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関寛斎、没後98回忌
2010年10月15日(金)
大正元年10月15日、トマムの地で関寛斎は82歳で自死しました。
彼は自分の遺体が牛馬の餌になり、この地に散骨されることを希望していたそうです。
数年前、小高い丘の上に、彼の骨を埋めたであろう小さな盛り土が発見されました。
朝から、また石川代議士のお父上がドライバーになって頂きました。
足寄に続いて、陸別の土地を案内して頂きました。
10時から、没後98回忌の法要が営まれました。
この草原も、関寛斎が開拓した土地です。
奥の小高い山の中に、関の遺骨が埋められていることが最近発見されました。
梅村議員の5代前の祖先の関寛斎は、帯広から陸別に歩く途中いつも
足寄にある夜露石川代議士の3代前の祖先の家に泊まらせてもらっていました。
当時、関は70歳後半。石川代議士の祖先は23歳ぐらい。
2人とも徳島県からの入植者でした。
奇妙なご縁がある二人の子孫が、また永田町でまたご縁があるのです。
小高い丘の上に、小さなお墓があります。
斜面をみんなで登ります。
手前は、陸別町町長さんです。
お墓には、小さな石が置かれています。
自分の骨は、陸別の土地に撒いて欲しいと書いてあります。
平成18年に、偶然発見されたようです。
、 こんもりした部分が、お墓です。
なんだか、関寛斎らしい。
トルストイの墓と同じ形だそうです。
中の骨を掘り起こすことは、していません。
地元の宮司さんに、祝詞をあげて頂きました。 全参加者は、20名程度。
梅村議員が、子孫を代表してご挨拶。
石川知格代議士も、ご挨拶。
3番目に私も、ご挨拶させて頂きました。
中に、梅村議員との共著、「パンドラの箱を開けよう」も、奉納されているのが
見えますでしょうか? 神秘的な森の中で、厳かな雰囲気でした。
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この記事へのコメント
はじめまして。関寛斎翁のことを調べています。長尾先生が寛斎翁の本を執筆されいると伺いましたが、
発行されていますか?お教えいただければ幸いです。
Posted by 山田和広 at 2011年02月03日 07:56 | 返信
山田和広さま、長尾です。
関寛斎さんの本を書いています。
夏までに出版される予定です。
クリニックマガジンという雑誌には、現在
関寛斎に関する連載をしています。
Posted by 長尾 at 2011年02月20日 09:58 | 返信
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