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患者の人権、医師の人権
2013年04月12日(金)
身近なことろでいうと、平穏死も実は人権運動のひとつだ。
患者の人権と同時に、医師にも人権があることを忘れてはならない。
医師の人権について、井上氏の小文
患者の人権について、平岡氏の小文を
それぞれ、MRICから引用させていただく。
特に医師にも人権があることを知って欲しい。
そんな馬鹿な?と思う市民が多いことだろう。
しかし基本的人権が無視されている部分もあるので
過剰医療、延命処置となっていることが多いのだ。
すなわち、医師の人権侵害は、患者の人権侵害に繋がっている。
両者は、常に連動するものなのだ。
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医師の人権 ~Series「改憲」(第2回)
井上法律事務所弁護士
井上 清成
2013年4月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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●日本国憲法は国家権力を統制する最高法規
日本国憲法の条文構成は、大きく人権宣言と統治機構の2つから成り立っている。ところが、この2つは同格ではない。人権宣言が統治機構の上に立つ。人権宣言が統治機構を統制していると言ってもよい。
人権宣言とは、個々の国民の基本的人権を保障する定めである。統治機構は、立法権を有する国会、行政権を有する内閣、司法権を有する裁判所に関する定めが中心であり、基本的人権の保障に役立つように三権の抑制均衡体制(三権分立)を採用した。
このようなシステムを採用したのは、もともと国家権力(特に行政権)が国民の基本的人権を侵害する存在であるため、国家による人権侵害から国民を守ろうとしたからである。基本的人権を保障するために国家権力を統制することこそが、最高法規たる憲法の機能と言ってよい。ところが、時代の推移と共に、この日本国憲法の機能にほころびが目立つようになった。
そこで、憲法の一部を改正して、侵害されがちな基本的人権の補強をするのが適切だと思う。
●憲法改正私案―医師の人権の補強
業務上過失致死傷罪(刑法)による医師の処罰の恐れ、濫用的な指導・監査・処分(健康保険法)による保険医の登録取消の恐れ、医療費抑制政策やTPPによる国民皆保険制の浸食(健康保険法)の恐れ、厚労省の目論む再生医療規制法(案)による自由診療抑圧の恐れなど、医師の人権が侵害され、または侵害される恐れが強まっている。したがって、憲法を改正して、医師の人権を抜本的に補強するのが適切だと思う。
医師の人権を補強するためには、憲法を改正して、新たな条文を設けるのが最も効果的である。憲法改正の新設条文としては、次の2箇条が適切だと思う。
〈憲法改正私案―その1〉
第23条の2〔診療の自由〕 診療の自由は、これを保障する。
〈憲法改正私案―その2〉
第25条の2〔保険診療受給権、国民皆保険制〕 すべて国民は、その疾病に応じて、等しく医療提供を受ける権利を有する。
●診療の自由
診療の自由は、医師の診療を実施する権利と患者の診療を受ける権利とが表裏一体となったものと言えよう。普通に言えば診療の権利であるが、国家権力(特に行政権たる厚生労働省)に侵害されない権利という受け身的な観点から言えば、診療の自由という用語となる。
特に重要なのが、診療の機会の確保と診療の内容の決定であろう。これらは医師と患者の双方向性によって作り出されるものである。厚労省は診療の機会と内容に得手勝手に介入してはならない。
最近、特に危険なものは、厚労省が作成・提出しようとしている再生医療規制法案である。国民の期待が大きいiPS細胞などの再生医療推進法に便乗して、それとは別の法律で過大な規制を行おうとしているらしい。今まで医療法などでは殆んど規制できなかったので、千載一遇のチャンスとばかりに医療の機会と内容への介入の先例を創りたいのであろう。
倫理面からして規制やむなしと感じる医師もあり、それももっともな側面もあるが、しかし、もしもこのような規制を先例として導き入れるならば、将来の保険診療をはじめとする他の医療分野への波及が計り知れない。ドタバタと規制に踏み切るには、余りにも事が重大である。少なくとも当面は規制を見送るべきであろう。
なお、憲法23条の2という位置付けは、憲法23条のすぐ次という意味である。ちなみに、憲法23条は学問の自由を定めており、それは真理の探究を目的とする研究とその実践であり、科学の自由も含む。そこで、診療の自由は、学問の自由(科学の自由)の一環として、第23条の次に位置付けるのが適切だと思う。
●保険診療受給権と国民皆保険制
憲法25条は生存権(字義通りだと、生活権)を定めた。「健康で」という言葉も明記されているので、生存権の健康的側面という意味で、健康的生存権も含まれると解釈できるかも知れない。しかし、いずれにしても憲法25条の法規範性は弱いものだと一般に解釈されてきた。そこで、その解釈を一新する意味でも、憲法25条の次に条文を新設し、そこに「その疾病に応じて、等しく医療を受ける権利」を明示した方がよい。
実際上、この権利は保険診療を対象とする。保険診療受給権(または公的医療受給権)と呼んでもよいと思う。もちろん、国民すべてが保険診療を適切に受給するためには、国民皆保険制が必要不可欠である。この意味で、保険診療受給権という人権と国民皆保険制という制度とは表裏一体であると思う。なお、保険医の人権も保険診療受給権と国民皆保険制と一体であることは、言うまでもない。
現在、長く続いていた医療費抑制政策によって、保険診療受給権は傷つけられている。また、TPP問題その他の国際経済の荒波の中で、国民皆保険制も浸食されかねない。いずれの側面でも、行政権による侵害もしくはその恐れにさらされている。このような状況の今こそ、保険診療受給権と国民皆保険制を憲法上に明瞭に位置付けることこそが有効適切であると思う。
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日本医学会の法人化と、全員加入で懲戒処分機能を持つ新医師会構想
健保連大阪中央病院
顧問 平岡 諦
2013年2月20日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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ハンセン病患者や薬害エイズ被害患者など、「患者の人権問題」を取り上げない新医師会構想は、単に、現場の医師の管理統制強化のための医師会を構想しているにすぎないでしょう。これが結論です。
2012年5月の「日本医学会だより」は、日本医学会の法人化決定について次のように報じています。
―第79回日本医学会定例評議員会;平成24年2月22日に開催された。(中略)「日本医学会法人化の件」が協議され、法人格を持つことと各学会が負担金を支出すること等が了承された(「日本医学会だより」2012年5月、No.47より)。
日本医学会が法人格を持つことは日本医師会からの独立を意味するでしょう。なぜなら、社団法人である日本医師会の中に置かれている日本医学会が法人格を得ると、法人の中に別の法人ができます。これでは二重人格になるので日本医学会は独立する以外に無いのです。
なぜ、日本医師会から独立する必要があるのでしょうか。とりあえず法人化決定までの経緯を探ってみると、日本医学会年次報告につぎのように出ていました。
―日本医学会法人化準備委員会:日本医学会の法人化準備に向けて、本年度(平成23年のこと;筆者注)新設された委員会で、(中略)本年では2回開催した。第一回委員会は平成23年9月13日に開催、経緯説明と今後の予定について意見交換を行った。第二回委員会は12月19日開催(「2011(平成23)年度 日本医学会年次報告(2012.2.22)より)。
ご存じのとおり、平成18年6月に公益法人制度改革に関する三つの法律が公布され、現存の公益法人は平成20年12月から平成25年11月末日までの5年間に、「一般社団(財団)法人」か「公益社団(財団)法人」へ移行しなければならないことが規定されました。現在、社団法人である日本医師会も期限内にどちらかに決める必要があってその(おそらく「公益社団(財団)法人」に向けての)準備中です。このような時期に、二回だけの準備委員会開催、そして、わずか半年の間に日本医学会が法人化を決めています。それまでにそれ相当の準備を“どこかで”してきたに違いありません。それが日本学術会議・金澤一郎・元会長の「全員加盟の医師職能団体」の構想ではないでしょうか。日本学術会議は日本の科学者全体の、国内・外を代表する機関です。内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う特別の機関で、その職務は1)科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること、2)科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させることとなっています。日本医学会のあり方を変えるために日本学術会議で検討することは、その職務上( 1)に相当)、理にかなっています。
金澤一郎・元会長は、日本病院会創立60年記念式典(平成24年3月)の記念講演「これまでの医療、これからの医療」の中で、次のように話しています(日本病院会雑誌、2012年10月号、12(1108)-24(1120)より)。
―科学者たる医師の「行動規範」を明確にし、それを厳守することが必要である。また、それを可能にするべく、全員が加盟する職能組織が必要ではないか? つまり、組合組織ではなく政治団体でもない我が国全体の医療に対して責任を持つ「公的集団」を形成することが望まれる。例:公認会計士、弁護士。
―「全員加盟の医師職能団体」の機能:この団体が持つべき機能;1)医師の懲戒処分機能、2)医師の質保証機能、3)医師の管理機能、4)医療への提言機能。この団体が持つべきでない機能;1)労働組合的機能、2)保険点数算定機能、3)政治団体的機能。
―昨年(平成23年;筆者注)の6月まで日本学術会議の会長をしておりましたときに、その必要性(全員加盟の医師職能団体の必要性のこと;筆者注)について多くの人と議論いたしました。そして、確かにそうだというご意見がけっこう多く、分科会をつくって、議論を現在進めてもらっています。そう遠くない将来、こういうことが学術会議のほうから提起されることを期待しております(以下、略)。
金澤一郎・元会長が講演したのが3月です。そして、その前月、2月に日本医学会は法人化を決めています。とても別々の動きとは思えません。また、金澤一郎・元会長が「科学者たる医師」と言っているのは、日本医学会に加入している医師を意味するのでしょう。これらを一連のものと考えるとつぎのようになります。現在の日本医師会に取って代わり、日本医学会を母体として新たな医師会を作る。それは全員加盟制で、「行動規範」を持ち、懲戒処分機能を持つものとなります。そしてそのような職能団体の例として公認会計士や弁護士を挙げています。
なぜ、新しい医師会が必要なのでしょうか。新しい医師会の特徴を裏返すと、現在の日本医師会の問題点を示していることになります。新しい医師会の特徴は、「行動規範」を明確にし、強制加入させ、懲戒処分機能でその「行動規範」を守らせようということです。現在の日本医師会が自由加盟性で、「行動規範」が明確でなく、懲戒処分機能を持っていない、(そのために医師が問題をひき起こし、医師が患者から尊敬・尊重されなくなっている)と考えているのでしょう。
金澤一郎・元会長は「行動規範を明確にし」と言っていますが、その内容は明らかにしていません。しかし「行動規範」を決めるには、これまでに医師が関与した患者問題を反省し、今後そのようなことのないように「行動規範」に盛り込むことが必要でしょう。金澤・元会長はどのような事柄を挙げているでしょうか。それが「医療界と社会との軋轢の問題」(スライド15)です。詳しい内容は省きますが、ここで挙げているのは脳死移植、医療事故、倫理問題です。倫理問題で取り上げているのは「国循ゲノム無断解析事件」のみです。ここには「患者の医者に対する尊敬・尊重の念」を「今や、風前の灯」としてきた大事な事柄が抜けています。それは「患者の人権問題」です。「第三者(製薬企業や国など)の意向が、医師を介して、患者の人権問題」になった事柄です。すなわち、ハンセン病患者の「要らぬ長期」隔離や薬害などです。
ハンセン病患者に対する隔離政策という国の意向が、医師の判断で「不必要な長期」になりました。そして「要らぬ隔離」という患者の人権問題になりました。薬害といっても薬が勝手に患者を害する訳ではありません。第三者の意向を知っているか否かにかかわらず、医師が処方することによって患者に被害を及ぼしているのです。薬害エイズでは受診拒否という差別問題も起こしました。医師が二重に関与した患者の人権問題です。
これらを反省するなら「医師が患者の人権の擁護者」になることを「行動規範」で明確にする必要があります。日弁連は「行動規範」である『弁護士道徳』に「弁護士は人権の擁護者」であることを明記しています。一方、日本公認会計士協会の『倫理規則』や『独立性に関する指針』にはそのような規範はありません。新しい医師会が見習うべきは日弁連ということになります。日本公認会計士協会を見習っても信用を回復することはできません。
それでは、金澤一郎・元会長が「全員加盟の医師職能団体」の構想で考えている「医師あるいは医療関係者のこれからの在り方」とはどのようなものでしょうか。以下の三点を挙げています(同上、記念講演より)。
―1)数十年前の日本の医療の基盤となっていた、患者の医者に対する尊敬・尊重の念は、今や風前の灯となっており、国民の「医療への参加意識」の高まりとともに、医師に対する「誠実さ」と「情報公開」が求められていることを知ることが、新しい医療には必須である。
―2)それを実現させるには、科学者たる医師の「行動規範」を明確にし、それを厳守することが必要である。また、それを可能にするべく、全員が加盟する職能組織が必要ではないか? つまり、組合組織ではなく、政治団体でもない我が国全体の医療に対して責任を持つ「公的集団」を形成することが望まれる。例:公認会計士、弁護士。
―3)我が国のこれからの医療を考える時、これまでの医療があまりにも専門志向一辺倒であったことを素直に反省する必要がある。総合的・全人的医療の普及を目指す必要があるだろう。
「在り方」1)の内容は、「自己決定の医療」を受けたい患者に対して医師は「患者の自己決定(人権)を尊重する」ことが必須と言っているにすぎません。これでは現在の日本医師会(「患者の自立性;autonomyを尊重する」と言っています)と同じことです。上述のように「患者の人権を擁護する」と言わなければ、新しい医師会を作っても信用されないのです。「患者の医者に対する尊敬・尊重の念」を取り戻すことはできないのです。
医師・患者間だけで成り立っていた昔の医療に比べ、医療がより社会的になってきています。それだけ第三者(製薬企業や国など)の意向が医師を介して患者の人権問題になることが多くなっているのです。これからの医師は「患者の人権の擁護者」として患者の方を向いていることを明確にしなければ、すなわち第三者の意向の方を向く可能性があれば、患者・社会から信用されないのです。それだけ人権意識が高まってきているのです。
「在り方」2)の内容は、上述のように、組合組織か政治団体のような現在の日本医師会とは決別し、「科学者たる医師」、すなわち日本医学会が母体となって新しい医師会を作ると言っているのでしょう。「行動規範」に「患者の人権を擁護する」ことを明確に謳わなければ、現在の日本医師会のように患者・社会から信用されないだろうことはすでに述べました。
「在り方」3)については、専門志向一辺倒を反省するだけでなく、患者の人権問題をひき起こしてきたことを素直に反省する必要があります。
医師にとって、この新しい医師会はどのような意味を持つのでしょうか。新しい医師会は全員加盟(すなわち強制加盟)制で懲戒処分機能を持つとなっています。その懲戒処分の判断基準が「行動規範」の内容ということです。
「行動規範」の内容に関して気になるのは、例として公認会計士を挙げていることです。日弁連の『弁護士道徳』からは「人権の擁護者」という普遍的な基準を設けることができますが、日本公認会計士協会の『倫理規則』や『独立性に関する指針』からはそのような基準を設けることができません。現在の日本医師会の医の倫理と同様に「患者の人権(自己決定)を尊重する」だけでは、「患者の人権を尊重するが、時には他の意向を優先することもある」ことになって基準が恣意的になり得ます。懲戒処分の判断基準が恣意的になり得ると、それは単に権力による強制処分になり得ます。強制加入の強制処分機能を持つ団体は、医師を管理統制するための団体になるだろうと想像されるのです。
「行動規範」の内容が「患者の人権を擁護する」ことになれば、日弁連と同様に普遍的な基準を設けることができます。そうすると誰にたいしても同じ基準で判断が下されることになるので、懲戒処分は「医師間の相互評価」となり、自浄作用が働くことになります。これが、世界医師会のいう「Professional autonomy;医師集団としての自律」という医師会の「あり方」です。
「在り方」1)からは、「行動規範」の内容が「患者の人権を尊重する」ことになりそうです。そうならないように、日本学術会議の分科会を注意深く見守っていく必要があります。
「患者の人権問題」をなおざりにする金澤一郎・元会長の考えは、戦後直後から続いてきた日本学術会議、日本医学会の考え方と思われます。次のような証言があります。
―日本学術会議の発足に当たって、戦時中のわが国の科学者の態度については反省すべきか否かが問題になったとき、多数決で特に戦時中の態度については反省する必要はないという事になった(中略)。この場合とくに医学部門の人たちは一致して強く、戦時中の反省を必要としないと主張した。その理由は、戦争に科学者が協力したのは旧憲法によって協力したのであるから当然の事であるというのである。(武谷三男著『科学と技術』勁草書房1969、p.192)
「戦争に科学者が協力したのは法に基づいて行っただけ、だから当然のことである」と言い訳をして、「自らが行った非人道的な行為」に対する検証(反省)をしなかったのです。人道問題(倫理)よりも法を上位におくこの考え方は「悪法問題」と呼ばれるものです。「悪法(人道に反する法)も法である、だから法を守っただけだ」という責任逃れの詭弁に利用されることが問題なのです。日本学術会議も日本医学会もこの考え方を変えたとは、いまだに表明していません。戦後直後に作られた日本医師会の医の倫理は、実質上、日本医学会の考えの下に作られたようです(注;参照)。そして現在の医の倫理もその考えを引き継いでいます。そのため、すなおに「患者の人権を擁護する」とは言えずに、「患者の人権を尊重する(が、他の意向を優先することもある)」と含みを持たせた表現になっています。
「在り方」3)では、「あまりにも専門志向一辺倒であったことを素直に反省する必要がある」と述べていますが、反省すべきは「戦時中に、自らが行った非人道的な行為」でしょう。この反省なければ「悪法問題」の解決にならず、「悪法問題」の解決なければ「患者の人権問題」に対応できず、「患者の人権問題」に対応できなければ、新しい医師会を作る意味はないでしょう。
現場の医師の管理統制を強化するための強制加盟の医師会とするのか、あるいは相互評価による自律した医師会とするのか、それは「行動規範」の内容に「患者の人権を擁護する」ことを入れるかどうかにかかっています。それを検討しているだろう日本学術会議の分科会の委員の責任は重大です。
戦後直後は、日本医学会・会長が日本医師会に乗り込んできて(会長となって)、「患者の人権問題」を避ける「行動規範」、『醫師の倫理』を作ってきました。今度は、日本医学会・会長が日本医師会を抜け出して、「患者の人権問題」を避けるとともに、現場の医師の管理統制の強化(全員加盟性による)を図ろうとしています。「21世紀は人権の世紀」といわれるように、「人権意識の高まり」は歴史の流れです。「患者の人権問題」をどのように扱うかによって、高久史麿・日本医学会・会長の歴史的評価は決まることでしょう。
(注)昭和23年から昭和38年まで日本医学会・会長であった田宮猛雄が日本医師会・会長を兼任したのが昭和25年です。その3ヵ月半後にGHQとの問題で日本医師会・会長を退任していまが、昭和27年から昭和29年まで日本医師会・会長に再任されています。『醫師の倫理』が作られたのは昭和26年ですが、実質上、日本医学会の意向に沿った内容になったものと思われます。
その内容(総則)は以下の通りです。
(1):医師は、もと聖職たるべきもので、従って医師の行為の根本は、仁術である。(2):医師は、常に人命の尊重を念願すべきである。:医師は、正しい医事国策に協力すべきである。
なお、「社会に対する義務」の項には、「医師の倫理に反する者は、これを善導すべきである。医師の倫理に反する行為ある者に対しては、医師会の裁定委員会が善処すべきである」と記載されています。法が決めた国策に反することは倫理違反である、「悪法も法である」、従わなければ医師会の裁定委員会で倫理違反として処罰(善導)すべきであると述べていることになります。
戦後、新制なった日本医師会は自由加盟性ですが、裁定委員会を持っていて倫理違反の会員医師を処罰していたようです。今回の新医師会構想が「患者の人権問題」を扱わないのであれば、「行動規範」は『醫師の倫理』と同様となるでしょう。そして制裁委員会を持つのであれば、自由加盟制が強制加盟制に変わっただけで、戦後直後の医師会以上に現場医師の管理統制を強化した医師会になるだけでしょう。
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この記事へのコメント
鍼灸師会や、全鍼連(按摩マッサージ師会)の事も、難しくて、理解できないのです。
ましてや、お医者さんの会の事なんか、何が何だかさっぱり、分かりません。
「お医者さんにも人権がある」そりゃそうでしょう。
「天皇陛下にも、人権がある」と言われたくらい、大衆としては、途方に暮れてしまします。
女性週刊誌の広告を読みますと、もしかして、皇族の方々は人権を剥奪されていらっしゃるのではないかと、時々思います。
人数が少ない。下々には、うかがい知れない雲の上の生活。
そういう条件が、当たり前の人権が無い状態が、誰にも、気付かれ無いのかもしれません。
この医学会とか、新医師会の問題は、より管理された、医師組織と言う事になるのですか?
日本は、島国なんで、直ぐ翼賛会体質になっちゃうんじゃないでしょうか。
Posted by 大谷佳子 at 2013年04月14日 03:44 | 返信
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