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日本緩和医療学会に来ています

2018年06月15日(金)

私は日本緩和医療学会の末端会員であるが 今週末、
神戸で開催されている日本緩和医療学会に参加した。
全国の知り合い達に会えて、とっても楽しかった。
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ニッポンの緩和医療界の若きリーダーである
森田達也先生による「鎮静」の講演を拝聴した。
 
最近の世界の論文の解析してくれた。
・WHOの疼痛ラダーは日本は第2段階でいい
・ノバミンは必ず飲ませるべきか?
・終末期せん妄管理は何を目標にすべきか (PPG)?
・最期は話せるほうがいいのか、眠っているほうがいいのか?などなど
 
 
そもそも、「鎮静」という言葉は
1990年  Vintafridda Vさんが言い始めた。
ミラノで在宅ケアを行い、5割の患者さんに睡眠薬を飲ませた。
「苦痛を無くすことはできるが、意識が下がることもある」と。
 
2000年代は、緩和的鎮静
2010年代は、早期からの鎮静、の時代となった。
 
安楽死で有名なオランダは、実は「鎮静」を国家が管理している。
医師の2割は生命短縮も意図して使い実際に4割が短縮してたと。
 
フランは、1999年に「緩和ケア法」を制定。
2014年には「持続鎮静法」した国だ。

患者さんが希望すれば最期まで鎮静してもいい。
死に向けた鎮静はslow eathanesiaとも呼ばれる。
 
鎮静には
 ・段階的鎮静、と
・急速鎮静、があり、両者が混じる場合もある
 
日本では医学的な鎮静と社会的な鎮静に分けて考えた方がいい。
苦痛をどうマネジメントすべきかが大切。

難治性疼痛に対する専門的施設への集約化が必要
 そして、「家族同意問題」が大きな課題である。

日本緩和医療学会のの鎮静ガイドラインも
家族の同意も得るべき(2005年)から
こちら「望ましい」(2018年)に変化。
 
家族とはなにか?が課題。
日本は家族中心的な世界。

ところで、こんな感想が浮かんだ。
 
・人の死に医療がどこかで薬剤介入すべきか
・医学の力で終末期の苦痛を緩和するべきか
 ・緩和医療という美名のもとでの医者の自己満足もあるのでは?

そして
 緩和医療学会も薬漬け?

というのも、どの会場行っても薬の話ばかり。
事実、薬以外の話にはスポンサーがつかない。

 
循環器専門医=降圧剤の専門家
糖尿病専門医=血糖降下剤野専門家
がん専門医=抗がん剤の専門家
認知症専門医=抗認知症薬の専門家
緩和医療専門医=緩和的鎮静の専門家?と感じた。

以下、毎週金曜日の21時発行の「まぐまぐ ドクター長尾の痛くない死に方」の
本日版の一部を宣伝用にコピペする。もし興味のある人は登録をしてね。→こちら

これが始まって、ちょうど1年になる。
もし興味のある人はこの機会に登録を!

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長尾和宏の「痛くない死に方」
******第55号*******
━━━≒≒━━━━━━━━━━━━━━━━━≒━━≒━━≒━━━━━━━━━
 
/ 2018年6月15日発行 /VOL.55
 
こんばんは。長尾和宏です。
今日は神戸で行われている日本緩和医療学術大会に来ています。
全国から、すごい人数が参加者している。
 
やはり、「緩和医療」の時代なのだろう。
それにしては、まだまだ緩和医療の本質を理解できていない人も多いような気がする
が。
 
ちょうど今日(東京では昨日らしい)、読売新聞に、私の本を出している出版社が広
告を出した。
「長尾先生のロングセラーをまとめて
新聞広告を出しますが、何かご希望はありますか?」と訊かれたので、
「本そのものよりも、メッセージ性の伝わる広告にしてくれないかな」
とお願いをした。
 
日々、在宅の現場で感じていることの問題提起をしたかった。
だからちょっと変な広告になった。見てくれた方も多いという。
一番大きな見出しで、
「君たちは、どう生きるか?」 じゃなくて、
「君たちは、どう死ぬるか?」 とパロッた。
不謹慎な気持など毛頭ない。どう生きるかを考えるならば、
どう死ぬるかを考えることおセットであろう、というストレートな想いだ。
 
 <なぜ、私が死についての本ばかり書き続けるのか?
  それは、この国のがん医療も、認知症医療も、
  そして終末期医療も、ブレーキのない車のように暴走し続けているからです。
 
  なぜ、病院では平穏死が叶わないのか?
  それは、病院の医師や看護師の多くが
  一度も平穏死を見たことがないからです。
 
  だからこそ、市民が賢くならなければ。
  まずはリビングウィルを書き、家族や主治医とよく話し合ってください。
  人生の最終章を後悔しない、させないために>
 
 というメッセージにしてみた。
 
 「そんなに死の本ばかり書いて、どうするの?」
 と同業者によく言われる。
無論、私が本を出す理由は、お金儲けが目的ではない。
(印税はすべて被災地に寄付しているし)
 
少しでも、在宅医療、ひいてはがん医療、認知症医療、終末期医療、緩和医療の現実

市民のみならず、病院のお医者さんや看護師さんにも理解してほしいからだ。
だから、休日返上で原稿を書いている。
少しでも世の中に変わってほしいから。1%でも、2%でも。
 
今、その学会中にこのメルマガを書いていたら、
その新聞広告を見た知り合いの医師から、「長尾先生、なんか写真と違うね」と言わ
れた。
 
 そりゃそうやろ。写真映りはいいほうがいいい決まってるやろ。
しかし、数年前に撮った写真だから、あのときより今のほうがやつれている。
 
 だってあと2週間で、還暦ですからね……。
 そしてふいに、先週映画館で観た、『終わった人』を思い出す。
 
先週週末、珍しく時間が空いたので映画館に駆け込んだ。
でも、映画を観ているあいだたって、もちろん患者さんは待ってはくれない。
だから、映画館はいつも端っこに座る。すぐに劇場の外に出て電話対応ができるよう
に。
 
封切りされたばかりの『万引き家族』と『終わった人』を続けて観る。
 
 すごく対照的な2作であった。
 
『万引き家族』に登場するような人々は、尼崎の町にもたくさんいるし、
『終わった人』は、定年を迎えて、かつての輝きを失った男の、
なんとも言えない悲哀が、年齢的にすごく共感できた。
 
あんなダメな男を演じた舘ひろしさんを初めて観た。
それでもカッコいいんだけどね。
 『万引き家族の』リリー・フランキーさんも、ダメな男を演じたら
 今や5本の指に入る役者さんであろう。
 
 そう、最近の面白い邦画というのは、もしかすると「ダメな男」のダメさ加減で成
り立っているのかもしれない。
 でも、とことんダメな男は出てくるのだが、とことんダメな女はあんまり出てこな
いよね?
 なんでだろうか。
 
対照的な2本の映画ではあったが、でも、どちらも根底に流れるテーマとしては、
「家族を、どうするか?」なんだと思う。
 
 私が少年時代だったころの日本の家族は、わかりやすかった。
 
 毎日働いている父ちゃんがいて、
父ちゃんを支えて子どもをしっかり育てている母ちゃんがいて、
 一人っ子家庭なんてほとんどなく、
兄弟がたくさんいる。
 子育てを助けるばあちゃん、じいちゃんも一緒に住んでいる。
 そしてみんなで飯を食う。テレビを見る。
 みんなで墓参りに行って、みんなで夏祭りに行く。
大みそかは紅白歌合戦を見て、翌朝起きて
 「今年も一年よろしく。無病息災」と願って雑煮を食う。
 やがて子供が大きくなり、じいちゃん、ばあちゃんは死ぬ。
 家族で見送る。居間の壁はまた先祖代々の写真が増える。
 すると孫ができてまた家族が増えて、父ちゃんは会社を定年し、母ちゃんも白髪頭
となって
子どもたちに見送られる……。
 
 しかし今は、家族のかたちが実に多様化した。
 家父長制度から自由になったことは、
 良いことだと思う半分、「じゃあ、家族の意味ってなんだろう?」と、
 今まで考えることもなく当たり前の価値観であった「家族」に
 疑問を持つことが増えてきた。
 
 私は在宅医という職業柄、ものすごく多くの「家族のかたち」を見ている。
 このメルマガで毎週書かせてもらっている「死のQ&A」だって、その99%が
 家族の悩みであろう。
 
 虐待、暴力
 ネグレクト、
  仮面夫婦、
  離婚、再婚、
  お金だけのつながり、
  永遠の嘘、
 過剰な愛、
 親喰い……エトセトラ
 
 家族なのに? いや、家族だから苦しい。息が出来ない。
 でも血のつながりとは、さよならはできない。
今、テレビでは連日、「紀州のドンファン」の件を
 必要以上に追いかけているようだが、あんな夫婦のかたちも今や珍しくはないし、
 自殺か他殺かは未だ不明だが、ドンファンが
それほど悲惨きわまりない最期だったとは、正直思えないのである。
 
 それは私が、もっと悲惨な「家族」をたくさん見ているからかもしれない。
 
 家族ってなんだろう。
 血のつながりってなんだろう。
 
 23年も在宅医をやっているが、年々わからなくなってきている。
だからこそ、家族を描いた映画を観たいと思うのかもしれないが。
 
 家族は、最少単位の「社会」である。
 最小単位の「社会」が崩壊していけば、やがて、その町も、村も、
 それよりも大きな組織も国家も壊れていく。
 
 多死社会をどうするか? という、今私が懸命に取り組んでいるテーマは実は、
壊れゆく家族をどうするか? という話と密接に繋がっているのだ。
 
 家族の崩壊した国で、どのように穏やかに死ねるのか? 死ぬるのか?
 
 それが還暦を過ぎてからの私の仕事のテーマになっていくことは、間違いない。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
  
 
  
*トピック1 *******抗がん剤 10のやめどき 第7回********
 
      これは、私が初めて書いた「小説」的作品でもある。
      もし私が胃がんになったら・・・という想定で書いた、
   ハーフフィクション、ハーフノンフィクション作品とでもいうべきだろうか。
 
**************************************
 
大病院に行っても、町医者とのご縁は切れない
 
 しばらく考えられたのち、鈴木信夫さんは自分の命を預ける場所を決めた。ヨリ子
さんももう何も反論はしなかった。
だけど納得はしていない様子。
これから先、一家は信夫さんの治療を巡って本人の意思と家族の希望が相違し、何度
も衝突するかもしれない。
この間を取り持って調整することも町医者である私の役割でもある。
「それでは、Aがんセンターへ行ってみることにします」
──わかりました。紹介状を書きましょう。
しかしね、家に帰ってからも、まだ迷われてもいいんですよ。
ほかの病院がいいと思ったら、遠慮なく言ってください。私が書いた紹介状は、どこ
に持っていっても構わないのですから。
「わかりました。悩んでみます。そしてAがんセンターに私が通っているあいだも、
何かあったら、また長尾先生に相談してもいいものでしょうか?」
──もちろんです。そのために私がいます。
でもね、大病院に行けば、そこで担当される方が鈴木さんの主治医です。
だから基本的には主治医の指示にしたがってください。
そこで訊けなかったり、分からなかったり、
悩んだりしたことがあれば私がいつでも相談に乗りますからね。
気になることがあれば、いつでも。これでご縁が切れるわけではないですから。
 
 
これでご縁が切れるわけではない。
紹介状を書かせていただいた患者さんには、必ずこの言葉を申し添える。
人によってはこの台詞は未練がましく聞こえるだろうか。しかしそういう意味(顧客
確保という打算)で申し上げているわけではない。
 紹介状をお渡しした瞬間に、「ああ私は長尾先生に見放されてしまった」
と誤解された患者さんが、どうやら過去にたくさんいたらしい。
もう二度と俺のところに来るんじゃないぞ、と言われたように受け取った人が。
 あとでそれを知った時、悲しくてしかたがなかった。
 医師と患者の出会いは、すべてご縁であると思う。
星の数ほどいる医師からどんな理由であれ私を選んでくださったというご縁。
せっかくのご縁は、願わくば永く続いて欲しい。
がんが発覚した方を大病院に送り出すのも仕事だが、大病院での治療に闘い疲れた患
者さんをその後支えていくのも私の大切な仕事なのだ。
 
そして翌週、鈴木信夫さんは、Aがんセンターの扉を叩いた。
私が書いた紹介状を読まれた医師から、
必ずその日のうちに地域連携室(大病院にある地域医療との連携を図るための部署。
地域のかかりつけ医と大病院との役割分担の相談にも応じる)を通じて
私のところに報告があるからだ。
 これに関しては案外、知らない患者さんが多いが、
紹介状を書いたクリニックの担当医と患者さんをバトンタッチした大病院の担当医
は、
地域連携室を仲介して連絡を取り合うことが義務付けられている。
 
第一報はたいていFAXでくる。この時代になってもメールということはない。
誤送信を避けるためだ。まあFAXもそれはありえるが。報告はだいたいこんな内容
である。
〈長尾クリニック院長 長尾和宏先生御侍史
貴院より鈴木信夫さん(58歳)をご紹介いただき、ありがとうございました。
鈴木さんの胃の幽門部に5cm×4cmの3型胃がんを認めました。
周囲のリンパ節への多少の転移巣が疑われます。組織型は低分化型腺がんで、
ステージ2Bと術前診断しました。本日、外科に転科し入院手続きを行います〉
 
 といったものだ。
その後、報告書の原本が郵便で私のもとに届く。
内視鏡やCT写真のコピーなど詳細な資料一式が、同封されて届く場合も多い。
 低分化とは、がん細胞の悪性度が高いことを示す。ステージ2Bとは、
近くのリンパ節のへの転移が3~6個見られ、
浸潤度は胃の筋層まで、というところか。
進行がんの中では、まだ初期と言っていいくらいの状態だ。
 胃がんの場合、ステージは1A、1B、2A、2B、3A、3B、3C、4の8つ
の段階に分けられる。
1Aと1Bならば、内視鏡で手術ができるケースも多い。そしてステージ2以降は、
ほぼ「進行胃がん」とみなされる。
 鈴木さんの場合はやはり開腹手術となるだろう。
全摘手術かな……3分の1、残せればいいが。
胃がんの摘出手術の場合、基本的に全部を摘出する全摘か、3分の2を摘出する手術
の二択となる。
これは、胃のどこの部分にがんができているかによって決まる。予後の回復はそれほ
ど変わらない。
 
重湯やお粥など消化のいいものを少しずつ摂取して機能を回復させていくしかないの
だが、患者さんの気分は少し違うようだ。
たとえ3分の1でも、胃袋を残したい、残せた、という結果に少しの安堵を覚える。
 
 
 
 
 
**トピック2*************みんなで考える、死のQ&A ****
死のQ&A 
 
1)朝丘雪路さんの「認知症死」について   
 
今発売中の『文藝春秋』にて、先日亡くなられた女優の朝丘雪路さんの娘さんが、
母親の死について手記を寄せられていました。
夢中で読みました。
認知症で死ぬとは、どういうことだろう? と興味があったからです。
 
娘さんのその手記によれば、最期は穏やかそのもの。
朝から少し様子がおかしく、ちょっと呼吸が変だったからベッドに寝てもらい
主治医を自宅に呼んだが、
何もせずに「白雪姫」のように眠りながら逝った、とあるではないですか!?
 
こういうふうに死ねるのなら、認知症で逝くのも悪くないな・・・と思ったのです
が、
 
本当にこんなに楽な死に方ができる人がいるのでしょうか?
ちょっと信じられません。
 
 
 
///////みんなで考える、死のQ&A 長尾の回答/////////////
 
認知症で死ぬ、ことは老衰と似ています。
徐々に歩けなくなり、食事量が減って痩せて誤嚥性肺炎を併発して亡くなります。
食べられないからという理由で1日1.5~2ルットルの点滴や
胃ろうを最期まで続けた場合は、心不全を起こして亡くなります。
前者の場合は平穏死ですからまず苦しくありませんが、後者は苦しいです。
 
私は認知症の人を自宅や施設で300人以上、自然なかたち、つまり胃ろうや点滴の
ない状態で看取ってきました。
みなさん穏やかでした。
徐々に枯れているのでまさに「平穏死」でした。
肺炎を併発しても、痰や咳はあまりないので吸引器が必要なケースは稀です。
 
これは実は末期がんも同じです。
ただ末期がんは衰弱の経過が早いのに対して、認知症や老衰は経過が緩やかなだけで
あり、
穏やかという意味では本質的にはあまり変わりません。
 
 
朝丘雪路さんは死因に「アルツハイマー型認知症」とついた最初の芸能人でしょう。
おそらく認知症で亡くなられた有名人の多くは、「肺炎」や「心不全」が死因として
公表されてきたはずです。
しかし朝丘さんは堂々と「アルツハイマー型認知症」と公表され、しかも在宅で亡く
なった最初の有名人だったのです。
その意味で町医者として私は、朝丘さんに「ありがとう!」とお礼を述べたい気持ち
です。
90歳を過ぎていたら死亡診断書には「老衰」と書かれたかもしれませんが、
まだ82歳と、女性の平均寿命である87歳より下だったので、
「認知症」という病名で書かれたのでしょう。
 
そして娘さんが述べておられるように「眠るように逝かれた」のです。
これが認知症の在宅平穏死。
 
私は日常ですが、多くの病院ではあまり見かけない光景かもしれません。
それは最期まで点滴や胃ろう栄養をしている人は苦しみ、そして最期は
「鎮静」で亡くなっているからです。
 
「医者が勝手に苦しめておいて鎮静までするのか?」という疑問が浮かぶでしょう。
 
そうです。
 
それが多くの現実です。
 
なぜ、そうなるのか? その理由は簡単です。
 
病院の医師や看護師の多くが「平穏死」を一度も見たことが無いからです。
一度も見たことの無いことはなかなか信じられないものです。
 
しかし在宅の現場に来て平穏死を数例見れば、みなさん私がこうして言っていること
をちゃんと信じてくれるようになります。
 
大変残念ながら、医学の発達に伴い日本の終末期医療では、平穏死への「逆風」が
年々強まっています。
 
朝丘さんの在宅主治医は「平穏死」をよく知っている医者だったようですね。
おそらく娘さんに亡くなった後のこともきちんと説明されていたので、夫の津川雅彦
さんも穏やかに死を受け止められたのでしょう。
 
だからこそ「白雪姫」のように眠りながら逝った、という表現になるのです。
これは娘さんが落ち着いていたからこそ、
母親の死を受容していたからこそ出てきた言葉だと思いました。
 
よく講演会などで市民に「死ぬ時はがんか、認知症か」と聞くと、
8割の人が「がん」に手を挙げますが、認知症で死ぬことも決して悪くないと思いま
す。
 
 
///////みんなで考える、死のQ&A おわり/////////////
 
 
 
 
*トピック 3 *************クスリの起源****
 
 薬を取り巻く問題について、毎日のように頭を抱えている私。
 そもそも、薬の始まりってどんなふうだったのだろうか?
 誰が何を発見して、こんな形になったのか?
しばらくのあいだ、
あらゆる薬の起源について、皆さんと一緒に考えていきましょう。
 
 
●覚せい剤の起源●
 
 え? 薬ちゃうで、ヤクやで…というツッコミが聞こえてきそうですが(笑)
 (余談ですが、たけし軍団には やくみつる ならぬ ヤク密輸 という名前の
  芸人さんがいるのですね、たけしさんのセンスに脱帽です・笑)
 
 今、紀州のドンファンのニュースで毎日覚せい剤がテレビに登場しているので
 今週は覚せい剤の起源を見ていきましょう。
 
  信じられないかもしれませんが、
かつて、覚せい剤は普通に薬局でも売っていました。
 
  薬の正式な名前は、
・フェニルアミノプロパン(アンフェタミン)
・フェニルメチルアミノプロパン(メタンフェタミン)
といいます。
 
メタンフェタミンのほうが、より強い作用があって、現在闇で流通しているもので
す。
このメタンフェタミンを合成したのは、実は日本の薬学医です。
明治26年今も使われる漢方「麻黄」の有効成分で喘息や咳の薬を研究していたとき
に、
同時に作られたと言われています。
 
メタンフェタミンを体内に入れると、眠気や疲労感がウソのようにとれて、気分が高
まり、お喋りになったり、アクティブになる。
これだけならば魔法の薬だったのですが、その効果は一時的なもの。
医薬品としては、一時的な抗うつ薬や、睡眠障害の人に使われていました。
 
しかし、中毒性がわかったのはその後のこと。
だから普通に、「除倦覚醒」という名目で、1mgの錠剤が販売されていました。
 
そしてやがて、軍隊でも覚醒剤の使用が始まったといいます。
事実かどうかは定かではありませんが、第二次世界大戦末期、
特攻隊員の出撃前にも飲ませていたという話を聞いたことがあります。
 
 そして戦後の日本で大量に市場に出回ります。
メタンフェタミンは、「ヒロポン」「ホスピタン」などという名前になり、
アンフェタミンは、「ゼドリン」「アゴチン」「ソビリアン」などという名前で
町中にポスターが貼られていたのです。
そのうちに、錠剤よりも注射の方が利きがいい!という噂が広まり
自分で注射をする人も増えてきたといいます。
 
  そのリスクがわかってきたのは、昭和22年のこと。
それまでは、覚せい剤中毒になった人は、
精神疾患として扱われて閉じ込められたといいますから、ひどい話です。
しかしそれから数年あまり深刻に蔓延し、その中毒者は全国で100万人にものぼっ
たとか。
我が国に、「覚醒剤取締法」という法律ができたのは昭和26年になってからでした。
 
 
 
**トピック 4
 
******    6月23日は、終末期の鎮静について考えよう  ********
******  そして7月7日は大阪に遊びに来てください! ********
 
●来る6月23日(土)午後に本郷の東大で開催される
〈第7回日本リビングウイル研究会〉にお越しください。
今回のテーマは、「終末期の持続的鎮静はどこまで許されるのか」です。
日本を代表する素晴らしい演者たちと自由な議論をします。
 
もちろん私自身も登壇し映像を使って皆さまに問いかける予定です。
このイベントには会員以外でも誰でも参加できます。
申し込みも不要です。是非、お気軽に東大までお越し下さい。そして一緒に考えま
しょう。
http://www.songenshi-kyokai.com/messages/event/1689.html
 


●おかげさまでもうすぐ満席!
 7月7日、リッツカールトン大阪で行われる私の生前葬に是非おこしください。
 
夕の部★円広志さんと長尾トークショー
 http://www.drnagao.com/lecture/lec_20180707_01.html
“還暦まで生かして頂きアリガトネ!”
 
夜の部★は、音楽と歌とともに。
 http://www.drnagao.com/lecture/lec_20180707_02.html

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