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「命は重い?軽い?」とは、松たか子主演のR15の映画・「告白」
中島哲也監督の凄さ
2010年06月20日(日)
なんと深くて重い映画なのか・・・
北野たけしとちょっと似ているけど、さらに突っ込んだ感のある質の高い映画だ。
この作品は、できるだけ多くの大人に見てもらいたい。
見れば、「命がけの上映」の意味が分かる。
先月「時をかける少女2010年バージョン」で泣いたばかりの日曜日の品川で
何の予備知識もなく観た映画は「告白」。自分は、なんて勘がいいのかと自画自賛。
素晴らしい映画だった。しかしこの映画には綺麗事は無く、あるのは現実のみ。
リアリスト(自分)には、ジーンときた。
後半、松たか子が泣き倒れるシーンで泣きそうになったが、結局泣かなかった。
最後に時間が逆戻りするシーンは、「時をかける少女」にどこか似ていた。
松たか子は、醒めた役を演じ切った。
芸が広がったのではないか。
いい役者だと思った。
13歳の子供たちの殺人。
少年法の壁を描いた作品。
親子関係がかなり歪んだ日本社会も。
「命が重いのか、軽いのか?」というテーマに答えは用意されていなかった。
そのため最後に、「殺人を賛美しているわけではない」というテロップが流れた。
ストーリー、カメラワーク、構成、そして久石穣の音楽、すべて良し。
そして一番いいのは、空と雲の映像が多いところ。
僕も毎日、時間があれば雲を眺めている。
教師や医師には、全員診て欲しい。
13歳の心を理解するのは正直無理だ。
しかし知ろうとする努力は必要だ。
来週、15歳の子供たちに1時間、講演する。
毎年、迷いながら話すが、今年はもっと
迷いながら講演することになってしまった。
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この記事へのコメント
私は 本を2日前に読み終えました。
さすが 09年度本屋大賞をとるだけの中身の濃さに納得しました。
とにかく事件のテンポのよさと衝撃的な結末に驚きました。
先生は命の重さ 軽さ指摘されましたね。
私は 母親の立場から娘が殺された母親の気持に共感が湧きました。
自分にとって一番大切な人を殺された苦しさを 犯人達にも思い知らそうとした
主人公の 復讐手段は凄い! 私は頭が良くないからこんな事はできないけれど。
私も大切な家族を 殺されたらこのよのように 犯人を追い詰めたいと思いました。
でも少年たちのことを考えると
私達 親が子供の気持ちを理解してやることができなかったことが
悔しいとも思いました。
親離れできない子供 子離れできない親
お互い 深く愛しているのに 愛情が過剰すぎてしまっている姿にも共感
父親の影の薄さにも家族関係の歪みを感じました。
私は思春期の子どもを持つ お父さん お母さんに読んで欲しいと思いました。
とにかく 中身の濃い作品なので お勧めです!
薄い本なのですぐに読めます!!
時間ができれば 是非映画を見ます。
長尾先生も 是非 本を読んで下さい。
Posted by AB型患者 at 2010年06月20日 07:23 | 返信
AB型患者さま、長尾です。
私がちゃんと書けていない部分を、しっかり書いて頂き、本当にありがとうございます。
全く同感であります。
是非、原作も読んでみます。
Posted by 長尾 at 2010年06月21日 08:55 | 返信
本当に深くて重い映画でした。
孤独の哀しさを感じ、胸が痛みました。登場人物はみな孤立していて、どの人も周囲からの温かい協力を得られなかった。そして、負のスパイラルに陥ってしまいました。
森口悠子は、エイズの夫を世間から隠し、母子家庭で生活しているがゆえ一人娘に対する依存が強い。さらに夫はガンを併発し余命が少ない。そういう状況でわが子を奪われる。彼女には耐え難い事件であったことでしょう。
事件後の彼女の言動と表情から、私には、どこか人格が解離しているような印象を受け、ドストエフスキーの『分身』を思い出していました。
「犯罪者がのうのうと生きている、それが少年法の壁」と悠子は言ったけれども、彼女もあるいは「心神喪失により責任能力なし」かもしれない・・・など思ったりしました。
13才の問題は、衝撃的な事件を伴って初めて取り上げられることが多いと思います。
安定したこどもから、おとなへと脱皮する不安。その根底には、つきあげてくる欲求衝動がある―――性・攻撃・承認の本能です。
それでも、なんとか倫理から逸脱しないように過ごしていってほしい。
けれども、見捨てられ体験から愛着に固執するこどもには、これが本当に難しいのでしょう。
この映画では、少年に「私にはわかる」と言った3人のうちふたりが殺され、ひとりは殺意の標的になりました。「私にはわかる」は禁句なのですね。
思春期に、親や教師からしたり顔でこう言われたときの、もうほとんど絶望的な気持ちを私達多くの人が経験しているのに、どうして忘れてしまうのでしょう。
中学生に接する難しさを再認識させられました。
Aが少女を殺すときには、『罪と罰』の中の殺人を正当化するくだりが出てきて、やっぱりドストエフスキーは関係あるのかなと少しびっくりしました。
・・・テーマが重すぎる。解離性障害といわれたドストエフスキーの最後の作品『カラマーゾフの兄弟』の結末が少しよぎります。「赦す」とはどうすることなのか。
振り返って、孤立は現代の社会問題になっています。
下宿を始めた大学生といった一時的なものから、乳幼児期から続くものまで、いつでもどんな人にも起こりうる状況。そのさまざまなスペクトラムの中で誰がいつどうやって支援するのか、されるのか。
私にできることは何か。そのことをずっと考えています。
*おまけ(長々とすみません)
映画では、象徴と思えるところがおもしろかった。
1つは、道路のカーブミラー。
場面が移るときに、歩いていく人達が歪んで映っている。
この鏡の中は、歪んだ世界なのだということを知らせてくれます。
2つめは、『血』
歪んだ人物の死が、血まみれの凄惨な死であったのに、桜宮と愛美はきれいなまま死んでいった。血が善悪(善悪という表現は適当ではないかもしれない)をわけているかのように感じました。
Posted by とくめい at 2010年07月23日 03:53 | 返信
とくめい様
町医者ブログにコメントされている方と同じですか。
だれでも「とくめい」とは名乗れるから違う方かも…
もし同じ方なら、初めてこんな長いコメント読みました(?)
長年読書会に参加しています。10人位のメンバーが月に一つの作品を読んで
その作品を推薦した者が簡単にリポートし、後は自由に発言します。
メンバーの人生経験によって(年代もまちまち)感じ方はいろいろなのが
面白いし、一人で読むより気付きが多いのが楽しみ。
今回のコメントも同じように楽しませていただきました。 Many thanks!
Posted by 梨木 at 2010年08月02日 08:14 | 返信
梨木さま、長尾です。
見ず知らずなのに、毎日、このブログと、
アピタルブログで会話していると、なんだか知人の
ように感じます。
私も、いろんな人と会話できて楽しいいです。
Posted by 長尾 at 2010年08月06日 12:31 | 返信
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