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がんもどき理論に対する医師たちの意見

2013年11月29日(金)

何故対談しないのか、とか逃げるのかなんて毎日言われるが、決してそうではない。
m3.comでの医師たちの書き込みは一般の方は見れないので、転載させていただく。
対談や討論というレベルのお話ではないということを、少しでも分かって頂けたら幸いだ。

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詭弁に正論で立ち向かう困難さ

 せっかく早期発見で治癒しても「それはがんもどきだから放置しても問題なかった」「悪徳医者に不必要な治療をされたんですよ」
がんもどき理論を信じたせいで手遅れになっても「本物のがんなのだから治療しても同じだった」「楽に死ねて良かったじゃないですか」
こんな論法に真面目に科学的な立場でどう反論しろというのか(しかも陪審員が皆詭弁を信じている状況で)私のような凡人にはお手上げですが
あえて立ち上がられた長尾先生の勇気には頭が下がる思いです。 
 

近藤とその仲間たち=現代のポルポト派

 <「僕の主張は全ての医療を否定しているわけではなく、『本当に必要な医療』は肯定しています。
もし、がんの定期検診、がんの手術、抗がん剤治療を全て止めたら、たくさんの病院が潰れるでしょう。がんは病院にとって非常に大きな収益源だからです。でもそれは本当に必要な医療なのか?医師たちは不要な医療を患者や家族におしつけているのではないのか?
不必要な医療をそぎ落とした時にこそ、本当に求められる医療の姿があぶりだされると思う。>

この主張こそ「がんもどき論者」の本質をなすものだ。すなわち、癌の治療は患者を食物にする医者の患者収奪の手段で、患者には全く不必要どころか有害なものである と言っている。この反社会的主張こそ彼らがポルポトの人殺しどもと通じる部分だ。

阿呆のトンデモが近藤が学生時代にボート部員だったからって左翼じゃないとか「弁護」してるが、こいつ本当に阿呆だね。ボートを漕ぐことと思想は何の関係もない。左翼も右翼もない。体育会系と言いたいのだろうが、近藤の邪悪な本質とは何ら関係ない。

近藤の主張はポルポト派がカンボジアで医者という医者を虐殺した論理と全く同じだ。自分の金儲けのために不必要どころか有害な治療を施して患者を収奪してきた医者どもは万死に値する というのがポルポト派の論理だが、表面の過激さこそ違うが本質は瓜二つだ。

がんもどき論者は80年代に絶滅したはずの新左翼の生き残りで何ら目新しいものじゃない。彼らは現代のポルポト派なのだよ。 
 


ふざけるなガンモドキ

 2013年10月20日日曜日
近藤誠氏の「がんもどき理論(仮説)」の誤りと危険性
1.「がんもどき理論(仮説)」とは何か?

「がんもどき理論(仮説)」とは、慶応大学の放射線科医である近藤誠氏が言い出した事です。彼自身は「理論」だと主張していますが、私は単なる「仮説」だとみなしています(理由は後述)。
まずここでは、その内容をなるべく端的に示してみましょう。

1)がんには「がんもどき」と「真のがん」の2種類があるが、これらは見掛け上区別できない。
2)「がんもどき」は増殖速度もゆっくりで、浸潤も転移も起こさない。
3)従って「がんもどき」は慌てて治療する必要は無く、どうしても気になるなら、大きくなってから治療すれば良い。
4)「真のがん」はごく初期から浸潤・転移を起こす。
5)従って「真のがん」は発見された時点で既に治療しても無意味(生命予後を改善しない)である。
6)以上より、がんの早期発見・早期治療は無意味である。

この理論(仮説)には幾つものツッコミどころがありますので、以下に順次記載していきます。

2.「がんもどき」と「真のがん」しかないとする「二分法の罠」

がんには、様々な種類があります。中には、近藤氏が「がんもどき」と呼ぶものに近い「進行が極めて遅く、滅多に転移も起こさない」がんも確かにあります。また一方では、近藤氏が「真のがん」と呼ぶ様な、極めて進行が速く、診断がついてから僅か数日~数週間で亡くなってしまう例もあります。
しかし、これらはいずれも極端な例であり、そうではないがんも沢山あります。
「そうではないがん」とは「適切に治療すれば治るけれども、放置すれば死に至る」がんの事です。近藤氏の説は、こうした最もありふれた形である筈のがんを意図的に無視しています。
言わば、両極端だけを取り出して見せているのです。その為に「がんもどきなど存在しない」「真のがんなど存在しない」という形での反論は不可能になっていますが、それは本質ではありません。

もう一度書きます。
がんというのは、極めて多様な疾患であり、悪性度も様々です。そうした疾患を、たった2つに分けるだけならまだしも、その2つの性質が「丸っきり極端に違う」などと主張するのは、恣意的にも程があります(ここで「グラデーション主義」という言葉を思い出した人は、拙ブログの愛読者ですね。いつも有り難うございます)。

もしも、仮に、近藤氏の論が正しいとするならば「治療して治った(様に見える)がんは、実はがんもどきだった」という事になります。しかし実際には「手術してみたらリンパ節転移があった」という例は普通にあります。そういう(「がんもどき」とは言えない様な)がんでも、適切な治療により治っている人は沢山居ます(なお、近藤氏は「リンパ節転移は転移ではない」と主張していますが、だとすれば、どれほど多くのリンパ節転移があっても、どれほど遠方のリンパ節に転移していても問題ないという事になってしまいますので、これは自説の辻褄を合わせる為の強弁としか思えません)。
また一方で「ごく初期から浸潤・転移を起こすのは真のがんだから治療は無意味」とも言いますけれども、例えば「小さながんを内視鏡的に粘膜切除したところ、既に浸潤が始まっており血管やリンパ管に食い込んでいる」といった例も時々あります。その場合は追加手術を行う訳ですが、もし近藤氏が正しいのなら(不謹慎ながら)そういう方々は治療の甲斐も無く亡くなっていなければおかしい訳です。しかし現実には勿論違います。そういった(近藤氏に言わせれば「真のがん」とみなすべき)症例でも治っている方は大勢いらっしゃいます。

3.「見分けがつかない」事と反証不能性

近藤氏によれば、がんもどきと真のがんとを見分けるのは不可能であり、放置して経過を見るしかないそうです。しかしこれはどう考えても暴論です。現代医学ではがん細胞の解析は遺伝子レベルで進められており、増殖・浸潤・転移に関係する遺伝子が次々に同定されてきています。
もしも、近藤説が正しいとするならば、たとえ「がんもどき」と「真のがん」が見かけ上区別つかないとしても、それらの極端な性質の違いは必ず遺伝子発現レベルでの大きな差異を反映している筈です。しかし幾ら研究してもそれを支持する証拠は出てきません。個人の印象ですが、むしろ調べれば調べるほど「がんの多様性」が明らかになってくるばかりだと感じています。

繰り返しになりますが、彼の言に従えば「見分けがつかない」のだから、見分ける為には放置して経過を見るしかない事になります。つまり、がんだと診断されても放置して、死ななければ「がんもどき」、死ねば「真のがん」だという訳です。
しかしこれは、2つの点で大きな問題があります。
1つは勿論、道義的な問題です。あるいは近藤氏は「どの道、治療してもしなくても、がんもどきなら死なないし、真のがんなら死ぬのだから、結局は同じ事」だと言いたいのかもしれません。
しかしそれは、あくまで近藤説が正しかった場合の話です。もしも近藤説が間違っていたとしたら、それは患者の見殺しに繋がります。近藤氏といえども医師の端くれの筈ですから「幾ら何でも、そんな人体実験モドキの行為はしないだろう」と、私もこれまでは思ってきました。しかし、彼の近著のタイトルを見た時には、思わず目を疑いました。
御存知の方も多いでしょう。
その名も「がん放置療法のすすめ」です。
「放置」は「療法」じゃねぇだろ、というツッコミはともかくとして、私には「自説の正しさを立証する為に患者に命を賭けさせている」としか思えないタイトルだったのです。

そして2つめの大きな問題は「そのやり方では近藤説の正しさは立証できない」点です。「放置して死ななければがんもどき、死んでしまえば真のがん」だと言うのなら、本来は多数を占める筈の「治療すれば治るけれども放置すれば死んでしまうがん」の患者さんはどうなるのでしょうか?
当然ながら、放置すれば、結局は亡くなります。
しかしその場合でも近藤氏は「あれは真のがんだった」と言い張れば済むでしょう。要するに「うまくいったら俺のおかげ、ダメだったら病気のせい」という訳です。
つまり近藤氏のやり方では、自説に有利な状況証拠は出てきますが、自説に不利な証拠は最初から出てきません。酷い言い方をすれば「その様に工夫されている」と言っても良いでしょう。最初から自説に有利な(所詮は状況証拠ですが)証拠しか出てこないと決まっている条件下でデータを積み重ねたところで、一体それにどれほどの価値があるのでしょうか?

これこそが、近藤説の反証不能性であり、私が「理論ではなく仮説だ」と述べている最大の理由なのです。

4.現代医療へのフリーライダー疑惑

近藤氏は、2014年3月に定年だそうです。定年後にがん研究所を作る予定だったのが、諸事情により前倒しして、セカンドオピニオン外来を始めたそうです。「30分まで31,500円」と言いますから、1日に8時間外来をやれば、それだけで50万円を越えます。結構なお値段ですね。
大学に何十年も籍を置いていながらロクに研究業績も上げられない人が「研究所」を作るのもどうかと思います。そして、同じ様な内容の本を何冊も書いて印税を稼いだ上に、それを宣伝に使って高額の自由診療を行うのが「研究所」の業務なのでしょうか。

さて、そこで行われる「診療」の内容とは何か。
概ね想像はつきます。
著書の内容と矛盾するのはおかしいですから、基本的には「手術はなるべく受けるな」「抗がん剤もなるべく使うな」といった内容が主体になる筈です。だからと言って、自分が代わりとなる治療を実施する訳でもないでしょう。要するに「言うだけ」ですよね。言っちゃ何ですが、気楽なものです。

では、彼の言う通りにして現実にがんが進行した人はどうなるのでしょうか?
その一つの例が、こちらにあります。
この映画に取り上げられている乳がんの方は、最後まで近藤氏を信じて18年間の闘病生活の末に生涯を閉じられました。しかし(ごく一部を除く、殆どの医師が同様のツッコミを入れると思いますが)初発の際には乳がんの大きさは僅か5ミリだったのです。その段階で手術をしていれば、極めて高い確率で治っていた筈です。18年はおろか、30年でも40年でも生きたかもしれません。しかもその間、本人が経験された様々な追加治療(と、それに伴う苦労や苦痛)も不要だった事でしょう。
ついでに書いておけば、まるで対比させるかの様に取り上げられている「子宮肉腫」は、悪性度が高く対処が難しい病気です。こちらの方が治療の甲斐無く亡くなられた事をもしも「現代医療の敗北」の様に描いているとすれば、それは、あからさまにズルいミスリードです。

この際ですから、はっきり書きましょう。

私に言わせれば、近藤氏は、現代医療の問題点を指摘すると称して、がんの不安と恐怖に苛まれる患者さんに耳当たりだけは良い甘言を吹き込んで標準医療を忌避させて金儲けをし、それでいて困った時だけは標準医療のお世話になっている人です。
私はこれまで、近藤氏が現代医療の問題点を指摘している点には傾聴すべき部分もあると思ってきました。しかし、この体たらくでは、吉村医院や(一部の)ホメオパスの人達がやっている事と大差ないと判断せざるを得ません。

5.近藤氏は本当に QOL (Quolity of life) を重視しているのか?

こちらのブログ記事を書かれた方は「近藤氏はQOL重視派」だと考えておられる様です。
QOLについて簡単に書くと「生活の質」と訳されます。例えば、抗がん剤の副作用に苦しみながら全身にチューブを繋がれて生き永らえるよりも、たとえ寿命が縮んでも最後まで自分の好きな様に生きられる方がQOLが高いと言われます。そう考えると、近藤氏はQOL重視派の様にも思えます。
しかし、本当にそうでしょうか。

例えば、前項の末尾に記した映画の件を見ると、本来なら治っていた筈の癌に18年間も苦しめられ続け最終的には亡くなってしまわれた訳です。これのどこがQOL重視なんだ、と思いますが。
あるいは「本人が勉強して納得して自分で決めたのなら、それで良いではないか、それこそがQOL重視だ」という意見もあるとは思います。確かに、形式的にはその言い分もアリかもしれません。しかしその意見には、複数の欠点があります。
1つは上述した如く、客観的には到底QOLが高いとは言い難い状態だった点です。本人も周囲も、強いて自らを納得させようとしていたのかもしれません。そしてもう1つは「そもそも情報が偏っていたのではないか」という疑惑です。ここまで述べてきた様な近藤氏への批判や、早期に手術すればほぼ完全な治癒が得られる事等の情報があれば、本人の判断が変化した可能性も十分に考えられます。
以上を一言でまとめるならば「『本人が納得していれば良い』は詐欺師の論理」だと言えます。

更に言うならば、仮に本人が納得していれば良いのだとしても、それが医療資源の浪費である事には変わりありません。最初に適切に治療しておけば、本人が受けた様々な追加治療や緩和ケアは不要だった筈だからです。単なる自己決定権(愚行権)の問題として片付けられないのは、こういった要素があるからです。

6.リンクと謝辞

近藤誠氏に関しては、ネット上にも様々な批判があります。今回はこれらの情報も大いに参考にさせて頂きました。一部ではありますが、以下にリンクを貼ると同時に御礼申し上げます。

近藤誠「医者に殺されない47の心得」-yoconivのブログ:近藤氏のもう一つの顔である「ワクチン否定派」の側面も見る事が出来ます。これを見ると、どうも現代医療そのものに対して否定的に考えがちな傾向がある様に思えます。
近藤誠医師の「抗がん剤は効かない」への反論:このまとめからリンクされている「がん治療の虚実」の一連の記事は、とても良いのですが、大部ですね(オマエが言うな?ゴメンナサイ)。
武田邦彦、近藤誠 トンデモ系専門家の読み方:武田邦彦氏批判も同時に読めてオトクな二本立て。ちょっと物議を醸しそうな書きぶり(オマエが言うな?ゴメンナサイ^2)ですが、内容は概ね妥当だと考えます。
「小町守の活動記録」さんより:ほぼ論理のみを武器にして近藤説の矛盾を衝いていく読み応えのある文章です。やや難解に感じる方がいらっしゃるかもしれませんが。

7.おまけ(2013年10月30日追記)

2013年10月26日付け朝日新聞b9面によると、近藤氏は次の様に述べています。
「いつでも論争する準備はある。でも、面と向かって批判されたことはないよ。僕のことを批判する人たちは、本を読まないで批判しているだけだ」
ふむ、なるほど。
随分と威勢の良い事です。

では、これは何なのでしょうか。
『白い巨塔』モデル医師 「根拠なき“がんもどき理論”を撤回せよ」
近藤誠医師「がんもどき理論」と『白い巨塔』モデル医師が直接対決
『白い巨塔』モデル医師 「がん放置療法」めぐり近藤誠医師と大激論
これらは「週刊朝日」誌2013年8月16・23日~9月20日号に掲載されたものの一部であり、それらをまとめたものがWeb新書としてオンライン販売されています。
「がんもどき理論を撤回せよ 近藤誠医師×神前五郎医師の白熱大論争」

「週刊朝日」誌上で「大論争」を繰り広げておきながら「朝日新聞」に対しては、しれっと「面と向かって批判されたことはない」などとおっしゃる。幾ら何でもこれは、草不可避(噴飯もの)でしょう。こんな態度の人とマトモに議論するのは難しそうです。
しかし御本人は「論争する準備はある」だそうです。一体、何の「準備」なのでしょうか。細かい点ですが「議論」ではなく「論争」という表現を使っている点も気になります。敢えて下司の勘繰りをすれば「炎上マーケティングに役立つ様な『論争』をする準備ならある。しかし、根拠に基づく冷静な『議論』をする準備などない」という事なのかもしれません。

ついでに言えば、媒体も気になります。朝日新聞の担当者は週刊朝日の内容を知らなかったのでしょうか。もし知らないとすればアンテナの低さは相当なものです。また、知っていたとすれば、それは「一方的に本人の言のみを垂れ流し」という事になります。もしかしたら、これは「報道ではない」から、お得意の「形ばかりの両論併記(それはそれで問題ですが)」すら不要、という判断なのでしょうか。
仮に、議論(論争ではなく)を行うとしても、こういった非対称的な取り上げ方をする媒体上で行うのは避けたいものです。

それから「批判する人たちは本を読まない」について。勿論これも誤りです。前項に挙げた複数のリンクを読んで頂けば解ると思いますが、どなたも近藤氏の本を読んだうえで批判している方ばかりです。更に上述の神前医師も近藤氏の本を読んだ上で反論なさっていますし、勿論、私自身も近藤氏の本を読んでおります。立ち読みで済ませたものもありますが、自腹を切って買い、僅かながら近藤氏の懐を潤わせるのに貢献した本も複数ございます。
という訳で「反論するならまず相手の言い分を聞け」というのは、実は、他ならぬ近藤氏自身にこそ、当て嵌まる内容なのですね。批判内容にもロクに目を通さずに「本を読んでない」と決めつける。つまり一言で言えばブーメランです


癌はいろいろ

 先日亡くなったオチヨさんに「人生いろいろ」というヒット曲がありましたが……
癌もいろいろです。

<がんというのは、極めて多様な疾患であり、悪性度も様々です。そうした疾患を、たった2つ(つまりガンモドキと癌)に分けるだけならまだしも、その2つの性質が「丸っきり極端に違う」などと主張するのは、恣意的にも程があります>

悪性度が低く滅多に転移しない癌、近藤の言うガンモドキに近い癌として
皮膚のsolar keratosis, Bowen's disease, basal cell carcinomaなどがあります。
通常とってしまえばそれでおしまいですが、放置しておくと徐々に広がり、稀に遠隔転移を起こすことがあります。
皮膚の火傷の瘢痕などから何十年も経って生じるsquamous cell carcinomaは進行が早い癌です、しかも分化度が極めて高く、一見癌でないように見える良性腫瘍モドキです。
一般に唾液腺や副鼻腔、咽頭、喉頭、口腔に生じるsquamous cell carcinomaは進行すると何度も再発し転移を繰り返す極めて厄介な癌です。

前立腺癌では、Gleason scoreが5以下のadenocarcinomaはガンモドキですね。
癌なのかどうかも論争になっています。前立腺癌は予後が病理所見のGleason scoreに大きく左右されることが統計的に知られております。6が低悪性、7が中悪性、8以上が高悪性です。たとえ僅かでも8以上だと厳重な治療が求められます。

皮膚にできるmalignant melanomaは様々なvariantがあり、診断が極めて困難なものも多い。あの大家のアッカーマンが訴えられたこともあるそうです。一般に、予後は大きさ、進達度に比例します。一般に表皮に限局していれば予後が良いが、例外もあります。真皮に浸潤していれば予後は不良です。

恐ろしく予後が悪いのは体の様々な部位にできるsmall cell carcinoma, あるいはneuroendocrine carcinoma (NET)ですね。手術でとり切れたつもりでも、一年も経たないうちに再発して死亡してしまうことが多い。

肺癌は、bronchioloalveolar carcinomaの段階で見つかればとればほとんど完治ですが、papillary carcinomaの段階になると術後5年生存率が20-30%となってしまいます。反対にsquamous cell carcinomaは術後5年生存率が70%近い。つまり、adenocarcinomaよりよほど予後が良い。

もっともっと、沢山沢山ありますが、本物の癌とガンモドキしかなくて両者は区別がつかず、治療は無駄で有害。放置するのが最善の療法などとは全くのデタラメです。素人を騙すレトリックです。癌には悪性度のうんと低いものからうんと高いものまで様々で、それぞれ進行度や組織型に基ずいた最善の治療があるのです。人類が叡智を傾けて築き上げて来た医学が、近藤某の浅はかなペテンで覆る訳がないのです。

 

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