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相馬・井戸端長屋

2012年03月08日(木)

福島県相馬市の立谷市長から、メルマガが届いた。
5月のGWにお会いした時に自らが設計した長屋が完成。
これは日本の高齢化社会の住宅のひとつのモデルである。

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私の書き下ろしエッセー 「相馬井戸端長屋」

 

この記事は相馬市長立谷秀清メールマガジン 2012/02/28 No.265 より転載です。

 

福島県相馬市長

立谷 秀清

 

201238日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

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●相馬井戸端長屋

震災直後の避難所の暮らしは、プライバシーが保てないという大変な苦労はあったものの、反面、例えば同室の他人の息遣いまでが聞こえてくる、言わば究極の見守り社会だった。また、それぞれの避難所で自発的にリーダーを立て、ほとんど諍いを起こさせないで3か月も耐え忍んだことも驚きだった。市の職員を避難所ごとに張り付けてトラブルを未然に防ぐ工夫はしたものの、共同生活を大過なく過ごすことが出来たのは、コミュニティを自然発生的に作った賢明さだったと思う。617日、全仮設住宅の完成を機に避難所を一斉閉鎖したが、我われ対策本部としては、一世帯ごとにバラバラになってせっかくの見守り機能がなくなることを怖れた。震災によって単独者世帯となった高齢者の方などは、孤独死予備軍と考えられるからである。

 

避難所が小社会となって、リーダーを中心にまとまっていった被災者の方々の知恵と社会性は素晴らしかった。この秩序を仮設住宅での暮らしにも活かしていくために、全部で1500戸にもおよぶ所帯を集会所ごとのブロックに編成することにした。集会所は15か所あるから、1ブロックを平均100世帯の小集落に見立て、まずブロックごとにリーダーを決め組長と呼ぶことにした。次に組長のアシスタントを選び組長補佐とした。組長と補佐は、行政からの連絡係を始め、支援物資の配分や小集落内の清潔管理、果ては対策本部への要望の取次など、必要な仕事を山ほど処理していった。しかし高齢者の単身世帯への気配りや生鮮食品の配給などは、人口200300人に及ぶ集落の隅々までは手が回らないので、一つひとつの棟(5世帯)ごとに代表者を立て、戸長と呼ぶことにした。組長も補佐も戸長も、対策本部の作業の一部を担ってもらうことになるので、行政支援員として、僅かな時間ぶんで恐縮だが臨時雇用とさせてもらった。

 

相馬市流のマネジメント体制が出来たので、まず津波によって単身世帯となった高齢者を、一日に一度は集会所に集まって食事をしてもらうことを考えた。見守るのは組長さん。一日一回の食事(夕食)は避難所の給食システムをそのまま流用した。また一般の仮設住宅入居者にも夕食のおかずを2品配給することにした。こちらは主に戸長さんの仕事である。一緒に食事をとるか、また配食を受けることでコミュニケーションと安否確認をしている。

 

夕食の配食は、実は費用がかかるので苦労している。年間約2億円もかかるのだ。相馬を訪れた国会議員の先生方のほぼ全員が、この方式を「いいことをやっているねぇ」と褒めてくれたが、残念ながら未だ補助対象となっていない。24年度からは自立を促す意味でも、孤独者と子どもや高齢者などの災害弱者のみに限って継続してゆく。その際やはり組長戸長体制がものを言う。その人件費は、「絆」事業を活用してきたが、24年度からもこの事業が続くことがやっと決まったので、勿論、組長戸長体制を継続させることにする。

 

去年の9月の暑い日、小田原市の老舗の蒲鉾屋さんから4000人分の蒲鉾が届いた。送ってくれたのは「鈴廣」のばっちゃん。私に、「うちのは新鮮だから腐りやすいけど、大丈夫かねぇ?」「ばっちゃん、大丈夫。2時間もあれば配れっから」。事実、当日中に全世帯配布となったが、組長、組長補佐、戸長さんたちの連係プレーの成果である。また、支援物資が世帯数ぶん足りない時は、組長会議で分配方法を決めることにしている。最近は私も出来るだけ組長副組長会議に出させてもらって、今後の地域再生についてのこちらの考えを理解してもらい、また現場の様子も伺うように努めている。仮設住宅の中の住民同士のコミュニケーションは勿論だが、対策本部と現場の意思の疎通も大切だ。

 

24年度は、震災後一年間の経験と反省を踏まえ、被災者の方々への健康管理や将来計画に対する支援を強化していきたいと考えているが、同時に仮住まいからの離脱を少しずつでも実現していかなければならない。集合住宅や、小さいながらも一戸建て復興住宅の早期建設に取り組んできたが、こちらも新しい集落を作っていくことになるので、組長戸長制度に準ずるコミュニティ社会を企画することが必要である。

 

このうち集合住宅の第一棟となる、相馬井戸端長屋(#1)が3月に完成し4月から入居するので、仮設住宅からの旅立ちの第一陣となる。とは言っても社会に向かって大きく羽ばたくというよりは、今回の震災で孤独者になった99人のうち、特に高齢者の人たちがお互い見守り合って、共助の精神で老後を過ごすシステムとして考えたものだから、ある意味では一般的な高齢社会対策になるかも知れない。

 

この長屋は12世帯で、一世帯当たりの面積が12坪。それぞれにトイレと風呂と台所を備えるが、洗濯機を置くスペースは設けなかった。昔の長屋生活が井戸を共用していたように、洗濯機は共有スペースに3台置いて、共同で使うことにする。近くに、畳の小上がりスペースも作ったので、ここで会話が弾んでくれればいいと思う。また共同食堂を大きめに作り、一日に一回は入居者が全員集まって同じ食事をとってもらうことにする。昼食代を一食150円程度と考えているが、調理および配達は「NPO法人ライフネットそうま」で担当してもらえる。このあたりは、相馬市復興顧問会議座長の早稲田大学の北川正恭教授のご指導をいただいた。給食を一緒に食べる際や、共有スペースの掃除などの共同作業も出てくるので、仮設住宅で学習した組長制度に倣い「寮長」を置くことにした。

 

また、入居される高齢者の方々が要介護状態になった時のことを考えて、介助を受けることを前提に身障者用のトイレ、浴室を別途つくり、全館ユニバーサルデザインとした。こちらは来客も使うし、またイザというときは共有スペースをボランティアの活動拠点とする(震災ではボランティアの方々の宿所確保に実に苦労した)ので、最初から使い込んでいく必要がある。入居者が70代から80代の方々で占められることを考えれば、10年先には軽度の要介護状態になる可能性が十分あるし、その時に「この住宅では要介護状態に対応できないから老人ホームに入らざるを得ない」という事態に対し、ギリギリまで踏ん張れるようにと考えた。ゆえにヘルパーさんの事務室も玄関わきに作っておいた。

 

この考え方で入居者を選定し、10年後の入居者の身体的衰えに対応する運営方法を今から企画するために、若い3040代職員からなるプロジェクトチームを編成してシミュレーションを始めてみた。震災対応は実は息の長い話で、10年後のみならず、20年先、30年先という予測も必要だから。シミュレーションの途中でチームに新しい考えが浮かんだ。10年先に要介護状態の人が出た時の、見守り助け合いの仕方をいちいち想像するよりも、最初から要介護老人を入居させたらどうだろうということである。調べてみたら、今回の震災で単独世帯となっている老人二人世帯が18世帯、また身障者の方は188人もいることが分かった。

 

よって最初の入居世帯の内訳は、要支援の方がいる老々介護世帯を2世帯、身障者の方を2世帯入れて始めることにした。従って最初からヘルパーさんに来てもらうし、身障者用の共用トイレも浴室も使うことにした。私はかねがね、老々介護の片方が亡くなって老人単独世帯になったとき、一人暮らしの不安や不自由さゆえ老人ホームの需要が増えるとしたら、見守り体制だけでも整えておけば住み慣れた自宅での生活を維持できると考え、集落のヤングオールドの方々による声掛け訪問部隊「NPO法人ライフネットそうま」の支援に努めてきた。相馬井戸端長屋は、寮長さんを中心に長屋の中でこの考えを毎日実行するものである。

 

毎日の生活自体を共同作業にして、寮長さん中心に一日一日の日課をこなし、さらに週間予定、月間予定、年間行事を入居者どうしが協力して実行できるように、市役所がお手伝いしようと考えている。

 

三月末に完成予定の長屋第一棟は、世界的な石油化学メーカーであるダウ・ケミカル社から寄贈いただいた。相馬市の公共建築物のルールであるソーラーシステムを備えた、しかし外観は相馬藩の城下町を連想させるようクラシックな風情である。同社のご厚意に拙稿から改めて感謝を申し上げるとともに、しっかりとした復興をもってお応えしたい。

 

(#1)相馬井戸端長屋図面

http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/melma/img/0228_nagaya.pdf

 

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