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先島を想う
2013年03月04日(月)
私は先島が好きで何度か訪れてきた。
先島とは宮古、石垣、西表、そして尖閣も含まれるのだろう。
先島に行くと、台湾は目と鼻の先で、本土よりずっと近い。
もし「平穏死・10の条件」の台湾版が出たら行きたい。
宮古島の医師は子弟を、台湾の医大に通わせていた。
琉球大学より近いからだという。
台湾と仲良くすることが尖閣問題の鍵だと思ってきたところに
平河総合戦略研究所のメルマガに、西村真悟氏が
小文を書かれていたので、なるほどと思った。
以下、メルマガから転載させていただく。
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◎西村真悟 <台湾のこと>
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二月二十八日が過ぎた頃より台湾のことを書きたいと思っていたところ、先日、産経新聞が、台湾政府が、尖閣諸島に関して中共と対日共同行動をとらないこと表明した旨報道していた。
そこで、台湾の、二月二十八日に関することと、尖閣に関すること、そして山岳民族である高砂族に関して簡潔に述べておきたい。
我が国が戦争に敗北して連合国に降伏して「終戦」となったのは、昭和二十年九月二日だ。
ここから、我が国の歴史教科書は、きっと「言論統制」を受けているのだろう、足並みをそろえて、嘘を子供たちに教え始める。
「すなわち、日本の敗北によって、世界に平和が訪れた」、と。
これは嘘だ。
日本の敗北と日本軍の武装解除によって、アジアが動乱のルツボとなった。
それを為したのは、ソビエト、コミンテルン、中国共産党、中国国民党、イギリス、フランス、オランダである。
まず北から、
平和な満州は暴力と無秩序に支配され、それをもたらしたソビエト軍と共産パルチザンという匪賊の集団は朝鮮半島に雪崩れ込んできた。
次に、万里の長城以南では、日本軍によって守られていた秩序が崩壊し、中国共産党と中国国民党の内乱が始まった。さらに、中国国民党は、台湾に進駐して恐怖と暴力によって支配を始め、台湾の豊かな物資を大陸の内戦に投入して台湾を疲弊させる。
イギリスは、ビルマとシンガポールを回復してアジアへの武力支配を開始し、さらにオランダとともにインドネシア独立運動を弾圧し、数年にわたる独立戦争がインドネシアで始まる。フランスも、仏領インドシナの支配を開始するがベトナムなどで独立戦争が勃発する。
以上の通り、日本軍の武装解除によって、中国大陸では内戦が勃発し、結局共産党が支配権を握り、以後、総数八千万人ともいわれる人民が共産党に殺され粛正される大惨害が始まる。
朝鮮半島では、共産主義者とアメリカを中心とする連合軍の確執が始まり、後の凄惨な朝鮮戦争の原因が作られる。
東南アジアいまのアセアン地域では、イギリス、フランス、オランダの植民地支配を回復しようとする軍隊に対する独立戦争が勃発する。
そして、台湾では。
進駐した国民党軍による強権的支配のなかで、民衆の不満が爆発する昭和二十二年二月二十八日を迎える。
きっかけは、街頭でたばこを売っている婦人を国民党の警官が拳銃で殴ったことであったが、台湾人の不満が爆発した。
これに対して、蒋介石は殺戮を以て応える。
以後、蒋介石は、戒厳令を布告して日本時代の指導的地位にあった者や、教師、医師などのインテリ層を中心に「粛正」を進め、総数不明ながら三万人以上の台湾人を殺戮する。
これを「白色テロ」という。
台湾の戒厳令は、これから四十年間も続けられることになるが、「白色テロ」はこの間続けられていた。
そして、このきっかけとなった昭和二十二年二月二十八日の日付けをとって、ここから始まった「白色テロ」を2・28事件と呼んでいる。
さて、では、この2・28事件で国民党に殺された数万の台湾の学生、青年、知識人そして善良な人々は、どこの国の人だったのか。彼らの国籍はどこだったのか。
結論・・・彼らは日本人だった。
このことを踏まえて、私は二年前に、台湾の高雄で人々と会食して話をした。高雄中学(旧制)の同窓会の皆さんが集まってくれた。すべての人が、「白色テロ」によって複数の肉親を殺されていた。
「尖閣の漁場は、日本人が開拓した日本の漁場だ。
そして、その日本人の中に、
台湾の日本人も含まれていることを、日本人は決して忘れない」
と私は言った。
皆、シーンとなって聞いてくれた。
この度、台湾政府から「尖閣に関して中共と共同行動をとらない」という方針が示されたが、日本政府こそ、日本と台湾の歴史的絆を基に、尖閣周辺の漁場を日本人と日本人であった台湾人とで譲り合うという方針を率先して示すべきであったと思う。
台湾の山岳地帯に、数万年前から各部族に分かれて住んでいた人々のことを総称して高砂族という。
この人々は、今でも日本人だと思っている。
この人々は、日本が大東亜戦争を戦うにあたり、高砂義勇軍としてニューギニア戦線やフィリピン戦線で勇戦奮闘した。
このとき数万年にわたって部族に分かれていた彼らが初めて日本人として一つになった。
ニューギニア戦線は、「地獄のビルマ、天国のジャワ、生きて帰れぬニューギニア」といわれた過酷な戦場だった。
このときの、彼らの戦いぶりに遭遇して、アメリカ軍は彼らが山岳地帯に立てこもる台湾に侵攻するのを諦めたのではないかと私は思っている。
そこで、現在、
日本と台湾との歴史の絆を回復するために、再び重要な要(かなめ)の存在となるのが高砂族だ。
昨年私は、二度にわたって台湾の山に高砂族を訪ねた。
今年百歳になられる元関東軍特務機関員である門脇朝秀さんに同行して訪ねたのだ。
今年、私は、未だ台湾を訪ねていないが、
門脇さんは、二月二十七日から、台湾の山に高砂族の頭目を訪ね、今日あたり、日本にいるより「気が休まる」という南の潮州に着かれたころだと思う。
尖閣に共に上陸した記録担当の稲川和男さんは、潮州には行かず、明日あたり東京に戻るだろう。
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この記事へのコメント
もの凄く、あいまいな記憶なんですけど、最近のアエラに載っていた記事で、その記事の出所は北京のアーカイブスみたいな所だと言うのですが、第二次世界大戦直後に、ルーズベルトが蒋介石に「尖閣列島は台湾の領土としておいた方が、良いのでは?」と勧めたのに、蒋介石が何故か「いや、日本の領土で結構です」と答えた文書が北京に有るとの記事で、アエラに載っていたと思うのです、我が家は本屋に行くたびに週刊誌を購入するのですが、内科の訪問医療と、歯科の衛生士の訪問治療が週に一回あるので、そのたびに、片づけてしまって、殆ど、読んで無いのです。
だから、尖閣列島は日本の領土です。でも海底油田を発見したのは、国連の調査団と聞いていますので、台湾とは共同開発という事になればいいのになあと私個人は思います。
Posted by 大谷佳子 at 2013年03月08日 02:09 | 返信
“研究者が発掘した決定的矛盾
中国「尖閣放棄」の新事実
1943年、米中首脳のカイロ密談で、中国は尖閣領有権を放棄していた。
従来の中国の領土主張の矛盾をつく決定的事実がみつかった。”
との記事は、AERA2013.3.4でした。
コメントに転写しようと思ったのですが、途中で消去してしまったので、省略します。
また、元気が出たら、転写します。
Posted by 大谷佳子 at 2013年04月24日 03:59 | 返信
AERA 2013.3.4
==中国「尖閣放棄」の新事実==
尖閣諸島をめぐる日中関係の緊張は収まる気配がない。中国は従来、尖閣諸島は「古来、中国の固有の領土」であり「日清戦争のときに盗み取られた」と主張。中国外務省は、「第2次世界大戦後、「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」などの国際文書に基づいて、釣魚島(尖閣列島の中国名)を含む島山興は、日本に占領されたその他の中国領土と共に中国に返還された」と指摘している。
●カイロの密室会談で
ところがそのカイロ宣言が発表された1943年のカイロ会談の舞台裏で、中国が尖閣諸島の領有権を放棄していたことを示す決定的な事実が見つかった。
筑波大学名誉教授で東京福祉大学国際交流センター長の遠藤誉さん(72)が、新著「チャイナ.ギャップ 噛み合わない日中の歯車」(朝日新聞出版)の中で明らかにした。
カイロ会談には、米英中首脳が出席。この時、中華民国主席の蒋介石は米国大統領ルーズベルトと2人だけの「密室会談」を行った。ここでルーズベルトが、「日本を敗戦に追いやった後、琉球諸島をすべて中華民国にあげようと思うが、どう思うか」と何度も聞いたにもかかわらず、蒋介石が断ったというのだ。
ここでいう「琉球諸島」には、尖閣諸島も含まれる。1895年に尖閣諸島は沖縄に編入されているからだ。この密談の後、蒋介石は琉球群島領有を断ったことをひどく後悔し、同席した部下に「絶対に口外するな」と口止めしたという。
蒋介石が領有を断った理由は、日本と新たな摩擦を起こすより、内戦中の中国共産党を倒すことに全力を注ぎたかったためではないかと遠藤さんは見る。
中国は「一つの中国」を大原則とする。中華民国主席の蒋介石が国際舞台で言明したことは現在の中華人民共和国も引き継ぐべきだ。とすれば、カイロ密談で尖閣諸島領有権を放棄した中国が、今のように尖閣諸島を古来の固有の領土と主張することには根拠がなくなる。
遠藤さんが見つけた、このカイロ密談についての記述は、中国共産党のウェブサイト「中国共産党新聞網」の記事にあり、それが国営新華社通信のサイト「新華網」にも転載されていた。中国の主張と相反し、矛盾する情報を、中国当局自らがサイトに載せているとこになる。
●「中国は矛盾に気づけ」
遠藤さんに、この記事が掲載されていることを教えたのは、毛沢東時代の反右派闘争で右派として迫害され、いまだに名誉回復されていない労知識人たちのグループだった。その後、遠藤さんは、米公文書館のカイロ密談の議事録も見つけた。
1941年に旧満州国の首都.新京(長春)で生まれた遠藤さんは7歳のとき、地獄絵を見た。国民党軍が占拠した長春を共産党軍が食糧封鎖。家族を餓死で失っただけでなく、長春から脱出するために餓死者の体の上で野宿したこともあった。自分を生み育んだ国への愛と怨念という「アンビバレントな葛藤」と闘い続けてきたという。
遠藤さんにとって、カイロ宣言とカイロ密談を追うことは、自分自身の原点の確認作業でもあった。そして今また、尖閣諸島をめぐる日中の対立で、軍靴の音が高鳴っていると感じる。
「今回掘り起こした事実によって、中国には自らの領土主張の中にある大きな矛盾に気づいてもらい、安部内閣には交渉の理論武装をしてほしい」
それは、あくまでも日中間での対話による平和的解決を望んでいるからだという。
編集部 山根祐作
Posted by 大谷佳子 at 2013年04月25日 04:01 | 返信
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