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加藤克彦医師と石川知裕議員
2011年10月09日(日)
マスコミ、官、司法の癒着で、恣意的な逮捕が実際に行われている。
なぜか加藤医師が、石川知裕議員にダブッて見えてきた。
大野病院事件の加藤医師を迎えたシンポ
http://lohasmedical.jp/blog/2011/10/post_2492.php
早晩、詳細な記事がアップされるだろう。
以下、勝谷誠彦氏の、今日のメルマガ「XXな日記」から引用させていただく。
力が入っている。
来れなかった人に、少しでも、雰囲気が伝わればいい。
私が興奮するような出来事があったシンポジウムは『産科医療 ~かけがえのない新しい命を育むための患者力とは~』をテーマに『医療を支える関西オカンの会・・・時々、オトン』の主催である。
http://www.kansai-okan.com/shinpojiumukanjaryoku3inhyogo2011.html
伝説の番組『ムーブ!』のキャスターであったフリーアナウンサーの関根友実さん
http://tomomisekine.kansai-okan.com/
が手弁当でやっているという驚くべきシンポジウムの3回目だ。そしてそれを支えているのは多くのボランティアの皆さんと『ムーブ!』のスタッフなのである。こんな番組というか、こんなチームはそうはないでしょう。なんという人たちなのであろう。司令官はもちろんプロデューサだった安田卓生さんだ。その前任者である奈良修さんも所用で来られないのを残念がっていた。
考えてみればこの週は水曜日に『ムーブ!』を事実上「追われた」宮崎哲弥さんと広島のライブで言いたいことを言い、土曜日に『ムーブ!』のスタッフと「自腹で」これまたシンポジウムというライブをやっている。大マスコミがいかに「真実を口にする奴ら」を追放しようとしてもその戦士たちはしつこいのである。そしてありがたいことにあなたや、あなたが読んでくださっているおかげで、こうして私は自分が持っているメディアで世の中にそれらのことを流すことができる。だから知りあいにもっと広げてね!
ゲリラだとか闘いだとか左巻きのように構えはしない。しかし気がついてみると、誰がアジテーションをするわけでもなく自然にこうした精強無比な戦闘部隊があちこちでいま生まれているのである。モグラ叩きのようにそうした志士たちを抹殺しようとしている連中はやがてチャウシェスクのように吊るされることを覚悟しているがいい。
『ムーブ!』は他の大マスコミが黙殺しようとするスクープしか扱わない番組であった。しかし手弁当のシンポジウムでここまでやるとは、と私は目を剥いた。なんとあの「大野病院事件」の当事者の加藤克彦先生が来て何があったかを話してくれたのだ。本来ならば全テレビ局のカメラが後ろに並んでも不思議ではない。しかしオノレが警察や検察と結託して無実の医師を拘置所に追いやったのだからとても来ることはできなかったよね。
大野病院事件とは何か。振り返っておこう。2004年に福島県立大野病院で妊婦が帝王切開中に亡くなった。それが医療事故であるとして06年に加藤先生が逮捕される。医師が犯罪者として送検(昨日聞いて実は送検というよりも他の移動中であったと知ったが)される映像は全国の医療関係者に衝撃を与え、それ以来、産科を志望する医学生は激減した。いや廃業する産科医すら出た。この医師過疎の時に、この事件は決定的な背中を押したのである。08年福島地裁は加藤先生を無罪とする判決を言い渡した。当然のことだ。検察は控訴しなかった。昨日、ご本人や周囲から聞くとなるほど「調書の捏造」に近いことがやはり行われていたのだ。
時宜を得るとはこういうことだろう。シンポジウムの中でも私は指摘をしたがあれから二つのことが起きた。「検察は平気で調書を捏造する」「東京電力はカネとコネで世の中を曲げてきた」ことがわかった。もうひとつ私なりに付け加えると「その双方に大マスコミは加わって煽ってきた」だ。
そんな今に、加藤先生は出てきてくださった。そして呼び出したのは関根友実だ。『ムーブ!』の関根だ。この時代感そして事件センスと行動力は驚嘆するほかはない。加藤先生が言っていた。「こういう人たちに呼ばれれば行かなくてはいけない」と。それが『ムーブ!』の底力である。
パネラーは加藤先生の特別弁護人をつとめた日本産科婦人科学会副幹事長の澤倫太郎先生、そして第一回からの継続性を大切にして参議院議員で内科医のの梅村聡さん、奈良医科大学准教授で救命救急医・小児科医の西尾健治先生、そして私である。この中で医師でないのは私だけだが医学部を二度落ちたのでまあ1パーセントくらい資格があるか。
圧巻は加藤先生による独白だった。満員の会場は静まり返った。私の言葉にするとそのリアリティがなくなるのだが頑張って書いてみよう。
妊婦が亡くなった理由については専門的な話になるので特に書かない。医学的には「起きうること」であったことは裁判記録にある。昨日のその場でも言ったが医者の息子として生死をずっと見てきて「医学は万能ではない」どころか「医学で治せるのはむしろ幸運だ」なのだが、多くの人々はパソコンのアイコンをクリックすれば結果が出るようなことを医師に求めている。
それでも加藤先生は遺族に謝った。立たされたまま1時間罵倒されたという。そうしたディテールが実は大切なのだが紙幅もあってざっくりと出来事を記していく。
次に県が事故報告書を作った。全面的に非を認めるもので先生は「これでは逮捕されてしまいますよ」と言った。しかし県は「こう書かないと遺族に賠償金が出ませんので」と答えたという。賠償金は県民の税金から払われるのである。いったい県はどちらを向いて動いていたのか。
ここで重要なことがわかる。亡くなられた妊婦もその夫も東京電力の社員だったのだ。そして大野病院は福島第一原発からわずか3キロ。いまはだから稼働していない。加藤先生が逮捕されたあと、医局に医師を送りこんでいた大学の教授にすっかり有名になったあの東電の勝俣恒久社長(当時)から電話がかかってきた。「加藤の後任をよろしく」と。大野病院そのものが東電のコントロール下にあったのだ。そこで東電の社員の奥さんが亡くなったとすれば「独裁国家」としてはそれなりの生贄を欲したというのが、実はこの事件の構図だと私は昨日悟ったのであった。
拘置所で先生は看守の部屋の真正面に入れられた。看守は上司から「自殺させないように厳重に監視しろ」と言われていたそうである。先生が刑事と歩く写真を報じて日本の産科医療を崩壊させて大マスコミは連日極悪人のように報じた。
何かを思い出しませんか。そう。小沢一郎民主党元代表などに関する報道と全く同じだ。司法と大マスコミが結託して生贄を作り「誰が主人か」を愚民に刷り込むのである。それが本当に権力を持っている奴らであればまだ仕方がないとも言える。しかし加藤先生の場合はいち私企業に過ぎない東京電力がそれをやったのだ。きわめて悪辣であったと言うほかはないであろう。
特別弁護人の澤先生はそうした構造を見抜いていた。しかし週刊誌記者などであまたのワルを見抜いてきた私の指摘には彼も驚いたようだ。加藤先生が逮捕されて7日後に彼の奥様は出産した。子供を先生は抱くことができない。その彼に検察官は「この調書に署名すると出られるよ」と示唆するのである。
ひょっとしてこれは明らかにそのタイミングを狙った逮捕ではなかったか。その後明らかになってきた検察というものの恐ろしさを見ると私はそうしたことまで考えたのである。加藤先生は福島へ帰る便のためにシンポジウムを30分早く退席された。立ち上がると拍手はいつまでもなりやまなかった。わが郷土尼崎の良民常民のその思いが、私には嬉しくてたまらなかった。
澤倫太郎先生は大震災直後から被災地に入り「本当の事実」を見てこられた。それについては明日にでもすぐに書きたいと思うが、先生が「ひとつくらいはいい話を」と語られたことを紹介しておく。
先生は自衛隊や警察や消防や海保の精神的なストレスをまことに気にしていた。宮古市の浄土ヶ浜で遺体の収容にあたる20代の自衛隊員たちに「辛ければ言っていいんだよ」と語りかけた。しかしその反応に威儀を正したという。「私たちは、ご遺体を自分の父親、母親、弟、兄、子供だと思って収容させていただいています。だから辛いことなど全くありません」。上官に言われてわけでもなく、仲間で打合せをしたわけでもなく、異口同音に防人たちはそう言ったというのである。紹介する澤先生の声も濡れているようであったし、会場では目に手をやる人々の姿があった。そのように、まことに、人の心が寄り添ったシンポジウムだった。
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