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居場所の無い老人を作るのは家族
2012年12月13日(木)
数日前。在宅療養をしていた患者さんが家族の希望で社会的入院をした。
当然、寝たきりのボケボケになったが、その次の行き場所に困っている。
結局、最後に辿りつくのは、「お泊りデイ」だ。
当然、寝たきりのボケボケになったが、その次の行き場所に困っている。
結局、最後に辿りつくのは、「お泊りデイ」だ。
ひとつの部屋に、何人かが寝ている。
深夜だが、みんな目を開けている。
みんな虚ろな目。
入院前にはしっかりしていたが、
もはや私のことも分からない。
急激な認知症の進行に驚く。
やはり、入院したら終わりだ。
泊まり番の年配の方(ヘルパー?)が1名。
40年前の懐メロが部屋中に、流れている。
なんだか異次元の空間に迷い込んだ錯覚。
次の行き先を探すまでの、お泊りデイ。
昼間は、介護保険でのデイサービス。
夜は、100~5000円での介護保険外でのお泊り。
特養には入れない。
グループホームに入るには、全身状態が悪すぎる。
20万円の負担ができないという。
考えてみれば、20万円でも安いのではないか。
本人の年金が10万円ある。
貯金もある。
犬猫でも、1泊1万円はかかる。
医療費と合わせて、40万円はかかる。
人間には、犬猫の半分もかけたくない。
子供は、同居は絶対イヤ。
親を一人にするのも絶対イヤ。
お金がかかるところも、絶対イヤ。
結局、ケアマネに丸投げ。
ケアマネは、タダのような報酬で1ケ月、走り回る。
家族はそれが当たり前だと思っている。
本人は、入院したくなかった。
今も、自宅に帰りたい。
家族さえいなければ、充分家に帰れる。
しかし家族は、絶対イヤだという。
結局は、ないないねだり。
ああ、家族さえいなければ、この患者さんは
住みなれた自宅で、最期まで笑って過ごせるのに・・・
穏やかな最期を拒むものは、家族である。
この世のどの施設にも、居場所の無い老人を作るのは家族。
その確信が深まった。
深夜だが、みんな目を開けている。
みんな虚ろな目。
入院前にはしっかりしていたが、
もはや私のことも分からない。
急激な認知症の進行に驚く。
やはり、入院したら終わりだ。
泊まり番の年配の方(ヘルパー?)が1名。
40年前の懐メロが部屋中に、流れている。
なんだか異次元の空間に迷い込んだ錯覚。
次の行き先を探すまでの、お泊りデイ。
昼間は、介護保険でのデイサービス。
夜は、100~5000円での介護保険外でのお泊り。
特養には入れない。
グループホームに入るには、全身状態が悪すぎる。
20万円の負担ができないという。
考えてみれば、20万円でも安いのではないか。
本人の年金が10万円ある。
貯金もある。
犬猫でも、1泊1万円はかかる。
医療費と合わせて、40万円はかかる。
人間には、犬猫の半分もかけたくない。
子供は、同居は絶対イヤ。
親を一人にするのも絶対イヤ。
お金がかかるところも、絶対イヤ。
結局、ケアマネに丸投げ。
ケアマネは、タダのような報酬で1ケ月、走り回る。
家族はそれが当たり前だと思っている。
本人は、入院したくなかった。
今も、自宅に帰りたい。
家族さえいなければ、充分家に帰れる。
しかし家族は、絶対イヤだという。
結局は、ないないねだり。
ああ、家族さえいなければ、この患者さんは
住みなれた自宅で、最期まで笑って過ごせるのに・・・
穏やかな最期を拒むものは、家族である。
この世のどの施設にも、居場所の無い老人を作るのは家族。
その確信が深まった。
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この記事へのコメント
77歳 家に私の居場所はありません。好むこのまざるにかかわらず自室に追いやられる。
全く同感です。
Posted by 松本 潔 at 2018年07月28日 01:45 | 返信
家族さえいなければ、充分家に帰れる。のであれば、家に帰れば良いですよ、ね。
なぜ家に帰らないのですか?
自分の家ですよね。帰る権利がある。住む権利がある。
同居家族が帰ってこないでくれ、というなら、同居家族がその家を出れば良いのです。
はっきりしていることは、
自分の家であれば、本人が住む権利があります。
ただし、自分の家に住むたい、同時に、「家族」に同居せよ、同居して自分を直接介護せよ、という権利はありません。
家族には直接介護する義務はありません。
ああ、家族さえいなければ、この患者さんは
住みなれた自宅で、最期まで笑って過ごせるのに・・・
穏やかな最期を拒むものは、家族である。
という認識は、家族に介護を押し付けて来た医療専門家の愚かさ。
家族が本人の穏やかな最期を阻んでいるのではありません。
「病人や老人や障害者が自宅で暮らす」イコール「家族が直接介護をするのが前提」という「常識」が犯人です。
「病人や老人や障害者が自宅で『一人で』暮らす」ことが当たり前にできない社会に問題があるのです。
Posted by 匿名 at 2018年07月31日 02:36 | 返信
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