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バーデイ、バーデイ
2013年04月14日(日)
半年ぶりのゴルフコンペ。
いや、もっとあいているかな?
久々にクラブを握ってみた。
スタートホールのテイショットは、まずますず。
OBで無ければ、OK、OK!。
セカンドショットは、堅く6番で、これもまずまず。
サードショットは、ピッチングウエッジでベタピンに。
それを入れて、バーデイ発進だい!
2番ホールも、セカンドがベタピンで、OKバーデイ!
半年ぶりなのに、天才じゃないかな?
ちょっと怖い。
なんて思わない。
半年分に溜まった貯金を放出しているだけ、と自分に言い聞かせた。
3番ホールは、惜しくもパー逃しのボギー。
それでもまだワンアンダー。
実況中継はそこまでにしておこう。
その後はOBが4発を出して撃沈。
それでも、100はたたかなかったが、酷いスコア。
帰りがけに甑岩神社に参拝。
いつもより時間をかけて、神様にお礼。
そのあと、在宅患者さんを数件、回った。
お看取りした患者さんの仏壇の前を手を合わせた回った。
何度でも、感謝しよう。
患者さんが、いろんなことを僕に教えてくれた。
地震の翌日は、驚くほど穏やかな休日が待っていた。
素敵な仲間たち、仲良しクラブのメンバーでの懇親会。
ゴルフをやっていて、よかったな、という感じ。
今日は、ゴルフの神様が久々の自分を歓迎してくれていたのを
ハッキリと感じることができた。
バーデイ、バーデイの発進は、神様からのプレゼント。
これからも、忙中、閑あれば、芝刈りに行くぞ!
OBで無ければ、OK、OK!。
セカンドショットは、堅く6番で、これもまずまず。
サードショットは、ピッチングウエッジでベタピンに。
それを入れて、バーデイ発進だい!
2番ホールも、セカンドがベタピンで、OKバーデイ!
半年ぶりなのに、天才じゃないかな?
ちょっと怖い。
なんて思わない。
半年分に溜まった貯金を放出しているだけ、と自分に言い聞かせた。
3番ホールは、惜しくもパー逃しのボギー。
それでもまだワンアンダー。
実況中継はそこまでにしておこう。
その後はOBが4発を出して撃沈。
それでも、100はたたかなかったが、酷いスコア。
帰りがけに甑岩神社に参拝。
いつもより時間をかけて、神様にお礼。
そのあと、在宅患者さんを数件、回った。
お看取りした患者さんの仏壇の前を手を合わせた回った。
何度でも、感謝しよう。
患者さんが、いろんなことを僕に教えてくれた。
地震の翌日は、驚くほど穏やかな休日が待っていた。
素敵な仲間たち、仲良しクラブのメンバーでの懇親会。
ゴルフをやっていて、よかったな、という感じ。
今日は、ゴルフの神様が久々の自分を歓迎してくれていたのを
ハッキリと感じることができた。
バーデイ、バーデイの発進は、神様からのプレゼント。
これからも、忙中、閑あれば、芝刈りに行くぞ!
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この記事へのコメント
先生は確か空海を信奉されていると言われていたと思うのですが、甑岩神社とは正式名「越木岩神社」のようで、HPによりますと御祭神は蛭子大神、つまりえびすさんであるわけですが、蛭子大神は江戸時代に西宮えびす神社より勧請された御祭神であり、由緒はもっと古く「創立不詳と言われる」と記しています。越木岩神社には巨石が多く、神社はもっと古くから聖域として信仰されてきた可能性もあるようで、それは神社に社殿等が生まれる前からあったとされる信仰形態のひとつ、磐座(いわくら)信仰がこの越木岩神社に存在しているからのようです。
「神の依代として古代の人々はこのような巨石に神聖さそして畏怖を感じ、祀り崇めたことは想像できます。以来、御神体として信仰が続いてきたものと考えられます。」とあるように、越木岩神社は巨石信仰の場でもあり、何か神秘的な力を感じることができるパワースポットの一つでもあるようです。
先生がそのパワーに惹かれ崇められる気持ちは分かりますが、日本人特有の宗教観であるのでしょうか。
別面、越木岩神社は歴史的に興味深いものがあり、この霊岩に刻印(クロス紋)が残されているのですが、城を築くための石材として運び出す石に自らのしるしを刻んだ痕跡。つまり、この甑岩を石垣の一部に持ち出そうとした過去があるそうです。
大名による刻印石は研究が進み、この印は現在の大阪城石垣のものに合致するようです。現大阪城石垣は、大坂夏の陣(1615)における大坂城落城ののち、徳川秀忠が再建。1620年から工事が開始されており、江戸時代初期に用いられようとしたものである可能性があるそうです。
またHPには「あの甑岩に刻印されたクロス紋は、池田長幸のものだということです。姫路城の池田輝政の甥で、当時は備中松山藩主でした。
越木岩神社のあるこのあたりは六甲山系の東であり、六甲山といえば良質の石材で有名で「御影石」というブランド名がそれを物語っています。越木岩神社の裏側の山の斜面にも、花崗岩の巨石がごろごろしている様子が見られます。
しかし大阪城の石垣を築くのになんでこんな遠くから、と思うのですが、いろいろ調べますともっと遠くから岩を運んでいる実例もあります。結局、巨石は重すぎて簡単には運べませんから、水運を使ったほうがいい。そうなりますと、いい港がある西宮などは絶好の石切り場だったのかもしれません。
神社内には、甑岩以外にも刻印石は残されています。」
とあり、一度行って見てみたいと思いました。
本当に先生のブログは興味を覚えるものが多いです。
Posted by 桜 at 2013年04月15日 11:09 | 返信
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