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在宅医療が広がらない理由
2014年03月20日(木)
新聞ネタついでに、昨日の日経新聞に「在宅医療が広がらない理由」が書いてあった。
これは、どこで講演しても必ず聞かれる質問の一つだ。
ちょと難しいかもしれないが、この学者さんの記事をなかに答えの一部がある。
これは、どこで講演しても必ず聞かれる質問の一つだ。
ちょと難しいかもしれないが、この学者さんの記事をなかに答えの一部がある。
http://www.drnagao.com/pdf/media/related_article/nikkei20140319.pdf
要は、終末期の問題に国民も医療者も正面視できていないので
在宅医療は広がらない、という指摘はだいたい正しいと思う。
医師は、そんな「ややこしいこと」に、自分の生活を犠牲にして首をつっこむより、
もっと楽でお金が儲かる医療に身をおきたいのが人情。
私自身は、「人間を診たい」のが医者になった動機。
在宅医療は楽しいからやっているだけで、外来診療と特に区別をしていない。
外来と同じように聴診器1つでフラッと患者さんの家に行くことがある。
外来の途中に訪問診療や往診に出かけることは、毎日のようにある。
もはや「人間を診る」なんてことを口にする医者は、”化石”ものらしい。
医者も看護師も、専門、専門で、”なんでも屋”なんて言っても誰も尊敬しない。
私は恥ずかしながら、日本一の”なんでも屋”を目指して35年間努力をしたつもり。
その割には大したことはできていないが、自分が目指してきた道に、悔いはない。
専門医に勝てる総合医を、という気持ちでいくつか専門医資格も取った。
専門医を議論で打ち負かすことが楽しみなので、怖がる専門医もいる。
専門性は総合性の一部にすぎない!!
今回、3年かけて”スーパー総合医叢書”全10冊の総編集をさせて
頂いているのは、まさに「天命」だと思っている。
http://www.amazon.co.jp/%E5%9C%A8%E5%AE%85%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%81%AE%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6-%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E7%B7%8F%E5%90%88%E5%8C%BB-%E5%9E%82%E4%BA%95%E6%B8%85%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4521739008/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1395279219&sr=1-2
書籍には総論と各論がある。
どちらも大切なのとまったく同じ理屈。
在宅医療にも総合性と専門性が要求されると考える。
専門性が全く無い在宅医は心の中では、認めることができない。
研修を終わったばかりの医師が在宅研修を依頼してくるが、断っている。
大病院の専門ガチガチの医師に厳しくシゴイてもらってから在宅の世界に来てね、と。
しかし、いったん専門の世界の入ったら、そこからなかなか出てこれない。
そこにいるほうが楽だからだ。
”人間を診る”とか、”終末期を考える”など、ややこしい話とは無関係に
比較的安全地帯にいたほうが、トラブルに巻き込まれない。
かくして、医者は”人間を診る”ことをしなくなる。
”臓器を診ること”だけで満足して一生を終える。
まるごと診るのが、本来、医療であるはずなのに、みんな忘れている。
当たり前のことが理解できない現在の医療は、異常といえば異常。
こんな議論をもっともっと医療界と市民がしないといけない。
すなわち終末期議論も在宅医療も、市民と”まじくらない”限り、広がらない。
要は、終末期の問題に国民も医療者も正面視できていないので
在宅医療は広がらない、という指摘はだいたい正しいと思う。
医師は、そんな「ややこしいこと」に、自分の生活を犠牲にして首をつっこむより、
もっと楽でお金が儲かる医療に身をおきたいのが人情。
私自身は、「人間を診たい」のが医者になった動機。
在宅医療は楽しいからやっているだけで、外来診療と特に区別をしていない。
外来と同じように聴診器1つでフラッと患者さんの家に行くことがある。
外来の途中に訪問診療や往診に出かけることは、毎日のようにある。
もはや「人間を診る」なんてことを口にする医者は、”化石”ものらしい。
医者も看護師も、専門、専門で、”なんでも屋”なんて言っても誰も尊敬しない。
私は恥ずかしながら、日本一の”なんでも屋”を目指して35年間努力をしたつもり。
その割には大したことはできていないが、自分が目指してきた道に、悔いはない。
専門医に勝てる総合医を、という気持ちでいくつか専門医資格も取った。
専門医を議論で打ち負かすことが楽しみなので、怖がる専門医もいる。
専門性は総合性の一部にすぎない!!
今回、3年かけて”スーパー総合医叢書”全10冊の総編集をさせて
頂いているのは、まさに「天命」だと思っている。
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書籍には総論と各論がある。
どちらも大切なのとまったく同じ理屈。
在宅医療にも総合性と専門性が要求されると考える。
専門性が全く無い在宅医は心の中では、認めることができない。
研修を終わったばかりの医師が在宅研修を依頼してくるが、断っている。
大病院の専門ガチガチの医師に厳しくシゴイてもらってから在宅の世界に来てね、と。
しかし、いったん専門の世界の入ったら、そこからなかなか出てこれない。
そこにいるほうが楽だからだ。
”人間を診る”とか、”終末期を考える”など、ややこしい話とは無関係に
比較的安全地帯にいたほうが、トラブルに巻き込まれない。
かくして、医者は”人間を診る”ことをしなくなる。
”臓器を診ること”だけで満足して一生を終える。
まるごと診るのが、本来、医療であるはずなのに、みんな忘れている。
当たり前のことが理解できない現在の医療は、異常といえば異常。
こんな議論をもっともっと医療界と市民がしないといけない。
すなわち終末期議論も在宅医療も、市民と”まじくらない”限り、広がらない。
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この記事へのコメント
「医療」の言葉を「介護」に入れ替えてみても 同じ事が言える・・・」と思いますね。
介(心にかける・気にかける・仲立ちをする)
護(まもる・かばう・防ぐ・助ける)
の「本質」が・・・「実態」は
「人を護(まも)る」 ではなく
「介護ケア(ノウハウ)を実践する」
「実地指導対策上の 段取り・仕事内容」に躍起になってる感 が 空虚 です・・・
Posted by 駆け込み寺 at 2014年03月20日 01:48 | 返信
働くお母さんが、子供をベビーシッタ―に預けたら、殺ろされてしまった悲痛な事件がありました。
老人の在宅医療も、ちょっと似たところがある様な気がしました。
子供もお年寄りも、お金と余裕があれば、皆家で、面倒みたいです。
でも、働かなきゃ、家のローンもあるし、幼稚園とデイサービスは、朝出て行って、昼過ぎには帰ってくるから、夕方遅くまでパート仕事ができない。パートや、アルバイトも、正社員なみに、残業させられる。
できたら、お泊まりデイみたいなところで預かって貰えれば、目いっぱい働ける訳です。
私の家もあんまりお金がないうちですので、母が長生きすれば、私も、なんかで、働かなきゃいけません。ケアマネジャーで、働くのはオッカナイので、掃除のおばちゃんにでもなるつもりです。
在宅医療の広がらない理由の一つは、不景気だと思います。
Posted by 大谷佳子 at 2014年03月21日 02:14 | 返信
小学生だった頃、「サンセット77」というTVドラマが、ありました。
フランス人の受け付け嬢が、主人公の探偵の一人のロジャー.スミスにお手製のフランス料理をご馳走するという話があって、それで、2人がハッピーエンドになると言う話だったので、「あ!お料理ができることが、結婚への道か!」と思いました。
その割に、さっぱりお料理は上手くなりません。
しかし考えてみると、フランス料理も、中華料理も、りっぱに男性の調理師さんが腕をふるっている世界です。女性だけがお料理をしなければいけないと言う規則もありませんし、女性が、医師なり弁護士なり教師なり、どんなお仕事でも、一人前に働こうと思ったら、お料理は出来合いの物だったり、外食になったりするのもやむ負えないのではないかと思います。
お年寄りを、在宅で介護すると言うのが最高に、幸せなのは、決まっていますけど、施設の状況さえ良ければ、施設で送る老後も、時代の流れなのではないかと思います。
施設も絶えず、外の世界、近隣と交際して、文化祭とか、ボランティアを受け入れるとか子供や動物とのふれあいとか施設での生活を市民に見て貰う場であって欲しいです。
施設が閉鎖的になって、お年寄りや障害者が不幸な状態であるのは、施設の運営者の責任だと思います。
現場のワーカーさんと長尾先生が、お年寄りの為と思って、言い争っても、直ぐには状況が良くなるのは難しいと思います。
お年寄りや、施設を取り巻く法律も、なかなか複雑で、良く分からない事が多過ぎる気がします。
今現在は、お年寄りは在宅で、自主独立に精神で頑張るのが、一番安全かもしれません。
施設の経営者とそれを監督する国や、自治体の方針一つに、かかっていると思います。
取りとめも無い事を、申し上げて済みません。
Posted by 大谷佳子 at 2014年03月22日 03:37 | 返信
針灸院の患者さんで、長男夫婦と孫と同居している女性が、「憲法が戦前と戦後で変わったので、困っています」と言っていました。
戦前は親の介護は長男が見ると決まっていた。家も土地も全財産が長男に相続され、長男は潤沢な資金で、親の介護をすることができる。
戦後は、GHQの命令で、憲法は改正され、親が死んだ時点で、財産は兄弟全員に、均等に分散して相続される。
これでは両親の面倒は誰が見るか不明です。これはアメリカ流の家族観から来ているのかもしれません。アメリカの両親は、自分の老後の資金は自分で確保して、子供は自分の力で、学歴をつける。
であるから、子供は親の老後を見なくて良いというのがアメリカ。それに対して、日本は持てる財産で、子供の学歴をつける。でも、戦後の法律では子供の誰も親の老後を見なくても良い事になっている。
トップスターのお笑芸人のお母さんが生活保護を受けていると非難されたことが話題になりましたが、法律的には、あいまいらしいです。
見たこともない叔父さんが生活保護を受けられないからから、遠い親戚に「面倒を、みてあげられないか?」という打診が市役所から来るかと思うと、実の親が老健を転々としていたりします。
それにヘルパーの資格を取って、他人のお年寄りの介護をすると、給料がもらえるけど、自分の親介護をしても、給料は出ない。
「女の家族が居てはんねんから」といって、へるぱーさんも雇えない。我が宝塚市の市長さんは「ビックリ」という自叙伝で、「義母の介護は、全部お友達に交代でみて貰いました」と書いてありました。それで、特に宝塚市は、ヘルパー派遣には厳しいのでしょう。
以上「憲法と、介護保険制度が、在宅医療、看護を促進はしていない。むしろ、なんの補償もない現状」だから、在宅医療は伸びないのでは無いのだと思います。
Posted by 大谷佳子 at 2014年03月23日 02:34 | 返信
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