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「平穏死」という親孝行

2013年03月04日(月)

今週、「平穏死」という親孝行という本が出たが、何故か売れゆきがとてもいい。
アマゾンも発売初日とその3日後の2回、売り切れた。
今日の講演会場でも、すぐに売り切れになった。

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この本は読み易いのかな?
自分ではよく分からないが。
子供世代が死を学ぶことが大切。

http://jump.cx/oyakoukou


平穏死・3部作の三作目です。

メデイアでの宣伝はこれからのようですが、
よろしければ読んでください。

みなさまの感想が楽しみです。

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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

“長尾先生の「平穏死」という親孝行”の御本は、概ね、正しいと思います。
父を介護している時、いや介護する前に、この本を読めたら良かったと思います。
長尾先生の長い臨床体験から、嫌でも、気がつく真理だったのでしょう。
老人が、平穏に死を迎える事ができるかどうかは、医療と、子供のコラボレーションなのですね。医療が素晴らしければ、子供は何の疑いも無く、親を医療に任せることができるのです。医療が、「延命治療」と称して、患者を苦しめるので、子供は賢明でなければならないのです。
私の父の場合も、MRSAに罹患して、その病院では治癒しないのであれば、自宅に帰してくれれば、有りがたかったと思います。「抗生物質を工夫しているから、治ります」とか「市民病院に紹介するから、胸部のXーPを取らせてくれ」とか、「良くなるから中心静脈栄養をさせてくれ」とか、嘘ばかり言われると、「医療関係者」が白衣を着た悪魔のように思えます。
MRSAって、現代医療が第3世代セフェム系抗生物質を使いすぎるから、発生したと、聖心女子大の教授である夫を亡くした、奥さんが20年も前に本に書いていました。
私は今は、母の(多量の尿漏れ、10秒間の姿勢保持の不可、認知症)に悩まされています。10年ほど前から、「正常圧水頭症」と言う病気について、教えて貰っているので、もし母が正常圧水頭症であれば、腰椎部から、腹腔への、シャント術で回復するのではと思うのですが、その手術で、死の転機をとれば、また後悔すると考えると、二の足を踏みます。毎日汚れものを洗濯して、それで、無事に生きてくれれば、ヘンに医療に関わらない方がましかとため息をついています。
この長尾先生の御著作の趣旨は正論です。
しかし「在宅で、親を看る」には、大勢の家族がいるか、多少の財力が必要なんじゃないかと思います。皆が皆、親を在宅で看護できるか、というと、そうではないと思います。其々、夫には夫の両親がいるし、妻には妻の両親がいます。在宅で看たいのだけど、諸事情でそうはできない子供も、大勢いると思います。
医療の方も、そういう患者の家族を騙すのではなく、どの病院や、どの施設でも、平穏死ができる医療を目指して欲しいと思います。

Posted by 大谷佳子 at 2013年03月04日 03:13 | 返信

半分くらい読んだところなので中間報告です。
この本は読みやすいですね!前の本では人ごとのように逃げ道のあった「平穏死」という概念が、「親の平穏死」という二人称の角度から切り込むことで、実は万人にとっていつかは真剣にとりくまねばならない問題だと言う事がバレたという感じ。
時々出てくる薄くもやのかかったような在宅現場の写真は「うちかな?」と思うほど良く似ていました。在宅ってどこもあんな感じなんですね。そしてそこにある穏やかそうな家族の方と先生の明るい笑顔はもやがかかっていてもハッキリとわかりますよ。

Posted by チズ at 2013年03月04日 08:22 | 返信

大谷様の下記コメントにまったく同感です。
『しかし「在宅で、親を看る」には、大勢の家族がいるか、多少の財力が必要なんじゃないかと思います。皆が皆、親を在宅で看護できるか、というと、そうではないと思います。其々、夫には夫の両親がいるし、妻には妻の両親がいます。在宅で看たいのだけど、諸事情でそうはできない子供も、大勢いると思います。
医療の方も、そういう患者の家族を騙すのではなく、どの病院や、どの施設でも、平穏死ができる医療を目指して欲しいと思います。』

Posted by komachi at 2013年03月04日 08:32 | 返信

『しかし「在宅で、親を看る」には、大勢の家族がいるか、多少の財力が必要なんじゃないかと思います。皆が皆、親を在宅で看護できるか、というと、そうではないと思います。其々、夫には夫の両親がいるし、妻には妻の両親がいます。在宅で看たいのだけど、諸事情でそうはできない子供も、大勢いると思います。
医療の方も、そういう患者の家族を騙すのではなく、どの病院や、どの施設でも、平穏死ができる医療を目指して欲しいと思います。』
ごめんなさい 上記ご意見に反発です。
本来はみな 昔は家で看取りをしたのです。それが医療が発達するにつれ 「いつでもどんな状況でも病院は受け入れてくれる」「病院へいれておけば安心だ」となってしまい 在宅で看ようとしなくなったのですよ
でもご本人が過ごしたい場所は住み慣れた家です
最期まで自分の過ごした場所にいたいと思っておられます
頭からできないではなくて できる方法を考えてみたらいいのではないでしょうか?
そのために今、在宅医療が大きな変革を遂げています
昔はお医者さんだけでしたが、今はバックアップする看護師・ヘルパーさん他 多数の職種が協働しています
一般的にはその術がわからないのだと思います
もっとアピールできたらいいですよね

Posted by にゃほ at 2013年03月04日 11:25 | 返信

私は小町さんのコメントから、ヒントを貰いました。
私も小町さんの意見に賛成です。
私は自分の父の介護を何年もしました。今は母の介護をしています。
でも何らかの理由で、在宅介護する機会を逸して、施設や病院に親を入れてしまったからと言って、親不幸とは私は非難できないと思います。
これから、良い方向に持っていくには、どうしたら良いのか、話し合ったら良いと思います。
御自分が、長尾先生の御著作について、どう思うのかお書きになれば良いと思います。

Posted by 大谷佳子 at 2013年03月05日 02:47 | 返信

にゃほ様へ

「在宅看護」と「在宅介護」と「在宅で、親を看る」、「家で看取る」に関連していくつか言及します。

「在宅で親を看る」意味はふた通りあると思います。ひとつは「自宅で親を看る」、もうひとつは「介護施設で親を看る」。この二つの対極にあるのが「病院で親を死なせる」だと思います。

大谷様は「自宅で親を看る」意味でコメントされたと思います。

にゃほ様のコメントも「家=自宅」の対極としての「病院」しかお考えの範囲にないように受け取れます。

私は「平穏死できる介護施設」が増えてほしいと思っています。

理由は、「看取り」は「介護」と継続しているからです。

にゃほ様のコメントの「本来はみな 昔は家で看取りをしたのです」という時代は、平均寿命が60歳といった時代で、今のような長寿者はほとんどいない頃の話です。「家で介護」した後、「家で看取る」ことになるのが普通の成り行きだったと思います。

とても冷たい表現ですが、「看取り」に要する期間は3ヵ月かせいぜい半年、しかし、その前の「介護」に要する期間は現在では計り知れず、5年、10年、それ以上を覚悟しなければなりません。昔なら1年も持たずに死んでいた傷病が、半身不随や認知症と共に生き残ります。「寝たきりで10年」も珍しくありません。

① なぜ「平穏死できる介護施設」が増えてほしいと思うのか。自宅介護の現実について述べます。
にゃほ様の表現の「バックアップする看護師・ヘルパーさん他 多数の職種が協働して」いても、現在の制度では自宅介護を担うのは「家族」です。
「家族」がいない独居であれば、ケアマネは要介護度に応じたサービスを目一杯使ってくれて、独居の被介護者が無事に過ごせるようにできるだけのことをします。
しかし「家族」がいれば、ケアマネはできるだけ介護保険を使わずに「家族」を使おうとします。批判を覚悟で表現するなら、「親孝行という日本古来の倫理観を利用して家族に責任を押し付け、無料の家族労働を可能な限り使う」。これを、介護費削減の方針としている地方自治体もあると、聞いたことがあるのですがデマでしょうか。行政側からこういった指導を受けているケアマネは少なくないと私は感じています。
「バックアップする看護師・ヘルパーさん他 多数の職種が協働して」いても、現実として、自宅介護で追い詰められているのは「家族」です。それも、多くの場合、キーパーソンなどと言われて一人の「子」が責任を負っています。繰り返します。現実として、ケアマネは被介護者の「家族」を助けるのではなく、「家族だから」当然の無給の介護労働をさせます。ケアマネは、家族介護者が倒れるギリギリまで、使います。
「親」は、子供が、自分の介護のために、やりたいこともできず、学びたいことも捨てて、友人も去っていき、それどころかまともに寝られず、ゆっくり食事もできない、髪振り乱していつもイライラしている、そんな人生を送って欲しいと願っているのでしょうか。自分の精神が崩れる恐怖と戦いながら介護している人がたくさんいるのです。
私は、「親」は、「子」に、幸せな人生を送って欲しいと願い、自己実現をして欲しいと願っていると思います。だから、「親」である自分の介護のために、「子」が人生を費やし可能性を潰して精神まで病んでいるのを見て、悲しいと思います。「子」の幸せを願うのが「親」です。

② なぜ入院になってしまうのか。一般的な勤め人の現実について述べます。
私の知り合いは、大きな家に住んでいて通える範囲なのに子供を大学生の頃からアパートに住まわせました。就職に有利だからです。親と同居していると、いつ介護で仕事に支障をきたすかわからないので良い就職先は得られないのです。
介護休暇を取れるなんて夢のまた夢。公務員か大企業でパワハラ退職させられないくらい何年も勤め続けた一部のエリートの特権です。それに何よりも、「介護」はいつ終わるかわからないのです。何日かの介護休暇は何の役にもたちません。親の介護が降りかかってきたら、退職するか、仕事に差し支えない範囲で適当にやるか、寝る時間や食べる時間を削って介護に当てるしかありませんが、寝食を削ると健康を害して仕事に支障を来たします。
フルタイムで働いていたら、胃瘻が何なのか、後々どうなるのか、そんなこと調べているヒマなんかありません。尊厳死が何だ?というのが普通の労働者です。特に現在の社会情勢は厳しいから社内で自分の席を守るだけで精一杯です。病院と介護施設の違いさえ知らない人がたくさんいます。
勤め続けるなら親の介護は他人にお任せするしかなく、特養には何年も待たないと入れないし、とりあえず有料老人ホームへ入れたけど、あるいは親の自宅でヘルパー任せにしていたけど、具合が悪くなったから入院させろと言われて、入院させて医者の言うとおりにしておけば大丈夫だろうと、医療機関の為すがままに為した結果が「管まみれ」というのが、現実なのだと思います。そういう「家族」を責めることはできないと思います。責めるべきは医療機関と共にある「医療ビジネス」だと思います。

①と②の現実を、共に解決する方法は、特養のような介護施設を増やし、介護が必要になったら誰でも簡単に入所でき、住み慣れたその特養で顔見知りの介護スタッフに囲まれて平穏死で看取ってもらう、ことができるようになることだと思います。いわば、その施設が自宅に準じた「平穏死の場所」になるのです。
家族は通常は行きたい時に面会に行き、数ヶ月間の看取り時期であれば頻繁に会いに行けるようにスケジューリングできると思います。

もちろん、家族介護力をアテにしない自宅介護と自宅看護と自宅看取りが可能であるならそれが最高だとは思います。
けれども、看取り時期以前に、一軒一軒に、暑い寒いを調節し清潔な衣服を着せ話し相手になり毎食暖かい安全な食事を提供して便通をチェックし服薬と健康管理をするに足るヘルパーを配置するなんて、これだけで経費的にすごい金額になってしまうと思います。
家族介護力をアテにしない自宅介護と自宅看護と自宅看取りを実現するだけの予算は、現在の日本には無いと思います。施設介護の方が安上がりだと思います。

こういった理由から私は「平穏死できる介護施設」が増えてほしいと思うので、大谷様のコメントに同感しました。もちろん、その前に、本人とその家族が、「平穏死します」という意思表示をすることが大前提であることは言うまでもありません。

にゃほ様、「頭からできない」なんて、誰も思っていません。ギリギリまでやれるだけのことをやっているのです。これ以上、できないところまでやってるんです。そして現在の制度では「できる方法を考えてみて」も無いのです。あるとしたら、もっと自分が頑張ることだけ。これ以上頑張ったら自分が消滅してしまうのですけど・・・・・。

また、にゃほ様が述べておられます「でもご本人が過ごしたい場所は住み慣れた家です」にも、私は同感できません。住み慣れた家で、家族が本心から笑顔で接してくれて、老体をいたわってくれるなら、そこに居たいでしょう。でも、一人で、冬はすきま風が入って寒く、夏はトタン屋根がジリジリ焼けるようなボロ屋だったら、どうでしょうか。若い頃ならともかく年老いた身体には、暑い寒いがひどくこたえます。エアコンで調節すればよい、とおっしゃるかもしれませんが寒い日に一日中エアコン暖房を使っていると電気代が跳ね上がります。石油ストーブは高齢者には危険です。こういった理由から、大谷様の『「在宅で、親を看る」には、大勢の家族がいるか、多少の財力が必要なんじゃないかと思います。』というコメントが、私はとてもよく理解できるのです。「多少の財力が必要」以上に「かなりの財力が必要」だと、私は思います。

Posted by komachi at 2013年03月05日 07:52 | 返信

長尾先生、毎日お疲れ様です!平穏死3部作完結おめでとうございます。
大谷様、komachi様のコメントを感心しながら読みました。
住み慣れた自宅で最期を迎えたいと考えている国民は、2003年厚生労働省調査では約2割。最近では6割という記事がありました。実際に自宅で死を迎えることが出来るのは、希望者の1割だとか…
在宅死希望者は増えてはいますが、看取る側は在宅での看取りを経験したことのない世代が増えてきて、自分たちで看取るイメージもつかないし、となると恐怖でしかないんだと思います。
死ぬ時は、病院に連れて行って欲しいと望む人たちも実は多いと思います。家で死ぬなんて怖いのだそうです。本人がそうならば、家族や親戚となるとさらに自宅でなんてとんでもないとなるのでしょう。
平穏死の場所は、在宅、介護施設、病院でも可能。今は、自然に死を迎える時代へのまだ第一歩を踏み出したばかり。でも、確実に医療従事者にも国民にもじわじわと広がっていると感じています。
私は看護師ですが、職場の老人ホームは平穏死推奨しているのでこの2年間で新たな胃ろう増設者なし。吸引処置者なし。食べられなくなったら、水分も無理して与えない。最期は本当にとても穏やかです。
平穏死の素晴らしさは、経験しないとわからない!!知っている者が、コツコツと布教していきましょうね!!

Posted by しん at 2013年03月05日 01:40 | 返信

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