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東京講演、ありがとうございました!

2016年02月09日(火)

3週連続の東京公演が無事終了してホッとしている。
昨日は、有料講演だったのに大入り満員で入れなかった人が
たくさんおられたとのことですが、申し訳ありませんでした。
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若くて元気な、白土綾佳先生とのダブル講演には
200人もの人に来て、3時間近く熱心に聴いて頂いた。

「抗認知症薬の適量処方を実現する会」に多くの人が入会して、
少しでも患者さんのための認知症医療になるよう努力したい。

抗認知症薬の不都合な真実は大手メデイアは聴きにきても
スポンサーに製薬会社がついているので絶対に報じない。

NHKは、真反対の報道を繰り返しているので絶対に報じられない。
ちゃんと報じてくれるのは、たとえば東京スポーツさんとかになる。→こちら


講演前、雑誌取材を終えて、東京駅前を歩いていると
ある人に声をかけられた。

「長尾先生ですか。 毎日、ブログ読んでいます!」

なんと福島県から新幹線に乗って聞きに来られたとのこと。
「ほんとうに御苦労さまです」、と御礼を申し上げた。

そんな人がいると思わず講演にいつもより熱が入る。
素人のくせに、一生懸命に伝えようと、力んでしまう。

東京で認知症について2時間半も話す機会はあまりない。
昨日は貴重な機会を頂き、言いたいことの8割は言えた。

がんの話をしたり、在宅医療の話をしたり、
認知症の話をしたり、毎回、テーマが違うので楽しい。

お医者さんや看護師さんも結構いて、ビックリした。
しかし誰が聞いてもいいような話をしたつもり。

集中という正義感溢れる月刊誌は、3月連続でこの問題を報じているが、
2月号では、同時にコウノメソッド実践医への疑問も提起している。→こちら



果たしてみなさんに満足いただけたかちと不安だが、
3週連続の東京公演が終了して少しホッとしている。

東京に続いて、来月には、大阪でも認知症の講演会がある。
3月5日(土)の梅田紀伊国屋さんでの、出版記念講演会だ。→こちら

丸尾多重子さんとの漫才になるだろう。
関西の人は、よろしければ来てください。

共著「親の老いを受け入れる」は、ジワジワ売れているそうだ。

今朝の新聞にも広告が載っていた。→こちら
なんとレビー小体型認知症の樋口直美さんの本とご一緒していた。


そうそう、その前に2月18日(木)に西宮でも講演している。→こちら
これもよろしければ。(たしか無料)


毎日、講演依頼を受けられない状態が続いていて、ホント申し訳ない。
百数十件の講演をお断りしてしたが、受けていたら死んでいただろう。

今、やっているのは1年前に受けたもの。
これから依頼を受けられるとしても、1年先になる。


PS)


明後日から、タイのコンケンという田舎に行く。
タイの認知症の人と交流することになった。

帰りの途中、バンコクで講演もすることになった。
いったいどんな顔してどんな格好で行けばいいのか。

考える間も無く、時間は過ぎていく。
週の後半は、数日間、ブログが更新できないかもしれない。



インフルエンザが猛威をふるっている。
私はアホなので、風邪やインフルにかからない。

予防接種すらしていないが、マスクもせず無防備だ。
20年も町医者をしていると、自然免疫なのか、インフルにかからなくなるのだ。













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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

「高齢者は適当な時に死ぬべきなのか?」という記事を読みました。
面白かったです。

http://diamond.jp/articles/-/85943 
を、検索エンジンにコピペすると無料で読めます。以下、抜粋です。

産経新聞のコラムでは、曽野氏が「90代の高齢者がドクターヘリを要請した」という話を引き合いに出し、「何が何でも生きようとする利己的な年寄りが増えた」と指摘。それを受けて週刊ポストが付けた記事タイトルは、「高齢者は“適当な時に死ぬ義務”を忘れてしまっていませんか?」というものだ。-----
「人は平等に命を救うべき」それは絶対的な正義なのか?
曽野氏へ反論する人たちの論拠だ。おそらくその反論の背景には、「高齢者だろうが何だろうが、人は平等に命を救うべき」という思想があると思う。「それが絶対的な正義である」と疑ってかかったことがない、という印象だ。-----
曽野氏が引き合いに出したドクターヘリを要請した90代の高齢者にしても、ヘリを要請したのが一体誰だったのかは報道からは判別できない。当人は脳血栓や心臓麻痺で意識を失っていて、家族が要請したことも考えられるわけで、むしろ常識的に考えてその可能性のほうが高いだろう。もしそうであれば、ドクターヘリで搬送されたことが当人にとって本当にラッキーだったかどうかは、当人にしかわからないことだ。-----

この筆者によると、
---欧米ではいわゆる「寝たきり老人」がいない。それは生きる力をなくした老人は「殺してしまう」からだ。たとえば、イギリス、デンマークなどでは自力で食事ができなくなった高齢者に対し、延命のための胃ろうは施さない。スウェーデンも同様。また、肺炎を起こしても抗生剤の注射はしないという。ニュージーランドでは、ある年齢(たしか75歳だったと記憶している)を越えると病気になっても治療しないそうだ。つまり、「人間は死ぬべき時に死ぬべき」という考え方だ。---

日本では重要な介護作業である「食事介助」って、欧米ではやらないのでしょうか?
自力でスプーンを持って口へ運ぶ能力が無いけれど、口に入れてあげれば少しは食べることができる老人に、お粥やプリンを食べさせることも、しないのでしょうか?
介護職員にとって、食事介助って、たいへんな作業らしいです。一つ間違えば飲み込み損なって咳き込むので、そうすると介助が下手だからって言われるわけで。
どうなんでしょうね。
自力で食べれなくなった人に介護人がつきっきりで食べさせるのが大仕事だから、経管栄養のほうが介護が楽だから、経管栄養が普及したっていう理由もあるんですよね。

Posted by 親は自分の老いを受け入れているのかな? at 2016年02月09日 07:32 | 返信

ケアマネジャーの存在意義そのものが問われて久しい中、「『介護』ではなく『快互』が大切です。」という先生のメッセージをしっかり受け止めたいものです。
私も「認知症」でなく、呆けはボケで通しています。もちろんそう呼ばせていただく相手は、了解してくださっています。
医者でもないのに、勝手にニンチ、ニンチと「診断」してしまう輩は許せません。

Posted by 平穏CM at 2016年02月09日 10:46 | 返信

曽野さんだって、年をとればドクターヘリを呼ぶんじゃないでしょうか?
隣の奥さんが私に「お父さんの具合が悪いからって、なんども救急車を呼ばないでよ!救急車の音を鳴らさずに呼ぶ方法だってあるのよ!」と叱りつけました。
私は「お医者さんが救急車を呼んで入院してくださいと言ったのです。救急車が音を出さずに走る事は無理だと消防署が言っていました」と反論しました。
それから数年して、ある夜に救急車が音を立てて、家の前に止まりました。
隣の奥さんが救急車を呼んだらしくて、ご主人がばつの悪そうな顔をして歩いて救急車に乗っていました。
そのご主人は、あくる日、元気に歩いていましたけど、近所の人にみられないように、道の端を小さくなって歩いていました(笑)。

Posted by 匿名 at 2016年02月10日 03:12 | 返信

コウノメソッド実践医?自称すれば誰でもなれる(苦笑)そんな簡単な資格って他にあるのでしょうか?
この記事通りであれば、東京のコウノメソッド実践医登録してる開業医って全部詐欺でしょ。
これじゃあ「コウノメソッド=詐欺」って事になりかねない。東京に住んでる人は信用できないので、J大学とかに大病院信仰で詣でるしかないですかね。
東京に限らず、内科の開業医のほとんどが認知症を診たがらないですね。ある地域では自分のかかりつけ患者が認知症になったら、すぐに認知症専門を謳う精神病院に紹介するし、家族もいざとなったら入院させてくれる精神病院への紹介を強く望む。残念ながらそれが現実ですね。

Posted by マッドネス at 2016年02月10日 08:36 | 返信

 ドクターヘリ問題は、もし、家族がドクターヘリを要請せずに自然に死なせてあげたいと思ったらどの様にすれば良いのでしょうか? 日本においては食べれない人に物を食べさせずに死亡させた場合は保護責任者遺棄致死罪になり家族が逮捕されると思いますし、倒れているのに救急要請しなければ同じように逮捕されてしまう可能性もあると思うのですが。。。私は高齢になって治療するのは不幸なことだと思うので、出来れば親が倒れてもそのまま自然に逝かせてあげたいのですが、そこらへんの法律問題がとても気になります。平穏死が認められるのは癌だけでは無いでしょうか?

Posted by みるく at 2016年02月11日 02:32 | 返信

はじめまして。隣に一人で住んでいる父がアルツハイマー型認知症、独居の義母は昨夏にがんが見つかり入院して抗がん剤治療中で、いろいろ調べているうちに、先生の事を知り、著書をいろいろ拝見させていただいています(神奈川県在住の中年の男です。)。先生のお話をどうしても聞きたく久しぶりに東京に行きました。「認知症でも最期の日まで在宅で生活できる」という言葉には、勇気をいただきました。内容はもちろんですが、ハートのこもった素晴らしい講演でした。行った甲斐がありました。ありがとうございます。

Posted by YOSEYUKI at 2016年02月11日 11:03 | 返信

ミルクさま
食べたくない人、食べることを拒む人に、むりやり口をこじ開け、スプーンで流し込もうとするのは、虐待そのもの、犯罪そのものですね。
「倒れて息なき人」を家族が発見した場合、かかりつけ医に来ていだいて、「死亡診断書」を書いていいただきます。 
なかに、バカな医師は、救急を指示したり、警察に検視を依頼したりするので、用心しましょう。
医師の診断書と、検視官の検案をもらって、右往左往してしまいます。

一人称の死、個人的には、穀断ち水断ち入りして7日を経過した場合、ドアの外にあらかじめ用意した紙を出しておくつもりです。7日以前に意識混濁し、ドアまで這うこともできない場合は、いたしかたありません。
養老孟司さんいうごとく、「自分の死は分かりっこないんだから、まえもって、あれこれ考える必要はない」、でいきたいものです。
「終活」などに、時間や神経を費やすのは、もったいないことです。
個人差はあるでしょうが、4日も経過するば、心身ともに、みごとに甦ります。

小保方晴子さんが、生きていたそうですね。
笹川さんが「いじめ死」に追い込まれ、「死ね、オボカタ!」というバッシングの嵐の中、よくぞごぶじで、と言いたいです。
やっと、手に入った本を読みはじめたところです。
思えば、転校したての小3の時、連日山中に連れ込まれ、クラス男子生徒全員によるチェーン制裁を受けた日々をへて、級友4人で「●●団」なるものを秘かにつくって不服従で逃亡したことがありますが。
しかしながら、小保方さんへのバッシングは、マスメディアから学会、メディア、ネット、まさに1億総がかり。よくぞ、これらの拷問に耐えてこられたものです。
すくなくとも、日本学術会議、日本生物学会、NHKスタップ報道部は、「科学的」な詳細な論陣を張ってほしい。
「哀悼」の一言も発せず、笹井さんを死に追い込んだ冷酷卑劣な面々は、顔をあげて、一つ一つ反撃出してほしい。
先に国際特許を得た「Muse細胞」の先進研究者の方々のご意見が、そろそろあってもいいのでは。期待しています。

Posted by 鍵山いさお at 2016年02月15日 03:35 | 返信

 コメントにお返事ありがとうございます。
 見つけたときに息絶えていれば問題ないのですが、息があるうちに発見した場合、やはりお医者さんに診せないとダメだということになっていると思います。

 ターミナルとお医者さんから宣告されていたり、24時間以内に診察を受けていた場合は亡くなっても事件性は無いと判断されると思いますが、普段全く病院にかかって無い人が突然倒れてしまったときには受診は必須だと思います。それが救急で診てもらわないと死んでしまうと予測される場合、救急対応をお願いするしかないのかな?とそこが疑問なんですよね。

 たしか去年83歳の父親が倒れて2日間病院を受診せずに様子を見ていたら亡くなってしまい、息子さんが保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された。その様な事件がありましたね。

 高齢で治療を望まなくても倒れた時にはとりあえず病院を受診して治療を本人が拒否していることを証明し治療せずに帰ってくるしかないのでしょうね。じゃあ何で病院に来たんだ!と言われそうですが。子供が逮捕されないためには必要な手続きなのでしょう。

みるくから鍵山いさおへの返信 at 2016年02月15日 11:38 | 返信

私の母が、「葬式代に」とわずかばかりの死亡保険に、入ってくれていたので、おかげで保険会社から、根掘り葉掘り、聞きただされました。
「在宅医が週一回点滴にきてくれたこと」
「その在宅医が、学会の参加する為に2泊3日東京に出張していた時に、母が発作を起こしたこと」
「その在宅医の指示で消防署に電話して救急隊と救急救命士が来て、救急病院で心配停止と診断され救急病院のA医師によってCTスキャンでの診断で心タンポナーデ、動脈解離との死亡診断書が出ている」と申しましてやっと「何らかの疑い」が取り除かれたようです。
生命保険会社は、数多くの平穏死と異常死の取り扱いになれていますから、直ぐ理解してくれたようです。
私の様に、何年も家族介護をしたものほど「介護疲れからの虐待死」が疑われるようです。
失礼ですが、鍵山様は、お医者様ですか?それとも家族介護をなさったことが、おありなのでしょうか?

Posted by 大谷佳子 at 2016年02月15日 11:57 | 返信

みるく様
おっしゃられるとおり、「保護責任」という観点からみると、さまざまに、複雑な問題がありますね。
「認知症」家族への損害賠償をめぐる最高裁判決も、注目されています。
「一人称の死」の立場からも、よく考えておかないと、周囲の人を罪人に落としかねないですね。
みるくさんのご指摘をふまえて、根底から再考したいと思います。ありがとうございました。

大谷さま
お母さまご逝去のお話しに接し、どのようなコメントをさしあげられるだろうかと思いながら、今日までことばを紡ぎ出すことがかないませんでした。
かかりつけ医においでいただけない場合、大谷さまのとられた方法は、大いに参考になります。
1分1秒をあらそう救急救命が、最優先です。
今から半世紀以上もまえですが、80代の養母が寝たきりになり、仕事も学校も休みにして、最期までそばに居続けました。
後年、深夜、家に寄ったところ、養父が冷たくなっていました。
前夜薬剤を処方していただいた、かかりつけ医に来てもらったあと、警察の方々が来られました。
医師ではありませんし、病院嫌いでもあります。義父に、「ひとり死がどんなものか、覚悟しておけ」、と言われたようで、今日にいたっています。
それだけに、長尾先生の「死亡診断書」をめぐる問題提起に、大いに関心をいだいてまいりました。

Posted by 鍵山いさお at 2016年02月16日 03:52 | 返信

かかりつけ医に来て貰ったら、警察が来たのですか。
それなら、消防署に電話して、救急車が来た方がマシなんじゃない?
とにかく、母の頸動脈は触れる事ができませんでしたから、消防署に電話して救急隊に「死亡確認」をしてもらうか、救急病院で医師に「死亡確認」をしてもらうしかないと思いました。
他人が母が死んでいる状態を見つけたら、私が殺したと疑われるかもしれない。
家族の在宅介護は、そういう危険も承知でしなければいけないと思います。
結婚でもそうでしょう?片方が死んでいるのを片方が第一発見者になる可能性は高いわけです。
それを承知で同居するのが夫婦だと思います。
鍵山さまも、お母様も看取って、お父様も第一発見者になってしまって、義理のご両親とはいえ、本当の子供より、親子の仲が良かったのですね。

Posted by 大谷佳子 at 2016年02月17日 11:44 | 返信

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