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看取りとは、セデーション?

2012年01月05日(木)

「セデーション」とは、麻酔で意識をなくすという意味。
末期がんの看取り=セデーション、だと思っている病院医師が実に多い。
在宅看取りと病院看取りの差は、日本とアトランテイス大陸の差だと実感する日々。
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病院の医師の多くが、看取り=セデーションだと思い込んでいる。
ホスピス出身のある在宅医も、そう思っていた。

ある病院の研修医に聞いてみたら、終末期のセデーション率は6割と答えた。
ある病院の医師は、8割と答えた。

だから、「在宅ではどうやってセデーションするんですか?」
という質問が必ずいただく。
「そんなものは全く要らないですよ」と答えると、全員、ポカンとしている。

「ホンマかいな。怪しい町医者やなー」

私は、在宅看取りで、セデーションをしたことは一度も無い。
昔、勤務医だった時に、2~3人に行った記憶はあるが。

日々、看取っていても「セデーション」という言葉は、頭の片隅にも無い。
しかし、病院から来る医師は、みんな「セデーション」を必ず口にする。

セデーションにもいろんな考えがある。
元気な時から、それを望む患者さんもいる。
まるで麻酔をかけて内視鏡をするかのように。

手術時の麻酔は仕方が無い。
しかし、死ぬ時に、麻酔が必要なんだろうか?

もし必要なら、麻酔をすればいい。
しかし必要が無いなら、麻酔は無用だろう。

なぜ、必要と考えるのか?
それは苦しいから、だろう。

私に言わせれば、その苦痛の大半は、病院医療が勝手に作りだしたもの。
「医原性の苦痛」のほうが、本来の癌性疼痛を遥かに上回っているのだ。

すなわち、がんの終末期=耐えがたい苦痛、だからセデーションンが必要。
という論理は、実は、自作自演の下手なドラマに過ぎない。

これは16年間の在宅医としての経験からそう断言できる。
しかしこの事実は、病院のお医者さんには全く信じてもらえない。
時に宗教と間違えられる。

看取りの「場」によって、医師の意識にこんなに大きな差があることを
医師は直視する時だと思う。
また市民も知っておくべきだろう。

看取りにセデーションは必要ない。




 

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