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念願叶って平穏死
2012年02月27日(月)
今年に入って、はや10数人を看取らせて頂いている。
末期がんの方もいれば、老衰の方もいる。
「延命治療はお断り」という本人の願いが叶っての平穏死もある。
末期がんの方もいれば、老衰の方もいる。
「延命治療はお断り」という本人の願いが叶っての平穏死もある。
その方は、100歳近い方。認知症というより、老衰。
ある老健に入所していたが、食べられなくなった。
胃瘻を入れないと、入所継続ができないと言われた。
点滴も入らなくなった。
家族は、ネットで、「胃瘻」と入れたらしい。
すると私の名前が出てきたそうだ。
それで私を知りクリニックに来られてから
老健を退所され、在宅医療になった。
2ケ月ほど元気に食べていた。
デイサービスにも喜んで通った。
しかし、急に食べられなくなった。
点滴がてら、採血したが、炎症反応も無い。
肺炎ではない。やはり、老衰。
結局、食べられなくなって、1週間で逝かれた。
まさに大往生。
何の苦痛も無い。
眠るような最期。
こんなことは、いくら病院の先生に説明しても全く信じてもらえない。
病院とは、人の最期に「麻酔をかけて死なせる」ところ。
その「麻酔」のことを、「緩和医療」と呼んで
技術を競っている。
麻酔をかけることになったのは、己のせいなのに
自分に原因であることの自覚が全くないのが、いわゆる病院医療。
「大往生したければ医療と関わるな」という本が売れているらしいが、
全くこの著者のお医者さんの言われるとおりだ。
私なら、「大往生したければ、いい在宅医を探せ」となるが。
看板に「大往生科」と書きたいくらいだ。(冗談)
だから亡くなっても、家族は爽やか。
どこか少し泣き笑い。
亡くなってから、本人が尊厳死協会に入会していることを知った。
本人と家族の願いが叶ってよかった。
本物の「日本尊厳死協会」ではなくて、
「延命処置希望カード」だけの団体の簡単なカードだった。
文言は、「日本尊厳死協会」と同じ。
それでいいのだ。
あらためて、自分の意思表示を何らかの形で
示しておくことの大切さを感じた。
当院では当たり前の尊厳死が、
病院では、100%不可能な現実。
でも、本来それはオカシイ。
最近、どんな講演でも「尊厳死、平穏死」の話を入れるようにしている。
先週の講演もそう。
今週も、土曜日(姫路)、日曜日(西宮)と尊厳死の話をする。
「長尾先生、よく尊厳死させて逮捕されませんね?」と真顔で聞いてくる
間抜けな研修医がいなくなるまで、医学教育の現場にも乗り出す。
間抜けなのは、研修医ではない。
医学教育システム自体が、超間抜けなのだ。
死生学も医療制度学もモラルも志も教えることなく、
ヘンな医者を量産している。
病院がヘンだから、施設もヘン。
特養も老健もGHも全部ヘン。
まともに平穏死できるのは、在宅と
ごく一ごく部の施設のみ。
「死」が私のライフワーク。
「死」とは、実は、「生きる」こと。
日々、お看取りさせていている患者さんから
「尊厳死」の意味を教えて頂いている。
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