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理想と現実
2013年02月22日(金)
日本静脈経腸栄養学会のシンポジウム「日本人の胃ろうを問う」に登壇。
採択率がなんと13%の狭き門に採用されたが、
シンポジウムの議論かみ合っていない気がした。
採択率がなんと13%の狭き門に採用されたが、
シンポジウムの議論かみ合っていない気がした。
とても難しく、重いテーマ。
結局、
理想論を述べる学者さんと、
現実論で苦労している現場の方がたに温度差がある。
いつの時代も、理想と現実は解離するのだろうが、
胃ろうに関してはそのギャップこそが最大の課題に感じる。
日本の胃ろう問題をあぶり出すのは、難しい。
根底に病院と在宅と施設の文化の差もある。
医療と介護、福祉の文化の差の議論が必要。
あっという間にシンポジウムは終了。
充分に発言できないはがゆさが残る。
まだ本質に迫れていない。
演者の発表時間は、たったの5分。
司会者は、自分の意見を沢山言えるが、演者はあまり言えない。
私が最も尊敬する立派な医師を名指しで非難したのは、筋違い。
「胃ろうを造ったら、一生食べさせないなんてアホな医者はいないはず」という意見があった。。
私は逆に「胃ろうを造たあとに食べることに熱心な医者」など見たことが無いのだが。
「ガイドラインがあるので、訴追されません。ダイジョーブ」と言われても
現場は安心できない。
東大話法、のように感じた。
自分に都合のいいことだけ言って、
分からないことには触れない。
解決したことにしておく・・・
今日のシンポ、安富先生が見たらなんて言うのかな。
何を議論しようとしているのか、よく分からなかった。
シンポジウムの前の、胃ろうのセッションも私の感覚からかなり外れていた。
「自分はイヤだけど、患者には胃瘻をする。QOLの向上のために・・・」
「老衰への中心静脈栄養も悪いもんじゃないが・・・」
どんな理論でそんな結論が出るのか、私には理解不能だった。
胃ろうのための胃ろう議論。
医者のための、胃ろう議論。
病院しか頭になく、在宅や施設は無視して、日本の胃ろうを論じるという非常識。
結局、市民の声は、エライお医者さん達にはまったく届いていないように感じた。
また私がそこに存在した意味は、なにもない。
わずか5分のプレゼンに込めた想いは意味が無かった。
休診して金沢まで行った意味は無かったかのかな。
患者さんには申し訳ないことをした。
シンポ議論中に、携帯電話が20回以上鳴った。
メールで指示を出しながらのシンポ、となった。
こんな時、24時間365日は本当に辛い。
在宅患者さんには、「日本の医療を左右するシンポジウム中」なんで関係無いし。
胃瘻から中心静脈栄養に戻るなど時代に逆行していることが
全国的な現実であることが確認できたことが収穫だった。
このテーマはこの学会だけでは無理だと確信した。
この学会はやはり病院が中心の学会だし、
市民や家族の意向は調査はするが、反映されていない。
医者が市民の意向を無視して、勝手に進んでもいいのだろうか?
患者さんや家族の意向に寄り添うのが医療の原点ではないのか。
「自分がされて嫌なことは人にはやらない」のが人間の基本ではないのかな。
所詮、「胃ろうムラ」の中での議論という指摘に反論できるのか。
自分自身も胃ろうをするという人間だけで議論するのは不自然。
臨床倫理的にも、哲学的にも、もっとつこんだ議論が必要だと思った。
綺麗ごとだけでは、国民にとって意味のある議論にならないと感じた。
世の中にどうしてこんなに多くの医師がいて、患者さんに本当に寄り添えないのか。
「どんなに綺麗ごとを言っても医者のための胃ろう議論」に感じて仕方がなかった。
他の会場も、同じような空気に支配されていた。
一番大切なものが、置き去りにされている感じ。
帰りのサンダーバードは超満員で満員電車状態。
デッキに座ってこれを書いているが、足が痺れている。
金沢のホテルも超満員だった。
古い狭いビジネスホテルは寒かった。
函館の岡田晋吾先生と御一緒させて頂いた
美味しい料理が印象的だった。
この学会の地域医療連携の委員を拝命した。
これからは文句ばっかり言っていてもしょうがない。
クビになるまで、自分に与えられた使命を果たしたい。
雪にまみれた2日間が終わった。
結局、
理想論を述べる学者さんと、
現実論で苦労している現場の方がたに温度差がある。
いつの時代も、理想と現実は解離するのだろうが、
胃ろうに関してはそのギャップこそが最大の課題に感じる。
日本の胃ろう問題をあぶり出すのは、難しい。
根底に病院と在宅と施設の文化の差もある。
医療と介護、福祉の文化の差の議論が必要。
あっという間にシンポジウムは終了。
充分に発言できないはがゆさが残る。
まだ本質に迫れていない。
演者の発表時間は、たったの5分。
司会者は、自分の意見を沢山言えるが、演者はあまり言えない。
私が最も尊敬する立派な医師を名指しで非難したのは、筋違い。
「胃ろうを造ったら、一生食べさせないなんてアホな医者はいないはず」という意見があった。。
私は逆に「胃ろうを造たあとに食べることに熱心な医者」など見たことが無いのだが。
「ガイドラインがあるので、訴追されません。ダイジョーブ」と言われても
現場は安心できない。
東大話法、のように感じた。
自分に都合のいいことだけ言って、
分からないことには触れない。
解決したことにしておく・・・
今日のシンポ、安富先生が見たらなんて言うのかな。
何を議論しようとしているのか、よく分からなかった。
シンポジウムの前の、胃ろうのセッションも私の感覚からかなり外れていた。
「自分はイヤだけど、患者には胃瘻をする。QOLの向上のために・・・」
「老衰への中心静脈栄養も悪いもんじゃないが・・・」
どんな理論でそんな結論が出るのか、私には理解不能だった。
胃ろうのための胃ろう議論。
医者のための、胃ろう議論。
病院しか頭になく、在宅や施設は無視して、日本の胃ろうを論じるという非常識。
結局、市民の声は、エライお医者さん達にはまったく届いていないように感じた。
また私がそこに存在した意味は、なにもない。
わずか5分のプレゼンに込めた想いは意味が無かった。
休診して金沢まで行った意味は無かったかのかな。
患者さんには申し訳ないことをした。
シンポ議論中に、携帯電話が20回以上鳴った。
メールで指示を出しながらのシンポ、となった。
こんな時、24時間365日は本当に辛い。
在宅患者さんには、「日本の医療を左右するシンポジウム中」なんで関係無いし。
胃瘻から中心静脈栄養に戻るなど時代に逆行していることが
全国的な現実であることが確認できたことが収穫だった。
このテーマはこの学会だけでは無理だと確信した。
この学会はやはり病院が中心の学会だし、
市民や家族の意向は調査はするが、反映されていない。
医者が市民の意向を無視して、勝手に進んでもいいのだろうか?
患者さんや家族の意向に寄り添うのが医療の原点ではないのか。
「自分がされて嫌なことは人にはやらない」のが人間の基本ではないのかな。
所詮、「胃ろうムラ」の中での議論という指摘に反論できるのか。
自分自身も胃ろうをするという人間だけで議論するのは不自然。
臨床倫理的にも、哲学的にも、もっとつこんだ議論が必要だと思った。
綺麗ごとだけでは、国民にとって意味のある議論にならないと感じた。
世の中にどうしてこんなに多くの医師がいて、患者さんに本当に寄り添えないのか。
「どんなに綺麗ごとを言っても医者のための胃ろう議論」に感じて仕方がなかった。
他の会場も、同じような空気に支配されていた。
一番大切なものが、置き去りにされている感じ。
帰りのサンダーバードは超満員で満員電車状態。
デッキに座ってこれを書いているが、足が痺れている。
金沢のホテルも超満員だった。
古い狭いビジネスホテルは寒かった。
函館の岡田晋吾先生と御一緒させて頂いた
美味しい料理が印象的だった。
この学会の地域医療連携の委員を拝命した。
これからは文句ばっかり言っていてもしょうがない。
クビになるまで、自分に与えられた使命を果たしたい。
雪にまみれた2日間が終わった。
このたびURLを下記に変更しました。
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この記事へのコメント
ほんとにお疲れのこととお察しいたします。
「理想論を述べる学者さんと、現実論で苦労している現場の方の意見が違いすぎる」と、ソフトに書いておられますけど
「理想論を述べる学者さん」ではなくて、「オリの外から動物を診る」ような「医療者は患者の生殺与奪権を握って当然である」考え方の集団なのではありませんか。彼らは患者と同じ世界に生きてはいない。
そういう「先生方」が、日本の医師の主流なのですね。
根本には、医療倫理や哲学の問題があると思うのですが、長尾先生が生きておられる間に良い方向へ変えられるのでしょうか。
たぶん、象牙の塔の住人たちを変えるのは極めて困難、私たち普通の人が、機会あるごとに少しづつ周囲の人にこういった問題を話していくことが必要なのだと思っています。でも難しいです。下手に話すと、何かの団体に属して宣伝活動をしているように受け取られるので、あくまで少しづつ。
Posted by komachi at 2013年02月22日 08:38 | 返信
金沢の学会、お疲れ様でした。
先生のお気持ち、お察しいたします。この学会はもともと栄養についてかなり突っ込んだ議論をする学会でしたが、栄養から派生して学会そのものが大きくなりすぎ、他職種が爆発的に増え、裾野を広げていったことが、このたびのような偏っていて、まとまりのないことになっていると思います。緩和医療学会も大きくなりすぎ、緩和医療=疼痛緩和の構図になってしまいました。
JSPENでは私も役員をしていますが、そのあたりが歯がゆく、しかし学会活動には参画しないといけないジレンマも持っています。ことあるごとには先生のように「人を診る・ケア」の視点を訴えていくようにしています。
今のままでは病院と在宅の溝が深まるばかりで、今後の医療界に非常に危機感を持っています。
機会あれば松山でご挨拶させていただきたいと思います。
病院勤務の人間にも、心ある(と思っている)やつがいることをご理解下さい。
Posted by MM at 2013年02月24日 12:20 | 返信
まさしく、日本社会の問題が集中的に表現されていますね。金沢まで、患者の命を預かる人を呼びつけておいて、愚弄してみせる、というその神経が、まさに日本社会を破綻に追い込んでいるのだと思います。
Posted by 安冨歩 at 2013年02月24日 08:27 | 返信
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