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もしかして日本記録?
2014年08月11日(月)
私の症例は、私と同じ年の男性。
尼崎の武庫之荘にある休日夜間診療所で当直していた数年前の出来事。
「今日は暇だね」との医療界の禁句を看護師に言ってしまった5分後の事。
問診票に「胸が苦しい」と書いた患者のカルテが回ってきた。
歩いて診察室に入ってきて椅子に座った瞬間に絶命して心肺停止に。
慌てて支えて心肺蘇生開始。もちろん、気管内挿管と心臓マッサージ。
昔、麻酔科もやっていた自分としては、何年たってもこんなことは普通にできた。
救急隊を要請しながら、カウンターショックを繰り返したが全く反応は無かった。
急性心筋梗塞(それも下壁梗塞)から致死性の不整脈を起こして
心室細動(実質的に心肺停止)を起こしたことは、救急医なら誰でも推測できる。
心肺停止から約15分後に救急車が到着。
武庫之荘から兵庫医大病院まで、約20分位だった。
救急車の中でも心肺停止は持続。
もちろん心肺蘇生術(CPR)は必死で続けた。
心肺停止から約35~40分後に、兵庫医大の救急救命外来に到着。
そこには数人の救急医が待ち構えていて、彼らにバトンタッチした。
しかしそこで必死のCPRを、40分位続けるも心拍は一向に再開しない。
私は、そこでずっとそれを見ていた。
おそらく、40分~45分後だっただろう、心臓マッサージの手を止めると小さな波形が少し出て来た。
それでも少し手を離すとまた心停止するので。心拍再開とはとても言えない。
その時点でも、心拍再開する可能性は、1%くらいだと思いながら見ていた。
結局、60分くらいたった時に、なんとか心拍が再開したようだった。
しかし、1時間半1時間半近くは心肺停止していたので、植物か脳死コースだと思った。
そこで、連れてきていただいた救急車に乗って帰ることになった。
しかし乗りこむ前に、そこまでずっと着いて来た奥さんに言った。
「多分極めて厳しいでしょう。しかし万一、退院できたら必ず私のところに
御礼を言いにきて下さいね」と言って、名刺を渡しておいた。
御礼は冗談だが、その後の経過を必ず知りたかったのだ。
本当はずっとそこにいて事の顛末を見届けたかったのだが、そうもいかなかった。
そして再び救急車に乗せてもらい武庫荘の休日夜間診療所に戻り、朝まで当直業務を続けた。
救急隊員が差しだしてくれた冷たい缶コーヒーの味は今でも覚えている。
そして果たして、10日後のある日の13時頃に、
小さな菓子折を持った夫妻が当院の受付に挨拶に来られた。
その男性だった。
やはり、あの後、生き返ったのだ。
男性は、バツが悪そうにはにかんだ。
奥さんは、「あの後、心拍が再開して、そのままカテーテルをして生き返りました」と・・・
夜のうちに呼吸も再開して抜管もできたと。
よかった、よかった。
たしかに、御礼参りに来てくれたのだ。
このことは、何かの本に書いたことがある。
私は、、死んでいる人を後遺症なく生き返らせたのだから、まさに人を助けた。
あの世からこの世に、ちゃんと戻して差し上げたのだ。
もちろん兵庫医大の救命チームが、30分でCPRを諦めなかったことも勝因である。
30分の時点で、再開しないので諦めかけたのだが、私は横から「もっと」と言った記憶がある。
そして何より最初の35~40分間の私のCPRが良かったことも大きな勝因だと思う。
個人的には、気管内挿管と心臓マッサージが上手かったからかなと、後から思った。
おそらく心肺停止時間は、90分以上で、後遺症は無い。
少なくとも80分ではない。
だから僕って、日本記録なのだろう。
私は、同年代の人の命を救ったのに、御礼がたった1000円の饅頭だったことが印象に残った。
せっかく必死で助けても、患者さんはそのようなものだ。
中には、死後の世界からこの世に戻したのに、御礼さえ言わないで去った患者さんもいた。
いつも笑い話として使わせて頂いているが朝日の記事を見るとどうやら珍しいケースのようだ。
そして、もしかして日本記録ではないか。
明日、昔のメモを見なおしてみようと思うが、なにせ数年前の出来事だから。
記録などどうでもいいのだが。
しかし日本記録がかかっていると言うのなら、明日にでも記録を辿ってみようかな。
しかし忙しくてもうそんな余裕もないかも。
でも忘れないようにここに、記録は私だと書いておこう。
そんなに珍しいことだったのなら、
その人と奥さんともう一度逢いたいな。
平穏死ばかりだと世間さまからは攻撃されているが、こうしてちゃんと人を助けてきた。
記録などどうでもいいが、人を助けてきたという事実だけはここに書いておきたい。
助ける時は助ける。
待った方がいい時は、待てる。
尼崎の武庫之荘にある休日夜間診療所で当直していた数年前の出来事。
「今日は暇だね」との医療界の禁句を看護師に言ってしまった5分後の事。
問診票に「胸が苦しい」と書いた患者のカルテが回ってきた。
歩いて診察室に入ってきて椅子に座った瞬間に絶命して心肺停止に。
慌てて支えて心肺蘇生開始。もちろん、気管内挿管と心臓マッサージ。
昔、麻酔科もやっていた自分としては、何年たってもこんなことは普通にできた。
救急隊を要請しながら、カウンターショックを繰り返したが全く反応は無かった。
急性心筋梗塞(それも下壁梗塞)から致死性の不整脈を起こして
心室細動(実質的に心肺停止)を起こしたことは、救急医なら誰でも推測できる。
心肺停止から約15分後に救急車が到着。
武庫之荘から兵庫医大病院まで、約20分位だった。
救急車の中でも心肺停止は持続。
もちろん心肺蘇生術(CPR)は必死で続けた。
心肺停止から約35~40分後に、兵庫医大の救急救命外来に到着。
そこには数人の救急医が待ち構えていて、彼らにバトンタッチした。
しかしそこで必死のCPRを、40分位続けるも心拍は一向に再開しない。
私は、そこでずっとそれを見ていた。
おそらく、40分~45分後だっただろう、心臓マッサージの手を止めると小さな波形が少し出て来た。
それでも少し手を離すとまた心停止するので。心拍再開とはとても言えない。
その時点でも、心拍再開する可能性は、1%くらいだと思いながら見ていた。
結局、60分くらいたった時に、なんとか心拍が再開したようだった。
しかし、1時間半1時間半近くは心肺停止していたので、植物か脳死コースだと思った。
そこで、連れてきていただいた救急車に乗って帰ることになった。
しかし乗りこむ前に、そこまでずっと着いて来た奥さんに言った。
「多分極めて厳しいでしょう。しかし万一、退院できたら必ず私のところに
御礼を言いにきて下さいね」と言って、名刺を渡しておいた。
御礼は冗談だが、その後の経過を必ず知りたかったのだ。
本当はずっとそこにいて事の顛末を見届けたかったのだが、そうもいかなかった。
そして再び救急車に乗せてもらい武庫荘の休日夜間診療所に戻り、朝まで当直業務を続けた。
救急隊員が差しだしてくれた冷たい缶コーヒーの味は今でも覚えている。
そして果たして、10日後のある日の13時頃に、
小さな菓子折を持った夫妻が当院の受付に挨拶に来られた。
その男性だった。
やはり、あの後、生き返ったのだ。
男性は、バツが悪そうにはにかんだ。
奥さんは、「あの後、心拍が再開して、そのままカテーテルをして生き返りました」と・・・
夜のうちに呼吸も再開して抜管もできたと。
よかった、よかった。
たしかに、御礼参りに来てくれたのだ。
このことは、何かの本に書いたことがある。
私は、、死んでいる人を後遺症なく生き返らせたのだから、まさに人を助けた。
あの世からこの世に、ちゃんと戻して差し上げたのだ。
もちろん兵庫医大の救命チームが、30分でCPRを諦めなかったことも勝因である。
30分の時点で、再開しないので諦めかけたのだが、私は横から「もっと」と言った記憶がある。
そして何より最初の35~40分間の私のCPRが良かったことも大きな勝因だと思う。
個人的には、気管内挿管と心臓マッサージが上手かったからかなと、後から思った。
おそらく心肺停止時間は、90分以上で、後遺症は無い。
少なくとも80分ではない。
だから僕って、日本記録なのだろう。
私は、同年代の人の命を救ったのに、御礼がたった1000円の饅頭だったことが印象に残った。
せっかく必死で助けても、患者さんはそのようなものだ。
中には、死後の世界からこの世に戻したのに、御礼さえ言わないで去った患者さんもいた。
いつも笑い話として使わせて頂いているが朝日の記事を見るとどうやら珍しいケースのようだ。
そして、もしかして日本記録ではないか。
明日、昔のメモを見なおしてみようと思うが、なにせ数年前の出来事だから。
記録などどうでもいいのだが。
しかし日本記録がかかっていると言うのなら、明日にでも記録を辿ってみようかな。
しかし忙しくてもうそんな余裕もないかも。
でも忘れないようにここに、記録は私だと書いておこう。
そんなに珍しいことだったのなら、
その人と奥さんともう一度逢いたいな。
平穏死ばかりだと世間さまからは攻撃されているが、こうしてちゃんと人を助けてきた。
記録などどうでもいいが、人を助けてきたという事実だけはここに書いておきたい。
助ける時は助ける。
待った方がいい時は、待てる。
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この記事へのコメント
なるほど、長尾先生は、復活の神様でもいらっしゃるのですね。
ERの、カウンター病院を、思い出しました。
Posted by にゃんにゃん at 2014年08月11日 03:03 | 返信
長尾和宏氏の守護神は、出雲大社(イズモタイシャ)である
Posted by ロモラオ at 2014年08月11日 07:01 | 返信
町医者冥利 116頁「幸運な患者さん」に書かれています ^^:
Posted by 薬剤師 井澤康夫 at 2014年08月12日 11:21 | 返信
ちょっと、申しあげにくいんですけど、長尾先生、冗談が下手です。
大学のお友達同士なら冗談も言えるけど、患者さんの家族は真面目ですから、冗談は通じたのかなあと心配です。
患者さんでも、冗談の通じる人と、通じない人といますね。
Posted by 大谷佳子 at 2014年08月13日 04:07 | 返信
私の父が、胸が苦しいと訴えたときは、救急車で、救急病院に行ったのですが、4月28日で休日だったので、医師が、一人もいない状態だったのに、一晩留め置かれました。
あくる日出勤してきた、若い医師が「大谷さん、またテニスしたいでしょう。これから森ノ宮の成人病センターへ行きましょう!」と言われて、またしても救急車に、乗せられて、森ノ宮まで行きました。
待ちかねていた心臓外科の医師に「これまで、何してたんだ!」と怒鳴られました。
直ぐにCCUで、バルーン療法と、TTPとかいう化学療法で、一命を助けて頂きました。
右室梗塞だったと言われました。
でも成人病センターは広すぎて、一体どの医師が執刀なさったのか、まるでわかりませんでした。
そういうこともあって、始めの救急病院に、お菓子に幾らか包んで、お礼を申し上げました。
その時の救急病院の医師は、その病院長のお嬢さんと結婚して、近くで開業していらっしゃるそうです。
父がタバコを吸っていたせいで、驚くような事ばかり見てしまいました。
父は、成人病センターの看護学生さんが、親切でかわいらしいと言って、喜んでいました。
Posted by 大谷佳子 at 2014年08月22日 03:06 | 返信
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