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抗がん剤と平穏死

2013年09月12日(木)

日本医事新報という医療界きっての専門誌に連載させて頂いている。
今月は、「抗がん剤と平穏死」という文章を書いてみた。
http://www.drnagao.com/pdf/media/jmedj/nihniji130907.pdf
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日本医事新報9月号   抗がん剤と平穏死  長尾和宏

 

亡くなる当日まで抗がん剤をやる理由

 2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで亡くなる時代。外科手術、放射線治療、抗がん剤治療がいまだに3大治療であるが、手術をしてもがんが再発することは稀ではない。胃がんで5割、大腸がんで3割、膵臓がんで8割が、術後再発する。抗がん剤治療は、術前、術後の再発予防、そして再発の治療として多くの施設で行われている。しかし「抗がん剤は百害あって一利なし」と書かれた本がベストセラーになり、患者さんの混乱が広がっている。一方、町医者として在宅医療に関わっていると、亡くなる前日、いや当日までがん拠点病院の外来で効がんが投与されている患者さんを見ることがある。なにも亡くなる直前まで抗がん剤をやることはなかろう、なんて思うが、よくよく考えてみるとこれは乱暴な結果論である。亡くなる当日や前日まで、と言えるのは、実際に亡くなったからである。亡くならないと、前日までと、言えない。すなわち前日までというのは、あくまであと出しじゃんけん。抗がん剤を点滴している間は主治医も本人も、まさかそこまで死期が迫っているとは思っていない。裏を返せばそれだけ死期の推定は困難であるということだ。

 病院の主治医に聞いてみた。「何故、亡くなる当日までやるんですか?」。すると「患者さんが来たので、抗がん剤の点滴をしただけだ。まさか翌日亡くなるとは思ってもみなかった」と返ってきた。今度は家族に聞いてみた。すると「主治医がもう来なくていいよ、と言ってくれなかったから最期まで車椅子に乗せて連れて行きました」。お互いが、どちらも「相手から言いだすであろう」と中止時期をお見合いしている間に死期が来たようだ。

 

“延命”と“縮命”の分水嶺

医学はすべて延命が目的である。すべての医療は120年という人間が冒すことのできない枠の中での営みにすぎない。高血圧も糖尿病の治療も延命治療だ。降圧剤もインスリンも肺気腫もアルツハイマー病も、肝炎のインターフェロンも骨粗しょう症治療はすべて延命治療。人間の寿命は最大120年。受精卵はその間に合計50回細胞分裂したら死滅する。成人した時には30回の分裂を終えて、残りの寿命の何十年であと20回の分裂をするだけ。もちろん“抗がん剤”も数ある延命治療のひとつにすぎない。予め定められた枠の中での寿命を最大限に伸ばすためのもの。限られた時間の中で最高に楽しむために、我々は生きている。一方、その延命治療は、死ぬまでずっと“延命”たりえない。それを続けるうちに、ある時点からは、“延命”ではなく“縮命”になる。“縮命”とは、単に命を縮めるだけでなく、生きている喜びや楽しみを奪い、肉体的・精神的苦痛を増大させ時期のこと。すなわち延命治療には、“延命”と“縮命”の“分水嶺”があると考える。どこが分水嶺なのかはとても難しい命題だ。現代医学でもまだ手つかずの領域。また医療者や患者によって異なるはず。年齢、病気、病期、生きざま、死生観によって“分水嶺”は大きく変わるはずだ。しかしこの分水嶺を意識することが、今こそ求めらていると思う。

やる、やらないではなく、“やめどき”

みのもんたさんが司会をした人気番組「クイズ・ミリオネア」を覚えておられるか。あの番組の「ファイナルアンサー」。クイズに正解するたびに賞金が倍々と増えていくが、途中で止めて賞金を確保しても全然いい。しかし、みのもんたさんに「ここで止めて、本当にもういいのか?」と聞かれると、多くの挑戦者は「やっぱ、行きます!」と言って、見事に撃沈していく番組だった。テレビを見ながら「ああ、あそこでやめときゃ、よかったのに」と思っても、肝心の当事者は目の前の問題をクリアすることに必死で、大局的な判断ができなくなっている。

抗がん剤治療をギリギリまでやっている人を見るたびに、このファイナルアンサーを思い出してしまう。両者はどこか似ている。そう、抗がん剤はいい、悪いではなく、“やめどき”の問題ではないのか。糖尿病へのインスリン治療も認知症になって寝たきりになれば、やはり“やめどき”が来るはず。関節リウマチへの生物学的製剤、骨粗しょう症へのビスフォスフォネートネート製剤、ウイルス性肝炎への根治を目的としないインターフェロン治療なども同様だ。医学が発達し高度な武器が開発されればされるほど、“やめどき”を意識する必要が出て来る。終わりよければすべて良し、ではないが、もし“やめどき”を間違えると、せっかくのいい治療も後味が悪くなる。

 

新著「抗がん剤・10のやめどき」に寄せる想い

平成24年夏、「平穏死・10の条件」が世に出て1年が経過した。この本のサブタイトルは、「抗がん剤、胃ろう、延命治療、いつやめますか?」だ。胃ろうに関しては、同年冬に出た「胃ろうという選択、しない選択―平穏死から考える胃ろうの功と罪―」(セブン&アイ出版)で詳しく述べた。しかし、もうひとつのテーマ、抗がん剤に関してもっと詳しい話を聞きたい、という要望を沢山いただいた。そこでそれに応えるために、9月15日に「抗がん剤・10の“やめどき”」(ブックマン社)が世に出る。できるだけ分かり易くお伝えするために「がん小説」というスタイルをとった。抗がん剤の“やめどき”は、その人の物語の中でしか語れないと考えるからだ。主人公は58歳の鈴木信夫さん。ある日、街の診療所でステージⅡの胃がんが見つかり、外科手術。術後補助化学療法を1年近く受けていたが、腹膜再発。セカンドラインの抗がん剤は当初はよく効いたが、やがて効かなくなる。そしてサードライン、在宅療養へ、というストーリー。この物語の中で私は“やめどき”を具体的に10個、提示してみた。その中で患者さん自身が“抗がん剤のファイナルアンサー”をみつけて欲しいと結んだ。こうした平穏な生の先に、平穏な死がある。

“抗がん剤”も数ある延命治療のひとつにすぎない。予め定められた枠の中での寿命を最大限に伸ばすための道具。残された時間を大切な人と最高に楽しむために我々は生きている。“やめどき”を知るために、医療のいいとこ取りをするための自己決定を啓発している。抗がん剤と平穏死というテーマへの答えをすべて書いた。この8月には「医療否定本に殺されない48の真実」(扶桑社)も出た。あわせてご笑読頂き、ご批判を賜りたい。

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