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大切なのは自己決定権
2014年09月09日(火)
日本尊厳死協会の岩尾總一郎・理事長が「大切なのは自己決定権」と述べている。
自己決定しても通用しない日本だから、「権利」として認めて欲しいという意見だ。
こんな真っ当な意見をちゃんと掲載してくれるのは、大手新聞ではなく地方新聞。
自己決定しても通用しない日本だから、「権利」として認めて欲しいという意見だ。
こんな真っ当な意見をちゃんと掲載してくれるのは、大手新聞ではなく地方新聞。
それは長崎新聞。→こちら
当たり前のことが当たり前でない日本。
それを議論する場を破壊しても、破壊した側の味方をするメデイア。
エセ正義感だけをふりまわしていたら、その場は楽。
そんな大手メデイアの論調をサブリミナルに刷り込まれる日本人のDNA.
卒業式を中止させた暴走族を、英雄として報道し続けてきたメデイア。
それは決して朝日新聞だけではなく、多くのメデイアが同じ姿勢を取り続けた。
しかし同じメデイアでも、長崎新聞や愛媛新聞や富山新聞を見よ。
社会の公器として、報じる点はちゃんと報じている。
極論すれば、メデイアが日本人の終末期医療を壊してきたと私は思っている。
みなさん、大手やマスメデイアに、くれぐれも騙されないように。
自分自身の感覚を信じて欲しい。
当たり前のことが当たり前でない日本。
それを議論する場を破壊しても、破壊した側の味方をするメデイア。
エセ正義感だけをふりまわしていたら、その場は楽。
そんな大手メデイアの論調をサブリミナルに刷り込まれる日本人のDNA.
卒業式を中止させた暴走族を、英雄として報道し続けてきたメデイア。
それは決して朝日新聞だけではなく、多くのメデイアが同じ姿勢を取り続けた。
しかし同じメデイアでも、長崎新聞や愛媛新聞や富山新聞を見よ。
社会の公器として、報じる点はちゃんと報じている。
極論すれば、メデイアが日本人の終末期医療を壊してきたと私は思っている。
みなさん、大手やマスメデイアに、くれぐれも騙されないように。
自分自身の感覚を信じて欲しい。
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この記事へのコメント
「自己決定」と言われれば聞こえは良いですが、判断能力に問題のない健常者でもなかなか決められるものではありません。皆さん、「そうなったときに考えよう」と思っていて忘れてしまうのです。そして何十年か経って、「その時」が来た時には、話ができなくなっている状況になり、結局は延命治療を受けるのではないでしょうか?
そもそも、本当に死を目の前にした人の延命治療であれば、結果は同じことです。また、「死を目の前にしている」と言ってもそれは医師の判断です。医師は人間ですから、間違えもあります。それであれば、延命治療をしてもらって助かった方が、一度しかない人生を有意義に過ごすことができるのではないですか?死はいずれは訪れるものですから・・・。
問題は日本尊厳死協会の方々が、このような考え方を受け入れる柔軟な思考があるか否か?です。
よく、勘違いされますが、例えば、若い方が脳卒中の際に、延命治療の結果、その後著しい障害を持って生き続けることが是か非か?という話がありますが、これと日本尊厳死協会の議論が混同にされることです。ある医師は、「自身がもし倒れたら、何もしないで死なせろ」と周囲に言っているそうです。しかし、申し上げたようにこれは日本尊厳死協会の議論とは別な議論であることはお分かりの通りです。が、むしろ、こちらの議論のが大切ではないですか?
死を目の前にした人よりも切実な問題ではないですか?
Posted by 麻生 博一 at 2014年09月09日 07:21 | 返信
麻生さま:ご意見・ご提言、有難うございました。日本尊厳死協会関西支部で、尊厳死に関する出前講座を、年15回前後担当している立場で、お話させてください。勝手ですが私見ということで、間違いなどがありましたら、長尾副理事長から指摘・修正をお願いします。
①お話の冒頭で、いつも「いかに生きるか、いかに死ぬか・・死生観は人それぞれなので、一つの提案としてお聞き下さい」と申し上げています。
②最後の過ごし方についての多くの方の願望:自宅で(約80%)、穏やかに(痛みがなく)過ごしたいと願っています(どのアンケート数値も、ほぼ同様です)。
③しかし、現実は、病院で亡くなる方が80%以上で、多くの方がご希望通りの過ごし方ができていないと思います。
④人生最期の過ごし方の希望を叶えるためには(特に、上記のご希望)、心身が健全でいらっしゃるときに、ご自身の意思をハッキリと文字で残して、ご家族やかかりつけ医に伝えておかねばなりません。
そのようにお勧めしています。
⑤講座の後でアンケートを頂くことにしていますが、大半のアンケートは(ご意見が異なるときはアンケートをお書きにならないかもしれませんが)、「これを機会に、最期の過ごし方を考えておきたい」と、仰せです。
だからすぐに協会に入会されるかどうかは別にして、考え方の基本は賛同いただいていると思っています。
なお、最近はよく、「終活・エンディングノート・尊厳死」のテーマでお話をさせていただきますが、9月開催のある大阪市内の老人福祉センターでは、80名の募集が30分で満席になったと伺いました。人気のあるテーマのようです。
⑥死期の判断:仰せのように難しいですね。ただ、これ以上手を尽くしても回復はしないということは判断できる場合があるのではないでしょうか。それまではシッカリ治療に専念されて、その時期が来たと自分でも判断できるときには、穏やかな最期を迎えるのは、一つの選択かと思います。場合によっては、複数の医師の判断が必要なこともあるでしょうね。治療に伴う苦痛や日常の過ごし方と治療をしないことによる穏やかさとのトレードオフではないでしょうか。
⑦最後の事例(若い方・・):これ以外にも多くの事例があると思います。こうしたことを契機に、議論が進んでいくことを願っています。 以上
Posted by 小澤 和夫 at 2014年09月10日 11:43 | 返信
かなり過敏に反応されているようですね。①で「人それぞれ」と言っておきながら、②③⑤では多数決の原理で自分の気に入った多数派の意見を擁護する。毎日汗水流して働いている方々は、お医者さんのように「自分の死期のこと」など感気ている暇はないのです。関心を持った人のアンケートの結果のみを鵜呑みにするのはいささか危険だと思います。
「仰せのように難しいですね。ただ、これ以上手を尽くしても回復はしないということは判断できる場合があるのではないでしょうか。」とのことですが、人は単なる生物体ではありませんし、人は一人で生きているのではありません。周囲の方々の「いつまでも生き続けてほしい」というお気持ちを忘れていませんか?
Posted by 麻生 博一 at 2014年09月12日 07:57 | 返信
麻生さま:重ねてのご意見、有難うございました。
前段:「ご自分の死期のこと」をお考えでない方が多いので、提案をさせていただいています。また、「全体の傾向がこうだから、皆さんもそうしなければならない」と申し上げるつもりはありません。なお、関心をお持ちの方のアンケート結果以外の資料があれば、それも参考にさせていただきます。
後段:周囲の方の「いつまでも生き続けてほしい」というお気持ちはよくわかりますが、「いつまでもは生き続けられません」。ご自分の最期を周囲の方に委ねられるのも、生き方の一つでしょう。ただ、私は、「死に方は生き方の最後のステップで、それが周囲の方への心配りでもあろう」と考えています。
要は、「いろいろな考え方があっていい」のではないでしょうか。考えることが大切だと思います。 以上
Posted by 小澤 和夫 at 2014年09月12日 11:48 | 返信
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