- << 薬剤師さんとの濃い2週間
- HOME
- 在宅医療の敵は介護保険制度 >>
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
可哀そうな患者さんたち
2014年07月29日(火)
講演ばかりしていると思わているかもしれないが、休みを全部返上しているだけ。
現場の人間として年中無休で仕事をしていても、
会う人会う人に「仕事をしろよ」と言われてしまう。
現場の人間として年中無休で仕事をしていても、
会う人会う人に「仕事をしろよ」と言われてしまう。
この30年間、誰にも負けない位働いてきた、という気持ちが自分を支えている。
現在も300床の病院の当直(ファーストコール)を、365日24時間続けている。
普通の医師の10倍働くつもりで、いつもやっている。
たぶん、10人いても全然足りない位の仕事をしているつもり。
平日は深夜まで仕事なので家にほとんど居ず、嫁さんには怒られてばかり。
メインスタッフたちにも過重労働になり、それらは本当に申し訳ないと反省ばかり。
朝から深夜まで臨時往診も、数件くらいはやっている。
もちろん定期の訪問診療も、朝昼晩、そして深夜もやっている。
外来診療はもちろん、理事長や院長としての雑務に紛れて生きている。
医師会、校医、産業医、各種団体の役職としての仕事も半端ではない。
そんな中、年間90人位のお看取りも、当然のこととして行っている。
部外者には信じてもらえないが、やっているので、そうとしか言えない。
一人看取ったら、まるで神様の采配のように、同じような新規の在宅患者さんと
新たなご縁ができるのが毎度なのだが、ほんとうに不思議なことばかり起こる。
月曜日、火曜日には、たいてい新規の在宅患者さんが2~3人入ってくる。
病院でいうなら、新規入院患者さんだ。
毎週2人が亡くなり、1人が入院して、毎週、3人が新たに入ってくるような感じだ。
それは外来も同様で、毎日、数人の新患さんが来られるという循環も並行してある。
今日も、午後から新規にご家族から依頼があった患者さんを訪問した。
遠くから1秒見ただけで、「ああ、末期がんの末期」だと分った。
ほおは完全に痩せこけて
眼だけがギョロっとしている。
もはや立ちあがることも困難で、寝返りがやっとこさという状態だ。
がん診療拠点病院で3年間、がん治療を受けてきたと家族はいう。
お腹は、パンパン。
腸閉塞と少量の腹水。
苦悶の表情で、体の置き所がない。
汚いシャツには、ウンチがあちこちついている。
せんべい布団がひとつ。
その横に困り果てた家族がやつれた顔で座っていた。
その家族が尋ねた。
「来週は、病院でCT検査をしに行くことになっているのですが・・・」
「はあ?来週、生きているかどうか分らないのですが・・」
と返したいところだが、初対面なのでそこはグッと我慢、我慢。。
もちろん、介護認定もケアマネも介護ベッドも何もない。
緩和ケアも痛み止めも、そんなものは一切ない。
ガリガリの体とパンパンのお腹が目の前に横たわっているだけ。
さあ、余命数日の患者さんを前に、私はどこから手をつければいいのだろうか・・・・
次に訪問した在宅患者さんは、黄疸が著明で、腫瘍マーカーや検査値は
過去に見たことがない高い数値を指していた。
この方も、お腹は固く、腸閉塞でパンパン。
それでも4日前から在宅医療に入れたので、4日前より少し元気になったようだ。
昨日は少しだけだがごはんが食べられたことに、本人と家族は感謝してくれた。
そこでもこんな質問が出た。
「明日は病院の受診日なので、介護タクシーで連れて行きますがいいですか?」
在宅医療を依頼されても、必ずこんな質問が来る。
「どうして?何をしに行くの?」
と心の中でつぶやくが、ここもグッと我慢していると家族の方から説明してくれた。
「病院の主治医が痛み止めを出してくれたので、その評価のために連れて来てくれ
と言われたからです。お世話になっているので行かない訳にいかない」と。
その痛み止めとは、ロキソニンの頓服だった。
それが効いているかどうかを報告するためだけに、病院に呼び出される・・・
がん診療拠点病院なんてそんなもの。
余命1~2週間の末期がんの人でも病院に呼び出し、悪ければ入れようとする。
「早期からの緩和ケア」なんて、どこにも無い!見たことが無い!
それどころか、「最期まで緩和ケアが無い!」のががん拠点病院の実態に見える。
「平穏死」なんて夢のまた夢。
その病院に入れたら、全員、管だらけになって、苦しんで溺れ死んでいく。
死人に口無し。
無知な家族も「そんなもん」だと思い気がつかないので、誰も指摘しないままその病院は栄える。
我慢強い患者は最期まで耐えて
大声をあげるものや脱出を試みる患者は、麻酔で眠らされる。
ホスピスやがん専門病院とは最期は麻酔で眠らせて死ぬ場所?
最近は在宅ホスピスでも鎮静(セデーション)が流行っているが、私はやらない。
どうして意識がある人の意識をわざわざ落とさなければならないのか、理解できないから。
私は、在宅患者さんに一人も深い鎮静をかけたことが無いし、必要性を感じないのは傲慢?
緩和ケアやホスピスという言葉は、「科学」という鎧をかぶると一気に変貌する。
患者のための医療ではなく、医療者のための医療に変わってしまうが、誰も気がつかない。
訪問看護師が人知れず、「患者さんが可哀そう・・・」と泣くのも当然だろう。
がん対策基本法を作った山本孝史さんも、草葉の陰で泣いていることだろう。
そんな現場に埋もれた日々を送りながら、週末になると専門職や市民に向かって
たとえば「在宅ホスピスという選択」なんて話をするわけだが、どこから話すかいつも迷う。
がん拠点病院の医師や看護師達のほとんどが「在宅ホスピス」というものが
この世にあることを知らない、もしくは知っていても信じていないのが実態だ。
だから、市民が知らないのも当然だ。
「平穏死」」に少しでも関心があるある人がおられたら、近著を読んで欲しい。→こちら
先日、映画「大病人」のダイジェスト版を上映しただけで、病院の偉い先生に怒られた。
「いまどきそんな病院があるわけないだろうが!」と。
「ないどころか、そんな病院しか無いのですが・・・」なんて言いたいが
気が弱いので言い返せず、こんなブログのなかで発散している。
綺麗ごとで終わらせたい傍観者と現場とのあまりの乖離に戸惑うばかりの毎日。
そんな中で、問題の核心を抽出して自分なりのやり方で数年間、発信してきた。
しかしそんなことをしても、広い医学界、広い世間ではなんの意味も無いことが
やっとはっきり分ってきた。恥ずかしながら、それくらい勘の悪い人間なのだ。
文句を言ったり、啓発なんて偉そうなことを言う暇があれば、その分、
目の前の患者さんにもっとより添うべきなのだろう、きっと。
そんな弱気になりつつあるところに偶然出会ったのが、河野和彦医師だ。
私と誕生日がほとんど同じであり、認知症医療に生涯を捧げている医師だ。
河野医師の原点は、可哀そうな患者さんを前にした時に湧き上がる怒りではないのか。
それは私も全く同じで、怒りを感じなくなれば、この世界から足を洗ったほうがいいかも。
がん患者さんも大変だが、認知症患者さんも大変なことになっている。
市民の一部は気がついているが、肝心の医療者が気がついていない。
怒るべきか、諦めるべきか。
闘うべきか、妥協すべきか。
おそらく、闘いながら妥協する、のだろう。
昨日、鹿児島で学んだ、島津家の戦法とはこれだった。
和宏も和彦も、どちらも「和」がついているから。
これは親と神様が与えてくれた天命である、と悟るべきなんだろう。
現在も300床の病院の当直(ファーストコール)を、365日24時間続けている。
普通の医師の10倍働くつもりで、いつもやっている。
たぶん、10人いても全然足りない位の仕事をしているつもり。
平日は深夜まで仕事なので家にほとんど居ず、嫁さんには怒られてばかり。
メインスタッフたちにも過重労働になり、それらは本当に申し訳ないと反省ばかり。
朝から深夜まで臨時往診も、数件くらいはやっている。
もちろん定期の訪問診療も、朝昼晩、そして深夜もやっている。
外来診療はもちろん、理事長や院長としての雑務に紛れて生きている。
医師会、校医、産業医、各種団体の役職としての仕事も半端ではない。
そんな中、年間90人位のお看取りも、当然のこととして行っている。
部外者には信じてもらえないが、やっているので、そうとしか言えない。
一人看取ったら、まるで神様の采配のように、同じような新規の在宅患者さんと
新たなご縁ができるのが毎度なのだが、ほんとうに不思議なことばかり起こる。
月曜日、火曜日には、たいてい新規の在宅患者さんが2~3人入ってくる。
病院でいうなら、新規入院患者さんだ。
毎週2人が亡くなり、1人が入院して、毎週、3人が新たに入ってくるような感じだ。
それは外来も同様で、毎日、数人の新患さんが来られるという循環も並行してある。
今日も、午後から新規にご家族から依頼があった患者さんを訪問した。
遠くから1秒見ただけで、「ああ、末期がんの末期」だと分った。
ほおは完全に痩せこけて
眼だけがギョロっとしている。
もはや立ちあがることも困難で、寝返りがやっとこさという状態だ。
がん診療拠点病院で3年間、がん治療を受けてきたと家族はいう。
お腹は、パンパン。
腸閉塞と少量の腹水。
苦悶の表情で、体の置き所がない。
汚いシャツには、ウンチがあちこちついている。
せんべい布団がひとつ。
その横に困り果てた家族がやつれた顔で座っていた。
その家族が尋ねた。
「来週は、病院でCT検査をしに行くことになっているのですが・・・」
「はあ?来週、生きているかどうか分らないのですが・・」
と返したいところだが、初対面なのでそこはグッと我慢、我慢。。
もちろん、介護認定もケアマネも介護ベッドも何もない。
緩和ケアも痛み止めも、そんなものは一切ない。
ガリガリの体とパンパンのお腹が目の前に横たわっているだけ。
さあ、余命数日の患者さんを前に、私はどこから手をつければいいのだろうか・・・・
次に訪問した在宅患者さんは、黄疸が著明で、腫瘍マーカーや検査値は
過去に見たことがない高い数値を指していた。
この方も、お腹は固く、腸閉塞でパンパン。
それでも4日前から在宅医療に入れたので、4日前より少し元気になったようだ。
昨日は少しだけだがごはんが食べられたことに、本人と家族は感謝してくれた。
そこでもこんな質問が出た。
「明日は病院の受診日なので、介護タクシーで連れて行きますがいいですか?」
在宅医療を依頼されても、必ずこんな質問が来る。
「どうして?何をしに行くの?」
と心の中でつぶやくが、ここもグッと我慢していると家族の方から説明してくれた。
「病院の主治医が痛み止めを出してくれたので、その評価のために連れて来てくれ
と言われたからです。お世話になっているので行かない訳にいかない」と。
その痛み止めとは、ロキソニンの頓服だった。
それが効いているかどうかを報告するためだけに、病院に呼び出される・・・
がん診療拠点病院なんてそんなもの。
余命1~2週間の末期がんの人でも病院に呼び出し、悪ければ入れようとする。
「早期からの緩和ケア」なんて、どこにも無い!見たことが無い!
それどころか、「最期まで緩和ケアが無い!」のががん拠点病院の実態に見える。
「平穏死」なんて夢のまた夢。
その病院に入れたら、全員、管だらけになって、苦しんで溺れ死んでいく。
死人に口無し。
無知な家族も「そんなもん」だと思い気がつかないので、誰も指摘しないままその病院は栄える。
我慢強い患者は最期まで耐えて
大声をあげるものや脱出を試みる患者は、麻酔で眠らされる。
ホスピスやがん専門病院とは最期は麻酔で眠らせて死ぬ場所?
最近は在宅ホスピスでも鎮静(セデーション)が流行っているが、私はやらない。
どうして意識がある人の意識をわざわざ落とさなければならないのか、理解できないから。
私は、在宅患者さんに一人も深い鎮静をかけたことが無いし、必要性を感じないのは傲慢?
緩和ケアやホスピスという言葉は、「科学」という鎧をかぶると一気に変貌する。
患者のための医療ではなく、医療者のための医療に変わってしまうが、誰も気がつかない。
訪問看護師が人知れず、「患者さんが可哀そう・・・」と泣くのも当然だろう。
がん対策基本法を作った山本孝史さんも、草葉の陰で泣いていることだろう。
そんな現場に埋もれた日々を送りながら、週末になると専門職や市民に向かって
たとえば「在宅ホスピスという選択」なんて話をするわけだが、どこから話すかいつも迷う。
がん拠点病院の医師や看護師達のほとんどが「在宅ホスピス」というものが
この世にあることを知らない、もしくは知っていても信じていないのが実態だ。
だから、市民が知らないのも当然だ。
「平穏死」」に少しでも関心があるある人がおられたら、近著を読んで欲しい。→こちら
先日、映画「大病人」のダイジェスト版を上映しただけで、病院の偉い先生に怒られた。
「いまどきそんな病院があるわけないだろうが!」と。
「ないどころか、そんな病院しか無いのですが・・・」なんて言いたいが
気が弱いので言い返せず、こんなブログのなかで発散している。
綺麗ごとで終わらせたい傍観者と現場とのあまりの乖離に戸惑うばかりの毎日。
そんな中で、問題の核心を抽出して自分なりのやり方で数年間、発信してきた。
しかしそんなことをしても、広い医学界、広い世間ではなんの意味も無いことが
やっとはっきり分ってきた。恥ずかしながら、それくらい勘の悪い人間なのだ。
文句を言ったり、啓発なんて偉そうなことを言う暇があれば、その分、
目の前の患者さんにもっとより添うべきなのだろう、きっと。
そんな弱気になりつつあるところに偶然出会ったのが、河野和彦医師だ。
私と誕生日がほとんど同じであり、認知症医療に生涯を捧げている医師だ。
河野医師の原点は、可哀そうな患者さんを前にした時に湧き上がる怒りではないのか。
それは私も全く同じで、怒りを感じなくなれば、この世界から足を洗ったほうがいいかも。
がん患者さんも大変だが、認知症患者さんも大変なことになっている。
市民の一部は気がついているが、肝心の医療者が気がついていない。
怒るべきか、諦めるべきか。
闘うべきか、妥協すべきか。
おそらく、闘いながら妥協する、のだろう。
昨日、鹿児島で学んだ、島津家の戦法とはこれだった。
和宏も和彦も、どちらも「和」がついているから。
これは親と神様が与えてくれた天命である、と悟るべきなんだろう。
- << 薬剤師さんとの濃い2週間
- HOME
- 在宅医療の敵は介護保険制度 >>
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
この記事へのコメント
永尾先生お疲れさまです。読んでいて涙が出てきました。
頼むから逃げてくれ!の現実ですね。
患者さんも、家族ももっと勉強して欲しいです。
Posted by しん at 2014年07月29日 12:45 | 返信
私は、長尾先生に最期を看取ってもらいたいな。
(先生と同年代ですが・・!)
心ある医療従事者ばかりになる世の中にならないものでしょうか。
いつも、いつ家に帰っておられるのかと心配しています。
ご自愛下さい。
Posted by 紀子 at 2014年07月29日 03:09 | 返信
長尾先生は、働き過ぎですね。
日野原先生みたいに100歳以上の長生きをしてください。
「長尾という医者もいたなあ」なんて言われるワーカーホリックも結構たくさんいらっしゃいます。
トリアージして、一番大切な事事事から取り掛かって、あとは「少し疲れたからごめんなさい」で、良いのではないですか?
今年の夏はとりわけ暑いですから。
クリニックの働いてる人達も大変です。
労働基準基準局から勧告が出るのじゃないでしょうか?
業務停止になったりして。
Posted by 大谷佳子 at 2014年07月30日 02:19 | 返信
緩和ケア これ 不勉強でよく知らなかったのですが 母がそういう目にあって初めて知りました。尼崎は良い病院も多く そこで働かれる方も親切な方が多く 医師も色々と親切に対応してくださり 闘病生活の末に緩和ケアを選択し在宅は無理でしたが 先日亡くなりました。
本人は長尾先生の在宅在宅と言っていたのですけど・・・
Posted by 薬剤師 井澤康夫 at 2014年07月30日 07:45 | 返信
長尾先生こんばんは。すみません、まとめ読みしました。apial1 とブログのここ数日分が、とても面白く、こちらも闘志が湧く内容でいらしたので「何かあったのかな。。。?」と思いながらも、「いいぞ!いいぞ!、やれ!やれ!」と、映画のワンシーンの流行る気持ちのような、状態で応援メッセージを打ち始めました。(下品と思わないで下さいね..表現としてです。)読後、私も書きたい!!ぶちまけたい!と気持ちが溢れますが...。抑えます。応援してます!!モチベーションの持続、頑張って下さい!(お身体は時に休息して下さい。)長尾先生のブログは単に、その病名を語っているのではなくて、もっと深く大きく何かを語っておられる事、わかっています。長尾先生、河野先生、ガンバって~~!!!ちなみに私も「和」の字と縁があるのです。(先生の文中で、このくだりnice!でした。)
Posted by もも at 2014年07月30日 11:43 | 返信
今更変えるのもなんですので失礼な名前のままで失礼します。。おーいなんて(-.-;;
鎮静(セデーション)なんてあるのですか。緩和の病棟ではそんな事もされるのであればこわいですね。。
お見舞いに行けないまま亡くなってしまった親戚のことを思い浮かべたのですが。。
痛みだけとってくれるのかと思っていたのに、そうでない場合もあるなんて、びっくりしました。
ところで、スーパーマンにしか思えないお働きぶりですが、どうぞご自分の御体もいたわってください。
私の亡き恩師も「和」の字を持つお名前でした。なんだかふと気になってしまいました。
Posted by おーい at 2014年11月19日 05:14 | 返信
コメントする
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL: