったそうですが、食欲はあったそうです。口から食事は取れていたのですが飲み込む力が弱くなって来て、食事をすると食べ物が肺の方へ入ってしまって咳き込み、その度に救急手当てを受けられていたそうです。その回数が増し、また窒息しそうになる訳ですからその苦しみも大変なものだったので、医師からこの辺でお母様を楽にしてあげてはどうかと言われたそうです。ご本人はその決断をする能力がなくなっていましたので、Power of  attorneyを持っておられた娘さんのTさんが決断をすることになったそうです。苦しみを見て本人が可哀想、楽にしてあげたいと思う気持ち、でも命を終らせる決断をするのは辛い、何が正しいのか随分と迷われたそうです。決断をされた後も日本から駆けつけて来られた家族のことが分かるのか、呼びかけると反応をする、まだ早いのではないか、本当に迷ったそうです。そして今でも本当にあれで良かったのだろうかと時々思うと仰っていました。唯一慰めに思えることは、お母様も神様を信じておられたので、この世の命が終っても、神様の元にその魂は行って、憩いを得ていると信じることが出来ることだと仰っていました。

 

 私がこちらで経験した例は皆さんがご高齢で、充分にこの世の人生を生きられた方たちです。もうこれで充分だと思える方たちでした。でもこれがまだまだこれからの人生に可能性があるかもしれない年齢だったり、自分の子どもだったりすると決断はもっと辛いものになると想像出来ますますね。

 
 今回改めて
Tさんにお話を伺って見たのですが、彼女の話の中でこのようなことが出て来ました。お母様を楽にしてあげる方法として、自然死を待つか、あるいは薬による方法を選ぶかを医師から聞かれたそうです。医師が違法なことを選択肢として言って来ることは、後で訴えられたりする場合もある訳ですから、考えられません。こういう場合には薬を用いることは法的に許されているのでしょうか。

 
 それと今回気がついたのですが、(私の知識不足で申し訳ありません) 「無駄な延命をしない」と最終的に決断するのは、本人に意識もなく(植物人間と言われている状態)、あってもぼんやりしているのだから、本人ではなく身内だと私は漠然と思っていました。その時のために自分の意思を
Living Willにしたためておくのだと思っていました。長尾さんが仰っているベルギー、オランダそしてオレゴン州で認められているケースは、本人の意識がはっきりしている状態で、本人の決断によって積極的な形で死を選ぶというケースになるのでしょうか。これは宗教的な問題、倫理的な問題も絡んで来ますから、もう一段難しい問題ですね。

 
 いずれにしても、今の日本ではそのどちらも認められていないのですね。アメリカに比べて日本は「死」について語ることがタブー視されている傾向にありますから、皆思っていても余り深く考えないようにしているのでしょうか。尊厳死協会に加盟する人はどれ位いるのでしょうか。そこを通して、インターネットなどで啓蒙をしていくことはどうなのでしょう。世論が盛り上がり、法律を動かすことは出来ないのでしょうか。

 
 人間は必ず死ぬことは誰でもが知っていることです。死を正面から受け止めることが、今の自分の生きている生活の質を高めることは事実だと思います。長尾さんが歯がゆく思われるのが分かる気がいたします。
私の狭い視野でしかお話出来なくて申し訳ございません。


 

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この記事へのコメント

長尾先生、私的に受け取られてるであろうお便りもこのように公開してくださり、読ませていただいて本当にありがとうございました。感謝します♪

Posted by あい at 2012年11月17日 12:38 | 返信

超お忙しい長尾先生
貴重なお手紙の公開を、そろそろ我が身の準備も考えつつ。。。
感謝して読ませていただきました。

先生の相手は、見えない暖簾のよう...。
それを全力で向かってくださっていることに、ただただ感謝で頭を下げております。
でも長尾先生の努力は、必ず 形になっていきます。
成らなくて、なんとする!です。


そして人間は、そうアホでもないと思え、、、
それは・・・
桜井先生や長尾先生のような方の存在...がいてくださるからこそ、そう思えます。
高齢者の身として希望も湧いてきます。


長尾先生! お体 ご自愛くださいませ!お願いします。

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Posted by コスモ(一熟女) at 2012年11月17日 04:02 | 返信

今頃、こんな質問するのも、間が抜けていますが、「尊厳死協会」の会長、副会長を、医師ではない、患者や、その家族になって貰って、医師や弁護士はその、アドヴァイザーになったら、いけないのでしょうか?
「がん楽会」の中原会長さんも、多分患者さんだったか、今も、患者なんでしょう?
長尾先生はアドヴァイザーか、顧問なんでしょう?
「自分は、尊厳死をしたい」と考えているのは、患者さん、ないし一般の人だから、一般にの人を会長にしておけば、「尊厳死協会」を、批判する人はいないと思うのですが、医学的な事や、法律的な事が難しくて、だめでしょうか?

Posted by 大谷佳子 at 2012年11月22日 12:47 | 返信

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