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覆面パトカー

2012年07月05日(木)

20年前の今日、この時間、阪大病院からの帰りに阪神高速で覆面パトカーに捕まった。
即免停、罰金7万円、は今でもハッキリ覚えている。
ファンである西村真悟氏の「覆面パトカー」に関する小文を平河総合戦略所から転載する。

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◎西村真悟  台湾と日本=自衛権発動の問題

◎西村真悟  「孫子」と「闘戦経」と「覆面パトカー」


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◎西村真悟  「孫子」と「闘戦経」と「覆面パトカー」

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 本日は、主に日本の文化と伝統の観点から、車のスピード違反などを取り締まる為の警察の「覆面パトカー」は断じて不可である、許せん、ということを述べておく。

 

 昨年の六月、特定失踪者調査会のメンバーと富山県の日本人が北朝鮮工作員に拉致された現場海岸を検分する為に、新しくできた第二京阪を走行中、四十年ぶりに速度違反で大阪府警の覆面パトカー(白いクラウン)につかまった。

これで免許証のゴールドはなくなった。

違反内容は、制限速度80キロのところを100数キロで走行していたこと。広い新しい道を快適に走行していると、突然、後ろの車が天井に灯りを付けて止まれ止まれと言ってきた。

 

 そして今月一日、大阪府河南町の「かなん道の駅」から国道309号線を西に向かって走行中、またもや速度違反で覆面パトカー(黒いクラウン)につかまった。反則金18000円。

 この時の状況は次の通り。

「かなん道の駅」からあじさいを積み込んで国道309号線を西に向かって暫く走行していると、左手に黒いクラウンが併走してきてスピードを上げたので、先に行くのかと思うとまた速度をゆるめて斜め左後方で併走しだした。何かつきまとわれているような、煽られているような感じがする併走の仕方だった。

 この黒いクラウンの後ろにも車が走っており、二台が併走しておれば後ろの車の進路をふさぐ格好になっている、とふと気になり、また高級車である黒のクラウンでこういう走り方をする運転手はろくな者ではないと思い、こういうのと併走することはないとスピードを上げた。

 すると、この黒のクラウンの屋根から赤い燈火がでてサイレンを鳴らし、兄ちゃんが運転席から手を出して左に止まれと合図している。

 前方の信号を超えて止まると黒のクラウンの助手席から兄ちゃんが出てきて、丁寧に、「この道は制限速度五十キロなんですよ。ちょっとこちらにきてください」といって高級車の後部座席に導かれた。そして、70数キロ出てたという速度計測器の記録を示し、速度違反で反則金を支払うことと相成った。

 この黒クラウンの運転席と助手席の二人は、私の息子くらいの歳の若者だ。こういう礼儀正しい若者が、こともあろうに雲助か反則金のピンハネ家業か騙し討ち請負のサンピンのような覆面パトカーに乗って青春を過ごしているのかと思うと、気の毒になってきて尋ねた。

「君らは一日に何時間、これをしてるの」

二人言う。

「ずーっと、一日中なんですわ」

 手続きが終わるまでのかなりの時間、黒のクラウンの外を、明らかに時速百キロを超えると思われる車が何台も走り抜けていった。二人の警官はそれには無関心で私に対する手続きだけをこなしている。

 思うに、横を猛スピードで走り抜ける者達は、獲物をえた覆面パトカーは、安全だと知っていて、「アホがつかまりよった」と笑いながらその横を走り抜けるのだろう。

 長い糞丁寧な手続きが終わったので、運転席と助手席の若者に、「ご苦労様でした」と労をねぎらって別れた。

 以上が、これから述べること、つまり「覆面パトカー不可」の理由の前提の事実である。

 

 まず不可の理由の第一、(感情論から)

 覆面パトカーにつかまれば、全く納得できない、おもしろくない、何故、こんな騙し討ちのようなことをするのかと怨嗟の感情を抑えることができない。

 併走して煽れば、併走された運転手は、併走を嫌がってスピードを落とすか速めるかどちらかをする。そのスピードを上げた奴をつかまえるのなら、ほぼ全ての運転手をつかまえることができるではないか。

 これは、違反を摘発するのではなく、警察自身が覆面パトカーによって違反を生産しているのだ。

 この場合、騙されるのは違反者の方で、覆面パトカーで騙すのは警察の方だ。警察が人を騙して反則金と称する金を取って社会秩序が保てると思うべきではない。

 パトカーであるのにパトカーではないと偽装したパトカー、つまり覆面パトカーとは、人を騙す為の道具である。

 警察が人を騙す道具をもっていてどうする。それも騙す相手は、例えばオウム真理教の犯罪者や凶悪犯ではなく一般の普通の運転手だ。

 麻薬捜査やスパイ捜査などでは「おとり捜査」の手法は許容される。しかし、警察が、日常的に覆面パトカーをうろうろさせて一般人を騙し続けることは、対象が一般国民であるが故に、国民道徳を変質させる恐れがある。

 日本国民の美質は、私の例のように、制限速度が60キロではなく50キロだと知らなくとも、指摘されれば、「そうだったのか」と抗弁しないことだ。「四六時中天下国家のことを考えているので、そういうことは断じて知らん」というような奴は女房にも見限られる恥知らずで、日本にはいない。いや一人いるだけだ。

 しかし、この美質は、警察が公明正大にその責務を日夜果たしているという健全性と一対となったものである。

 従って、覆面パトカーを相手にこの国民の美質を維持するのは無理だ。

 警察が、日本国民の美質を腐らせてどうする。

 

 次に、(目的論と抑止論から)

 警察は違反者を生産する為に存在しているのか。

 そうではない。警察は違反を抑制する為に存在している。

 そうであるならば、覆面パトカーをもとに戻して、正々堂々と子どもでもパトカーと分かる正規のパトカーにして道に走らせる方が速度違反を初めとする道路交通法違反事例を抑止し減少させることができるではないか。

 パトカーの横を猛スピードで走る者は覚醒剤を飲んでいるか一部の特殊な暴走族に限定される。

 正規のパトカーには、違反の抑止力だけがあり、現在の覆面パトカーが演じているような警察が違反者を生産しているというような余地は全くない。

 また警察は反則金をたんまり儲けるために存在しているのか。

 そうでないならば、違反者を作り出すような覆面パトカーを即時正規のパトカーに戻すべきだ。

 

 そして、(文化と伝統の観点から)

 我が国は、人を騙すことは悪いことだとする文化と伝統をもつ。だから人を騙して反則金を取る覆面パトカーは不可なのだ。

 つまり、冒頭に述べた感情論は、この文化と伝統から生まれてくる根強いものであり軽視してはならない。

 これに対して、支那は、人を騙すよりも騙される方が悪いとする伝統をもつ。

 つまり、日本は信頼を社会の原則としており、支那は猜疑を原則とせざるを得ない。

 ここで、支那と日本に顕れた二つの兵法書を対比して、彼我のこの文化伝統の相違を明らかにしておきたい。

 兵法書として支那には「孫子」があり日本には「闘戦経」がある。

「孫子」は、支那において易姓革命を成就させるために敵を殺戮する為の兵法で、「兵は詭道(きどう)」と説く。つまり、兵は敵を騙し意表を突き攻撃し絶滅させることだと説く。

 これに対して「闘戦経」は、日本においては、兵は詭道ではなく無秩序から秩序と和をもたらす天地自然と共にある誠心誠意の力であると説く。

 この違いは、日本の万世一系と支那の易姓革命によってもたらされる。

 日本は万世一系の天皇のもとに全ての国民が家族のような国であるから、兵法においても敵を騙さず和を目的とする「闘戦経」を生み出し、支那は反対に異民族が異民族を殺戮して皇帝を変える革命を正統とする国であるから敵を騙し殺戮する詭道の「孫子」を生み出した。

 

 覆面パトカーは、人の意表を突き人を騙す詭道である。

 従って、このような覆面パトカーを蔓延させることは、騙すより騙されるほうが悪いという、我が国の文化と伝統と正反対の退廃した嫌な疑心暗鬼の国に我が国をしてしまう可能性がある。

 

 以上のとおり、感情論そして警察の目的と違反抑止の観点から、さらに、文化と伝統の観点から、覆面パトカーは、有害であるから廃棄すべきである。

 また、このような人の揚げ足をとるような覆面パトカーに終日乗務しなければならない若い警官を、他の有用な生き生きとした警察本来の業務に振り向ける為にも、覆面パトカーの廃止が必要である。

もうひとつ紹介する。同じ日に書かれた文章として興味深い。

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◎西村真悟  台湾と日本=自衛権発動の問題

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政治の責務と正反対の民主党と沖縄防衛

 

 本日の産経朝刊に掲載された「正論」は、拓殖大学の遠藤浩一教授の論考で、六十四年前の片山内閣の官房長官であり初代民社党委員長であった西尾末広さんの、現在と同じ与党内の分裂という事態に対して行った内閣総辞職の決断を冒頭に掲げた上で、

現在行われている民主党内の「目を覆うばかりの惨状」を一刀両断に斬って捨てたものである。

 即ち、

「野田総理や輿石幹事長そして得意げに造反してみせた小沢一郎や鳩山由紀夫両元代表に、西尾が示した見識や覚悟が見当たらない。」

「輿石幹事長は、(保身のために)無意味としか思われない小沢氏との会談を繰り返して時間稼ぎをしてきた。」

「小沢氏らは2日、離党届を提出したが、反対票を投ずる前にそうするのが筋ではなかったか。」

 

 西尾末広は、当時にもあった党内宥和論をとらなかった。

 そして、政権与党分裂という状態のままで連立政権の重責を担うことはできないと思い決したのだ。

 西尾のその決断の前提には「政治の責務」に対する明確な認識と信念があった。これによって、この状態ではその責務を果たすことができないという決断に達したのである。

 

 彼にとっては、政治家の責務を果たすことが目的であり、自らが地位に留まることが目的ではなかった。

 

 官房長官にも色々ある。西尾のような、実質、総理を超える官房長官と、今のような、実質、丁稚以下の官房長官と。

 私は、この西尾末広を初代委員長とする民社党出身であることを誇りに思う。

 民社党出身者にして現在民主党にいる者は誇りに思う資格はない。自ら顧みて恥よ。

 

 昨日(2日)の晩、

 党に離党届を提出した親分の顔と、親分に離党届を提出しながら離党しませんと言い訳する馬鹿な三下の顔がテレビにでていた。四十過ぎれば、顔に責任を持てとは本当だ。 その時思ったことを一言だけ。

  あほらし、

  手品の種は開いてまっせえ

  やはり、あんたの嫁はんの言うたことが、ただしい。

 

 さて、政治の責務を話そう。

 それは、つまり、国防と外交そして経済だ。

 国防と外交は、国家が独立自尊の歩みを確保する為、

 経済は、国家と国民が食ってゆける為、

 の政治の責務である。

 

 しかるに、戦後政治とは何か。

 それは、占領憲法によって、国防と外交を無視して観ないようにしながら、経済のみに意識を集中するしかない体制である。

 しかしながら、この戦後政治を許容し機能させた冷戦はとっくの昔に終了しているにもかかわらず、我が国は未だに占領憲法の枠内に縛られて戦後政治を続けている。

 ここに現在の最大の国家的危機がある。

 

 そこで、民主党の野田内閣が一年間にわたって集中してきた「消費税増税」とは何か。それは、国防と外交の領域ではないことは明らかであるが、では、経済の領域なのか。

 私の答えは、経済の領域でもなく、むしろ「経済を無視した領域」だった。

 つまり、野田内閣は、政治の責務の三つのどれにも関心を示さずに、ただ「経済を無視した領域」である消費税増税に貴重な一年間を費やしてきたことになる。

 消費税は、国民に自発的な消費活動があることを前提とする税である。つまり、国民経済が躍動しており活力があることを前提にして、消費税率のアップが税収アップにつながる税なのだ。

 従って、民主党内閣は、既に書いたように、二年後に消費税率を上げる前に、政治の責務として我が国経済を活性化させる責務を果たさねばならない。

 しかしながら、分裂した民主党に、この深刻なデフレ経済を活性化する総需要喚起の方策を断行できるのか。答えは否だ。

 この党を出て行く者も残る者も、ただ、消費税に関して、マニフェストに書いたか否かだけを言っている。

 

 さて、国防と外交についてであるが、もう詳しく言う必要もない。

 野田内閣は、何も主体的に動いていない。属国であるが如く、アメリカと中共のなすがままである。

 尖閣を如何にして守るのか。

 北朝鮮に拉致された日本人を如何にして救い出すのか。

 中共の核ミサイルの脅威を如何にして防ぐのか。

 総理の野田のあの空洞の目は何も見ていない。

 

 要するに、野田の個人的問題に止まらず、特に民主党内閣になってからは、政治の責務である国防外交そして経済のどれに関しても彼等は無関心を決め込んで、ただ己等が一日でも長く与党生活を続けられる為の保身だけに関心を集中してきた。もちろん、その「彼等」とは、この度出て行った者達も含んでいる。

まさに、遠藤浩一氏が言うように「目を覆うばかりの惨状」だ。

 

 最後に、もっとも注意を要する沖縄のことについて触れて本稿を終えるが、アメリカ海兵隊の沖縄普天間基地へのオスプレイ配備について、沖縄説得に、英語で「自信がない」と言って沖縄へ行った防衛大臣がいる。

 任命権者である野田総理は、「自信がない」と言い放ちながら、形を付けに沖縄に行こうとする防衛大臣を、沖縄に飛び立つ前に更迭しなければならなかった。

 このことに気が及ばない総理や外務大臣は無能かつ無責任だ。

 何故なら、現在の我が国の国防力と中共の戦力を対比すれば、沖縄防衛にはアメリカ海兵隊の戦力が必要で、オスプレイはその為に普天間基地に配備しなければならないからである。

 

 このオスプレイ配備が困難だという状況を作っているのは、「大多数の沖縄県民」ではなく、本土から沖縄に群がる左翼と中共が沖縄で仕掛けている情報戦・工作活動の成果なのだ。

 中共の沖縄侵略は、情報戦、宣伝戦として既に始まっている。

 防衛大臣が「自信がない」と他人事のように言い放って沖縄に行き、総理大臣もそのような防衛大臣が沖縄に行くことに危機感もなく無関心だ。

さらに、沖縄県知事が、こともあろうに、反基地活動家の如く、何の権限あってか、オスプレイが沖縄に配備されれば沖縄の全基地を閉鎖するなどと「自信のない防衛大臣」に言い放つ。これは沖縄のみならず、全日本を危機に陥れる暴言である。

 この日本の政治状況を観て、ほくそ笑んでいるのは、沖縄侵略完了間近しと判断した中国共産党であろう。

 

 北海道から沖縄まで、日本全土の日本国民は、断じて沖縄と沖縄県民を二度と再び見捨ててはならない。

 その為に、見捨てないためには、

一刻も速く民主党政権を打倒し、

民主党によく似た自民党に政権を戻すのではなく、

新たに党派を超えて愛国の同志を結集した真の保守政権を樹立しなければならない。

 

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この記事へのコメント

私の住んでいるところに覆面はいないですけれど、すごく上手に見えないところに隠れていて見張っています。で、しょっちゅう取り締まってます。(私はないですけど)。
覆面でもいいのじゃないかなと、私は個人的に思います。
自分で運転してて思うのですが、「捕まるかもしれない」という気持ちがなかったら、スピードって出してしまうかも。
で、法定速度以上で走ると、何かあったときに、例えば人が横断しているのが見えたときに、子どもが遊びに夢中で飛び出してきたときに、止まれないです。
止まれなかったら、人を傷つけてしまうかもしれない。
車は大きいから、どんな理由であれ事故になってしまうと、巻子さんに起こってしまったような大きな被害を誰かに与えてしまうこともあると思うんです。
私はそれは絶対に避けたい。
だから、私はその抑止力として、覆面がいてもいいと思います。

Posted by ノンノン at 2012年07月06日 12:23 | 返信

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