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手術拒否の男性死亡

2014年01月20日(月)

「がんと闘うな」に危惧、という記事(共同通信)が、飛び込んできた。
荻野アンナさんが書かれた文章で詳細が分からないのでコメントはしにくい。
しかし今後、医療否定本を信じて死んだ遺族から、教祖が訴えられる可能性がある。
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「がんと闘うな」に危惧 
手術拒否の男性が死亡 
作家・荻野アンナ
「アンナの日常復光」

共同通信社  2014年1月10日(金) 配信
 
 大腸がんを手術してから1年半、新年を迎える喜びもひとしおである。

 私の場合は見つかるなり切り、抗がん剤でみっちりたたいたのが正解だった。しかし昨今は「がんと闘うな」派に勢いがあり、その流れに危惧を抱く意見も出て、情報は錯綜(さくそう)している。

 「闘うな」派は、がんと似て非なる「がんもどき」の存在を指摘する。放置しても害のない「がんもどき」を、がんと混同して治療するのはたしかに問題だ。とはいえ本物のがんを放置すれば命にかかわる。

 患者は難しい決断を迫られるわけだが、対照的な二つの例が身近にあるので、ご紹介したい。

 Aさん(男性)はヘビースモーカーである。40代半ばまで、1日80本は吸っていた。せきが続くので近くの内科に行った。撮ったエックス線写真に、医師は眉をひそめた。気になる影があるからと、病院を紹介された。

 病院では肺がん専門の医師が検査をした。血中の酸素濃度から、肺の機能低下を指摘された。「とにかく月に1回来てください」

 半年通ったあげく、「もっと高度な専門医に診てもらったほうが」と紹介されたのが県立がんセンターだった。

 「これはもう本物だな」とAさんは落胆した。訪れたがんセンターの待合室には俳句・短歌のコーナーがある。今年の桜を来年も見られるのだろうか、といった類いの作品が並ぶ。ますます気分が暗くなった。

 若いドクターはエックス線写真を見るなり「肺がんですね」とあっさり告知。「すぐ開きます?」「ちょ、ちょっと待ってください」

 コンピューター断層撮影(CT)と磁気共鳴画像装置(MRI)にも影は出たが、決め手にはならない。2週間ごとの血液検査で様子を見ることになった。医師は「開いて見ればすぐ分かるんですけどね」と繰り返した。

 1年後、医師が最初のエックス線写真と最新のものを比較してみると、影は微妙に小さくなっていた。がんは絶対に減少しない。「強いて言うと肉芽腫ですね」

 結局、無事放免となるまでに1年半を要した。その間にAさんは遺言状をしたため、仕事の後を知人に託し、疎遠になった親戚と和解した。その後は禁煙にも成功した。がんと言われたのが人生の節目になった、と今だから言える。

 70代のBさんは、私のホームドクターの患者だった。2011年の2月に血尿で受診し、細胞診でぼうこうがんの疑いが出た。先生は総合病院の泌尿器科を紹介した。

 結果は4センチのがんで、転移はなく、切除可能。手術を勧められたが、Bさんは「がんと闘うな」派の心酔者で、医師とけんかして席を蹴ってしまった。

 Bさんの段階だと、手術でウロストミー(人工的な尿の排出口)を付けることになる。尻込みする気持ちが、余計に「闘うな」派へと向かわせたのか。Bさんは総本山の病院へ行き、高名な著者C氏に診てもらい、大満足であった。

 11年夏になり、Bさん(男性)はホームドクターの元に舞い戻ってきた。「しばらく様子を見て」から放射線照射をしてくれる先生を探すように、とC氏からアドバイスされていた。

 がんは「様子を見」たりしようものなら、恐ろしい速度で増殖すると、シロウトの私でも知っている。

 先生が、あらためて紹介した病院は、放射線のみでは治療として不適切であること、ましてや「しばらく様子を見て」から照射、というC氏のメニューでは無理な旨、Bさんに説明した。Bさんのがんは、この時すでに6センチになっていた。それでもBさんは手術を拒否した。

 その後Bさんは別の病院で放射線照射を受けた。治療が終了し、12年の頭に撮ったCTで、腫瘍は縮小していた。Bさんは笑顔でホームドクターに報告したが、先生のほうはいたたまれない気持ちを隠すので精いっぱいだった。

 12年は小康状態を保ったが、13年も6月になると、Bさんは食事も取れない状態になった。C氏の病院はもちろん、手術を断った二つの病院は受け入れ先にならない。先生が探してくれた個人病院で、ほどなくBさんは亡くなった。手術を受けてさえいれば、今でも元気だったはず、と先生は悔しがる。

 がんもどきに翻弄(ほんろう)されたAさんと、がんを直視しなかったBさんと。対照的な2人から、がんをめぐる複雑な現状が見えてくる。教訓は生かさねば、との思いを強くした。

 ※荻野アンナ氏の略歴

 おぎの・あんな 56年、横浜市生まれ。作家・慶応大教授。91年「背負い水」で芥川賞。93~94年、共同通信加盟紙に「アンナの工場観光」を連載。近著に「大震災 欲と仁義」(共同通信社)など。

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この記事へのコメント

本日の記事を興味深く拝読いたしました。改めてがんという病の難しさを痛感しました。
コメント欄がありましたので、私見をのべたく。

”がんと闘うな”という主張が支持されている根底には、どう終末を迎えるのかは自分の判断である、という点が支持されている面もあると思う。今回の記事では、70歳のBさんは残念な例として掲載されている。だが、果たしてそれは事実か。母は70代で食道がんの手術にふみきった。だが高齢の体に手術の影響は予想以上で術後のQOLは低下し笑顔は消えた。確かに’がんと闘うな’という主張がBさんの手術拒否を後押ししたのであろう。が、Bさんが手術を拒否したのはなぜか。がんもどきだと思い込みたかったのか。ウロストミーや手術はやりたくないという70代のBさんはまちがっていると誰がいえるのか。

少なくともC氏の主張は”医療否定”とは思えない。こういう選択肢もあるとされている。医者や医療現場が標準治療を100%推し進められないことは精神的、効率的、倫理的にも負担だ。だが、殊、がん治療に限っていえば、現場に多様性が求められるようになっているのは明らかだ。がん治療はまだまだ不透明で、やってみなければ抗がん剤の効果もわからないのは事実だ。”「がんと闘うな」に危惧”ならわかるが、”医療否定本を信じて死んだ遺族から、教祖が訴えられる可能性”などといわれると、むしろ医療現場の閉鎖性と
患者不在の実態が仄見えるだけだ。

Posted by 匿名 at 2014年01月21日 01:31 | 返信

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