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昨日の南相馬
2011年03月28日(月)
被災地の様子が、よくわかる。
このような闘いがいつまで続くのか心配である。
3月27日(日)本日の相馬市・南相馬市(医療機関を中心に)
今日は、朝一番で南相馬市鹿島区の鹿島厚生病院に開設した相馬郡医師会臨時診療所の様子を見に行きました。本日も2人の医師が忙しそうに診療をしておりました。スタッフも機能しており、順調に診療を行っているように見えました。
次に、南相馬市の市役所の様子を見に行きました。駐車場はいっぱいで、多くの市民が集まっていました。通常の業務の他、市民はさまざま情報を入手しようと市役所に集まっているようでした。何人かに話を聞きましたが、生活に必要な情報を得るために来ている方が多く、物資も市には届いているという話でしたが、市民に配布されている様子はありませんでした。市内のメインストリートを原ノ町駅まで行ってみましたが、開いている店は肉屋が1つだけで、全てシャッターがおりていました。
次に、震災後もずっと継続して営業しているといううさぎ堂薬局本陣前店に行きました。ここは市役所からさらに南へ3km程行ったところで20km~30kmのエリアの20km寄りにあります。伏見社長(薬剤師)と櫻沢薬剤師が元気に迎えてくれました。私はこのお二人とは20年来の知り合いです。この薬局は眼科の門前薬局なのですが、マルイ眼科医院のさがら医師は眼科に限らず継続投与を求める患者の処方箋を書き続けているということでした。精神科も内科も患者の持っている医薬品情報等から処方箋を起こし、診察もしながらニーズに応えているということでした。医薬品は、停電で使用できなくなったウサギ堂の他の薬局から持ってきたり、医薬品卸に発注して入手しておりました。しかし、ここは屋内待避地域ですので卸が配送することができません。卸は医薬品をいったん県庁薬務課に届け、それを自衛隊がこのエリアに輸送しているということでした。処方箋を見ると、南相馬の一般の患者だけでなく、障害者施設の原町学園や飯舘村の老人施設のものも多くありました。更に驚いたことに20km以内、10km以内の方だと思われる、双葉町や大熊町の方の処方箋もありました。全員待避完了したなどどいうニュースが一気に信用できなくなりました。さがらドクターにも会いたかったのですがあいにく他地域に出かけているということだったので、日を改めてということにしました。この地に残り、地域住民の医療を守ろうと必死でがんばる2名の薬剤師の姿にとても感銘を受けました。
ついでに、私の母親のところに寄りました。母とおばさん、さらに近くに住む母の姉とその娘(私のいとこになる)、犬一匹が元気に賑やかにお茶をしているところでした。周りが少し静かなだけで、いつもと変わらない南相馬市がありました。ひとつだけ違っていたのは、唯一営業している相馬ガスのガソリンスタンドに給油のための自家用車が3km近くにわたり大行列作っていることでした。
午後からは相馬市に戻り、公立相馬総合病院の熊院長に会いました。午前中は、徳洲会の院長が病院を視察していたため、会うことができず、来週からの精神科診療の確認ができなかったので午後訪れました。徳洲会は獨協医大の9日間の派遣の後を受けて、4月12日(火)から毎週1日横浜から派遣することになったということでした。
この件と臨時診療所の様子を報告しようと市役所の立谷市長を訪ねました。市長室にはローソンの新浪社長、安平東北ローソン支社長、自民党衆議院議員の西村康稔氏がおりました。その後、間もなく、谷垣総裁、東議員らが到着され、市長を囲んで相馬市並びに南相馬市の現状報告や様々な依頼等話合われました。市長の命によりそのテーブルに私も着いておりましたが、ここにいていいのかなと少し疑問ににもなりました。しかし、日本のトップの政治家の話を直にお聞きする経験ができたことはとても光栄なことだと思いました。
明日からまた、新 たな1週間が始まります。医療インフラも様々な問題はありますがひとつの山をこの1週間で超えそうな気がしております。関係する皆さんのお力添えで、安定した体制に持って行ければと願っております。
それにつけても、やはり原発から20km~30kmの問題が大きく陰を落とします。
本日確認したとおり、そこにはふつうの日常生活がありました。確かに市民は生活しているのです。ガソリンを求めて列を作っていたり、近所の開いている小さなお店に買い物に行ったりしております。犬の散歩をしている人も何人か見かけました。確かに、人影は通常よりまばらです。自主避難している人がいるのも確かです。でも大半の方は、安全性さえ確認できれば戻りたいはずです。なぜならそこに生活の全てがあるからです。自主避難では何も得ることはできないのです。援助もありません。仕事もありませんから当然収入もありません。生活するすべがないのです。避難していた、ある薬局がもどってくるという話を2つ程ききました。このエリアで薬局再開してもいいのか聞かれました。もちろん何ら支障はないと答えました。実は、20km以内の地域へも自己責任で入ることができるのです。実際に入った方から話を聞きました。
市長室である議員の方が言っておられました。物資がないから自主避難というのは本末転倒で、物資が入らないなら入れる方法を考え入れればいいのだと。これは今まで多くのこの地域の住民が訴えてきたことそのものです。だれが考えてもそうなのです。入れればいいのです。
東電の方々には大変なご苦労をおかけしておりますが、もう少しがんばっていただき、なんとか事故を収束させていただきたいと願っております。東電を批判する方々多くいらっしゃいますが、それはそれで、国民は長い間原子力発電を認めそれによる生活をしてきたのです。大きな責務を負っている方々を応援し、共に立ち直ろうとすることが事故からの復興に必要なことではないかと考えております。各論は、その後から始まるものだと思います。
尾形眞一
添付の写真(3月26日撮影)
1 海になってしまったいちご園
2 3kmも東の海岸の松林が道路を覆ったので、両脇にブルでよけてできた道
3 混雑する病院前の調剤薬局- << 被曝の不確実性
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この記事へのコメント
たくさんの先生のファンの1人です。
「人はどんなに絶望的な状況に置かれても、必ずそこから這い上がる力を持っている」
末期の患者様に寄り添う看護師の言葉です。
この言葉を胸に今こそ看護の力発揮されるときだと感じます。
近々たかがい議員が現地入りされるようです。ご活躍を期待しています。
Posted by 匿名 at 2011年03月29日 07:16 | 返信
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