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開業医から勤務医、そして嘱託医へ

2012年05月06日(日)

ある先輩医師(元開業医)と、いろんなお話をしていた。
彼はある年齢できっぱり盛業中の開業医を閉めて、病院の勤務医に転身した。
開業医⇒勤務医への転身は珍しいと思っていたら、1年前からさらに転身したと。
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彼は、勤務医も数年できっぱり止めて、現在は老健の嘱託医と
いくつかのグループホームの主治医をしているという。
すなわち、現在、実に多くの認知症患者さんを診ておられる。

「長尾君、認知症患者さんは、みんな自分が持っている世界が違うんだ。
だからこちらが、彼らの世界に合わせてあげると、とっても上手く行くんだ」と。

同じ、消化器病学の先輩だったのが、今は、認知症医療の先輩に。

彼は、現在の認知症医療が一番楽しいと言った。

「こんなおもしろい医療があるんだよ」と。

老健では、まずお薬を切る作業から始めると。
多くの処方薬を、少しずつ減らして、やがてゼロ近くにしていく。
すると、患者さんはみるみる元気になられる。

「誤嚥性肺炎の時は、どうするんですか?」と質問してみた。

その時は、提携医療機関に1週間だけ入院するんだ。

インスリンを打っている糖尿病患者さんはどうするのか?
答えは、インスリンを止めて好きなものをどんどん食べてもらう。

老健には医療が無いので、困るのかと思ってたら、
医療が無いのが、いいところなのかと思えてきた。
現代医療へのアンチテーゼとしていいという意味。

「これまでは死なせない医療だったが、今は死なせる医療なんだよ」
彼は笑いながら、さらに続けた。

「若い医者に総合診療を教えるべきだ。
専門医は総合診療の試験に合格してからしか受けれないようにすべきだ」

なるほど、現在の震臨床研修医制度では、総合研修や、地域医療研修を行う。
しかし、それをしても試験が無いため、受ける方も教える方も力が入らない。
総合診療試験に合格しないと専門医になれないとは、面白い考え方だ。

具体的には、日本プライマリケア連合学会の認定試験に合格することを
その後の、専門医試験受験の条件にしてはどうだろうか。
せっかくの新臨床医制度がこれで「本気の研修」になる。

こうすれば日本の医療も相当変わるだろう。

日本の医療問題といえば、高齢者医療だ。
これを最初にマスターしてから、専門医に行ってもらう。
卒後1年目を老健やグループホームで、みっちり学んでもらう。

photo51.JPG 高齢者医療のアーリーエクスポージャーの上に専門医療を位置ずける。
これからの超高齢社会に対応できる医師はこうして養成すべきだ。
かなり現実的な提案ではないか。

認知症の話から、総合医の話まで
先輩医師と思わぬ話題に花が咲いた午後だった。



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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

別のところで紹介されていた『平穏死』の石飛先生や『自然死』の中村先生の御本を
読みました。
以前読んだこちらの二冊の本にも感銘を受けました。


「家族にかこまれ、見なれた調度をながめ、好きな食べものを作らせ、
時には音楽をきき、時には絵を見、若い日のアルバムを持ってこさせ、
いまわの際には、肉親に後時を頼んで死んでいくのが敗戦までのふつうの
市民の死に方であった。死は厳粛な自分の営みであった。そんな死だけが
尊厳死と言える。今はそんな風には死ねない」
               松田道雄 『安楽に死にたい』1997年

松田先生は、また次のように書かれています。
「三分診察は、医者と市民とを人間としてつき合うことを不可能にしている。
往診をしないことになって、医者は患者を生活の場でとらえられなくなった」


そして、こちら。
「お坊さんには、臨終の枕元にいてほしい。息を引き取る患者さんの手を握り、
声をかけてほしい。脈をとるのはわたし、手を握るのはお坊さん。
しっかり握って、『安心して仏になりなさいね。必ず救われるよ』と。
・・(中略)・・ふだんから〝かかりつけの坊さん〝を持つことが大切です。
もちろん、牧師さん、神父さんでもかまいません」
             早川一光 『お迎え来た・・ほな行こか』1998年


勤務医も開業医も老健の医師も、大学病院の先生も町医者先生も、
終末が近づいている患者にとって、(中村先生曰く)カースト制のような
医者の序列なんか関係ありません。
人間として信頼できるかどうかが大きいのです。
転身された先輩医師のような方は、頼もしい存在だと思います。


中村先生は、「医者の傲慢・坊主の怠慢」と言って、今は両者とも信頼を失っている。
と書いておられますが、長尾先生のような活動が、最初は小さなしずくでも、流れ続けて
いくうちに他の流れと合流し、やがて大河となっていくことを願っています。

Posted by 花へんろ at 2012年05月07日 11:20 | 返信

“彼は、現在の認知症医療が一番楽しいと言った。「こんなおもしろい医療があるんだよ」と。”
「医療」をそのまま「介護」に置き換えると・・・
“彼は、現在の認知症介護が一番楽しいと言った。「こんなおもしろい介護があるんだよ」と。”
 昨日、ある介護福祉士養成校の夜間部の学生達に私はそんなことを話しました。「認知症の方は実は介護者を写す鏡。介護者の関わり方次第で落ち着いちゃう・・・。こちらの思うままにしようなんて大声あげている介護者は『私は認知症のことを知りません』といっているようなもの。
“「長尾君、認知症患者さんは、みんな自分が持っている世界が違うんだ。だからこちらが、彼らの世界に合わせてあげると、とっても上手く行くんだ」と。”本当にその通りです。そんなドクターがもっともっと増えてくださったら変な薬を盛られなくて済むのに・・・。
 でも、私はそこでもう一言加えるのです。「認知症の方の世界に合わせる(寄り添う)、これが認知症介護の原点。でも考えてみて・・・、そのことってなにも認知症の方に限ったことではないでしょう?どんな方でもその方の思いに寄り添うことは大切。そう、認知症介護は特別なことではないの・・・。」「認知症の方が落ち着かないということは介護者が落ち着いていないこと・・・、関わり方のどこが間違っているのか自分に問い直すことが大切かしら」
 認知症介護ができる人はどんな方の介護もできると私は思っています・・・。
 老人介護施設に勤めている時、医師は経費の関係で薬を整理せざるえませんでした。医師は病院から施設に向かう道々で人格が変わるんだ、とおっしゃってました(笑)。同じ効き目で単価が安い薬、不要な薬は抜く・・・、なんとなんと抜いた利用者は最初不安でたまらず、不機嫌になりますが、そのうち肌はきれいになり、目は輝きを取り戻し、食欲は増し…。どう思われますか?世のドクターの方々。
 製薬会社を儲けさせなくてもいいのではないでしょうか?
 ちなみに私の義兄も新しい主治医の英断で薬を抜きました。みるみるうちに言葉を取り戻し、体も柔らかくなり、「家族旅行も夢ではない」と喜んでいます。

Posted by 岡村 ヒロ子 at 2012年05月09日 12:58 | 返信

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