- << 居場所の無い老人を作るのは家族
- HOME
- お答えします >>
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
病院に放り込みたいと言う遠くの長女
2012年12月14日(金)
老衰で在宅療養している高齢女性がいる。
ギリギリで胃ろうをやって、老夫が栄養剤を注入していたが、徐々に弱ってきた。
そこに、遠くの長女から、突然、入院指令が飛んできた。
ギリギリで胃ろうをやって、老夫が栄養剤を注入していたが、徐々に弱ってきた。
そこに、遠くの長女から、突然、入院指令が飛んできた。
「どこでもいいから、病院に放り込んでくれないと困るわ!」
いきなり、そう言われても、こちらも困る。
第一、本人が絶対、「入院は嫌だ」と言い張っている。
家で死にたいと、夫と私の前でしっかり自己主張されている。
しかし、長女は、そんなことはおかまいなし。
「病院でできる限りの延命処置をしてほしい」と。
すでに全面的に胃瘻栄養で生きているのだが、
もっと延命処置をしてくれと、娘は言う。
「正月に海外旅行するので、それまでに死んだら
行けなくなるじゃないの」と、激しく怒る。
「誤嚥性肺炎くらい、医者なら治せないの?」とも、
取りつく島がない。
本人の意志より、遠くの家族の意志の方が優先する国、ニッポン。
そんなひとたちに、リビングウイルなんて言っても、言葉が通じない。
平穏死を阻害しているのは、息子や娘なのだ。
配偶者は覚悟している。
もちろん、本人も覚悟している。
しかし遠くの子供たちが、死を外注化して、先送りしたがる。
親を「病院に放り込んでくれ」という言葉が発せられる世の中。
死の外注化が普通だという、いまの40代、50代は、
終末期医療を勉強すべきだ。
いきなり、そう言われても、こちらも困る。
第一、本人が絶対、「入院は嫌だ」と言い張っている。
家で死にたいと、夫と私の前でしっかり自己主張されている。
しかし、長女は、そんなことはおかまいなし。
「病院でできる限りの延命処置をしてほしい」と。
すでに全面的に胃瘻栄養で生きているのだが、
もっと延命処置をしてくれと、娘は言う。
「正月に海外旅行するので、それまでに死んだら
行けなくなるじゃないの」と、激しく怒る。
「誤嚥性肺炎くらい、医者なら治せないの?」とも、
取りつく島がない。
本人の意志より、遠くの家族の意志の方が優先する国、ニッポン。
そんなひとたちに、リビングウイルなんて言っても、言葉が通じない。
平穏死を阻害しているのは、息子や娘なのだ。
配偶者は覚悟している。
もちろん、本人も覚悟している。
しかし遠くの子供たちが、死を外注化して、先送りしたがる。
親を「病院に放り込んでくれ」という言葉が発せられる世の中。
死の外注化が普通だという、いまの40代、50代は、
終末期医療を勉強すべきだ。
- << 居場所の無い老人を作るのは家族
- HOME
- お答えします >>
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
この記事へのコメント
本当にそう思います。
私も40代です。
最近になり、親の病気で、家族はどうあるべきか、治療とは何か、どのように知恵をつけてゆくか、そして、最期をどのように平穏に看取ってあげれるだろうか、その先にある自分自身の場合はどうしたいか?などを考えるようになりました。
今まで、大病院まかせだったので、そのツケを払うため、毎週、どこかの病院へ親と一緒に行きます。今は大病院から、近くの診療所やクリニックに移行をしている最中です。
町のお医者様に相談をして、教えていただき、学習中です。
今までキャリア志向でした。
時々、そのころを懐かしく感じて、そうした雑誌をめくると「親の介護は施設へ」と有名芸能人女性と、大病院のお医者様(?)とのインタビューが載っていました。
自分らしくあるために、親の介護に捕らわれず、自分の時間を持つ、というような内容だったと思います。
私も以前は、お金があれば、子育ても親の介護も誰かにしてもらうという考えは、恥ずかしながら持っていたと思います。
けれど、本当に、それでいいのかな?と今は考えます。
40代、そう遠くない時期に自分たちにも老いはやってきます。事実、私も今まで高いヒールを履いていたため、今はひざに痛みを覚えます。
これから先は、目が衰え、文字や文章の内容を理解することも困難になるのであろうと思います。
だからこそ、長尾先生がおっしゃるように、まだ頭が動く40、50代の時期に、終末期医療の勉強はしておくといいのではないかと思います。
本を読んだりネットで知識も得られますが、例えば、セミナーに参加したり、交流を持つ努力をしておくことも、大切な家族のターミナルケアとともに、自らの最期に対し考え向き合うことは、幸せに人生を送るためには必要なことだと、私は思います。
Posted by よしみ at 2012年12月14日 10:11 | 返信
今日先生の講義を受講しました、
先生のお話は病棟勤務の私には、目から鱗でした。
自宅は世界一の特別室
素敵な言葉です。
在宅は無理だろうと勝手な思い込みをし、転院を勧めてきました。
反省だらけです。
家族で両親が寝たきりになったらの話しをよくします、私は、働いて居るので、在宅は無理だろうと話してました。考えを改め両親の意見をもう一度聞いてみたいとおもいました。
看護観が変わった1日でした。
ありがとうございました
Posted by みゆ at 2012年12月14日 11:10 | 返信
みゆさんへ
良い看護師さんだなあと心から思い感謝しました!
この気づきからどう変わっていかれるのか楽しみにしています。
模擬患者ボランティアとして看護学生にも関わることがありますが
近頃は終末期医療の選択について訪問看護師役に相談する設定もあって
時代の流れを感じます。
「今日お時間あったらちょっと聴いてほしいんですけど」
勿論学生さんはまだ実習を終わったレベルで、困惑しながらも
一生懸命聴いて下さり、真剣で素直でまぶしい。
「ドクターにお伝えしておきますね。またみんなで話し合いましょう」
までいけたら、模擬患者としては大安心。
・・・当然ながら実際はドクター次第って部分が大きいでしょうね。
現場経験豊かな先生達のお話で、在宅医療の満足感が伝わってこそ
病院医師も看護師も「そんなに在宅が良いのなら」と一歩踏み出せるのでは。
みゆさんのコメントは、長尾先生への神様からのクリスマスプレゼントのようで
嬉しく読ませていただきました。頑張っていらした甲斐がありましたね!
Posted by 梨木 at 2012年12月15日 10:52 | 返信
コメントする
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL: