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4月10~12日の南相馬

2011年04月13日(水)

恒例となった、尾形さんの日記を転載させていただく。
混乱に動じること無く、淡々とつずられているのことに驚きます。
政府と現地の温度差が、よくわかります。御一読ください。
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4月10~12日(土~月) 本日の相馬市・南相馬市(医療機関を中心に)と
                                   会津若松市の様子について

 

4月10日(日)


  相馬市は、被災した地域を除き、普通の日曜日戻っています。町は、買い物をする市 民で多くのお店の駐車場はいっぱいで、にぎやかな日常がはじまっています。宝くじ売り場も営業しており、飲食店もほぼ始まっております。病院や診療所は人影もまばらで 休日の様相です。新地町で活動中のJMATが相馬市内の薬局まで医薬品を調達にきた と伺いました。活動が行き届いていると感じました。


  午後から南相馬市へ母を送りながら行ってきました。こちらも日常がかなり戻ってきていると思えました。一般車両が多く走っていました。コンビニも開いていました。しかし、相双保健所に行くとまだまだ普通じゃないことがはっきりしました。20km以内にはもうすぐ入れなくなるという噂が広がり、この週末が最後と言われていました。 多くの住民が物資の持ち出しのため入っているということで、帰りに保健所によってスクリーニングを受けていました。保健所の職員と自衛隊の職員が白づくめ格好でカウンターを住民にあてがって測定する姿は、まるで大規模な放射性物質が蔓延しているかの ように思えました。実際、20km以内の地域のモニタリングが発表されていないので、 不安 になるのは理解できますが、事故以前にはモニタリングされていたデータがの発表 がないのはどういうことなのかはなはだ疑問です。地域住民のためには、正確な報告が 一番安心を与えます。5kmでどの位なのか、10kmではどうなのか、20kmで1 μ程度なら距離でどの位希釈されるのか、小学生でも計算できます。なぜ、政府は公表 しないのでしょうか。


  夜、会津若松市に戻る予定です。明日は、一月ぶりに本来の職場に出勤します。

 

 尾形眞一

 

4月11日(月)


  会津若松市にとっては、震災事態は過去のことのようになっていましたが、状況は相 馬市や南相馬市よりも混乱していました。どういうことかというと、原発難民の問題です。1次避難の場所から現在は2次避難の場所に人々が移っています。多くは、県が指定したホテルや旅館、民宿などです。これが問題なのです。たとえば、大熊町は、役場を会津若松市に移しました。住民も3割程度の2500人ほどが会津に2次避難してきています。これが、会津若松市、喜多方市、北塩原村の52カ所分散しているため、住民の把握ができない状態です。その他の地域に避難した方々も、会津に来た方々も流動的に動いている状態なのでその把握は更に困難になっています。双葉郡のその他の町村 も続々入 ってきており、さらに、個人的に避難してきている方々も多くおり、一月前と 何ら変わらない感じがしました。
 役場職員もすっかり疲れ切っており、帰る見通しが全 く立たない状況で、絶望の色がとても濃く見えました。コミューンを作り、一集団化して復興を目指す必要を感じているのですが、とてもそこまでいっていない。これから避難者名簿を作成するといった具合です。長期的になることは必至なのですから、自治体 を立てなおす必要があると思われます。そのためには、自治体職員を応援する態勢が必要です。公務員バッシングで半減した職員は、いままでぎりぎりの仕事してきました。 受け入れ側の市町村にも余裕なんてあり得ません。5~6人の保健師が3~4万人の住 民の世話をしてきた のです。ここに来て、その付けが一気に住民に押し被さっているといった感じがします。

 

  明日は、休みを取って相馬市へ戻るつもりですが、余震で高速道路が通行止めなので今夜は帰れません。


  政府が、また、変な設定をしたので、その変の状況を確認したいと考えています。

 

尾形眞一

 

4月12日(火)

 

  計画的避難区域、緊急時避難準備区域なんてものができたようですが、新聞報道以外の内容の説明などはあったかどうか知りませんが、少なくとも現場の保健所や市役所などには何もないところです。
  本日は、朝から相馬市内と新地町の現状を確認して来ました。新地町では、医療チー ム(横須賀共済病院?三井記念病院?など)の常駐で、町内は落ち着いて状況であることが確認できました。菅野医院の菅野医師にもお話を伺いましたが、平常に戻りつつあるということでした。


  昼過ぎには、旧相馬女子校の南相馬市方面からの避難所に行って、避難者の方々の話を聞いてきました。多くは、南相馬市小高区(20km以内)の方や20~30km地域の方です。立谷市長は、地域のコミュニケーションを保つため、避難所を地域ごとに 区分けしております。相馬市内の被災者も地域割りをして避難所を指定しております。 実は、この女子校跡を利用して南相馬市の小中学校の臨時学校とする予定だったのですが、教育委員会が校舎の耐震構造を診断させたところ、危険建築物とされてしまいました。そのため、避難所としても使えないことになり近いうちに、福島市方面と南相馬市の施設に分かれて移動することが決まっております。校庭の桜がほころび始めたところで、何人 かの方にお話を聞いて驚きました。正確な情報は全く伝わっていませんでした。 
 相馬市長は南相馬市の受け入れを拒否してここを出なければならなくなったと、避難者は信じていました。双葉郡や小高区は無人になっており、泥棒しかいない。家に戻った ら、知らない人間がいた。牛をつれて行って売りさばいている人がいる。20km以内 に入ると警察に10万円の罰金を取られる。など、口々に話してくれました。せっかく、 地域の集団として情報の統一を図っているのに、この有様です。朝8時と夕方18時の相馬市の災害対策本部会議の内容は、ほとんど周知されていないように思われました。 午後からは、公立相馬総合病院の精神科外来の状況を確認しました。患者数は10~15人で推移して いるようでした。熊院長に会いました。精神科医療について、今後どうするのか考えておられました。医師の確保は可能だろうが、外来だけでは不十分であり、病棟を持つのは大変な投資も必要である。経営を無視した運営はできないことから、南相馬市の雲雀ヶ丘病院の再開が最も現実的かと考えていました。現状の医療問題も話してくれました。医師不足は、勤務医不足であり、医師は偏在しているだけ。
 診療所は 低リスクの患者、低投資、医師一人が数人のスタッフを支えればよいのだが、病院は高 リスク、高投資(医療機器やその維持など)、医師一人で数十人のスタッフを支えなければならない。それで、診療報酬が同じなのはどう考えても不合理であると。せめて診 療所9、病院11の傾斜を診療 報酬にかけてくれれば、おおよその病院は黒字を出せて、高度な医療の提供に努力できる体力が付くと言っておられました。私は7対13くらい でもよいと思っておりますが。もう一つ言わせてもらえば、ひとり医療法人制度を廃止すれば、財源の一部にもなり、開業医拡大の歯止めにもなるのではと常日頃考えており ました。
 その後、熊川副院長にもお会いしました。休日当番の開業医から、精神科患者の対応と医薬品の確保、救急の場合の対応について不安の声が出ていると伺いました。併せてゴールデンウイークの対応も相談がありました。明日にでも、相双保健所や薬剤 師会と相談したいと考えております。


  18時からは相馬市の災害対策本部会議に出席しました。着々と復興に向けて動いておりました。しかし、そこでも、南相馬市の状況についてが一番の課題となっておりま した。20~30kmが避難となったら全て仕切り直しとなるのです。また、東大と代 ゼミの相馬高校支援については大歓迎されていました。学校は、来週の月曜から始まる ことになっており、高等学校も地域外へサテライト方式などでスタートします。


  それにしても、レベル7はどんな意味があるのか。新たな区域別けに科学的な根拠は あるのか、法的な根拠はどうなるのか、疑問がいっぱいです。年間許容の放射線の積算 量を20mシーベルトとした理由はどこにあるのか。平均を相馬市0.44μとすると 年間は、約3.8m。南相馬市0.8μとすると年間は7.0m。福島2.0μとする と年間は17.5m。飯舘村6.0μとすると年間52.5m。です。ICRPは年間 20~100mと幅を持たせており、念のため最も厳しく20mを取ったとすると、飯 舘村までとなるのですが、飯舘村、川俣町の一部、南相馬市の一部の避難が持つ、様々 なリスクと放射線の人体影響のリスクは、どちらが大きいのか。地域社会の崩壊を意味  する避難のリスクをもう十分学んだはずだと思うのですが。国は、今後国家予算に匹敵 する負債をこの地域の住民の保証につぎ込まなくてはならないのではないかと想像して しまいます。


  一時期東京から避難した各国の大使館の職員が、東京に戻ったという話も聞きます。 県レベルや市町村レベルでの安全宣言による住民へのアピールなどが、原発の動向次第ではありますが必要となってくると考えます。ただ、このところの頻発する余震では、まだまだかとも思います。

 

尾形眞一
 

 

ここまで読んで下さった熱心な方へ。

南相馬市長から市民へのメッセージ20110407  も、是非ご覧ください。

 

http://www.youtube.com/watch?v=VBcnhghD1wQ&playnext=1&list=PL753EA0F0847B453F

 

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