このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
「大病院信仰」どこまで続けますか
2014年05月16日(金)
今日は、「大病院信仰、どこまで続けますか」という本も出版される。
これは、かかりつけ医の必要性を説いた本。
現代、遠くの大病院にかかっている人に向けて書いた本だ。
これは、かかりつけ医の必要性を説いた本。
現代、遠くの大病院にかかっている人に向けて書いた本だ。
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
この記事へのコメント
在宅で親が亡くなった後、親戚から「大病院に入ったほうがよかったのではないか」などと無責任な質問を受けました。 きっとその話は来るだろうと予想したいたのですが。。。
とはいえ、その本人は、ある程度の年令であり、自分は病院で最期を望んでいることはない様子です。 自分は家がよくて、親戚に対しては、延命であったり大病院を勧めて、そうでなかったことを責めるのですから、家族としては面倒だなぁ・・・という気持ちになります。
死を受け入れられず、まだまだ生きると思っていたでしょうし、入院は嫌がっていました。
けれど、逝ってしまった今は、本人の希望を再確認はできません。
最期は病院に行きたいと思っていたのかもしれませんが、残される家族は、町のお医者さんに診てもらい、通院を経て、在宅になり、最期まで家族と一緒に食事をして過ごすことができた「環境」を与えてくれたお医者様と看護師さんに感謝の気持ちです。
自分がいやなら、親戚や周りに、嫌なことを強要しない。 中途半端なマスコミから流れてきた情報を押し付けない。
そんな人間関係ができると、もっと患者もその家族も事由に慣れるのではないかと思います。
Posted by よしみ at 2014年05月16日 03:09 | 返信
途中で投稿に当たりました、再度。
母方の実家の叔父、大腸がんの手術を所謂大病院で行い、抗がん剤治療、1度は元気な生活を取り戻しました。
祖父母も看取りまでしてもらった、何でも屋的なかかりつけ医がいて、定期的経過観察、数年後、肺に転移、手術はできるだろうと。
叔父は最初の治療が、身体と心にかなり堪えたのか、もう治療はいい、かかりつけ医にその内楽に最後が迎えられるようにしてもらうと。
家族は、お父さんの人生、思う通りに、でしたが、親類には、前に治療した大きな病院で手術を、といらない口出しするものもいたようです。
結果的には、あまり痛むこともなく、具合が悪くなるとかかりつけ医が何時でも往診。
畑仕事や、ペットの鷄の散歩など、好きなことをしながら段々弱っていき、死ぬ日まで、自分で歯磨き、身だしなみを整え、好きな酒に煙草、最後はたべようとして叔母に倒れかかり、意識がなくなり、先生の言われる“死の壁"を越して旅立ったそうです。
叔父の家族は、しっかり最後まで一緒の生活をさせてもらったかかりつけ医に感謝、先日も叔父の最後の日の思い出話を何だか楽しそうにしていました。
本人の意思を第一に、外野に何を言われても関係ないと団結した家族、叔父の兄姉妹も、それを尊重、その為叔父は最後まで思う通りに生きることができたのでしょう。
それを助けるかかりつけ医、長尾先生のようなお医者さんがもっと増えて欲しいです。
Posted by 小畑ふみこ at 2014年05月17日 08:06 | 返信
コメントする
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL: