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海の分水嶺
2014年09月28日(日)
昨夜講演した広島県福山市の「鞆の浦」は、なんと「海の分水嶺」だったのだ。
瀬戸内海で暮らすものとして、海の上にも分水嶺があることを初めて知った。
人口は、45万人と47万人。
医療機関は、どちらも400強。
工場が多い。
埋立地が多い。
どちらもフラットな地形。
医師会活動が盛ん。
実は、「鞆の浦」とは、瀬戸内海の海流の、九州側からの潮と大阪側からの潮が
ちょうどぶつかる場所なのだ。
満潮時や干潮時には、鞆の浦を船で越えることができない。
だから古来から歴史上の人物は、鞆の浦で泊まり、潮に合わせて通過したという。
これって、医療行為の分水嶺とまったく同じ。
攻めの医療と守りの医療、と言い変えてもいい。
この分水嶺は、なんとポニョの舞台でもあったそうだ。
もっと早く知っていれば、鞆に泊ったのに・・・残念!
鞆の浦周辺は1925年に名勝・鞆公園の指定を受け、さらに1931年に制定された国立公園法において国立公園として最初に指定された地区のひとつである(瀬戸内海国立公園)。そのため1934年の国立公園指定当時の記念切手や絵葉書には鞆の風景が描かれているものがある。 なお鞆の浦に含まれる島には仙酔島、つつじ島、皇后島、弁天島、玉津島、津軽島がある。
瀬戸内海の海流は満潮時に豊後水道や紀伊水道から瀬戸内海に流れ込み瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦沖でぶつかり、逆に干潮時には鞆の浦沖を境にして東西に分かれて流れ出してゆく。つまり鞆の浦を境にして潮の流れが逆転する。「地乗り」と呼ばれる陸地を目印とした沿岸航海が主流の時代に、沼隈半島沖の瀬戸内海を横断するには鞆の浦で潮流が変わるのを待たなければならなかった。このような地理的条件から大伴旅人などによる万葉集に詠まれるように、古代より潮待ちの港として知られていた。また、鞆は魏志倭人伝に書かれる「投馬国」の推定地の一つともなっている。
鞆の浦の港町である鞆には古い町並みが残り、1992年には都市景観100選に、2007年には美しい日本の歴史的風土100選にも選ばれた。江戸時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみである。江戸時代中期と後期の町絵図に描かれた街路もほぼすべて現存し、当時の町絵図が現代の地図としても通用する。そのような町は港町に限らず、全国でも鞆の浦以外には例がない[。
2008年公開された『崖の上のポニョ』で、宮崎駿監督が構想を練った地として有名になり、映画のロケが増えている。
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