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救急車を呼んだけど・・・

2014年06月10日(火)

一昨日は、第3回日本リビングウイル研究会が東京で開催されました。
今回のテーマは、「生かされなかったリビングウイル」。
生かされなかった2つの症例についてみんなで話し合いました。
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1例目は、リビングウイルを持っていた90歳代の方が、
突然倒れて心肺停止になり、慌てた家族が救急車を呼んだ例。
心肺蘇生が成功し人工呼吸器につながれたままになったと。

意思疎通はできるらしく、家族が呼びかけると涙を流すと。
家族は「こんな目にあわせてしまい親に申し訳ない」と後悔。
要は、救急車を呼んでしまったがために人工呼吸になった例。

私はパネラーとして以下のような発言をしました。

  • 家族の判断も救急隊の処置も病院の先生の初期対応も悪くない
  • 元気な人が急変して家族が救急車を呼ぶのは当たり前のこと
  • 救急隊員は生かせるための処置をするのは当たり前のこと

会場の参加者(医療関係者や市民など)との議論のあとには、

  • 救急救命処置と延命措置を混同してはいけない
  • 経過によっては良からぬ方向に行った場合に、
    リビングウイルによって治療の濃度が変わることはある

と述べました。

もしかしたら、一般の人は、

  リビングウイルを表明している
     = 突然倒れても誰も救急車も呼ばす、そのまま死ぬこと

だと理解されているかもしれませんがそれは間違いだと言いました。

元気な人が急に倒れたら応急処置や救命処置をするのは当たり前。
まずは生き返らせて、意識消失の原因を同定し、経過を見ながら
落ち着いた状態で冷静に話し合いの上で、今後の処置を相談します。

たとえば、もし低血糖発作なら、たった1分で元に戻ります。
あるいは致死性不整脈なら蘇生したあと後遺症が無い場合もある。
あるいは脳卒中であれば、さまざまな経過があります。

クモ膜下出血なら破綻した脳の動脈のジェット流で脳幹部の
呼吸中枢が圧迫されて、反射的に呼吸が止まることがあり得ます。
しかし破綻した動脈瘤の処置が成功すれば予後がいいこともあり得ます。

大切なことは、元気な人が急変した場合は、まず救命です。
まずはなんとか一命を取り留めて、その後、経過を見ます。
そこで少し時間的な余裕ができてから、相談が始まります。

経過が良ければそれでいいですが、もし経過が悪ければそこで
本人のリビングウイルを確認しながら本人の意思を尊重しつつ
家族にもその旨を充分説明します。

大切なことは家族と何度も何度も相談を重ねることです。
しかしそれができる医療者と、できない医療者がいます。
同様に家族の統一意思を伝えられる家族と伝えられない家族がいる。

そして「もうこれ以上やっても希望はないし、先が見えている」と
医師が判断し見守っている家族も「そうだな」と思う段階になって
はじめてリビングウイルが効力を発揮してきます。

患者想いの医師であれば、本人と家族の意思を尊重して徐々に
治療の手をトーンダウンしていくことは充分にあり得ます。
各医学会のガイドラインを読んでもそのように書いています。

90歳という年齢は関係ありません。
50歳であろうが100歳であろうが、本質的には変わりません。
助けられるものは助けるのが医学、医療の使命です。

救急車を呼ぶということは、以上のあらゆる可能性を想定した
救急救命処置を希望します、という意思表示とみなされます。
救急隊員も医療者も命を助けることが任務。

助けようとすることと、単に延命措置を続けることは全く違います。
特にこの例のように元気な人の場合であれば、なおさらそうです。
「延命措置云々」は救命後しばらくの時間が経過した後の話です。

時間が経過したあとに、リビングウイルが効いてきます。
日本尊厳死協会が定めるリビングウイルでもいいですし、
「1カ月やってもダメなら諦めてくれ」といった内容でもOKです。


その方はいろいろ手を尽くしたが、結局3週間後に亡くなったと。
私は、知り得た経過には大きな問題はないのでは、と思いました。
しかし「生かされなかったリビングウイル」の1例としての提示。

たしかにご家族の想いは、そうだったのでしょう。
あるいは、天国に旅立たれた本人も同じ想いだったのかもしれません。
しかし救命後3週間程度であればそれは仕方がないことだと思います。

その間に、どんな話合いが何回行われたのかは不明でした。
もしかしたら、医療者が家族の想いを知ろうとしなかったのかも。
あるいは、知っていても寄り添うことができなかったのかもしれない。

あるいは家族は遠慮して、医療者に何も伝えていなかったのかも。
3週間の中にどんな物語があったのかが一番知りたいところです。
それを知らずに「生かされなかった」と言われてもちょっと違うような。

あるいは、もしそれが3カ月間だったら、あるいは3年間だったら?
そこではじめてリビングウイルの意義が出てきます。
現実に、そんなケースを見てきました。

「じゃあ救急車は呼ばないで!」と言う90歳代の人がいるでしょう。
たしかに「呼ばない」という権利はある、と私は考えます。
しかし家族にはどんな想いが残るのでしょうか。

「ああ、やっぱり呼んでいたら良かった。助かったかも」とか、
「ああ、俺が親を殺したんじゃないかな」と悩み続けるかもしれません。
ですから本当に呼ばないならば、その旨周囲に徹底しておかないと無理。

1時間以上、あれこれ議論しながら、医療者と市民のリビングウイル
への意識の違いが浮き彫りになったような気がしました。
それだけでも充分意味のある時間でした。

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この記事へのコメント

87歳の父が生活している介護施設の担当者に「取り消し不可能な処置はしないでください」とお願いしています。「取り消し不可能な処置」は、「取り消す=元に戻す=やらなかったことにする=止める」ならば、死ぬ、つまり殺人罪になる処置です。
一番考えられるのが気管挿管。自力呼吸できないあるいは自力呼吸に不安があるが、気管挿管すれば呼吸が確保できる、そのうち自力呼吸が戻れば管を抜ける、けれども、自力呼吸が戻らなければ管を抜くと死ぬ、しかし長期で気管挿管はできない、だから人工呼吸器に繋ぐ、そうしないと殺すことになる。
「気管挿管しないでください」ということは「1日か2日の気管挿管の後に自力呼吸が戻って安定するかもしれない」可能性をゼロにすることなので、何割かは殺人行為を含んでいることになるのでしょうか。
一度入れた管は、自力呼吸が戻らなければ抜くことができずに、死ぬまで人工呼吸器に繋がれ、人工呼吸器で何週間も生きれば胃瘻かIVHで栄養補給しなければなりません、餓死させることはできません、と、延々と管まみれの手厚いフルコース医療を死ぬまで受け続けることになります。
私宅は皆、日本尊厳死協会に登録していますが、救急搬送されてしまうとどのような病院に運ばれどのような医師が担当することになるのか、まったくわからないので「取り消し不可能な処置はしないでください」という表現になってしまうのです。

Posted by komachi at 2014年06月10日 01:54 | 返信

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