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台湾の終末期医療事情に学ぶ
2014年07月10日(木)
日本医事新報の7月号の連載記事は「台湾の終末期医療」について書いた。
日本が学ぶべきことが沢山あると感じた。
特に家族の扱いにはすごく苦労していたのが印象的だった。
日本が学ぶべきことが沢山あると感じた。
特に家族の扱いにはすごく苦労していたのが印象的だった。
日本医事新報7月号 台湾の終末期医療事情に学ぶ 長尾和宏
成功大学病院・緩和ケア病棟を視察
このGWに台南市にある成功大学病院の緩和ケア病棟を訪問した。昨秋に台南の成功大学の趙可式教授が来日され、リビングウイル(以下LW)の法的担保に関して意見交換を行った。今回、そのご縁で、台湾の終末期医療事情を視察することになった。台湾には飛行機で2時間半と近い。九州とほぼ同じ大きさ。台北が博多なら、台中が熊本、台南が鹿児島といったところだろうか。日本と同じような新幹線が台北と台南を結んでいるので西側の移動は快適だった。
成功大学は実に立派なキャンパスで、校内には大きな公園もあった。そこには昭和天皇が植えられたあの有名な大きな樹が市民の憩いの場になっていた。台湾では、2000年にLWの法的担保がなされた。「安寧緩和医療条例」という法律。日本の映画「大病人」(故・伊丹十三監督)を趙可式という一人の看護師が国会議員全員に見せて回った結果、全会一致で可決されたという。その後、2002年、2013年と2度の法律改正が行われたが、現場の様子はどうなのか。成功大学病院の緩和ケア病棟で終日過したが、日本の緩和ケア病棟と大きな違いは無いがボランテイアの活動が活発な点が目についた。緩和ケア病棟で旅立たれた方の寄付や寄贈が盛んであった。ここに来た日本人は私が初めてだと言われた。
「看取り搬送」という文化
台湾は2012年に在宅死と病院死の割合が逆転した。日本が逆転したのが1976年で、韓国では2003年に逆転している。台湾はアジア諸国の中で3番目に「病院の世紀」が到来したばかり。拙書が3冊ほど、韓国版、台湾版の翻訳本となり読まれているのは、「日本で起きることは韓国、台湾でも起きるので学んでおこう」ということらしい。とにかく日本に学ぼうという意識が強い。台湾のマスコミから取材を受けたが、「平穏死」への関心は日本のマスコミより高いと感じた。
元来、台湾では「病院では死なせない」という文化だったと聞いた。病院で死ぬと魂がそこに残るのでそれを嫌うのだという。死期が迫るとその直前に病院から家に連れて帰り、地域の長老らが中心となって自宅で看取るという。まさに「地域包括看取り」ないし「看取り搬送」ともいうべき文化なのだが、そんな台湾においてもさすがに「病院の世紀」の波が押し寄せて、一昨年病院死が在宅死を上回った。大病院とは最期の最期まで様々な延命治療が可能な場でもある。日本と同様に管だらけになり長期間入院している人が生まれる場。状況によっては、治療を中止したほうが本人のためではないかいう場合があるのだろうが、実際にはその見極めは難しい。しかし現代医学が直面するこうした状況に疑問を持った一人の看護師が、台湾の終末期医療を大きく動かしたのだ。
事前指示書を担保する「安寧緩和医療条例」
本人のLWに加えて家族などの代理人を定めた文書を「事前指示書」という。台湾の「安寧緩和医療条例」とはこの「事前指示書」を担保する法律だ。成功大学病院の緩和ケア病棟のカルテを開くとみな最初に「事前指示書」が挟まれていた。日本尊厳死協会のLWのように元気なうちに書かれた書類だけとは限らず、病院に入院してからでも書ける事前指示書もあることを今回知った。それぞれの書類には家族ないし本人が指定した代理人の署名欄もある。また心肺蘇生(CPR)に関する意思表示の文書、本人ないし家族が意思撤回するための文書もあった。驚いたのは本人の意思が不明な場合に、家族の意思だけで延命措置を取りやめるための文書まであったこと。つまり書式は1つではなく数種類あり、それぞれ3~4枚の複写式になっていた。1枚は台湾の厚労省へ、1枚は病院の倫理委員会へ、1枚は家族の控えで、原本はカルテに保管するという。2回の法律改定を経て様々な状況に対応すべく数種類の書式が用意されていることを知った。すべての国民がいつでも事前指示書を表明でき、気が変わったなら本人でも家族でもいつでも意思撤回もできるシステムが、すぐ隣の国でたしかに稼働していた。
世界のLWを見渡すと、家族や代理人を含むか含まないかで大別される。一方、包括的な指示か「胃ろうは希望せず」などの個別的な指示かというベクトルもある。安寧緩和医療条例は「家族を重視した包括的な事前指示書」に分類される。
遷延性意識障害で1ケ月以上意識が回復せず、終末期と判定された患者さんの人工呼吸器を外す映像を見せて頂いた。元気な時に事前指示書を登録していたが、街中で突然倒れ心肺停止したため成功大学病院に救急搬送された。ICUの医師に回復の見込みが無く終末期と判定されたため緩和ケア病棟に移された。丁寧な家族面談が繰り返された。イザ、呼吸器を外す時には多くの家族に加えて僧侶やボランテイアも同席した。配偶者や子供たちが涙を流し祈りながら、順番に顔をなでていった。気管チューブを抜いた後には、一般にさまざまな展開が予想される。東宝映画「終の信託」では、気管チューブを抜いた途端、予想に反して患者さんが暴れ出すシーンが描かれていた。さまざまな可能性を想定しどのように対応するかまで予めに丁寧に説明され準備されていた。その患者さんは果たして20分後に心肺停止された。こうした「延命措置の中止による尊厳死」が2000年以降、すぐ隣の国で行われている現状を見て、驚いた。
日本の法制化議論との台湾の法制化後
日本では「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」が超党派の議員連盟や自民党のPTで繰り返し議論されてきたが、議論の進展を見ることなく今国会の上程も見送られた。議連が結成されて9年目になるが障害者団体、難病団体、日本医師会、法曹界、宗教界などほぼすべての関係諸団体の反対により完全に行き詰まっている。何度もこの議論の場に出席したが、正直、本質的な議論に至せない状況自体が大変不幸なことだと感じる。反対理由として「人の命は地球より重い」、「人の死を法律で決めてはいけない」、「障害者や難病患者さんがナチスドイツのように殺される」、「各医学会のガイドラインがあるので法律は不要」などの意見に集約されよう。「すべては解決済みなのでLWの法的担保は不要」というのが国会での議論の暫定的結論ということになろう。法案に「医師の免責」という文言があるためにメデイアも「誰のための法制化?」と批難してきた。もちろん患者さんのための議論なのだが。私は「尊厳死法制化」という言葉を死語にしよう、と何度も講演してきた。もし議連の名称が「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する議員連盟」に変われば、少しは議論が進むかもしれない。患者さんは延命措置を望む権利も望まない権利も有していて、その選択の自由は保障されるべきだと考える。
この連載でも指摘してきたように、医療否定本が多くの国民に支持されている背景には、大きな医療不信があるはず。「平穏死」に関する拙書が多くの市民に読まれる理由も、裏を返せば終末期医療への疑問ではないのか。しかし医療界はじめ、関係団体は「コトの本質」から目を背けているように思えてならない。たとえば「看取り」や「平穏死」の啓発など、法律以前の課題も多いと感じている。
日本の終末期医療の意思決定の半分以上は家族により行われているのが実態だ。ならば終末期議論は家族の扱いに充分配慮したものに方向転換すべきではないか。本人の想いと家族の想いがあまりにも食い違うのが臨床現場だ。ならば、家族の意思も充分に反映させた法律を制定し運用している隣国を少しは参考にしてはどうか。もっと深く知りたいので、お盆休みを利用して再び台湾を訪問する予定である。
成功大学病院・緩和ケア病棟を視察
このGWに台南市にある成功大学病院の緩和ケア病棟を訪問した。昨秋に台南の成功大学の趙可式教授が来日され、リビングウイル(以下LW)の法的担保に関して意見交換を行った。今回、そのご縁で、台湾の終末期医療事情を視察することになった。台湾には飛行機で2時間半と近い。九州とほぼ同じ大きさ。台北が博多なら、台中が熊本、台南が鹿児島といったところだろうか。日本と同じような新幹線が台北と台南を結んでいるので西側の移動は快適だった。
成功大学は実に立派なキャンパスで、校内には大きな公園もあった。そこには昭和天皇が植えられたあの有名な大きな樹が市民の憩いの場になっていた。台湾では、2000年にLWの法的担保がなされた。「安寧緩和医療条例」という法律。日本の映画「大病人」(故・伊丹十三監督)を趙可式という一人の看護師が国会議員全員に見せて回った結果、全会一致で可決されたという。その後、2002年、2013年と2度の法律改正が行われたが、現場の様子はどうなのか。成功大学病院の緩和ケア病棟で終日過したが、日本の緩和ケア病棟と大きな違いは無いがボランテイアの活動が活発な点が目についた。緩和ケア病棟で旅立たれた方の寄付や寄贈が盛んであった。ここに来た日本人は私が初めてだと言われた。
「看取り搬送」という文化
台湾は2012年に在宅死と病院死の割合が逆転した。日本が逆転したのが1976年で、韓国では2003年に逆転している。台湾はアジア諸国の中で3番目に「病院の世紀」が到来したばかり。拙書が3冊ほど、韓国版、台湾版の翻訳本となり読まれているのは、「日本で起きることは韓国、台湾でも起きるので学んでおこう」ということらしい。とにかく日本に学ぼうという意識が強い。台湾のマスコミから取材を受けたが、「平穏死」への関心は日本のマスコミより高いと感じた。
元来、台湾では「病院では死なせない」という文化だったと聞いた。病院で死ぬと魂がそこに残るのでそれを嫌うのだという。死期が迫るとその直前に病院から家に連れて帰り、地域の長老らが中心となって自宅で看取るという。まさに「地域包括看取り」ないし「看取り搬送」ともいうべき文化なのだが、そんな台湾においてもさすがに「病院の世紀」の波が押し寄せて、一昨年病院死が在宅死を上回った。大病院とは最期の最期まで様々な延命治療が可能な場でもある。日本と同様に管だらけになり長期間入院している人が生まれる場。状況によっては、治療を中止したほうが本人のためではないかいう場合があるのだろうが、実際にはその見極めは難しい。しかし現代医学が直面するこうした状況に疑問を持った一人の看護師が、台湾の終末期医療を大きく動かしたのだ。
事前指示書を担保する「安寧緩和医療条例」
本人のLWに加えて家族などの代理人を定めた文書を「事前指示書」という。台湾の「安寧緩和医療条例」とはこの「事前指示書」を担保する法律だ。成功大学病院の緩和ケア病棟のカルテを開くとみな最初に「事前指示書」が挟まれていた。日本尊厳死協会のLWのように元気なうちに書かれた書類だけとは限らず、病院に入院してからでも書ける事前指示書もあることを今回知った。それぞれの書類には家族ないし本人が指定した代理人の署名欄もある。また心肺蘇生(CPR)に関する意思表示の文書、本人ないし家族が意思撤回するための文書もあった。驚いたのは本人の意思が不明な場合に、家族の意思だけで延命措置を取りやめるための文書まであったこと。つまり書式は1つではなく数種類あり、それぞれ3~4枚の複写式になっていた。1枚は台湾の厚労省へ、1枚は病院の倫理委員会へ、1枚は家族の控えで、原本はカルテに保管するという。2回の法律改定を経て様々な状況に対応すべく数種類の書式が用意されていることを知った。すべての国民がいつでも事前指示書を表明でき、気が変わったなら本人でも家族でもいつでも意思撤回もできるシステムが、すぐ隣の国でたしかに稼働していた。
世界のLWを見渡すと、家族や代理人を含むか含まないかで大別される。一方、包括的な指示か「胃ろうは希望せず」などの個別的な指示かというベクトルもある。安寧緩和医療条例は「家族を重視した包括的な事前指示書」に分類される。
遷延性意識障害で1ケ月以上意識が回復せず、終末期と判定された患者さんの人工呼吸器を外す映像を見せて頂いた。元気な時に事前指示書を登録していたが、街中で突然倒れ心肺停止したため成功大学病院に救急搬送された。ICUの医師に回復の見込みが無く終末期と判定されたため緩和ケア病棟に移された。丁寧な家族面談が繰り返された。イザ、呼吸器を外す時には多くの家族に加えて僧侶やボランテイアも同席した。配偶者や子供たちが涙を流し祈りながら、順番に顔をなでていった。気管チューブを抜いた後には、一般にさまざまな展開が予想される。東宝映画「終の信託」では、気管チューブを抜いた途端、予想に反して患者さんが暴れ出すシーンが描かれていた。さまざまな可能性を想定しどのように対応するかまで予めに丁寧に説明され準備されていた。その患者さんは果たして20分後に心肺停止された。こうした「延命措置の中止による尊厳死」が2000年以降、すぐ隣の国で行われている現状を見て、驚いた。
日本の法制化議論との台湾の法制化後
日本では「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」が超党派の議員連盟や自民党のPTで繰り返し議論されてきたが、議論の進展を見ることなく今国会の上程も見送られた。議連が結成されて9年目になるが障害者団体、難病団体、日本医師会、法曹界、宗教界などほぼすべての関係諸団体の反対により完全に行き詰まっている。何度もこの議論の場に出席したが、正直、本質的な議論に至せない状況自体が大変不幸なことだと感じる。反対理由として「人の命は地球より重い」、「人の死を法律で決めてはいけない」、「障害者や難病患者さんがナチスドイツのように殺される」、「各医学会のガイドラインがあるので法律は不要」などの意見に集約されよう。「すべては解決済みなのでLWの法的担保は不要」というのが国会での議論の暫定的結論ということになろう。法案に「医師の免責」という文言があるためにメデイアも「誰のための法制化?」と批難してきた。もちろん患者さんのための議論なのだが。私は「尊厳死法制化」という言葉を死語にしよう、と何度も講演してきた。もし議連の名称が「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する議員連盟」に変われば、少しは議論が進むかもしれない。患者さんは延命措置を望む権利も望まない権利も有していて、その選択の自由は保障されるべきだと考える。
この連載でも指摘してきたように、医療否定本が多くの国民に支持されている背景には、大きな医療不信があるはず。「平穏死」に関する拙書が多くの市民に読まれる理由も、裏を返せば終末期医療への疑問ではないのか。しかし医療界はじめ、関係団体は「コトの本質」から目を背けているように思えてならない。たとえば「看取り」や「平穏死」の啓発など、法律以前の課題も多いと感じている。
日本の終末期医療の意思決定の半分以上は家族により行われているのが実態だ。ならば終末期議論は家族の扱いに充分配慮したものに方向転換すべきではないか。本人の想いと家族の想いがあまりにも食い違うのが臨床現場だ。ならば、家族の意思も充分に反映させた法律を制定し運用している隣国を少しは参考にしてはどうか。もっと深く知りたいので、お盆休みを利用して再び台湾を訪問する予定である。
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