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精神病院の中身
2014年03月25日(火)
しかし外からは、中の様子を伺い知ることは容易ではない。
大熊由紀子さんからのメルマガの中にあった資料は貴重だと思う。
●海外の専門家を驚かせた日精協会長の病院
http://www.yuki-enishi.com/senryaku/senryaku-20-1.pdf
●精神病院スタッフのブログから
ブログを読んだ精神病院関係者のコメント
http://www.yuki-enishi.com/senryaku/senryaku-20-3.pdf
http://www.yuki-enishi.com/senryaku/senryaku-20-4.pdf
きっと読まれたら、きっと驚くんじゃないかな。
だって拙書、「ばあちゃん・・・」と書かれていることが
あまりにも似ていませんか?
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%B0%E3%81%82%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%80%81%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%82%92%E9%96%93%E9%81%95%E3%81%88%E3%81%9F%E3%82%89%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%83%9C%E3%82%B1%E3%82%8B%E3%81%A7-%E9%95%B7%E5%B0%BE-%E5%92%8C%E5%AE%8F/dp/4893088149/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1391073422&sr=1-2
不都合な真実は、いまのうちに公開されるべきだと思う。
あなたも私も、ボケるのだから。
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この記事へのコメント
私の父は、病院で、MRSAで、死にましたけど、その病院に、何度も入院しました。
初めて、入院した時に、看護婦さんがに「拘束用パジャマを購入して下さい」と、言われました。「コウソクヨウって、何ですか?」と聞くと「近くのAスーパーで売ってますから、とにかく、行って買ってきて下さい」と言われて買いに走りました。
父は、我がままで、尿道カテーテルを引き抜こうと、したからだと思います。
尿道カテーテルを引き抜こうとしたことは、少し認知症が出ていたのかもしれません。
退院したら、「このパジャマ嫌いやから、脱がしてくれ」と言ったので、慌てて脱がしました。
父が死んで8年になりますが、今でも、押入れに、拘束用パジャマがあるのを見て、悪い事をしたなあとも思いますが、病院という組織の中では、ある程度やむを得なかったとも思います。
Posted by 大谷佳子 at 2014年03月25日 02:31 | 返信
「反面教師」 以前に、「志」の域 ですね・・・。
特に、「大声を出す人 2013.01.06」のコメントは 是非「介護職(なかでも特に、施設スタッフ)」に 読んでもらいたい・・・し このケースと 全く同じケースを年間数件
「介護施設(1日でギブアップ?!お断り?!)
→ 弊社事業所~「小規模多機能」
→「精神系医療機関」
のパターンで 「ご相談?!依頼?!お願い?!」の「受け入れ」をさせてもらってます・・・
くわばら くわばら・・・
Posted by 駆け込み寺 at 2014年03月25日 11:31 | 返信
今までは在宅から施設、そして精神病院が認知症の方の行きつく先のような流れ。
これからは、精神病院から小規模多機能、施設、あるいは在宅へ。いつかは。
そんな予感、しませんか?
Posted by 社会福祉士河本健二 at 2014年03月25日 08:58 | 返信
私の父は、認知症でデーサービスに通ってましたけど、BPSDがひどいということで精神科病院に入院ということになってしまいました。入院してしばらくしてから、車椅子に拘束する拘束帯を買うように看護師から言われました。2万円近くしましたが、拘束帯2つ買いました。その後、足の拘縮が起きてほとんど歩けなくなり身体も弱ってしまいました。また、体重がひどく減少して、死にかけていると思ったので、やや強引に退院させました。あれから3年近く経ちました。認知症は進んでいますが、栄養状態は改善し体重も増え、全介助ですが、父が望む通りに家族と一緒に暮らしています。当時、私には力がなく、反対はしたものの、医師や周囲の圧力に抗することができず、父に辛い思いをさせてしまったことを申し訳ないと思っています。
Tatsuo Shibataから大谷佳子への返信 at 2016年03月14日 10:26 | 返信
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