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私の「胃ろうの本」を病院のお医者さんに読んで欲しい
2013年04月02日(火)
よく聞いてみるとお医者さんの方がおかしいことが多い。
「胃ろうをつけたら、一生食べたらいけませんよ」とは、主治医の言葉。
お医者さんの多いこと。
家族が私の本を持っていって説明しても、取り合わないらしい。
「誤嚥性肺炎を起すので、一生、食べてはいけません!」
そのお医者さんは、食べることを支えるために胃ろうが
あることを知らない。
本を読んで欲しい。
いくらでもハッピーな胃ろうにできるのに、敢えてアンハッピーな胃ろうに
してしまう無知なお医者さんたち。
そのお医者さんに胃ろうを入れて、一生食べさせないようにしてやりたい。
一生が無理なら、1日、食べさせないようにしてみたい。
今日の相談には参った。
「胃ろうをつけたら、1週間は口から食べられないので
その間は、鼻から管を入れましょう」という受けた家族からの相談。
胃ろうを造ったうえに、鼻からも管を入れる!?
かなり若い先生だという。
患者から見れば、私より大病院の研修医の方がエライ存在。
私は、胃ろうが良くないなんて一度も言っていない。
胃ろうを上手に使おう、と一貫して言っている。
大変な時代。
ハッピーな胃ろうはもちろん、
アンハッピーな胃ろうをも容認する、懐の深い、日本の社会保障制度。
それでもまだ文句を言う人がいるので信じられない。
世界的にみたら、日本の終末期議論は完全にガラパゴス化していることを
全く知らない医療者たち。
「人の命は地球より重い」と叫びながら、人間の尊厳を損なっても
平気でいられる人権派は、むしろ病気ではないかと思う。
いろんな胃ろうがあっていいのだが、どうせなら
ハッピーな胃ろうにするのが、医療であると思う。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
忘れてよか、生きとかんば
迷った末「胃ろう」決断
「介護の恵み~見守る人たち」
漫画家岡野雄一さん
共同通信社 4月2日(火) 配信
〈漫画家岡野雄一さん(63)の2作目の漫画「ペコロスの母に会いに行く」は多くの支持を集め、実写映画化が決まった。秋に劇場公開される〉
2月に長崎ロケがありました。最終日に、さあ本番、とみんながしーんとなった瞬間、遠くでサイレンが鳴り響いた。5人が亡くなった、あのグループホーム火災です。
僕も見学に行き、いいなと思ったホームでした。せっぱつまった素人には、どういう基準で選べばいいかなんて、本当に分からないものです。
今のホームは、丁寧に話し合いを重ねてくれます。母(90)は車いすから2回、前に落ちました。ベルトは「身体拘束」にあたるのでつけられないきまりですが、安全は確保してほしい。折衷案でリクライニング式の車いすにしてくれたのですが、そうしたらアコーディオンが伸び切ったみたいな、死ぬ寸前のような顔になってしまった。驚いて元の車いすに戻してもらい、また生き返った。そんな試行錯誤をしています。
〈流動食を食べさせるのに1時間半かかるようになり、体重も34キロを切るまで激減した今年初め、おなかに穴を開けてチューブで栄養を入れる「胃ろう」の手術をホームの看護師に提案された〉
このままでは食べ物が誤って気道に入る誤嚥(ごえん)の心配があるというのですが、その時は「ついに...」と思わず涙ぐみました。看護師さんも一緒に泣いてくれて。返事を待ってもらい1カ月、いろんな人に相談しました。
反対意見は多いです。親にやって後悔している人もたくさんいる。「一日も長く」と「自然な最期を」という願いは矛盾します。僕は、植物状態で長く生きてほしいかは分からないけれど、時々こちらに反応がある今の状態はずっと続いてほしいのです。ホームは口から食べる努力も続けさせてくれるというし、専門家が「施設次第ですよ」というので決断し、3月に手術をしました。
認知症になってから、母の目には亡くなった父や幼なじみの姿も見えていたようです。10人きょうだいの長女でしっかり者だった母が少女に返り、飲んだくれだった父があの世から許しを乞いに来たりするのです。認知症も悪いことばかりじゃない。いっぱい忘れてよかけん、生きとかんば(生きてないと)。そう思っています。
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この記事へのコメント
お正月のしめ縄を、近くのお寺で、焼いて貰うのを忘れていたので、遠い山の上の塩尾寺と言うお寺で、焼いて貰おうと、エッチラ、オッチラ山道を登っていたら、同じく、知らない女性(70歳くらい)と、一緒に、お寺まで登ることになりました。
お寺からの帰り道、女性の方から、胃ろうの話をし出したので、驚きました。
何でも、彼女の友達が、お姉さんと二人で、一億円の、老人ホームに、入ったそうです。
ところが、耳鼻科の女医さんであるお姉さんが、脳梗塞で、倒れて意識不明になって、植物状態で、胃ろうを装着したそうです。妹さん自身は、あんまり財産らしいものは無いし、お姉さんが頼りだったので、いつまでも、お姉さんが生きていてほしいので、胃婁を付けているそうです。私は妹さんに同情してしまって、胃婁も、やむをえないと思いましたけど、その一緒に、塩尾寺に登った、女性は「でも、お姉さんの手を触ったら、死んだように冷たいのよ!」と言って、ヘンだヘンだと言っていました。
お寺詣りに行っても、胃ろう問題が話題になっているので、驚きました。
Posted by 大谷佳子 at 2013年04月03日 03:09 | 返信
>お寺詣りに行っても、胃ろう問題が話題になっているので、驚きました。
ほんとですね。大谷さんにも聴く雰囲気があったのでつい話せたのでしょう。
私がお金持ちのお姉さんだとしたら、死後贈与の公正証書作成しておくから
植物状態での胃瘻は勘弁してよね~と言いたいですが。
でもたった二人の姉妹だったら、経済問題の他にも、身内が生きて呼吸しているというのが
心の支えの場合もあるかもしれませんね(自己本位ではあるけれど)。
昨日の朝日のエンディングセミナーの特集記事「自分らしく 人生デザイン」で、
6名の方のお話のうち、中村仁一医師の語っている言葉に大納得でした。
Posted by 梨木 at 2013年04月03日 11:09 | 返信
梨木さま、お元気で、お過ごしのことと、存じます。
いつぞや、長尾先生を批判した私を、誰かが批判したとき、「大谷さんの言う事は面白く感じています」と、弁護して頂いて、助かりました。
また、長尾クリニックを見学できる等と、安易にに考えて、お勧めしてしまって、本当に、ごめんなさい。
あの件は、「見学はできないけれど、就職したいのなら面接はできる」と、長尾先生はおっしゃっているのか、ちょっと分かりません。
又しても、梨木さんを、あらぬ方向に、お勧めして、とんでもない結果になるので、このへんで、やめておきます。
朝日新聞の、中村仁一先生のコメントを私も切り取って置いたのですが、片づけが悪くて、あっという間に無くしてしまいました。
今年の秋の尊厳死協会の関西支部総会にいらっしゃると聞いていますので、それまでに、「大往生したけりゃ、医療に関わるな」ともう一冊、近藤誠先生との共著「どうせ死ぬなら、癌がよい」でしたか、読んでみます。購入してあるのに、人が大勢出入りするので、段ボールに片付けたら、それっきり、何処に行ったのか、行方不明なんです。
西宮関学での、介護学会に行きたかったのですが、前日に兵庫県介護支援専門員協会の「緩和医療」の講演会がありまして、すっかり疲れてしまって行けなかったのです。
長尾先生の講演会には、出席しても嫌味を言われるし、出席しなくても、嫌味なブログを書いているので、つい、中村仁一先生の悪口を書いてしまいました。
関学にいらっしゃった方達のアンケートを読むと、中村仁一先生のお話に感動したとか、面白かったと書いていらっしゃる方が多いので、長尾先生のメモを読むより、自分で聞いてみなければと思いました。
ただ、「人生は行きと、返りがある」と言う例えは、私は嫌です。
中村先生が、そうお考えになるのは、ご自由ですけど。
それはそうと、私はケアマネジャーの試験に一度失敗して、兵庫県社会福祉協議会に、テストの結果を聞きに行ったら、介護保険分野は0点、医療分野は100点、社会福祉分野は70点くらいでした。それで、二度目のテストで、やっと合格しました。
梨木さんも、もう一度、トライするという手もありますよ。
せっかく、看護師さんとして、知識も、経験も、人格もおありですから、もったいないと思います。
特定看護師制度も発足するそうですね。
医療の世界でも、なんでも、実践の世界で苦労した人が、社会的地位が上がって行くのは、当然ですし、良い事だと思います。
昔の軍隊のように、大学卒は、直ぐ、将校になれるとか、警察でも、大学での警官は、刑事や警察長官になり易いというのは、あんまり良くないと思います。
取りとめもない話をして、済みません。ではお元気でお過ごし下さい。
Posted by 大谷 at 2013年04月05日 02:00 | 返信
「行きと、帰り」と言う言葉は、他でも、聞いたことがあります。
確か、J.P.サルトルが、親友ポール.ニザンの「アデン.アラビア」の復刻版に序文を書いて、擁護した時に、ポール.ニザンが、全力で共産党活動をして、そののち、共産党を離党し、対ドイツ戦線に従軍して、北フランスのオードリュイクで、戦死した生涯を「行きと、帰り」という文章で、追悼していたと思います。
Posted by 大谷佳子 at 2013年04月07日 02:35 | 返信
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