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異食、弄便への対応
2013年05月25日(土)
産経新聞に連載している、認知症ケアシリーズも第10回目となった。
恍惚の人にあった、異食、弄便に、わたしたちはどう対応しればいいのか?
赤ちゃん帰りであると考えて、おおらかに対応するしかないのでは。
認知症ケアシリーズ第10回 異食、弄便への対応
赤ん坊への回帰現象
有吉佐和子さんの小説「恍惚の人」が発表されたのが1972年。翌年には、森繁久彌さん主演で映画化もされています。当時はまだ「痴呆」という言葉しかありませんでしたが、我が国において認知症の人を描いた衝撃的な作品でした。特に便を弄ぶシーンと介護する家族の大変さが、当時私はまだ中学生でしたが、鮮明に記憶に残っています。実はあれから40年経過した現在、この小説の時代の認識と変わった点がいくつもあります。
「異食」とは食べ物でないものを口にすること。「弄便」とは便を弄ぶことです。「恍惚の人」ではこの2つの印象があまりにも強すぎて、認知症=人格崩壊と誤解されてきたように思います。当時はこれらの行為には、それができないようにすること、すなわち身体拘束や薬物の使用で対応していました。しかしこういう認識は根本的に変わりました。現在、異食や弄便は、赤ん坊への「回帰」ととらえられています。赤ん坊は、目についたものは何でも口に運びます。また赤ん坊は、オムツの中に便が出たら不快なので泣いて訴えます。しかし高齢者の場合はたまたまそこに手が届くので自分で取り除こうとして便に触るのです。そして手が汚れるので、壁で拭くことになります。
異食や弄便は、「恍惚の人」の時代には、「退行」という概念でとらえられていました。しかしなんとなく「人間からの逸脱」を感じさせる、あまりいい言葉ではありません。現在、これらは「回帰」としてとらえられています。つまり、赤ちゃん帰りです。これは長生きすれば自然なこと。老衰という言葉のとおり、天寿を生き切ればまさに赤ちゃんに帰ることになります。帰れるくらい長生きできるのは、幸せなことです。赤ちゃんを縛ったり薬を飲ませることが無いように、認知症高齢者を縛ったり薬を盛るのは間違いです。
在宅現場では、実の親の下の世話をしている子供さんを見ることが日常です。小さい時、自分のオムツを替えてくれた親のオムツを、今度は子供が替えている・・・すなわち、60年前と立場が全く逆転しています。なんという運命の仕業でしょうか。しかし親子間で受けた恩を返し合っているのですから、実に微笑ましい光景でもあります。「回帰」という言葉を知れば、「恍惚」のイメージは消えて、「輪廻」という言葉が浮かんできます。
一方、「お漏らし」はどうでしょうか?これも老化現象ととらえるべきです。これも赤ちゃん返りだから、すぐにオムツを当てればいいのでしょうか?これはちょっと違います。安易にオムツを当てると、プライドを傷つけて被害妄想や認知症の増悪になることがあるので注意が必要です。意識がある間は、できるだけトイレで排泄するように支援することが基本です。赤ちゃんもオムツから一挙にトイレでの排尿には至りません。失敗を重ねながら母親に手伝ってもらいつつ少しずつ排尿が自立します。その逆のことが起こっているだけ。まるで映画のフィルムの逆回しのような状態です。よく分からなければ施設の介護者に相談するといいでしょう。彼らは排泄介助のプロです。いずれにせよ、安易なオムツ当てで認知症の人に屈辱感を与えてはいけません。常にその人のプライドや尊厳を意識すべきです。
キーワード 身体拘束
介護保険制度発足した平成12年より高齢者施設等における身体拘束は禁止されている。人権擁護の視点のみならず、QOL(生活の質)を損ない寝たきりに至るため、国を挙げて「身体拘束ゼロ作戦」が推進されている。
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