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思わぬ副作用

2012年09月12日(水)

ちょいとばかり有名になったからか、毎日、山のような医療相談に埋没している。
外来、メール、手紙、FAXで、極めて長い物語、相談が届く。
医療への感謝どころか、医療への不信感の「はけ口」になっている自分がいる。
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がんの相談が多い。
本人は入院中。
健康保険は使えない。

遠くから来たので可哀そうなので無料相談となる。
しかし結論じみたことも言えない。
診たこともない、また主治医でもない患者さんの運命を決める資格など無い。

それにしても抗がん剤に関する相談ばかり。
日本の抗がん剤医療のおかしさが良くわかる。
がんを診て、人を診ず。

「末期がん」と言われたが、抗がん剤をやめてくれない、というパターンが多い。
自力で交渉して、イヤなら逃げればいいだけなのに、なんで相談に来るのか。
もう少し賢い患者になって欲しいな。

はっきり言って、遠方からの、ひやかし受診や相談受診は時間が取られるばかいり。
沢山の資料を引っ張り出して、多くの時間を費やされるが、結論なんか出るわけない。
おとなしく待っている、普段かかりつけの患者さんには、本当に申し訳ない。

断ればいいのだが、遠くから来ているのを断る勇気が無い。
医者は常に受け身。
応召義務がある。

意味の無い、セカンドオピニオン外来が続くとうんざりだ。

メールにも閉口している。
毎日、1000通くらいのメールが届くが、
全部、読むことができない。

読んでいるうちに次のメールが来る。
その場で反射的に返事を書かないと
永遠に埋もれてしまいそうで、怖い。

その中には、無料相談も沢山、混じっている。
できるだけ返事をするようにしているが、
それだけで日が暮れる。

FAX相談も来る。
知らない人からいろんな資料を送りつけられても困ってしまう。
ああ、思わぬ副作用に悩んでいる。
photo127.JPG
本が売れるとうことはこのような副作用も伴うということ。
分かってはいるが、遠くからわざわざ来られる方に
「来るほどの意味はないよ」というメッセージを伝えい。

私は地域の患者さんしか診ることができません。
外来通院は、できるだけ近くのお医者さんにしましょう。
往診するのも尼崎と西宮の一部だけです。


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この記事へのコメント

おつかれ様です。本が売れること、テレビに出たことの副作用で苦しんでおられますね。
中村仁一先生や石飛幸三先生は、どうされているんでしょうね‥と思ったら、
おふたりは、特養ホームの常勤医や診療所勤務だから、診療は限られた方?なのかな。
在宅への訪問診療も特養入所者が対象だから、無いのかな?

大学病院の有名医!じゃなくて、町医者であること、地域限定・地域密着の医師であることをいかにご理解いただけるか、
長尾先生は一人しかいないんだから、優先順位が重要!かかりつけのの患者さん、地元を大切に。
 「平穏死・10の条件」を読んで、何かを感じた人は、その人の暮らす地域で、相談者を探して見つけていくこと。
その地域らしい平穏死の迎え方を一緒に考えて、行動していく人たちをつなげていく「地域包括ケア」、「在宅緩和ケア」
がそれぞれの土地で生まれ、育まれていかないと「絵に描いた餅」で、終わってしまいます。

Posted by ゆいゆい at 2012年09月13日 12:32 | 返信

なんだかお気の毒です。
保険システムやお医者さんのお仕事の範疇なども日本とは違うかもしれないのですが、こちらでは、例えセカンドオピニオンでも、お医者さんにお話を聞くのに無料ということはまずありません。
伺う方も当然有料だと思って行きますし、お医者さんも当然払ってくれると思っています。
プロとしてその分野で仕事をされている方の時間をいただくわけですから、その時間は有料でいいと私は思います。

Posted by ノンノン at 2012年09月13日 01:19 | 返信

「もう少し賢い患者になって欲しい」…何故?そう言う「もう少し!賢い」ヒトに育ってないんでしょうね?と思います。日本の教育のあり方に遠因があるといつも思っています。何か、大切なこと、肝心なことを教えない、言い過ぎを許していただければ…隠してる?!日本の教育…「もう少し賢い患者になって欲しい」と叫んでる人たちが、あちこちで草の根的な啓発活動やら医療サロンなどを開いてますね。大いに期待したいところです♪在宅で平穏死を願う私は、家の構造も介護者や支援者が助けてくれるのに適した建て方を…バリアフリーやユニバーサルデザインとか、の商業ベースの売り込みなどに惑わされることなく考慮、検討して準備しました!ちょっと!生き死にへの「意識」をするだけで…少しづつ賢くなれる、そんなヒト達が育っていって欲しいです。そのような意識作りは幼少期からの教育にもとても必要なこと、と常常思わされています(^^)長尾先生の存在が必要とされている「今の時代」変化して行くことを確実に期待しながら、シッカリと自分の置かれた場所で自分の役目を果たしていければと願います♪「医者の不養生」にならないよう、長尾先生のご健康が守られるよう祈っています(^^)

Posted by あい at 2012年09月13日 10:12 | 返信

「平穏死10の条件」を尼崎に通う電車の中でよく読んでいます。今3巡めです。
それで思うのはものすごく内容が濃いと読み返すたびに想う事です。
失礼ながら、同じことを手をかえ品をかえて言い回しを工夫して1冊の本を出版される方が多い中、先生のこの度の本は熱い情熱と不都合な真実と厳しい事実、そして先生がどれだけ優しい方かというのが読めば読むほど伝わってきます。
ですから、「この先生に会いたい。」と行動に出られる方が続々と出るのは理解できます。
患者さんや病院運営に支障が出ないように何か待合に貼り紙などすればよいかもしれませんね。
できれば先生、患者さん、はるばる先生に会いに来られた方全てに配慮できる内容と言い回しを考えねばと思います。

Posted by チズ at 2012年09月13日 11:52 | 返信

>その地域らしい平穏死の迎え方を一緒に考えて、行動していく人たちをつなげていく
>「地域包括ケア「在宅緩和ケア」がそれぞれの土地で生まれ、育まれていかないと
>「絵に描いた餅」で、終わってしまいます


ゆいゆい様の仰る通り、長尾先生おひとりが、日本の医療界の救世主、スーパーマン的な存在に
なるのではなく、それぞれが暮らす地域で、かかりつけ医と総合病院の両方で、良心的な医師を
見つけておく、高齢になったときにどうするか、自分が住む地域での介護と医療の連携について
情報取集しておく、こうなった場合は家族にこう頼むなどシミュレーションしておくことが、
大切でしょう。
在宅医も、この人ならお任せできるという人を、診察圏内で見つけておきたいものですが、
これには、いくら素晴らしい先生でも遠距離すぎるとダメなど、運・不運があると思います。


ガンに関して、あらゆる本が出版され、あらゆる自説を述べる医師がいる時代。
占い師に聞くように、すべての問題が解決するようなご託宣はないでしょう。
患者さんの追い詰められた心境はよくわかりますが、『平穏死』の読者が、長尾先生に
殺到すれば、長尾先生の医療活動や生活が破たんしそうです。


ところで、自民党の総裁候補の石原幹事長。
「社会保障の削減につながる」という文脈で、『尊厳死』という言葉を出してきて、
失言騒動になっています。


政治家としての本音でしょうし、バカ正直に言うのはお坊ちゃまだなあと思ってしまいます。
ほかの方は思っていても、いろいろ地雷を踏むので、敢えて言わないのでしょう。
私は、それぞれが自ら納得できる形で尊厳死を選択する結果、「結果として」
社会保障費が減るのはOKだと思います。
「社会保障費を減らすために尊厳死を選ぼう」ということになると、尊厳死の本質が
置き去りにされるような危惧を抱きます。

Posted by 花へんろ at 2012年09月13日 04:58 | 返信

花へんろ様のコメント、「石原幹事長の発言」驚きました。
ここ2~3日テレビをゆっくり見ていないので知りませんでしたが、許せざる発言です。
失言で済まされる範疇ではなく、そういう意識の持ち主が政治を動かしていること自体が脅威です。
何のための政治かが忘れられている。
今の政治が狂っている原因が、政治を動かす人間の狂いにあることがはっきり分かる事例だと思います。

長尾先生のような医師が全国に広まってほしいですね。
今の時代、そのような医師を探すのは至難の業です。
先生のブログや「平穏死10の条件」を読みながら、患者が賢く医師を動かすしか今は方法がありません。
医師にしてもらいたいことを伝えながら、地元の第二の「長尾医師」が現れる事を願いたいと思います。

Posted by 桜 at 2012年09月14日 09:26 | 返信

私は、長尾医師の存在は、ブログのランキングに参加されていて
知ったのですが、それまで、全く知りませんでした。
私も、「地域包括ケア」に関心があり、普段医師とは看護士とは、
の職に就く人たちを全く知らないので、興味がありブログを読ませて戴きました。

どういった形で、医師側の趣旨でメディアに登場されたかわかりませんが、
伝わった方向性に誤りがあったのだと思います。副作用と言うよりは、
医師としてのブレインの伝わり方に、問題あったのだと思います。

Posted by たんぽぽ at 2012年09月14日 04:53 | 返信

ご苦労様です。一日のメール1000通には驚きました。
現状では先生には秘書さんが必要だと本気で思います。
絶対に無理です。先生のご健康が心配です。

Posted by たっちゃん先生 at 2012年09月16日 12:33 | 返信

石原幹事長の発言について補足させていただきます。


発言があったのは2012年9月11日夜にテレビ朝日系で放送された「報道ステーション」。
同番組では、日替わりで総裁選候補者が出演しており、この日が石原氏の出番だった。
番組は、さまざまな政策課題について見解を聞くというもので、司会の古舘伊知郎氏が
社会保障のあり方について、

「後期高齢者をどうするか、あるいはまた、いろんな自己負担のあり方。
富裕層に対しては自己負担率をお年寄りに上げてもらうとか、そのあたり具体的にお伺いしたいんですね」と問いかけた。
石原氏は、「こうすれば良いという個人的な考え方は、あります」
と、はぐらかそうとしたが、古舘氏が「だからそのお考えをお聞かせください」
「今言えないんですか?」
と食い下がったため、石原氏が自説を披露した。まず、いわゆる「貧困ビジネス」を批判し、都営住宅が低価格で提供されている事例を挙げながら、

「そういうものに変えていけば…。『ナマポ』。古舘さんもご存じだとは思いますけども。『ゲットしちゃった』『簡単よ』『どこどこへ行けば簡単にもらえるわよ』。こういうことを、是正することを私はできると思う」
と、ネット上を中心に使われている「ナマポ」という言葉を使って生活保護制度の改善を訴えた。この政策で、「私たちの試算では(歳出が)マイナス8000億」だとした。

「非常に誤解を招く」と繰り返すその上で、「この他にもまだあります」と切り出したが、
「ただこれは単純に言うとね。非常に誤解を招きますんで」
と発言を躊躇。
それを古舘氏が、「でもね、これは総理を目指している…」と発言を促したところ、
「一言だけ言わせていただくと、私はね、尊厳死協会に入ろうと思っているんです。尊厳死協会に。やっぱりターミナルケア。これからどうするのか。日本だけです。私誤解を招いたんです、この発言で。私はやっぱり生きる尊厳。そういうものをですね、いったいどこに置くのか。こういうことも考えていく、そこに色々な答えがあるんじゃないでしょうか」
と述べた。

このように、石原氏の発言からは、社会保障と尊厳死にどのような関係があるか分かりにくい。
なお、尊厳死はQOL(生命の質)と関連づけて議論されることが一般的で、社会保障政策の文脈で登場することは珍しい。

古舘氏は、批判が起きる可能性を察知したのか、直後に、
「これはそうやってある程度尊厳死を認めることで、医療費をカットするというお金の方に行くことに誤解を受ける部分があるから、『非常に慎重に、これから』ってことなんですね」
とフォロー。石原氏が「仰るとおりです。これは個人の意思ですよ」
と応じ、番組出演を終えた。

元々の石原氏の説明が分かりにくかったこともあって、ネット上では古舘氏が危惧したとおり「尊厳死で社会保障費が減る」という文脈で受け止められ、批判が広がっている。
今回の発言以外にも、石原氏をめぐっては「口が軽い」という評判がつきまとう。例えば12年だけでも
「(『胃ろう』患者は)映画で、人間に寄生している、エイリアンが人間を食べて生きている」(2月6日)


古館、石原両氏の間では、こちらのブログでも話題になった問題がやりとりされていますが、
この方の勉強不足のせいで、発言がお粗末、舌足らず、誤解されてもしかたのない内容となっています。
飲み屋のオヤジ談義ならともかく、仮にも総理大臣を目指そうという方の発言がこれでは・・・。
このブログに寄せられるコメントの方が、はるかに実体験からくる重みと、真剣に考えられた
深みのある内容が多いような気がします。

Posted by 花へんろ at 2012年09月16日 06:27 | 返信

「私はやっぱり生きる尊厳。そういうものをですね、いったいどこに置くのか。こういうことも考えていく、そこに色々な答えがあるんじゃないでしょうか」
???

以前長尾先生が、障害者団体の方と公の席で多勢に無勢の議論されたことがありますが、
生きる尊厳、死ぬ尊厳をどこに置くかと言うことは哲学的な問題で、その位置づけを考えて行く事が政治の上での色々な答えに繋がる・・と言う事が理解出来ません。

社会保障と言うやりくりの答えが、生きる尊厳の位置づけによって決まる。
どんなに善意に捉えても打算的な考えしか見えませんし、一度漏らした本音を言い訳しようとして、さらに本音が見えている・・そうとしか取れません。

「個人の意思」ならなおさらです。
こういう苦労知らずの、頭だけで考えるような人に、総理には絶対になってほしくないですね。

Posted by 桜 at 2012年09月17日 12:20 | 返信

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