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歪む医療(その2)

2012年01月21日(土)

当直明けに手術をせずに帰ったら加算がつく???
診療報酬とは、このように現場の医師からしたら、真反対のものになる。
現場の意見こそ最優先されるべきなのに・・・。その2をMRICから転載させていただく。
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「歪む医療」-医療の現場から-(その22

 

つくば市 坂根Mクリニック 

坂根みち子

 

2012120日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

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(その12より)

 

今回の改定作業も財務省とマスコミ主導で行われた。まず、法人経営の診療所長の年収を開業医の年収として発表し、勤務医の給料と比較して高過ぎるとアドバルーンを上げた。民間で言えば中小企業の社長と同じ立場である。その額は病院の院長の年俸とほぼ同等であった。日本では理系のトップレベルの人が医学部に入り医師となり、一番稼げる地位についてとしても、年収3000万に届かないのである。それでも責められた。

現状の一般的な個人の開業医は、勤務医として20年以上働いてのち億の借金を背負い開業、人件費やリース代など月々の必要経費だけでも毎月3400万円を少なくとも20年間は稼ぎ続けなければいけない。休めばその日の収入はマイナスとなる。倒れたらおしまいである。基本的に個人開業医の代わりはいないし経営全体をカバーする保険もない。日々企業の論理と赤字必須の公定価格のはざまで喘いでいる。今の体制では良質な医療の提供どころか、不本意な医療、つまり医療の企業化を誘導されているとしか言いようがない。

 

実例を挙げる。80歳代の高齢者夫婦が筆者のクリニックにやってきた。昨年までは他の開業医に通っていたという。ところが行くたびにあれこれ検査が続き、薬もたくさん出されるので止めてしまったということだった。1年ぶりに簡単な健診をした。わずかな上室性の期外収縮以外大きな異常は認めなかった。また来年どうぞとお話しして帰ってもらった。今まではそのわずかな不整脈に対してずっと薬が処方され、毎月の採血検査と頻回なホルター検査、超音波検査等が繰り返されたという。他にも別の開業医で毎月行くたびにあれこれ検査されると訴える患者さんがたくさんいる。いずこも朝から晩まで休みなく必死に働いている開業医である。ひどいなとは思うが責める気にはなれない。必要な医療を提供するために不必要な医療をしている。明日の我が身である。医師の技術料に点数をつけずに検査につけていればそうなるのは自明の理である。企業がたくさんぶら下げっている物は点数化する。検査しかり、薬剤もまた然りである。じっくりと話を聞いて診察だけしていれば間違いなく倒産する。

 

別の実例を挙げる。病院の循環器内科から高血圧の患者さんが紹介されてきた。他にも糖尿病と脂質異常症で代謝内科に、めまいで脳外科に、鼻炎で耳鼻科に、排尿障害で泌尿器科に、不眠症で精神科に掛かっているという。内服薬は全部で20種類にもなる。血圧だけ開業医に出したところで患者さんにとってメリットはない。かかりつけ医としてなるべくまとめましょうという同意を取り付け薬も徐々に減らす方向になった。この間30分余り費やし検査はないので初診料と処方箋料のみ、これもまとめて出すために7種類以上になると処方箋料は減額された。まっとうな方向に持っていこうとすると赤字になってしまう。これではまとめてあげようというインセンティブが働かない。何年にもわたり実質医療費を下げてきたことで、勤務医の世界のみならず開業医の世界でもdeadlineを越えてしまっている。

 

もし医療費の総額規制をするなら営利企業の取り分の規制もするのが筋である。成長産業として企業を活かすなら医療費が増えるのは当たり前である。そうでなければ医療に参入する企業には公的責任があるという立ち位置を明確にしてほしい。そこをうやむやにしたまま市場原理を導入したために、今は医療機関の取り分が一方的に搾取されている。

 

日本にはもともとお金についてとやかく言わないという美学があった。医療界には職人が集まっている。彼らは、目の前の難題に真剣に取り組む生粋の職人である。カテーテルによる心筋梗塞の治療や内視鏡の癌治療など、これぞ匠の技と言われる人材がたくさんいる。好きなことをやっている職人は自分の置かれている環境には無頓着である。どれだけ劣悪な環境におかれたままであろうと目の前の仕事にまい進する。 

ノブレス・オブリージュ(その地位についた者の義務)が医師の基本である。私たちはそのように教育されてきた。明治維新後官僚たちは時の大臣から、「君たちは日常生活の心配はしなくてよいから国のことだけを考えるように」と言われ実際待遇もそのようにされたそうである。日々の生活の心配をしなくてはいけないような制度では、ノブレス・オブリージュの精神は維持できない。

 

ここ20年ほどの真綿で首を絞めるような医療界への圧迫で、医療現場の空気は明らかに変質している。まじめに医療をしていればシステムについては行政のプロがいつかは何とかしてくれるはずだと思っていたが、現実と制度はますます乖離し行政は現場を追い詰めるほうにしか動いてくれない。裁判所も実態を知らずに世界標準から外れた判断をしていく。国民も要求水準が高まる一方である。医療崩壊はある日突然来るのではない。すでに医療者の意識と提供される医療が徐々に変質しているのである。

手のかかる患者さんが来ると積極的にかかわらないようにする医師が増えた。安易にコンサルしそれぞれの科が患者さんのパーツだけを診てその人の全体の問題を考えなくなってきた。急患が来ても何とかして診ないで済むようにしたがる医師が増えた。忙しい医師は余計忙しくなり、暇な医師はより暇になる。社会主義医療体制では賃金は一緒なのでモチベーションは徐々に失せていく。当然の帰結である。そのような公務員型の医師を増やしたいのであればその戦略は十分功を奏している。

 

多くの勤務医は、それでもノブレス・オブリージュの精神で何とか今の医療体制を支えている。勤務医の負担感の一番は当直である。長時間連続勤務については労働基準監督局からも何度も是正勧告が出ている。それでもその通りにしたら、経営的に病院は潰れるし、医師数は足りないのでどうしても出来ないのである。医師はそれを言い出したらパンドラの箱を開けてしまうのがわかっているから言わないで耐えてきた。お金の面でも夜勤であれば日勤の1.2倍、深夜は1.5倍の手当てがつくはずだが実際は寝ているはずの当直扱いである。せめてお金だけでも払ってあげればいいようなものだが、官僚は医師が黙っているのを良いことにいつまで経っても予算をつけない。とうとう裁判に訴える医師が出だした。もちろん裁判になれば医師が勝つ。だがそれは本来私たちが望むところではない。それにかける労力と費用がむなしい。第一線で働く医師たちの声を吸い上げるシステムが欠如したままでは、今後日本各地でこの手の訴訟が頻発するだろう。そこまでいかないと官僚の不作為は改善できないものか。

 

今回の改定では、当直明けに手術に入らないようにすれば加算をつけると言い出している。あいた口が塞がらないとはこのことだ。当直明けに働かなくていい、そんなことができるのならとうにそうしている。目の前の患者さんを放っておくことができないから止む無く連続勤務をしているのである。人もお金も手当てできない弱小病院で必死に働いている医師の首を更に締めるような話である。どうしてこのような現場感覚から乖離した政策しか出てこないのか。この際はっきりさせておきたい。医師の技術料が診療報酬議論の本丸である。検査や加算、補助金で誤魔化すのは止めていただきたい。

 

医師が医療政策に関与できていた唯一の場であった中医協もいつの間にか診療報酬の根本的な議論をする場所ではなくなり、価格の決定権は事実上官僚が全権を掌握するようになってしまった。日本医師会は今回、高額医療負担者の負担軽減のための外来受診時定額負担という筋違いの制度導入を阻止するのでさえ、770万人もの署名を集めざるを得ず、時間と労力をそこに費やしてしまった。

 

戦後の医師優遇税制といわれる飴にこの世の春を謳歌しているうちに、日本医師会は強制加入から任意加入となり団体としての力を失った。その間保険点数は一点十円と決められ保険診療の事務局は医師会から厚労省に移され骨抜きにされた。そこから優遇税制をなくされ長期処方が解禁され開業医の収入は文字通り半減した。医療機器は高度化するのに診療報酬は据え置かれ、とうとう前回の改定では1時間で12人以上診たら診療報酬が削られるという信じられないような5分間ルールまで導入されてしまった。そのくせ世間の「既得権益を守ろうとする守銭奴集団」というというレッテルは払拭できないでいる。この数年、勤務医が中心となった全医連や医師ユニオンが組織され、今年は50年ぶりの医師のデモ行進があったりと医療界ももがいてはいるが力を結集することは出来ていない。まったく一方的に打たれているお人よし集団である。

 

医療費は、国の収入が減ったからといって減らせるものではない。今年は国の収入が減ったから治療はここまでにしましょうとはできない。逆にいうとバブルの時でも医療者は市場経済に合わせて多くもらったわけではない。財務省の理論は根本的に間違っている。市場経済と医療費は連動できない。

医療と教育は国の根幹にかかわる部分である。日本は医療と教育にお金をかけずに経済のグローバル化ばかり優先してきた。今の政策もそれを継続している。

日本の医療は市場原理導入と相容れない制度で成り立っている。今そのしわ寄せが医療現場を覆い尽くしている。

 

いざという時のセーフティネットは、年金ではなく医療である。社会主義国キューバで、貧しくとも死守しているのは国民の年金では決してない。医療と教育である。日本では医療崩壊を叫びながら、お金の手当てはしないし国民に問うこともしない。医療費増額は国民の理解は得られないと叫ぶ前に、厚生官僚も財務官僚も政治家も現場を見て第一線で働く医師の声を聞いてほしい。医療費の中で、企業に流れる費用でなく現場に回る費用をきちんと手当てしてほしい。崩壊前夜の歪んだ医療の現状をきちんと把握して 必要な人に必要な医療が届くように制度の大手術をして欲しい。それは行政側の仕事である。2年毎にピントのずれた茶番を繰り返すのはもう沢山である。

 

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