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南相馬市からの便り

2011年03月27日(日)

南相馬市は、市長を中心に頑張っている。
取り残された町が、自力で再生しようとしている。
日本国に、こんなリーダーがいてくれたらなー
 

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3月25、26日(金、土)本日の相馬市・南相馬市(医療機関を中心に)
 
 昨日は、1週間相馬市の精神科処方の準備のために福島の避難先から手伝いに来てくれていた、南相馬市雲雀ケ丘病院の佐藤芳子薬局長を福島市まで送って行ったため、状況報告ができませんでした。申し訳ありませんでした。
 夜21時ごろ相馬市を出て、福島市へ国道115号線を西へ進むと阿武隈山脈です。平地では雨だったのがいつの間にか雪になっており、道路も真っ白な圧雪状態でした。3月も末なのに、ここはまだ冬なのだと改めて思いました。相馬には午前1時過ぎに無事に戻ってこれました。


 さて、昨日25日は、少し変化がありました。南相馬市の20km~30km圏内の屋内待避区域の医師たちが、32km地点にある避難により空っぽになった鹿島厚生病院を使用して臨時の外来診療所を開設し、診療を開始しました。前日の情報では26日からと聞いていたので少々驚きました。午後13時から16時までの診療ということでしたので実際に行って様子を見てきました。「相馬郡医師会臨時診療所」と出入り口に表示してありました。中に入ると、どこから聞きつけたのか十数人の患者さんがすでに待合いスペースで順番を待っていました。医師会の事務局の志賀さんがおりましたので状況を聞いたところ、この日は南相馬市の小川医師と新道医師が診療を行っており、スタッフは南相馬市の保健センターから3名、鹿島町在住の看護師が2名と医師会の事務局1名の計8名で診療を行っていました。薬は院外処方で、斜め向かい側のサトウファーマシー薬局が対応していました。この薬局は、特にどこの門前薬局でもなくもともとこの地にあった地元も薬局で多くの市民のかかりつけ薬局として業務していました。薬剤師はご主人で、奥様がそのお手伝いをする典型的な田舎の地域薬局です。この日は、数十メートル北側にある田村内科医院も診療を再開したところで、前日地震の片付けがようやく終了した同薬局は大忙しで対応不能になってりました。すぐに、隣の相馬市から1名ヘルプの薬剤師さんに来てもらい、何とかこの日の対応をいたしました。実は近所に、全国展開する総合メディカルの薬局があるのですが、震災後職員が全て避難してしまい、再開ができないでおりました。立谷相馬市長の強力な後押しもあり本日26日の再開に向けて準備していたところだったのですが、この日は間に合わない結果となってしまいました。


 この日の夜、7時30分から保健センターでは医師会のメンバーが集まり、避難所を巡回している医療団とのミーティングが行われました。避難所は大きな問題も無く、落ち着きを見せているという報告がありました。今後も、避難所は医療団の方々にお任せし、開業医の方々は、診療所の業務に専念し平常の状態を目指すことで意見が一致しました。


 地域の情報連絡で、私から精神科医師の配置予定などを報告しました。また、公立相馬総合病院で原発事故発生以来行われて来た30km以内の地域から診療に訪れた患者に行っていた放射性物資のスクリーニングの廃止についてお知らせしました。これは、この日行われた、病院の幹部会議で決められたことで、今までの測定の結果、誰一人として針が振れる方はいなかったということで、スクリーニングは不要との結論による措置でした。 このことからも、分かるように、原発事故のこの地域での安全性は確認できるところですが、一般の地域住民の原子力に対する不安はまだまだ大きく、これを少しでも軽減させようと、医師会の方々は患者への共通の原発事故についての説明を模索しておりました。 

 

 本日26日(土)は、フジテレビの岩澤Dの登場から始まりました。朝、相馬市に到着いたしました。ニュースジャパンを担当するディレクターで、昨日の放送後出発し、朝、相馬市に入りました。午後からは取材のお手伝いをすることを約束しました。11時ごろ精神障害者の支援施設ひまわりの家で、知的障害者の団体あいえるの会理事長の白石氏ときょうされん福島支部長の和田氏にお会いしいました。彼らは被災障がい者支援センターふくしまを立ち上げ県内各地域のネットワークを構築しようとしていました。支援物資搬送拠点を整備し障がいを持つ被災者の支援をしようとするものです。しかしながら、団体等に所属する障がい者はいいのですが、どこにも所属しない障がい者についてはその安否もわからないのが現状です。そのため、障害者手帳を持つ方々の情報を開示してもらい、それぞれの地域の担当団体が、安否確認を実施し、必要な支援を行いたいと考えているのです。ところが、個人情報ということで情報の開示が進まず、手遅れの事態が生じてきているのです。県の障害福祉課が各市町村に対し開示を後押しし、この新活動をバックアップすることになり、ようやく対応が始まったということです。受診や投薬という当たり前の医療が災害によって滞りを見せているところですが、この取り組みよって、障害者の医療確保も目指すことにしております。


 昼には、南相馬市鹿島区の職員が一人もいなくなってしまった総合薬局鹿島店の再開に向けて相馬入りした総合メディカルの2名の薬剤師とお会いしました。すぐに、後押しした相馬市の立谷市長に面会をしていただき、市長の思いを伝えていただきました。30kmより外の、様々なインフラを少しずつ整え、住民の生活を元に戻し、住民がそこで生活を続けていけるようにしてゆく。これが復興の第一歩となるのだと思います。立谷市長は、相馬市の独身寮を総合メディカルに用意し、薬剤師が鹿島区まで通勤できるようガソリンの配給も決めました。こうして、医師会の臨時診療所のバックアップをして医療インフラの整備をまた一歩進めることができました。


 午後からは、フジテレビの岩澤Dを、震災後も休まず医療の提供を続けている2人の医師にお会いしていただきました。まず、ずっと診療し続けている早川医師です。遺体の検死や途切れることが無く訪れる患者の対応を行っています。次に浜通りふれあい診療所の金田医師です。震災直後は、診療所が待避所の役割まで果たしたそうです。この2週間の取り組み等を説明していらっしゃいました。
 その後、海岸方面の津波被害の実態を確認に行きました。未だにほとんど手がつけられていない相馬港周辺、松川浦周辺、岩子周辺、磯部漁港周辺をつぶさに見て回りました。


海岸から数kmのところまで未だに海です。水が全くひいていません。もともと水田が広がっていたところががれきと海水で占められていました。ところどころで捜索が行われていましたがほんの数カ所です。道路も浸食され崩れており、建物も壊滅状態、特に磯部の町並みは、無くなっていました。この水の中にいったい何人の方が沈んでいるのだろうかと考えてしまいました。捜索や復興はまだまだこれからということです。


 相馬市の様子が初めてNHKで放送されました。しかし、無責任な4人の解説者の意見には心底腹が立ちました。よく分からないが・・・とか、おそらく・・・とか言わないでもらいたい。自分の目で見て語ってもらいたい。あなた方の想像した意見など何の役にもたたないどころか、それが新たな根も葉もない風評になっていることに気づいてもらいたい。マスコミは口先で人を殺してしまうことさえあるのだと言うことを自覚し、責任と確信を持って事実を伝え、本来あるべき役割を果たしていただきたいと思います。

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この記事へのコメント

遅ればせながら先生がやはり現地に行かれたこと分かりほっとしています。アピタル内で先生のずばり物言う姿勢に今度の震災を期に(もったいない野菜たち・・・)ツイッターでフォロワーとなっています。17日からストップしていることで改めてアスパラに戻りこのブログに行き着きました。「町医者日記」これから真剣に拝見させていただきます。

Posted by noralondon 金谷友子 at 2011年03月27日 06:39 | 返信

かけつけられてるんですね。
そうですか・・・
大変な状況でしょうね。

今日の友人が単身で被災地を訪れるそうです。
その眼に焼き付けることの重要性を考えさせられます。

Posted by きみきみ at 2011年03月27日 09:48 | 返信

長尾クリニック御中

新潟県長岡市のNPO法人 住民安全ネットワークジャパン、私は事務局長の笠井 徳昭と申します。

長岡市に避難して来られている南相馬の方々のご要望にお応えして、情報収集と情報発信をした
いと考えております。
それについて是非ともご協力いただきたく、失礼を顧みず、唐突なメールを送信させていただ
きました。

さて、
私共のまち長岡は、新潟福島豪雨水害、中越大震災、中越沖地震、H18豪雪災害、そして今冬
のH23豪雪災害と、ここ6年間で五度の激甚災害に見舞われ、その都度、全国の皆様からの心温
まるご支援によって支えられ、乗り越えてまいりました。
言葉に言い尽くせない感謝の気持ちでいっぱいです。

そして今、長岡市には、南相馬市からの約900名の避難者をお迎えしております。

今度は私たちの番!!
私たちが、感謝の思いを皆様を伝え支える番!それが私たちにできる精一杯の恩返しだと感じ
ています。

先日、長岡市が避難者の皆様に対してアンケートを実施したところ、「南相馬市の情報が知
りたい」という声がたくさん聞かれました。

遠く離れた地で不自由な避難生活をする中でも変わらない故郷への思い、「南相馬の情報を
知りたい」という避難者の皆様の声に、私たちが応えさせていただこうと思います。

避難者の皆様にとってみれば、避難生活の中で情報を得ようと思っても、テレビは避難所の
限られた場所に一台程度しかなく、インターネットをするパソコンも、また同様の状況です。
そこで、避難者の皆様でも携行している場合の多い携帯電話に対して、メールを発信し、
携帯用サイトを閲覧いただくという二つの方法で、避難者の皆様に南相馬市の情報をご提供
していこうと考えております。

つきましては、お願いです。

私共に、南相馬の情報をご提供いただけませんか?
南相馬の町の様子、がんばっている人々、復旧状況等々、情報の種類はどんなものでも構い
ません。とにかく、南相馬の生の情報が知りたいのです。

是非ともよろしくお願い申し上げます。

ご協力いただける場合は、下記までご一報ください。
情報提供方法等、詳しいご説明をさせていただきます。

--
NPO法人 住民安全ネットワークジャパン
長岡市千歳1-3-85長岡防災シビックコア内
ながおか市民防災センター2F
http://jmjp.jp/
info@jmjp.jp
0258-39-1656
担当/事務局長・笠井徳昭

笠井徳昭さま、長尾です。
まず、このブログから南相馬の情報を得て頂ければ幸いです。
できるかぎり整理してほぼリアルタイムで惜しむことなく発信しているつもりです。
よろしくお願いします。

Posted by 長尾和宏 at 2011年04月07日 11:13 | 返信

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