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南相馬市大町病院
2011年10月11日(火)
南相馬市の大町病院の佐藤先生からのご報告。
同じ医療者として、我々にいったい何ができるのか。
この文章を読んで、佐藤先生に個人的に相談して考えたい。
南相馬市大町病院の佐藤です。9月13日以来の投稿となります。
入院患者数は50名となりました。6月20日に5名、72時間の枠が外れ、県地域医療課から許可?された入院患者数が50名でしたが、奇しくも同じ人数となりました。一つの病棟では収容できず、もう一つの病棟を開けました。ただ33名(内13名は外来)の看護師数では各病棟2名ずつの夜勤は置けず、一つの病棟をサブ・ナースステーションとして、一人夜勤体制を組まざるを得なくなりました。落ち着いている患者さんばかりなら良いのですが、多くはモニター管理をしなければいけない高齢の重症患者で、トイレもおちおち行けない勤務を強いています。忙しい場合はメイン・ナースステーションや外来当直看護師が応援に入っていますが、そうすると、メイン病棟や外来が手薄になるわけで、二人夜勤にするにはもう6名の看護師さんが必要です(ベッド数、月の夜勤回数、看護基準で決まる計算式があります)。
緊急時避難準備区域が解除されましたが、我々医療関係者にとっては、何も変わることはありませんでした。(県地域医療課への医療スタッフ数、入院患者数の報告は週2回が1回に減りましたが、続いています。)看護師さんも避難先から戻ってきてくる人はいませんでした。市立病院が100名復帰(http://www.m3.com/iryoIshin/article/141671/)しているのとは雲泥の差です。市立病院は市立小高病院に務めていた看護師さんもいるのである程度多いのは分かりますが、311後の対応で市立病院と我々民間病院とが違っていたことに最近気がつきました。
市立病院では3月12日から入院患者の転院や退院作業を進め、14日には金沢院長が「残ってくれる人は残ってくれ」と話された(http://www.m3.com/iryoIshin/article/141670/)のに対し、大町病院では15日午前で外来は終了させましたが、職員全員に対し、「入院患者を守るように」と猪又院長が訓辞したのが最初でした。同日11時に20~30km圏内に屋内退避指示が出され、職員の動揺に拍車がかかりました。自分自身も目の前を通りすぎて行く職員に対し、「ご苦労様」としか言えなかったことに今でも自戒の念に晒されています。その結果、大町病院は1人の看護師が34名の患者を看なければいけない悲劇を生むことになりました。市立病院は院長の許可?のもと避難したが、大町病院では院長や残った職員に後ろめたさを感じながら避難して行ったのです。避難した職員、避難しなかった職員の間に蟠りが生じないわけがありません。
原発事故の際には火災や地震の時のように職員を強制的に病院に集めたり拘束させることはできない、だとすると、事故発生と同時に患者さんを先に避難させるか、でなければ、防衛医官や防衛看護師を派遣してもらうしかないのです。市立病院には12日にDMATが入ったようですが、14日の3号機爆発後は20~30km圏内にDMATどころか報道関係者も入ってくることは皆無となりました。本院の入院患者を自衛隊の護送車で30km圏外のサテライト鹿島まで移動させた21日に、そこで活動(主にトリアージ)されていた(http://dmat.kenkyuukai.jp/information/information_detail.asp?id=2358)のは見ましたが、所詮DMATも30km圏内に入っての活動は放射線被曝を避ける見地から制限されていたと思われます(イカロス出版”ドキュメント東日本大震災・救助の最前線で”の185頁に救急隊に対しての活動指針が示されています)。
本院とほぼ同じ対応をとったのが小野田病院でした。小野田病院は療養型の患者さんが多くいて、入院患者を新潟県や山形県に送った後の休診中や4月4日の外来診療再開後も、避難せず出勤してくれた職員に6~7割の給料を払っていたと聞きます。看護師さんはいても療養病床は始めることはできず、暫く入院患者を受け入れていませんでした。避難しなかった職員を大事にしたばっかりに倒産の憂き目に会わなければいけなくなる(東北政経46.pdf,東北政経47.pdf)なんて、気の毒でなりません。
10月2日福島県を訪れた細野環境相が、医師、看護師不足が深刻な県沿岸部に、「医療従事者確保支援センター」を設置することを明らかにしました(http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/10/3/142484)が、これも公的病院優先で、民間病院は後回しになるに決まっています。m3.comでは医師の強制配置とかいう過激な意見(元々は南相馬市の健康つくり課が提案)に対し、バッシングが出ていましたが、強制的な派遣で気持ちよく務めることができるでしょうか。
先日、本院への就職を希望されて訪れた臨床工学士さんがいます。困っている本院の透析医療のことを知り、勤め先の院長に自分の気持ちを伝えて許してもらったそうです。引き抜きとも勘ぐられる医療スタッフの移動ですが、純粋な気持ちで南相馬に赴任してくれた技士さん、それを許してくれた院長先生の寛大さに敬意を表したいと思います。条件は事務に任せていますが、私のできることは何でもしますと言いました。
60歳近い私には低線量被爆の恐怖は殆どありませんが、若い看護師さん(特に小さいお子さんを持つ母親)は低線量被爆を心配されています。南相馬市も3月12日の20時ころ、環境放射線濃度が20μSyに上昇しましたし、最近の河北新報の記事では第一原発敷地以外でプルトニウムが検出された地区で一番高かったのは南相馬市であった(南相馬市のプルトニウム.pdf)ようです。恐らく計画的避難区域で、今は人が住んでいない所かとは思いますが、南相馬市のどこでなのか発表しないことが却って心配を生む結果となっています。ホールボディカウンターによる内部被爆線量測定は市立病院にお願いする(1日75人、9000人超の予約)として、甲状腺腫瘍や白血病などの早期発見は自ら行わなければいけないと考えています。
福島県の子ども36万人に対する甲状腺検査が始まりました。18歳までは2年ごと、それ以降は5年ごとで一生続くそうです。36万人全部を見終わるには2年かかるのだそうです。全員福島県立医大で行うのでしょうか。ある母親が言っていましたが、ストレスにならないかと。学校で検診をやるべきです。それ以降は一般検診に組み入れて行えば良い。東電と国(と福島県)は福島の子ども達に大変な十字架を背負わせてしまいました。
入院患者数は50名となりました。6月20日に5名、72時間の枠が外れ、県地域医療課から許可?された入院患者数が50名でしたが、奇しくも同じ人数となりました。一つの病棟では収容できず、もう一つの病棟を開けました。ただ33名(内13名は外来)の看護師数では各病棟2名ずつの夜勤は置けず、一つの病棟をサブ・ナースステーションとして、一人夜勤体制を組まざるを得なくなりました。落ち着いている患者さんばかりなら良いのですが、多くはモニター管理をしなければいけない高齢の重症患者で、トイレもおちおち行けない勤務を強いています。忙しい場合はメイン・ナースステーションや外来当直看護師が応援に入っていますが、そうすると、メイン病棟や外来が手薄になるわけで、二人夜勤にするにはもう6名の看護師さんが必要です(ベッド数、月の夜勤回数、看護基準で決まる計算式があります)。
緊急時避難準備区域が解除されましたが、我々医療関係者にとっては、何も変わることはありませんでした。(県地域医療課への医療スタッフ数、入院患者数の報告は週2回が1回に減りましたが、続いています。)看護師さんも避難先から戻ってきてくる人はいませんでした。市立病院が100名復帰(http://www.m3.com/iryoIshin/article/141671/)しているのとは雲泥の差です。市立病院は市立小高病院に務めていた看護師さんもいるのである程度多いのは分かりますが、311後の対応で市立病院と我々民間病院とが違っていたことに最近気がつきました。
市立病院では3月12日から入院患者の転院や退院作業を進め、14日には金沢院長が「残ってくれる人は残ってくれ」と話された(http://www.m3.com/iryoIshin/article/141670/)のに対し、大町病院では15日午前で外来は終了させましたが、職員全員に対し、「入院患者を守るように」と猪又院長が訓辞したのが最初でした。同日11時に20~30km圏内に屋内退避指示が出され、職員の動揺に拍車がかかりました。自分自身も目の前を通りすぎて行く職員に対し、「ご苦労様」としか言えなかったことに今でも自戒の念に晒されています。その結果、大町病院は1人の看護師が34名の患者を看なければいけない悲劇を生むことになりました。市立病院は院長の許可?のもと避難したが、大町病院では院長や残った職員に後ろめたさを感じながら避難して行ったのです。避難した職員、避難しなかった職員の間に蟠りが生じないわけがありません。
原発事故の際には火災や地震の時のように職員を強制的に病院に集めたり拘束させることはできない、だとすると、事故発生と同時に患者さんを先に避難させるか、でなければ、防衛医官や防衛看護師を派遣してもらうしかないのです。市立病院には12日にDMATが入ったようですが、14日の3号機爆発後は20~30km圏内にDMATどころか報道関係者も入ってくることは皆無となりました。本院の入院患者を自衛隊の護送車で30km圏外のサテライト鹿島まで移動させた21日に、そこで活動(主にトリアージ)されていた(http://dmat.kenkyuukai.jp/information/information_detail.asp?id=2358)のは見ましたが、所詮DMATも30km圏内に入っての活動は放射線被曝を避ける見地から制限されていたと思われます(イカロス出版”ドキュメント東日本大震災・救助の最前線で”の185頁に救急隊に対しての活動指針が示されています)。
本院とほぼ同じ対応をとったのが小野田病院でした。小野田病院は療養型の患者さんが多くいて、入院患者を新潟県や山形県に送った後の休診中や4月4日の外来診療再開後も、避難せず出勤してくれた職員に6~7割の給料を払っていたと聞きます。看護師さんはいても療養病床は始めることはできず、暫く入院患者を受け入れていませんでした。避難しなかった職員を大事にしたばっかりに倒産の憂き目に会わなければいけなくなる(東北政経46.pdf,東北政経47.pdf)なんて、気の毒でなりません。
10月2日福島県を訪れた細野環境相が、医師、看護師不足が深刻な県沿岸部に、「医療従事者確保支援センター」を設置することを明らかにしました(http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/10/3/142484)が、これも公的病院優先で、民間病院は後回しになるに決まっています。m3.comでは医師の強制配置とかいう過激な意見(元々は南相馬市の健康つくり課が提案)に対し、バッシングが出ていましたが、強制的な派遣で気持ちよく務めることができるでしょうか。
先日、本院への就職を希望されて訪れた臨床工学士さんがいます。困っている本院の透析医療のことを知り、勤め先の院長に自分の気持ちを伝えて許してもらったそうです。引き抜きとも勘ぐられる医療スタッフの移動ですが、純粋な気持ちで南相馬に赴任してくれた技士さん、それを許してくれた院長先生の寛大さに敬意を表したいと思います。条件は事務に任せていますが、私のできることは何でもしますと言いました。
60歳近い私には低線量被爆の恐怖は殆どありませんが、若い看護師さん(特に小さいお子さんを持つ母親)は低線量被爆を心配されています。南相馬市も3月12日の20時ころ、環境放射線濃度が20μSyに上昇しましたし、最近の河北新報の記事では第一原発敷地以外でプルトニウムが検出された地区で一番高かったのは南相馬市であった(南相馬市のプルトニウム.pdf)ようです。恐らく計画的避難区域で、今は人が住んでいない所かとは思いますが、南相馬市のどこでなのか発表しないことが却って心配を生む結果となっています。ホールボディカウンターによる内部被爆線量測定は市立病院にお願いする(1日75人、9000人超の予約)として、甲状腺腫瘍や白血病などの早期発見は自ら行わなければいけないと考えています。
福島県の子ども36万人に対する甲状腺検査が始まりました。18歳までは2年ごと、それ以降は5年ごとで一生続くそうです。36万人全部を見終わるには2年かかるのだそうです。全員福島県立医大で行うのでしょうか。ある母親が言っていましたが、ストレスにならないかと。学校で検診をやるべきです。それ以降は一般検診に組み入れて行えば良い。東電と国(と福島県)は福島の子ども達に大変な十字架を背負わせてしまいました。
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