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どうなってるんだ?
2013年03月11日(月)
48時間、所用で、尼崎の現場を留守にした。
いや、正確には、52時間も留守にした。
それでも、2人のお看取りをしている。
いや、正確には、52時間も留守にした。
それでも、2人のお看取りをしている。
新幹線に向かう車の途中で一人をお見送りして、
52時間後に帰阪した時に、また違うひとをお見送りした。
担当の他の事業所の訪問看護師は、
「先生を待っていたのよ」と言った。
「そんなはずはいやろ」と、思うが、
いつもそんな感じで看取っている。
一体、どうなっているんだ?
そんな調子がずっと続いている。
酔っぱらっているときは、看取りが無くて、
シラフの時に、看取りがある。
今日も講演したのと全く同じ、穏やかな看取り。
1時間時間がたっているので、家族にも笑顔がある。
でも、本当に不思議。
何かの力が働いているとしか考えられない。
ずっとそう思っているが、そうとしか思えない。
これだけの患者さんがいるので毎日、沢山の変化がある。
小さな急変は、全部、訪問看護師さんがちゃんと解決してくれる。
判断をすること、指示を出すこと、説明をすること、
そして死亡診断書を書くのが、在宅医としての役割。
これだけ動いていて、看取りをしているなんて嘘だ!とあちこちで言われる。
しかし、しているものはしているので、仕方が無い。
20年以上、診た患者さんを最期まで見送ることができて、ホッとする。
長く診ている在宅患者さんも結構いるのだ。
それが町医者冥利。
52時間後に帰阪した時に、また違うひとをお見送りした。
担当の他の事業所の訪問看護師は、
「先生を待っていたのよ」と言った。
「そんなはずはいやろ」と、思うが、
いつもそんな感じで看取っている。
一体、どうなっているんだ?
そんな調子がずっと続いている。
酔っぱらっているときは、看取りが無くて、
シラフの時に、看取りがある。
今日も講演したのと全く同じ、穏やかな看取り。
1時間時間がたっているので、家族にも笑顔がある。
でも、本当に不思議。
何かの力が働いているとしか考えられない。
ずっとそう思っているが、そうとしか思えない。
これだけの患者さんがいるので毎日、沢山の変化がある。
小さな急変は、全部、訪問看護師さんがちゃんと解決してくれる。
判断をすること、指示を出すこと、説明をすること、
そして死亡診断書を書くのが、在宅医としての役割。
これだけ動いていて、看取りをしているなんて嘘だ!とあちこちで言われる。
しかし、しているものはしているので、仕方が無い。
20年以上、診た患者さんを最期まで見送ることができて、ホッとする。
長く診ている在宅患者さんも結構いるのだ。
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この記事へのコメント
私の母をみていただいた先生もお忙しい方でしたが、不思議とお医者様の都合のつく日程で衰弱するという経過を経て亡くなりました。このタイミングだからこそというタイミングでした。末期ガンの母でしたので、一ヶ月にも満たないご縁でしたが目に見えない不思議なところでつながっていたのでしょうか。在宅でなくなった母は、勤めている私の職場の事情からも絶妙なタイミングでした。それは神様がということなのか、母の意思というのかわかりませんが・・・・そういうことなのだと思います。
さらりと書いてあった「一時間たっているけど」が印象的です。私にとって在宅死は「ミツウロコ」でした。次の三つの「目からウロコ」の言葉でまとめられます。①在宅の先生に最初に言われた「食べられなくなったら食べなくていい。食べなければガンにも栄養行かないから」②呼吸の様子が変わったら電話するようにとのことだったので、訪問看護ステーションに電話したとき「このあと、だんだん呼吸しなくなりますから、その時間を覚えておいてください」在宅で人が死ぬときには誰も走り回らなくていいんだ。私一人がそばにいて手をつないでいたけれど、たくさんの家族やスタッフと一緒だったと感じられました。③母の死後、レンタルだった介護用ベッドが搬出されてしまったのをみた娘が「おばあちゃんのベッド気持ちよさそうだったから私もそこで寝たかったのになあ、残念」人が死んでもその場所はなんら変わらないのです。死ぬことは自然なこと、それを改めて気づかされた言葉でした。
Posted by ootake at 2013年03月11日 11:11 | 返信
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