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余命告知で損害賠償に

2013年04月17日(水)

延命治療も、受け入れ不能も、在宅に帰さないのも極論すれば、「訴訟恐怖」だ。
現代医療の特徴は「訴えられないための医療」であることを患者さんは知らない。
余命を告知したら4500万円請求されるのだ。以下、MRICから引用させて頂く。
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「余命告知」で4500万円を請求された病院  あらゆる医療が損害賠償の対象となる時代に?

 

※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。

http://jbpress.ismedia.jp/

 

武蔵浦和メディカルセンター

ただともひろ胃腸科肛門科

多田 智裕

 

2013417日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

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34日徳島地方裁判所に「医師から余命告知をされた母親が精神不安定になり、十分ながん治療を受けられず死亡した」として、徳島大学病院に4500万円の損害賠償を求める訴訟が提訴されました。

報道によると、20113月に「余命数カ月」と診断され告知された70歳代の女性が精神的に不安定になり、通院で治療を続けたものの、薬を飲まなくなったりして、十分ながん治療を受けられず、1年後の20124月に死亡したとのことです。

遺族の方々の主張は「告知によって患者に精神的ショックを与えないよう配慮する義務が医師にはあった」とのことです。

もちろん、何事にもものの言い方はあり、患者の心をズタズタにするような告知の仕方は避けるべきです。しかし、どんな言い方でもがんを告知されて絶望の縁に陥らない人はいません。どんなに配慮したとしても、精神的ショックを与えない告知は不可能なのです。

ショッピングセンターで、落ちていたアイスクリームの上で滑って転倒した70歳代女性が店を相手に2600万円の損害賠償を請求し、「店はアイスが落ちていないように注意する義務がある」として勝訴する時代ですから、医師ががん告知に関連して訴えられるのも当然のことだと思う方もいるかもしれません。

しかし医療従事者は衝撃を受けています。この訴訟によって、「間違っていない医学的判断を下すことすらも、高額な賠償金の対象となり得る」ということが判明したのです。つまり、「あらゆる医療が損害賠償の対象となる時代」の幕開けを告げる象徴的な訴訟に思えてならないのです。

 

●病名告知なしのがん治療はあり得ない

20年ほど前の1990年代、がんの告知を患者に行うかどうかについて、日本ではまだコンセンサスが得られていませんでした。がんの告知をしないまま治療を行うこともしばしばあったのです。

しかし、10年後の2000年までに告知はほぼ必須となりました。2002年には最高裁で末期がん患者に対して告知をしなかった医療機関が「対応が不十分」として敗訴したくらいです。

ですから、現状においては本人への病名告知なしのがん治療は特殊な場合(本人が認知症を発症しており理解できない場合など)を除き、あり得ないのです。

例として、家族の要望で胃がん告知なしで治療を行った場合を考えてみれば、がん告知が必須となった理由は明らかです。

毎日のように診察を行い点滴などの治療するのですが、数カ月経っても病状は横ばい、またはやや悪化傾向です。「胃潰瘍と言われて入院したのに治らないのはなぜなんだろう?」と疑問を持たない方がおかしいでしょう。医療従事者に対する病状が改善しないことに対する疑念は深まるばかりで、不信感から会話がほとんどなくなってしまいます。

そして、家族の方たちも事実を隠したまま会話をすることに疲れてはててしまい、お見舞いにくる回数が減ります。さらには、お見舞いに来ても、病室を訪ねるのは一瞬であとはロビーなどで時間をつぶして帰るだけになってしまうのです。

家族や親族の方と話したいことを話せないまま最期を迎えることが、本当に本人とって良いことだったのでしょうか?

「ショックを受けるから告知をしないで」と家族が要望し、患者の知る権利を制限した結果は、大方このようなものだったのです。

 

●「インフォームドコンセント」の真の意味とは

1997年に医療法が改正され、医療者は適切な説明を行って、医療を受ける者の理解を得るよう努力する義務が明記されました。いわゆる「インフォームドコンセント」(説明と同意)をしっかり行う義務が、初めて法律として明文化されたということです。これにより、医師が握手して「○○さん、私に全てお任せくださいベストの治療を行いますから」といった医師に丸投げの医療は完全に否定されました。

このインフォームドコンセントの真の意味が十分に世間で理解されていないのではないか?と私は考えます。

現在の医師は、専門知識と経験からアドバイスを行うだけの立場なのです。それを患者側が自分の価値観で判断をすることで医療が成り立つのです。

会話例で言うと、「今回、内視鏡を使って大腸ポリープを切除しましたが、一部がん化していました。切除したポリープを顕微鏡で詳しく調べたところ、粘膜下層への浸潤とリンパ管の侵襲を認めました。この場合、リンパ節に転移している可能性が10%ほどあるので、腸を追加で切除する手術の適応があります」

これが私の消化器内視鏡医師としての診断とアドバイスです。

これに対して、患者さんは「転移で命を落とす可能性については理解しましたが、手術は受けません」でも構いませんし、「10%の転移可能性があるのなら、追加手術で完全に切除しておきたい」でも問題ないのです。

つまり、インフォームドコンセントとは「充分な情報提供がなされたあとの、患者の自己決定権が最大限に尊重されるべきである」という考え方です。患者側にも病状の理解と自己責任による判断を要求しているのです。

ですから現在の医療では、「本人がショックを受けるから告知をしないで治療をしろ」と医師に要求すること自体が、そもそも無茶なことなのです。

 

●高額な賠償請求は医療崩壊を進めるだけ

私自身、まだ全国的に多くはない痔の日帰り手術を行っているのですが、本来数日間の入院で行う手術を日帰りで行うためには、細かく気を使う部分が多々あります。

そんな中、手術を完璧に終えたあと、その日の夜に「傷が痛む。どうしてくれるんだ」と半ばクレームじみた電話をもらうと、「痛み止めを飲んで下さい」とは答えるものの正直言ってかなりへこみます。「日帰り手術なんて無理して続ける必要ない、やめようかな」などと考えてしまうこともあります。

患者さんは、医師が良かれと思って行った診察や治療にクレームをつけることがあります。そうしたクレームさえなくなれば、医療は大変だけれど本当にやりがいのある仕事だと思います。

いろいろな意見があるとは思うのですが、「病名告知」は医師として当たり前の行為です。医師の伝え方にクレームをつけるならまだしも、高額な訴訟を起こすのは医療崩壊を進めるだけです。

医師は、自らの良心に従い、患者さんのためを思って診療の結果を伝えています。患者さんはインフォームドコンセントのもと、その結果を納得して受け止め、治療を受けていただきたいと思います。それこそが、医療再生に最も必要なことではないかと思うのです。

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この記事へのコメント

オランダでは自宅で亡くなる方が、40%、施設で亡くなられる方が30%弱、病院で亡くなられる方が約30%と最近新聞で見ました。スエ―デンでは自宅で亡くなる方が50%近くとも書かれていました。もっとも自宅の定義が我が国と違って、グル―プホーム的な家や、施設的なホームも自宅に含まれているかもしれません。しかし、そのような国では治らない状況になれば病院に行くことや最後まで入院でとどまることは我が国よりはるかに少ないと思われます。状態が悪化し、医療・医学で改善が出来ないと悟れば自然死的な受け入れがされていることが推察されます。一方わが国の死亡場所は、先進国の中では突出して病院死が多く約80%とと言われています。そういう意味では我が国での死亡は医療の果ての(限界の)死と言えると思います。先進国の中で日本は医療を受けるハードルは世界一低いと思います。色々マスコミは一部の先進国のよさそうな一面だけをとらえてそれを過大評価する事が多すぎます。医療に対する過大な期待が膨らめば、期待を超えるので、医療不信は高齢化、多死社会の進行する中でますます増強する可能性を危惧します。我が国の病院や医療者がいくら頑張っても、国民の医療費は上昇し続け、死亡数も同様に(それにもかかわらず)増加するので、医療の受益満足度が低かったり、人気のないのも当然です。もちろん医療者の謙虚さやコミュニケーションの改善は必要です。しかし、マスコミも、政治家も、医療者も、患者も、患者家族も、一般市民も最新の医学に医療に過大な期待を期待させるような情報や発言が受け勝ちで、最悪のシナリオは暗いと避けがちです。
 MRIやCTや、胃ろうの数が世界の中で日本がダントツに多いのです。ちょっとした病院や診療所はMRIやCTがないと、不利になったり、寂しさに襲われます。しかし、最新式のCTやMRI を導入すれば、数年でバージョンアップするので、それまでに機器の購入費を取り戻さないと経営面から大変なことになります。どうしても最新鋭の賞味期限までに、患者を集めてどんどん検査をせざるを得なくなります。さらに、マスコミも、患者も家族も、医療者も検査に期待し、要望します。結局日本ではほとんどの事が保険でカバーできる事ので、本当に困るのはその借金の付けの為に数十年後の我々の子孫の方々になるのではないかととても心配になります。政治家もマスコミも、多くの医療者も、経済界も、市民の多くもパッシングを恐れてはそんなことははっきりとは言えないのが、世界でも言論の自由な国と誇っている日本の現状と私は心配しています。もっと真剣に辛い可能性をどうすれば、次世代の方々と共に信頼と共助で極端な時代や局面に陥らないように無事に乗り越えられるか、今から議論していかなければならないのではとひしひしと感じる今日この頃です。想いが溢れて長文になり申し訳ありませんでした。

Posted by 沖道成 at 2013年04月18日 02:06 | 返信

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