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石田三成と長尾、9月15日は関ケ原の合戦の日

2026年09月17日(木)

1600年9月15日に、関ケ原の合戦があった。

朝8時に始まったがたった半日で勝負あり。

集まった10万人の武将のうち5万人が死亡。


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そして敗れた西軍を率いた石田三成は

捕獲されて、京都六条で公開処刑された。


しかし石田三成が好きな人が多い。


なぜか?



9月15日に関ケ原の合戦記念館で講演会があった。


演者は今をときめく、今村翔吾氏。

演題は「石田三成の魅力」



面白かった。


満席で立ち見の人もいた。


どこか自分に重ねてみてしまった。



なんか生まれて初めて、「歴史」に少し目覚めた。



以下、僕のメルマガ「まぐまぐの長尾和宏の痛くない死に方」

から、関ケ原の合戦のところをご紹介します。先週配信分です。




ーーーーーーーーーーーーーー



歴史とは、つまるところ人間の「戦い」の記録なのではないか?


そしてもう一つ、歴史とはしばしば「勝った側によって残された記録」なのではないか......そんなことを考えるようになりました。最近、とりわけ興味を持っているのが「関ケ原の戦い」です。


そして、その中心にいた石田三成という男です。 読者の皆さんの中には、僕よりずっと詳しい人も多くいるはずで、にわか知識かもしれませんが、、、関ケ原の戦いをものすごく簡単に説明しておきましょう。


【関ケ原の戦いとは?】

ときは慶長5年、1600年。豊臣秀吉が伏見城で死んで2年。 秀吉という絶対的な権力者を失った豊臣政権は基盤が揺れていました。そこで、急速に力を増したのが徳川家康。このままでは家康が天下を握る──そう考えた豊臣秀吉の側近で、懐刀とも呼ばれた石田三成らは家康に対抗し、全国の大名たちは東軍と西軍に分かれて戦うことになりました。


そして同年9月15日、美濃国の関ケ原、現在の岐阜県関ケ原町周辺で両軍が激突しました。結果はご存じの通りです。


徳川家康が勝ち、石田三成は負けました。 さて、関ケ原の戦い。どれくらいの期間だったか知っていますか? 「天下分け目」と呼ばれるほどの大戦でありながら、実は、たったの一日で決着しています。


その要因の一つとして語られてきたのが、小早川秀秋ら西軍側諸将の離反です。(沖縄知事選で急に立候補をとりやめて、自民の応援にまわった下地幹郎氏が、「沖縄の小早川」とネットで呼ばれているのには苦笑しかありませんが......)


つまり関ケ原とは、単純に「強い軍が弱い軍を倒した戦い」ではなかった。 誰が誰を信じるのか? 最後に誰につくのか? 三成は、関ヶ原の戦いで掲げた旗印の言葉でこんなことを言っています。 「一人は万民のため、万民は一人のために」 私欲ではなく民衆のために戦おう......人間の忠義、打算、恐怖、野心が、たった一日の戦場に凝縮された戦いだった。


そのドラマティックな経緯に、現代人は心惹かれるのでしょうね。そして長尾は、勝った家康よりも、負けた石田三成のほうが気になって仕方がありません。石田三成というと、皆さんはどんなイメージを持つでしょうか。


頭はいいが、冷たい男。理屈っぽくて、官僚的で、まじめだけれど人望がない男......そんな人物像が長く語られてきました。確かに三成は、加藤清正や福島正則のように、槍一本で名を上げた武将とは違います。むしろ行政、検地、兵站などを得意とした実務家でした。


今風に言えば、猛烈に仕事のできる官僚です。 しかしいろいろ調べていくと、この男には意外な顔があります。たとえば三成が、彦根にある佐和山城主だった時代、領内の村々に出した「掟書」が現在も残っています。そこには年貢などについて細かな規定が記され、しかも領民にも理解しやすいよう、「かな」を多く使った文章になっていました。


三成は、現場をつぶさに観察して、民衆に向けた政治を考えていた行政官だったのです。たとえば、税を取るにしてもルールをつくり、それを民衆に明示する。これは、当時の社会にしては、とても珍しい武将でした。



医者である僕には、この三成の感覚に、少し共感するのです。 情だけでは組織は動かない。医療もそうです。 「かわいそうだから」だけでは患者を救えない。検査値があり、診断基準があり、薬の量があり、ルールがある。しかし数字だけを見て人間を見なくなれば医療ではなくなる。エビデンスという病は、人を幸福にはしません。



そして、もう一つ面白い話があります。 三成の「戦い下手」を象徴するものとして、しばしば1590年の「忍城の水攻め」が挙げられます。現在の埼玉県行田市にあった忍城を三成が水攻めにしたものの、うまく落とせなかった。だから「頭でっかちの三成は実戦ではダメだった」と語られてきました。


ところが、これは現在では単純に三成の失策とは言い切れないのではないか。秀吉から三成に送られた書状が残っており、そこには水攻めについて具体的な指示が記されています。つまり、水攻めは三成が勝手に思いついて失敗した作戦ではなく、少なくとも秀吉自身の強い意向のもとで進められていたことが史料からわかってきました。 ここでも、「歴史は勝者によって語られる」という問題が顔を出します。いったん「あいつは戦い下手だった」というイメージができると、後世の人間は、そのイメージに合うエピソードばかりを拾ってしまうでしょう。 しかし、本人の手紙を読んでみると、別の三成が見え隠れします。



たとえば長尾も、もしも後世に名前が残るとしたら......「反ワク医者」とか「陰謀論者」というイメージで語られるのでしょうか。やりきれません。それは、本当の長尾和宏ではありません。でも、「勝者」となった医者たちは、僕にそういうレッテルを張り続けるのでしょうね......。


そう思うと、三成が急に身近な男に見えてきました。 そして僕は、この三成の最大の弱点もつい、自分に重ねてしまう。筋を通そうとしすぎた。損得勘定抜きに、民衆のためを思って、仕組みをつくろうとした不器用な男。 損得勘定で立ち回る術は、徳川家康は、石田三成より何枚も上手でした。


人間は恩でも動く。欲でも動く。恐怖でも動く。嫉妬でも動く。そして「こちらについたほうが得だ」と思えば、昨日までの味方を捨てることさえある。関ケ原は、筋を通そうとする男が、損得勘定で動いた男に負けた戦いだったのではないかと思いを馳せてしまうのです。


現代社会なら、一体、どちらのタイプが出世するでしょう。そう、やっぱり家康タイプでしょうね。政治の世界でもそうでしょう。正論を百回言う人間より、敵だった人間まで自分の陣営に引き込める人間のほうが、最後には大きな権力を握るのです。


石田三成は関ケ原で敗れ、逃亡したのち捕らえられ、京都の六条河原で処刑されました。殺されたとき、40歳前後だったといわれます。


処刑される前に、三成が残した言葉に思わず涙が出ます。 「大義を思うものは、命を大切にするものだ」 勝負だけを見れば、完全な敗者です。



一方の家康は、その後、征夷大将軍となり、徳川の世はおよそ260年ものあいだ続きました。 あれから四百年以上たった今も、こうして石田三成に惹きつけられる人間がいるのは、なぜなのでしょうね。おそらく我々は、心のどこかで知っているからではないでしょうか。


「勝った人間が、必ずしもすべて正しかったわけではない」と。 僕は、医者として長く生きてきました。勝者として語られる可能性は多分少なくて、先も述べたように、「闇落ちして陰謀論者」と語られる可能性が出てきました。



だけど、10年後、いえ、100年後かもしれないけど、「長尾って医者は、正しかったんじゃないか?」と、未来の誰かが気づいてくれたら本望です。昨日まで正しいとされた治療が、十年後には否定されることは日常茶飯事です。 もちろん三成を美化するつもりはありません。。



西軍が純粋な「正義の軍」だったわけでもありません。歴史はそんなに単純ではありません。 だから面白い。 そして現代社会も、実は関ケ原とあまり変わらないのではないでしょうか。 我々は毎日のように「どちらにつくか」を迫られています。 人間は四百年たっても、それほど変わっていません。勝ち馬に乗りたい。損をしたくない。自分だけは生き残りたい。



だけど、自分の頭でよく考えることなく、「勝者のほうについてみようか」と決めるのはとても危険です。その結果が、今の堕落した政治ではないでしょうか。 人生の最後まで勝ち続ける人間など一人もいない。みんな最後はガイコツになる。お金も勝利の勲章も所詮は一期の夢。人生で本当に大切なのは、そんな見かけの「勝ったか、負けたか」ではない。何を守ったのか。何を譲らなかったのか。負けるとわかっていても、それでも立つべき場所に立てたのか。



「人間は最後に、何を守って生きるべきか?」 歴史を学ぶことは、この命題を考えることなのだなと最近感じています。 負けてもなお、語り継がれる人間がいる。僕は最近、そうした歴史が、妙にうれしいのです。



ーーーーーーーーーーーー



そう、僕も石田三成みたいに消えゆくだけだろう。


でも三成は42歳で死に、

僕は68歳で生きている。



だから・・・



PS)

みんな歴史を勉強しようね。





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