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深刻・・・
2013年02月23日(土)
「撃論3月号」の小見出しに「日本の医療は狂っている」という一節があった事を思いだした。
私がつけた小見出しではなく編集部の方が過激につけたものだがあながち間違っていない。
この2日間に私が見て感じたことを正直に書こう。 エライことになるかもしれないが・・・
狂っている、と言ってもいい。
誰かに怒られるだろうが・・・
日本静脈経腸栄養学会。
通称、JSPEN
会員数18000人の大きな医学会。
どんどん発展している、活気に溢れた人気急上昇の学会。
新理事長に就任された東口先生は、尊敬する素晴らしい医師。
しかし、この学会は、直訳すると、
「胃ろうとIVH(中心静脈栄養)の学会」だ。
胃ろう、バンザイ!
IVH、バンザイ!
という雰囲気を、どこの部屋に行っても感じた。
胃ろうのことを悪く言うヤツは憲兵に取り押さえられる?
ような雰囲気さえ感じたと書けば、笑われるだろうか。
言い方を変えれば、人間に管をつけることが大好きな学会だ。
もし管をつけない、なんて言おうものなら、袋叩きに会いそうな感じ。
良く言えば、マニアック。
悪く言えば、変態的。(失礼!)
自然死、平穏死なんて、かけらも信じていない人の集まり?
もっとも、そんな本は敵の本として読んでもいないだろうが。
しかし、いくらなんでも、やり過ぎではないのか?
末期がんにIVHは、いくらなんでもオカシイ!と、誰か言って欲しいな。
「胃ろうバッシングと闘おう!」と気勢をあげるのは間違い。
批判を冷静に分析するのが普通の感覚だろう。
大いなる違和感。
この学会に参加している人たちは、私のような平穏死を説くものに
逆に大いなる違和感を感じるのだろう。
不思議なことに、どの議論にも、「生活」という視点や匂いが、乏しいと思った。
管や機械を、何がなんでもつけたいひとたちの集まりに見えてしょうがなかった。
むろん、患者さんのQOL向上を旗印に、管や機械をつける訳だが、
そのQOLって、そもそも誰のためなのか?
ブラックジョークではないが、もしかして
医療者のQOL向上のためではないのか?
最近、こんなことがあった。
老衰の親の人工栄養を中止して、自然に任せたいと願う子供たちが相談に来た。
自宅に帰って自然な経過に任せたい、と希望された。
ところが、病院の主治医は、こう言ったそうだ。
「長尾先生?ああ、あの先生は、単なる看取り屋だからね。
それに患者さんは、がんじゃないし・・・」
結局、別の病院で延命治療を続けることになった。
そうか、俺って「看取り屋」だったのか。
そうレッテルを貼られているのか。
まあ、医者が葬儀屋をやっているだけの存在としか見られていないのか。
患者さんのためと思っていても、「看取り屋」と言われると正直、力が抜ける。
でも、そういうあなたは延命屋さん?と言い返したくもなる。
予防や救命医療も一生懸命やっている。
そちらも負けないつもりだが、
そんな点は見られていないようだ。
もうおわかりだろう。
私から見れば、急性期病院は本当に深刻だ。
自分で穴を掘って、そこで勝手に入りこんで、唸っている。
もっと外部の意見、市民の意見に耳を傾けたほうがいい。
一方、慢性期病院、特に、日本慢性期医療協会に所属している病院は
急性期病院とは、空気がかなり違う。
「長尾先生、うちの病院は平穏死できる病院なんですよ!」と
胸を張って挨拶に来られた日慢協の病院長が何人もおられた。
講演も日慢協の先生からはあちこちから、呼んでいただいている。
耳を傾けてくれるお医者さんがいるだけでも、本当にありがたい。
正直、謙虚な学会だと思う。
しかし、急性期病院は、そのようなことはまず言わない。
無視、というか私の言っていることが理解できないのか。
日本とアトランテイス大陸。
文化交流すらできない関係。
急性期病院と慢性期病院と在宅医療界。
施設ホスピスと在宅ホスピス。
病院緩和ケアと在宅緩和ケア。
それらは源流は1つだっただろうのに、いつのまにやら、
あまりにも距離が開いてしまった。
これからは、それらの価値観をそろえていく作業工程になろう。
それを後押しする力を持っているのは、間違いなく、「市民」だ。
日本ホスピス在宅ケア研究会の役職も拝命しているが、
急性期病院から見たら、我々は異星人に見えるのだろう。
私たちが使う言葉が日本語だと仮定したら、
慢性期病院の言語は、英語かな。
まだ、充分、通じる。
一方、急性期病院の言語は、スペイン語とかロシア語に感じる。
正直、聴いていても全く理解できない。
言葉も習慣も思想も哲学も死生観も全く違う。
さらに、施設ホスピスは、中国語かな。
漢字の意味は分かるが、文脈は分からない。
では、日本静脈経腸栄養学会という大変、勢いのある学会は?
私の感覚では、戦前の日本に見えた。
一見、新しいようで、実は一番古い。
日本語は通じるが、
言論統制があるような。
「ギアチェンジ」という言葉を、JSPENのみなさまに捧げたい。
いずれにせよ、
かなり深刻・・・
もちろん国民にとって。
ショックを受けている・・・
PS)
JSPENは、東口・新理事長の手で、少しずつ変わっていくと信じている。
自分自身も本当に微力ながら、その一翼を担いたいと思っている。
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この記事へのコメント
急気管切開でほぼ寝たきりの状態の人に
咽頭分離手術をすすめた医師。
勿論…断りましたが…
これってどうなのか?
Posted by エール at 2013年02月23日 01:51 | 返信
確かに、長尾先生は、最近の救急病院のお医者さんとは、違う感じですね。
長尾先生は(私の小学校時代の、高安先生はよく往診して下さった先生で、小児科でもあるし、外科も兼ねて、私の頭のガラスで切った傷も縫って下さいましたけど)その高安先生のタイプですね。
医療界の事は分かりませんけど、長尾先生みたいなお医者さんも、増えて行くのじゃないかな。長尾先生の御著作も、初めはどうなるかと思いましたが、良く売れてるし。
では、意見が合わないのは、弁護士だけじゃなくて、身内のお医者さんも、意見の合わない人種がいると言う事ですね。
Posted by 大谷佳子 at 2013年02月23日 02:32 | 返信
忘れていましたけど、こんな状態で、TTPに参加したら、どうなるんでしょう?
日本の医療は良くなるのか、悪くなるのか、さっぱり分かりませんね。
良くはならないみたい。
Posted by 大谷佳子 at 2013年02月23日 03:15 | 返信
患者が望まない医療処置を医師から勧められた時に、本人も家族も望まないのに何故医師の勧めに従って望まない処置に同意してしまうのか、
答その1:患者側の知識不足、勉強不足。
医師の説明が、その医師が勧める処置についてのメリットを強調して説明するので誤解する、というか騙される。
答その2:選択するという責任を回避したい心理。
医師はエライ専門職なので、素人である患者や家族は専門職の言うとおりにしたほうが無難だと考える。逆に言うと医師の言うとおりにして良くない結果が出てもそれは医師の責任だから自分達の責任は回避できる、と思ってしまう。
答その3:弱者である患者の立場。
医師はつながりが強いから、その医師に逆らって病院を追い出されたら、回覧板みたいなものを回されてどこの医師も診てくれなくなる、そうなったら困る。
答その1について:知識を得て自己防衛する。
今ではネットでなんでも調べることができます。長尾先生以外にも、末期がんにIVH不要、をはっきり主張している緩和ケア医、在宅医がネットに記事を載せています。いろんな立場の人がいろんな記事をネットに載せていますから、勧められた医療処置についてじっくり学習しましょう。
答その2について:自己決定する。
その処置を勧めたのは医師であって自分たちは専門家の言うとおりにしただけだから医師の責任だ、と言ったところで取り返しはつきません。人工呼吸器も胃瘻も中止されない。明らかな不注意による手術ミスなど訴訟を起こせば勝てるかもしれませんが訴訟って、メチャクチャ時間かかってず~っと不快な思いをし続けるのです。それに、勝って賠償金をもらったところでちっともうれしくないと思います。だから、最初から自分の責任で自分で選択したほうがスッキリします。
答その3について:これは・・・難しい。
これが一番問題だと思います。医師はいくらでもパワハラできる存在です。ジワジワ嫌がらせして患者の方から出ていくように仕向けるか、医師が勧める処置に同意せざるを得ない状況へ追い込むことを、医師も病院も施設も、できるのです。
結局、モラルの問題に行き着くと思います。患者の自己決定権を尊重してパワハラしない医師、病院、施設のリストができれば良いのですが。
Posted by komachi at 2013年02月23日 05:42 | 返信
長尾先生が「単なる看取り屋」だなんてとんでもない大ウソです。
そんな無責任なネガティブキャンペーンはやめてほしい。
患者さんを「生かそう」とすることにどれだけ先生も訪問看護師さんも必死か、そしてシツコイか(失礼!)実際に寝た切りの誤嚥性肺炎をくりかえす母と、痴呆の父の糖尿と心臓病と更に前立腺がんの再発防止の治療を細かい心遣いで数年来ケアしていただいているわが実家の実例を照らし合わせたらそんなことを患者さんにネガティブキャンペーンをする医師がいること心外です。
現在も父の心臓カテーテル手術をおこなった大病院との細かい連携をお願いしている真っ最中です。
先生がうちに訪問診療に来られるたびに仰られるのは「どうしたらこの奇跡のような平和なこの幸せを1日でも長く続けてもらえるやろうか。」です。看取りのみの字もありません。
今から昨夜先生の指示で父が緊急搬送された病院に行くところです。
父は「長尾先生がここに入院させてくれた。」と言ってますよ。
Posted by チズ at 2013年02月23日 11:54 | 返信
「看取り屋」と云う言葉は長尾先生への最大の褒め言葉だと思います。その主治医先生はご自分の権威か立場を守らなければならない立場に立たされたと感じたと考えられます。ただ主治医ご当人は自分が守勢にまわって居るという自覚は無いようですが、それでも長尾先生を見下す発言を、弱い立場とその主治医先生が考えている親族さんに対して行った訳ですから長男先生の影響力を主治医先生が感じ取っていることは確かです。もし長尾先生の存在感をその主治医先生が本当に意識していないのであれば長尾先生を蔑む発言をする必要は無く「そういう考え方もありますね」で済ませておけば良い事です。私から見ればその主治医先生の怖がり様が大きすぎて滑稽です。長尾先生は「現実を見よ」と仰っているのですけれども、ある方面の人たちを脅してしまったのです。と同時に攻撃材料としてご自身を提供してしまわれたのです。長尾先生のような人を攻撃することで組織内で自分の得点を狙う人も多いでしょう。それにしても長尾先生は連戦連勝です。事実は変えようが無いのですから。ただし膨大な時間がかかります。事実は大勢の合唱で、あるいは文書で造れるという価値観も強いですから。追伸:有難うございました。読みました。
Posted by 異端者 at 2013年02月23日 01:37 | 返信
私は長尾先生のようなドクターが増えて来る事を願って居ます。
夫と娘の3人家族です。
13年前に尊厳死協会に入会しました。
まだ、娘は25歳でしたので強制はしませんでした。
そのため正規会員では有りません。
3人だけの家族の為、娘には絶対に負担は掛けたく無い為に遺影を用意するだけになりました。
自分の命は納得して責任を持って閉めたいと思っています。
私達は長尾先生のようなドクターが増えてくれる事を願って居ます。
Posted by 三澤千惠子 at 2013年02月23日 02:12 | 返信
別のところにも書かせていただきましたので、多くは書きません。
市中急性期病院に勤めていますが、いわゆる大病院の急性期と、地域医療・在宅を両方診ないといけない立場にあって、先生のような在宅のプロ、急性期治療のプロ。キュアとケアの対立の構造は、私たちのような立ち位置から見ると、非常につらく、悲しい状況です。お互いが信念の腫脹を繰り返していることはわかりますが、その対立構造は患者さんを苦しめることにもなります。
私は急性期病院に在宅診療部が必要であることを実感し、なんとか、お互いのギャップが埋められないかを模索しています。
批判を繰り返すことは悲しいことです。急性期病院にも、こんな考えをしているやつがいることを汲んでいただき、いろいろと教えていただければとおもいます。
よろしくお願いいたします。
Posted by MM at 2013年02月24日 12:32 | 返信
「キュアとケアの対立の構造」について卑近な例を述べさせてください。もし御門違いでしたら、素人が何を馬鹿なことを言っている、と一笑に付してください。
認知症の今年84歳になる母は、現在は特養に居ますが、以前は老健でお世話になっていました。
ある時、蜂窩織炎の症状で足が腫れて高熱が出ました。老健の看護師さんは「すぐそばにある老健の母体病院へ入院して絶対安静にすれば一日か二日で熱は下がります、でも老健の自室で点滴するだけだと一週間以上かかるでしょう。入院しますか?」と聞きました。何も知らない私は「入院したほうが良いかも知れませんね」と答えました。
するとその看護師さんは「病院は治療が目的なので、老健のように介護が目的の場所ではないから、入院して絶対安静にするということはトイレに行くこともしてはいけない、だから導尿することになり、拘束することも有り得ます。」と教えてくれました。私はそういったことは何も知らなかったので「少し時間をください」と言って、本人や本人の夫と話をした後、「申し訳ないけれども、また介護の手間がかかってたいへんだとは思うけれども、入院させずにこのまま、老健の自室で点滴してください。」とお願いしました。
結果、母は老健の自分の部屋で導尿も拘束も無くお世話をいただいて、一週間ほどで回復しました。
私達は、導尿の経験が無い母が導尿され拘束も回避できないデメリットよりも、熱が下がらず治療が必要な日数が長く、もしかしたらもっと悪化する可能性もあるデメリットを選びました。
理由は、入院させると本人の尊厳が侵されるからです。
私は、その時の老健の看護師さんにとても感謝しています。病院と施設の違いをそれとなく教えてくださったので、私達は「ウチの家族にとって」正しい選択ができました。
今の特養の看護師さん達は簡単に入院を勧めます。入院するとどうなるか、など彼女たちは無関心です。理由は、昨年新設の特養で、新規に採用された彼女達は病棟看護師の経験しか無いので、まだ病院の理論から抜け出せないのです。
キュアとケアは対立するものではなく融合できると思います。方法は、キュアのスキルを持った方々が、ケアの心を持つことだと思います。長尾先生のように。
Posted by komachi at 2013年02月24日 05:56 | 返信
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