このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
施設と在宅、対比概念から脱却を
2015年07月20日(月)
医療政策の大御所、田中滋先生とは毎月のように御一緒させて頂いている。
田中先生は「施設か在宅か」ではなく、在宅最後は施設、在宅ときどき病院に
脱却すべきである、と述べられた。
田中先生は「施設か在宅か」ではなく、在宅最後は施設、在宅ときどき病院に
脱却すべきである、と述べられた。
田中先生は、地域包括ケアシステムの構築には
医師会の役割が大きいことも指摘している。
新発田でも医師会長がまず挨拶された。
東京医大の先輩だったので嬉しかった。
尼崎市医師会でも近く地域包括ケア委員会が発足する予定。
医師会が在宅医療を引っ張る時代がまもなくやってくる。
東京都医師会長(当時)の野中博先生のインタビューを聞いて欲しい。
https://youtu.be/3qdqPIu8JVw
「在宅と施設、対比概念から脱却を」- 田中慶大名誉教授
2015年07月17日
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/46245.html
社会保障審議会介護給付費分科会の分科会長などを務める慶大の田中滋名誉教授は17日、医療経済研究機構のセミナーで講演した。田中名誉教授は65歳以上の人口がピークを迎える2040年における社会条件などを予測した上で、特に中重度の要介護者を地域で支え続けるためには、「在宅か、施設か」という対比の概念でサービスを選ぶような考え方から脱却する必要があると指摘。どちらかを選ぶのではなく、「在宅ときどき施設」あるいは「在宅、最後は施設」といった概念を普及させる必要があると述べた。【ただ正芳】
田中名誉教授は、65歳以上の人口がピークに達するとされる40年の社会条件として、介護保険財政が逼迫し、給付対象となるサービスは減少すると予測。また、都道府県間や市町村間での格差や高齢者の経済格差なども、さらに拡大しているとの見通しを示した。
その上で、40年における地域包括ケアシステムの構築・普及に向け、「中重度要介護者」「虚弱高齢者、要支援者、軽度要介護者」「住まいと住まい方」などに関し、あるべき方向性などを提案した。
このうち、「中重度要介護者」については、在宅生活での限界点を引き上げ、急性期医療の機能を確保し続けるためにも、在宅サービスを使うか、それとも施設に入るかという「対比概念」から脱却する必要があると指摘。その上で、「在宅ときどき施設」「在宅、最後は施設」といった考え方を普及させる必要があるとした。
また、「虚弱高齢者、要支援者、軽度要介護者」については、日常生活の支え手は地域の住民とし、要介護度が悪化した場合や悪化を予防する場合にのみ、リハビリテーションなどの専門職がかかわれる体制を整えるべきと指摘。「住まいと住まい方」については、多世代が居住し、交流拠点としても活用できる、「生活支援と結び付きやすい集合住宅」が求められるとした。
■地域包括ケアの構築、「医師会の協力が大切」
セミナーではパネルディスカッション「地域包括ケアシステムの長期的ビジョン 2040年を見据えて」も行われ、辻哲夫氏(医療経済研究機構副所長)や麻生利正氏(とちぎメディカルセンター理事長)、長瀬慈村氏(柏市医師会副会長)、本田宜久氏(頴田病院院長)ら各地で地域包括ケアシステムの構築に尽力する関係者が参加し、その状況や課題などについて話し合った。パネリストからは、地域包括ケアシステムを構築する上では、各地域の医師会の協力を得ることが大切とする意見が続出。また、多職種間の関係を構築・維持する上では、情報共有システムを構築するだけでなく、お互いの顔が見える交流の場を定期的に設けることが重要とする声も上がった。パネリストの座長を務めた田中名誉教授は、地域包括ケアシステムという名前が長過ぎることも、その構築や普及にブレーキをかけている一因とする見方を示した上で、自らが関与する研究会などで愛称を募集する考えを表明した。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
温厚な田中先生が、さらに歯切れがいい発言をされている。
とってもええ感じ。
「介護はお世話じゃない。自助の力を失ってしまう」
田中慶応大名誉教授
2105/7/20
http://www.joint-kaigo.com/social/pg1409.html
慶応大学の田中滋名誉教授が17日、2040年を視野に入れた地域包括ケアの長期ビジョンをテーマにしたセミナーで講演した。
このなかで田中名誉教授は、75歳以上の人口がピークとなり支援が必要な高齢者が増える2025年以降を見据え、「給付の対象をかなり厳格にせざるを得ないだろう」と予測。重度者は保険を通じて支えるのが当然だとする一方で、「カタストロフィックでない状態の場合、自助や互助の仕組みをベースにしていかざるを得ないのではないか」との見通しを示した。また、相対的に状態の軽い人へのサービスで機能訓練やリハビリを促さず、単にお世話をするだけになっているものは変えるべきだと語った。
田中名誉教授は、介護報酬を議論する審議会(社会保障審議会・介護給付費分科会)の会長。このほか、厚生労働省が運営する会議で重要な役割を数多く担っており、介護の改革に最も影響力がある学者のひとりだ。
「全ての生活ニーズを保険でカバーするのは当然無理」
田中名誉教授は講演で、国立社会保障・人口問題研究所が公表しているデータなどを用い、日本の高齢化の長期的な動向を紹介。「2025年から2040年までの高齢化の第一次のピークをどう乗り切るか。今はそのことに地域包括ケアのコンセプトが変わりつつある」と説明した。
状態の軽い人へのサービスについては、「目的はリハビリなどによる能力の維持・向上であってお世話じゃない。予防も可能な自立しうる人なのに、お年寄りで弱っているからお世話をしてあげるという発想で接していると、自助の力を失ってしまう」と問題を提起。「2040年までの超高齢期では、全ての高齢者のお世話ニーズ・生活ニーズを保険料や税でカバーするのは当然無理」と述べた。そのうえで、地域の力で多くの高齢者を支えていけるようにするため、余力のある人ができる範囲で何らかの協力をしていくことや、それぞれがセルフケアの意識を高めることなどが大事だと説いた。
「地方への移住は正しい方向ではない」
今後の介護職の役割については、「疾病管理がますます重要になる」と指摘。「中・重度の人は介護と医療が同時に提供される。いったん介護の世界に来ても、また同じ病気で医療機関に戻る、繰り返すケースが多い。看護師などの指示を踏まえ、これをある程度予防・予測できること、それが優れた介護事業者に一層求められる」と話した。
このほか、特に中・重度の要介護者を支えるサービスのあり方について論じるなかで、「在宅ときどき施設」「在宅、最後は施設」といった考え方を提唱。「在宅と施設は対比概念ではなく互換的なもの。一連の流れのなかで必要に応じて行ったり来たりしながら使っていき、トータルで在宅の限界点を引き上げる仕組みに持っていくべき」と持論を展開した。また、「施設が足りないから東京圏の高齢者を地方に移住させるという発想は、施設と在宅は違うという捉え方から来ている。単に物理的な問題解決であって、人間の尊厳とか社会のあり方からしたら正しい方向ではない」とも述べた。
医師会の役割が大きいことも指摘している。
新発田でも医師会長がまず挨拶された。
東京医大の先輩だったので嬉しかった。
尼崎市医師会でも近く地域包括ケア委員会が発足する予定。
医師会が在宅医療を引っ張る時代がまもなくやってくる。
東京都医師会長(当時)の野中博先生のインタビューを聞いて欲しい。
https://youtu.be/3qdqPIu8JVw
「在宅と施設、対比概念から脱却を」- 田中慶大名誉教授
2015年07月17日
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/46245.html
社会保障審議会介護給付費分科会の分科会長などを務める慶大の田中滋名誉教授は17日、医療経済研究機構のセミナーで講演した。田中名誉教授は65歳以上の人口がピークを迎える2040年における社会条件などを予測した上で、特に中重度の要介護者を地域で支え続けるためには、「在宅か、施設か」という対比の概念でサービスを選ぶような考え方から脱却する必要があると指摘。どちらかを選ぶのではなく、「在宅ときどき施設」あるいは「在宅、最後は施設」といった概念を普及させる必要があると述べた。【ただ正芳】
田中名誉教授は、65歳以上の人口がピークに達するとされる40年の社会条件として、介護保険財政が逼迫し、給付対象となるサービスは減少すると予測。また、都道府県間や市町村間での格差や高齢者の経済格差なども、さらに拡大しているとの見通しを示した。
その上で、40年における地域包括ケアシステムの構築・普及に向け、「中重度要介護者」「虚弱高齢者、要支援者、軽度要介護者」「住まいと住まい方」などに関し、あるべき方向性などを提案した。
このうち、「中重度要介護者」については、在宅生活での限界点を引き上げ、急性期医療の機能を確保し続けるためにも、在宅サービスを使うか、それとも施設に入るかという「対比概念」から脱却する必要があると指摘。その上で、「在宅ときどき施設」「在宅、最後は施設」といった考え方を普及させる必要があるとした。
また、「虚弱高齢者、要支援者、軽度要介護者」については、日常生活の支え手は地域の住民とし、要介護度が悪化した場合や悪化を予防する場合にのみ、リハビリテーションなどの専門職がかかわれる体制を整えるべきと指摘。「住まいと住まい方」については、多世代が居住し、交流拠点としても活用できる、「生活支援と結び付きやすい集合住宅」が求められるとした。
■地域包括ケアの構築、「医師会の協力が大切」
セミナーではパネルディスカッション「地域包括ケアシステムの長期的ビジョン 2040年を見据えて」も行われ、辻哲夫氏(医療経済研究機構副所長)や麻生利正氏(とちぎメディカルセンター理事長)、長瀬慈村氏(柏市医師会副会長)、本田宜久氏(頴田病院院長)ら各地で地域包括ケアシステムの構築に尽力する関係者が参加し、その状況や課題などについて話し合った。パネリストからは、地域包括ケアシステムを構築する上では、各地域の医師会の協力を得ることが大切とする意見が続出。また、多職種間の関係を構築・維持する上では、情報共有システムを構築するだけでなく、お互いの顔が見える交流の場を定期的に設けることが重要とする声も上がった。パネリストの座長を務めた田中名誉教授は、地域包括ケアシステムという名前が長過ぎることも、その構築や普及にブレーキをかけている一因とする見方を示した上で、自らが関与する研究会などで愛称を募集する考えを表明した。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
温厚な田中先生が、さらに歯切れがいい発言をされている。
とってもええ感じ。
「介護はお世話じゃない。自助の力を失ってしまう」
田中慶応大名誉教授
2105/7/20
http://www.joint-kaigo.com/social/pg1409.html
慶応大学の田中滋名誉教授が17日、2040年を視野に入れた地域包括ケアの長期ビジョンをテーマにしたセミナーで講演した。
このなかで田中名誉教授は、75歳以上の人口がピークとなり支援が必要な高齢者が増える2025年以降を見据え、「給付の対象をかなり厳格にせざるを得ないだろう」と予測。重度者は保険を通じて支えるのが当然だとする一方で、「カタストロフィックでない状態の場合、自助や互助の仕組みをベースにしていかざるを得ないのではないか」との見通しを示した。また、相対的に状態の軽い人へのサービスで機能訓練やリハビリを促さず、単にお世話をするだけになっているものは変えるべきだと語った。
田中名誉教授は、介護報酬を議論する審議会(社会保障審議会・介護給付費分科会)の会長。このほか、厚生労働省が運営する会議で重要な役割を数多く担っており、介護の改革に最も影響力がある学者のひとりだ。
「全ての生活ニーズを保険でカバーするのは当然無理」
田中名誉教授は講演で、国立社会保障・人口問題研究所が公表しているデータなどを用い、日本の高齢化の長期的な動向を紹介。「2025年から2040年までの高齢化の第一次のピークをどう乗り切るか。今はそのことに地域包括ケアのコンセプトが変わりつつある」と説明した。
状態の軽い人へのサービスについては、「目的はリハビリなどによる能力の維持・向上であってお世話じゃない。予防も可能な自立しうる人なのに、お年寄りで弱っているからお世話をしてあげるという発想で接していると、自助の力を失ってしまう」と問題を提起。「2040年までの超高齢期では、全ての高齢者のお世話ニーズ・生活ニーズを保険料や税でカバーするのは当然無理」と述べた。そのうえで、地域の力で多くの高齢者を支えていけるようにするため、余力のある人ができる範囲で何らかの協力をしていくことや、それぞれがセルフケアの意識を高めることなどが大事だと説いた。
「地方への移住は正しい方向ではない」
今後の介護職の役割については、「疾病管理がますます重要になる」と指摘。「中・重度の人は介護と医療が同時に提供される。いったん介護の世界に来ても、また同じ病気で医療機関に戻る、繰り返すケースが多い。看護師などの指示を踏まえ、これをある程度予防・予測できること、それが優れた介護事業者に一層求められる」と話した。
このほか、特に中・重度の要介護者を支えるサービスのあり方について論じるなかで、「在宅ときどき施設」「在宅、最後は施設」といった考え方を提唱。「在宅と施設は対比概念ではなく互換的なもの。一連の流れのなかで必要に応じて行ったり来たりしながら使っていき、トータルで在宅の限界点を引き上げる仕組みに持っていくべき」と持論を展開した。また、「施設が足りないから東京圏の高齢者を地方に移住させるという発想は、施設と在宅は違うという捉え方から来ている。単に物理的な問題解決であって、人間の尊厳とか社会のあり方からしたら正しい方向ではない」とも述べた。
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
この記事へのコメント
できるかどうかわかりませんが、できたら、長尾クリニックの女性癌患者さんみたいに、頭のはっきりしているうちに、自分の思うところに、例えば国連高等弁務官事務所を通じて難民キャンプとかに、持っているわずかばかりのお金を寄付してしまって、自分の最後は、財産が無いわけですから、サ高住か、高専賃か、救急病院で、あまり周りに迷惑を掛けないように、死ねたらいいなあと思っては、いるのですけど...。
あの女性癌患者さんは子供や孫が沢山いましたけどね。
N市の市立特養では、居酒屋に勤めていた女性が、民謡や、農業魚業に携わった時の、労働歌と言うか仕事歌を、アカペラで歌ってくれました。
ワーカーさんは、走る介護でしたけど、ああいう歌を聞いて死ぬのもいいなあと(笑)。
Posted by 大谷佳子 at 2015年07月20日 01:52 | 返信
檀家制度も廃れ気味に、厳しくなってきましたが、お寺さんと懇意にしておく事はいい時代だと思います。宗派によって異なりはしても、大抵のお寺さんは『講話』とかの月次行事をお持ちかと思います。
お葬式に慣れるというのも妙な表現かも知れませんが、お経は気持ちが落ち着くものと
心得ています。20年程昔ですが、祖母は在宅で立派な大往生を遂げました。平穏死という言葉は
なかった?知らなかった時代に”病院にかかる” とか "入院する"という言葉は祖母の辞書にはない、
当たり前の信念でした。体調の不調を自覚し、死期を自身で悟り、床に臥せました。父が訪問診療を
手配し、一週間でしたか、それ以上か、臥せっていましたが、医師の診断で峠を宣告された昼間に、
聞きつけてか、(祖母が可愛がっていた、お世話をしていた)和尚人が来て下さって枕経をあげて
下さいました。読んで字のとうり、意識が遠のくような状態の祖母の枕元で、本来の正しい『枕経』です。いつもと変わらない優しい声で「おばあちゃん、枕経を読んであげるからね。」と声掛けして、
おばあちゃんは頷いたように見えました。
Posted by もも at 2015年07月21日 12:04 | 返信
コメントする
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL: